春は出会いのシーズン。心を踊らせている人も、緊張感を感じている人もいるはず。どんな心構えでいると、人との交流がよい経験になるだろうか。
「自分の経験を振り返って大きな気づきとなったのは、“人って意外と受け入れ力がある”ということです」
そう語るのは、ヘナ・アーティスト、エッセイスト、「生命大好きニスト」などさまざまな肩書きを持つ長井優希乃だ。32カ国を訪れた経験を持つ彼女は、2024年春からスタートしたJ-WAVEの番組『PEOPLE’S ROASTERY』(毎週月曜〜木曜 13:30-16:00)をナビゲート中。ゲストとのトークや音楽で平日の午後を彩る同番組、そして長井は、そのタイトル通り“人々”を大切にしている。
長井は、早朝ラジオに出演しながら社会科教員としても働いていたという異色な経歴の持ち主。環境、立場、年代、性別を超えて人々と向き合ってきた彼女に、人と関わることの魅力や、初対面の人との向き合い方、そしてラジオへの意気込みを聞いた。
シンプルに生活が一変しました。『JUST A LITTLE LOVIN'』時代は日中に中学校の社会科教員を務めていたので、朝3時台に起きて5時〜6時まで生放送をしたのちに、学校で授業をするというスケジュールだったんです。『PEOPLE’S ROASTERY』のスタートと共に学校を退職し、ラジオがメインのお仕事になりました。今は生活のリズムに体を慣らしている最中です。まず朝3時に起きなくてよくなりました(笑)。
――多忙を極める日々だったのですね。
当時は睡眠時間を獲得するのに必死でした。6時間は寝たいと思いつつも、日々を充実させるために何かをしたいと、時間に追われながらもやりたいことばかりをやっていたので、楽しく過ごせてはいました。学校の先生のお仕事も充実していたし、朝のラジオもやりがいがありました。一方で、4月からの生活は、余白が生まれた感覚があるというか。なので、「この余白をどうしようかな」と考えて、英語通訳の学校に申し込みました。
――行動力がすごい! 「ゆっくりする時間ができた〜」とはならなかったんですね。
やりたがりなんです(笑)。これまで訳す際は自分の感覚で行ってきたので、きちんと手法を学んでスキルを身につけて、海外の方がゲストに来たときにしっかり通訳してお届けしたいと思っています。『JUST A LITTLE LOVIN'』ではチェワ語のお話もよくしていたんですけど、チェワ語の通訳学校はおそらく東京にはないんじゃないかな。
――では今後、長井さんがチェワ語の通訳講座の先生になることもあるかもしれないですね。
いいアイデア(笑)! そうなれるようにもっともっとチェワ語も頑張らないとですね。 『JUST A LITTLE LOVIN'』はマラウイ大使館公認番組になったんですけど、ラジオ番組で発信していくことによって、人の輪が広がっていくことを実感しました。そういう意味で、『PEOPLE’S ROASTERY』でもいろんな野望があります。たとえば、ゆくゆくは現地の方とタッグを組んでチェワ語やいろんな語学の楽しい講座や文化体験企画もやってみたいななんて思っています。
大学で文化人類学を学んでいた影響も大きいと思うんですけど、私は人と関わりたい欲が強い方なんですね。自分を大切にする核を持ちながらも、人と交わって、流動的に行き来していくことで、自分自身が変化していくことがすごく楽しい。人に出会ったり、もともと知っていた人との交流が深まることで、今まで見ていた世界が拡張されたり、クリアになったりしますよね。一方で、ボヤけることもあると思います。そういう部分こそ、人間が生きていく上でのおもしろさなんじゃないかなと考えているんです。
人って「自分はひとりで生きている」と感じていても、実はすごくいろんな人と関わりながら生きているものですよね。例えば着ている洋服のタグに生産国がカンボジアと書かれていたら、「カンボジアのどんな人が作ってくれたんだろう? 労働環境ってどうなんだろう?」と思考を巡らせることができます。絶対にひとりでは生きていけないことは、これまでも感じていたし、これからも大切にしていきたい考えです。
とにかく相手の言うことをまず聞くということです。「私はこういう人間で……」と説明するよりは、まず「あなたを知りたいです」と投げかけることが大事かなと思っていて。どんな人にもおもしろい部分があって、魅力があるんです。まずはそういった部分をみつけたいと思いながら人と接しています。
――小さい頃から、人と接することは得意でしたか?
いや、実は小さい頃は人見知りだったんです。小学生の頃まで、回転寿司のカウンターで板前さんに「サーモンください」って言えないくらい(笑)。
――正直、意外です(笑)。
ですよね(笑)。でも、当時の私にとって回転寿司屋はハードルの高い場所で、親が頼むときにこっそり「サーモンもお願い……」と、やんわり伝えるような子でした。今となっては、何で言えなかったんだろうなと思うけど、初対面の人に対してドキドキする感覚は理解しているつもりです。
──人との交流は、先ほど長井さんがおっしゃったように学びのあるものですが、コミュニケーションに苦手意識があると「しんどい」という気持ちも大きくなりますよね。
「自分から話しかけるなんて大変」「人からどう見られてるんだろう……」と悩むこともありますよね。長い目で見れば、なんとなくそこにいるうちに何かのきっかけで話が生まれるかもしれないですし、例えば新生活でもすぐに環境に溶け込めないことを悲観しなくてもいいと思います。なんなら、うまく溶け込めなくてもべつにいいって思うんです。でもそのうまく溶け込んでいない状況が、自分にとってストレスになるのだったら、一歩踏み出してみてもいいのかもしれないですね。自分の経験を振り返って大きな気づきとなったのは、「人って意外と受け入れ力がある」ということです。こちらからアクションを起こしたら意外とみんな受け入れてくれるかも。
──人目を気にしすぎて自分の殻に閉じこもらずに……ということでしょうか。
そうですね。とくに思春期とかだといろんなことを考えちゃって、「こんな自分でいなくちゃいけない」と頭で考えたことにがんじがらめになってしまうこともあると思うんですけど、いったん、相手に委ねてみることも大事じゃないかと。もちろん相手を尊重しながらですけど、考えていることを伝える、自己開示するということは相手にとってもうれしいことなんだと、中学生くらいから思えるようになりました。
人からどう見られるか気にしすぎないという観点で言うと、インドでフィールドワークをしていた大学院生の頃に出会って生活も共にした、マンジュリさんという“インドママ”と私が呼んでいる女性です。私が路上を歩いていたら、いきなり手を引っ張られて、「ヘナアートをやらないか?」と誘われたんです。「私はすでにヘナアートをやっているんです」と答えたら、「おまえ、明日から家に住んで一緒に働くか?」って(笑)。
──急展開ですね(笑)。
それ以降、本当の母のように接してくれて、一緒に路上でヘナアートでお金を稼いでという暮らしをしていました。インドママは常に楽しそうなんです。それは何でだろうと考えると、人にどう見られるかをまったく気にせず、自分がやりたいことに突き進む強さを持っていたから。例えばインドはカーストの問題があり、私が一緒にいたヘナアーティストたちにも自分の行動が他者からどのように見られるかということを気にする人も多くいましたが、インドママは気にしないんです。外国人の私をいきなり家に迎えてくれたのも「この人、おもしろそう」「私が家に迎えたいから迎えよう」という直感を重視したのだと思います。
自分が興味を抱けるものとの出会いは人生を楽しむ推進力になるし、人生を自分色に彩ることなんだと思います。インドママの人生は、インドママ色に染められているんですよ。そういうバイブスを彼女から学びました。
私は、マラウイの友人とよくビデオチャットをしています。マラウイの私がいた村には水道が通っていなくて井戸から水を汲んでいるんですけど、電波は通っていて、村人の友人の多くがスマホを持っているから、ビデオチャットができるんですよ。地球の裏側にいながら、マラウイの村の先生たちのグループチャットを通じて、友人たちの動向が見られるのはすごくおもしろいですね。距離が離れているからこそ、これまで以上に繋がっている感覚は得られています。
ラジオのリスナーさんもSNSでハッシュタグを通じて、同じラジオを共有している仲間という繋がりを感じているのかなと思います。届け手としてもあたたかな気持ちになりますし、お互いの顔が見えなくても、愛が詰まったシェアはできると感じます。理想を言えば、もっとSNSが互いを尊重し合い愛のシェアを行う空間になったらいいですよね。
一方で、X(Twitter)などは、ジャーナリズムの側面もあります。例えばガザ戦闘の渦中にでいままさに攻撃を受けている人が、自分の状況を発信している。そういう意味でも、以前とは比べ物にならないくらい大きな存在になっています。SNSは人を傷つけてしまう可能性もあるけれど、すごく大切な情報を拾えたり、愛のシェアをしたりすることもできる。人々にとって欠かせないものにはなっているからこそ、画面の向こうの生身の人間の人生に想像を巡らせながら、気をつけて使っていかなければならないと思っています。
番組のコンセプトは「ROASTERY=焙煎所」でカフェ的なイメージ。PEOPLE’Sという言葉が入っているのは、世の中には「肩書き」とか「他者から貼られたラベル」など、自分をがんじがらめにしてしまいがちなものがあると思うんですけど、そういうものは関係なく、“境界を超えて集える居場所”という思いが込められています。
誰もがほっとひと息つけて、かついろんな考えや視点を摂取でき得られるような番組にしていきたいですね。番組を通じて新たな人との出会いや、音楽、そして世界との出会いがあったらうれしいです。皆さんと共に色々なワクワクを見つけながら過ごしていけたらいいなと思います。
(取材・文=中山洋平)
「自分の経験を振り返って大きな気づきとなったのは、“人って意外と受け入れ力がある”ということです」
そう語るのは、ヘナ・アーティスト、エッセイスト、「生命大好きニスト」などさまざまな肩書きを持つ長井優希乃だ。32カ国を訪れた経験を持つ彼女は、2024年春からスタートしたJ-WAVEの番組『PEOPLE’S ROASTERY』(毎週月曜〜木曜 13:30-16:00)をナビゲート中。ゲストとのトークや音楽で平日の午後を彩る同番組、そして長井は、そのタイトル通り“人々”を大切にしている。
長井は、早朝ラジオに出演しながら社会科教員としても働いていたという異色な経歴の持ち主。環境、立場、年代、性別を超えて人々と向き合ってきた彼女に、人と関わることの魅力や、初対面の人との向き合い方、そしてラジオへの意気込みを聞いた。
新番組のスタートと共に、通訳学校へ
――2024年4月からお昼のワイド番組『PEOPLE’S ROASTERY』が始まりました。早朝の番組『JUST A LITTLE LOVIN'』からの変更に伴い、どんな違いを感じていますか?シンプルに生活が一変しました。『JUST A LITTLE LOVIN'』時代は日中に中学校の社会科教員を務めていたので、朝3時台に起きて5時〜6時まで生放送をしたのちに、学校で授業をするというスケジュールだったんです。『PEOPLE’S ROASTERY』のスタートと共に学校を退職し、ラジオがメインのお仕事になりました。今は生活のリズムに体を慣らしている最中です。まず朝3時に起きなくてよくなりました(笑)。
――多忙を極める日々だったのですね。
当時は睡眠時間を獲得するのに必死でした。6時間は寝たいと思いつつも、日々を充実させるために何かをしたいと、時間に追われながらもやりたいことばかりをやっていたので、楽しく過ごせてはいました。学校の先生のお仕事も充実していたし、朝のラジオもやりがいがありました。一方で、4月からの生活は、余白が生まれた感覚があるというか。なので、「この余白をどうしようかな」と考えて、英語通訳の学校に申し込みました。
――行動力がすごい! 「ゆっくりする時間ができた〜」とはならなかったんですね。
やりたがりなんです(笑)。これまで訳す際は自分の感覚で行ってきたので、きちんと手法を学んでスキルを身につけて、海外の方がゲストに来たときにしっかり通訳してお届けしたいと思っています。『JUST A LITTLE LOVIN'』ではチェワ語のお話もよくしていたんですけど、チェワ語の通訳学校はおそらく東京にはないんじゃないかな。
――では今後、長井さんがチェワ語の通訳講座の先生になることもあるかもしれないですね。
いいアイデア(笑)! そうなれるようにもっともっとチェワ語も頑張らないとですね。 『JUST A LITTLE LOVIN'』はマラウイ大使館公認番組になったんですけど、ラジオ番組で発信していくことによって、人の輪が広がっていくことを実感しました。そういう意味で、『PEOPLE’S ROASTERY』でもいろんな野望があります。たとえば、ゆくゆくは現地の方とタッグを組んでチェワ語やいろんな語学の楽しい講座や文化体験企画もやってみたいななんて思っています。
人との関わりは、見える世界も自分も変えていく
―― 『PEOPLE’S ROASTERY』は“人々”がキーワードの新番組です。春は新生活のシーズンということもあり、新たに出会う人との交流にドキドキしたり、緊張したりしている方も多いと思います。長井さんは人と関わることについてどう考えていますか?大学で文化人類学を学んでいた影響も大きいと思うんですけど、私は人と関わりたい欲が強い方なんですね。自分を大切にする核を持ちながらも、人と交わって、流動的に行き来していくことで、自分自身が変化していくことがすごく楽しい。人に出会ったり、もともと知っていた人との交流が深まることで、今まで見ていた世界が拡張されたり、クリアになったりしますよね。一方で、ボヤけることもあると思います。そういう部分こそ、人間が生きていく上でのおもしろさなんじゃないかなと考えているんです。
人って「自分はひとりで生きている」と感じていても、実はすごくいろんな人と関わりながら生きているものですよね。例えば着ている洋服のタグに生産国がカンボジアと書かれていたら、「カンボジアのどんな人が作ってくれたんだろう? 労働環境ってどうなんだろう?」と思考を巡らせることができます。絶対にひとりでは生きていけないことは、これまでも感じていたし、これからも大切にしていきたい考えです。
「人って意外と受け入れ力がある」
――長井さんは32カ国も旅をされ、文化圏も年代もすべてが異なる方々と出会ってこられたと思います。初対面の人と関わるときはどんなことを意識していますか?とにかく相手の言うことをまず聞くということです。「私はこういう人間で……」と説明するよりは、まず「あなたを知りたいです」と投げかけることが大事かなと思っていて。どんな人にもおもしろい部分があって、魅力があるんです。まずはそういった部分をみつけたいと思いながら人と接しています。
――小さい頃から、人と接することは得意でしたか?
いや、実は小さい頃は人見知りだったんです。小学生の頃まで、回転寿司のカウンターで板前さんに「サーモンください」って言えないくらい(笑)。
――正直、意外です(笑)。
ですよね(笑)。でも、当時の私にとって回転寿司屋はハードルの高い場所で、親が頼むときにこっそり「サーモンもお願い……」と、やんわり伝えるような子でした。今となっては、何で言えなかったんだろうなと思うけど、初対面の人に対してドキドキする感覚は理解しているつもりです。
──人との交流は、先ほど長井さんがおっしゃったように学びのあるものですが、コミュニケーションに苦手意識があると「しんどい」という気持ちも大きくなりますよね。
「自分から話しかけるなんて大変」「人からどう見られてるんだろう……」と悩むこともありますよね。長い目で見れば、なんとなくそこにいるうちに何かのきっかけで話が生まれるかもしれないですし、例えば新生活でもすぐに環境に溶け込めないことを悲観しなくてもいいと思います。なんなら、うまく溶け込めなくてもべつにいいって思うんです。でもそのうまく溶け込んでいない状況が、自分にとってストレスになるのだったら、一歩踏み出してみてもいいのかもしれないですね。自分の経験を振り返って大きな気づきとなったのは、「人って意外と受け入れ力がある」ということです。こちらからアクションを起こしたら意外とみんな受け入れてくれるかも。
──人目を気にしすぎて自分の殻に閉じこもらずに……ということでしょうか。
そうですね。とくに思春期とかだといろんなことを考えちゃって、「こんな自分でいなくちゃいけない」と頭で考えたことにがんじがらめになってしまうこともあると思うんですけど、いったん、相手に委ねてみることも大事じゃないかと。もちろん相手を尊重しながらですけど、考えていることを伝える、自己開示するということは相手にとってもうれしいことなんだと、中学生くらいから思えるようになりました。
豪快な“インドママ”から学んだこと
――長井さんが人と関わっていく上で、影響を受けた人はいますか?人からどう見られるか気にしすぎないという観点で言うと、インドでフィールドワークをしていた大学院生の頃に出会って生活も共にした、マンジュリさんという“インドママ”と私が呼んでいる女性です。私が路上を歩いていたら、いきなり手を引っ張られて、「ヘナアートをやらないか?」と誘われたんです。「私はすでにヘナアートをやっているんです」と答えたら、「おまえ、明日から家に住んで一緒に働くか?」って(笑)。
──急展開ですね(笑)。
それ以降、本当の母のように接してくれて、一緒に路上でヘナアートでお金を稼いでという暮らしをしていました。インドママは常に楽しそうなんです。それは何でだろうと考えると、人にどう見られるかをまったく気にせず、自分がやりたいことに突き進む強さを持っていたから。例えばインドはカーストの問題があり、私が一緒にいたヘナアーティストたちにも自分の行動が他者からどのように見られるかということを気にする人も多くいましたが、インドママは気にしないんです。外国人の私をいきなり家に迎えてくれたのも「この人、おもしろそう」「私が家に迎えたいから迎えよう」という直感を重視したのだと思います。
自分が興味を抱けるものとの出会いは人生を楽しむ推進力になるし、人生を自分色に彩ることなんだと思います。インドママの人生は、インドママ色に染められているんですよ。そういうバイブスを彼女から学びました。
「愛が詰まったシェアはできる」SNSとどう付き合うか
――今はSNSもリアルに並ぶコミュニケーションの場です。長井さんはネットのコミュニケーションの利点をどのように考えていますか?私は、マラウイの友人とよくビデオチャットをしています。マラウイの私がいた村には水道が通っていなくて井戸から水を汲んでいるんですけど、電波は通っていて、村人の友人の多くがスマホを持っているから、ビデオチャットができるんですよ。地球の裏側にいながら、マラウイの村の先生たちのグループチャットを通じて、友人たちの動向が見られるのはすごくおもしろいですね。距離が離れているからこそ、これまで以上に繋がっている感覚は得られています。
ラジオのリスナーさんもSNSでハッシュタグを通じて、同じラジオを共有している仲間という繋がりを感じているのかなと思います。届け手としてもあたたかな気持ちになりますし、お互いの顔が見えなくても、愛が詰まったシェアはできると感じます。理想を言えば、もっとSNSが互いを尊重し合い愛のシェアを行う空間になったらいいですよね。
一方で、X(Twitter)などは、ジャーナリズムの側面もあります。例えばガザ戦闘の渦中にでいままさに攻撃を受けている人が、自分の状況を発信している。そういう意味でも、以前とは比べ物にならないくらい大きな存在になっています。SNSは人を傷つけてしまう可能性もあるけれど、すごく大切な情報を拾えたり、愛のシェアをしたりすることもできる。人々にとって欠かせないものにはなっているからこそ、画面の向こうの生身の人間の人生に想像を巡らせながら、気をつけて使っていかなければならないと思っています。
“境界を超えて集える居場所”に
――最後に『PEOPLE’S ROASTERY』の意気込みを教えてください。番組のコンセプトは「ROASTERY=焙煎所」でカフェ的なイメージ。PEOPLE’Sという言葉が入っているのは、世の中には「肩書き」とか「他者から貼られたラベル」など、自分をがんじがらめにしてしまいがちなものがあると思うんですけど、そういうものは関係なく、“境界を超えて集える居場所”という思いが込められています。
誰もがほっとひと息つけて、かついろんな考えや視点を摂取でき得られるような番組にしていきたいですね。番組を通じて新たな人との出会いや、音楽、そして世界との出会いがあったらうれしいです。皆さんと共に色々なワクワクを見つけながら過ごしていけたらいいなと思います。
(取材・文=中山洋平)
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