ヴァイオリニストの宮本笑里さんが、音楽を始めたきっかけや世界的指揮者・小澤征爾とのエピソード、デビュー15周年への想いなどについて語った。
元オーボエ奏者でクラシック界のレジェンド・宮本文昭さんを父に持つ彼女は、7歳からヴァイオリンを弾き始め、小澤征爾音楽塾、NHK交響楽団などへの参加を経て、2007年にアルバム『smile』でCDデビュー。クラシックの名作からポップス、さらにはオリジナル曲まで幅広い音楽を演奏するほか、ラジオナビゲーターやテレビキャスターとしても活躍するなど、ヴァイオリンの魅力を幅広い層に広めた立役者だ。
宮本さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
このプログラムは、ポッドキャストでも配信中。
・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
宮本:子どもの頃は、毎日のように音楽であふれる空間の中で生活していました。オーボエをはじめとした様々な楽器が常に聴こえてくる環境は、今振り返ってみると、すごく恵まれていた気がします。ただ、父は私に楽器をやらせたいとは思っていなかったみたいで。そんな事情もあって、幼稚園のときは何も習い事をしていませんでした。でも、小学校に入ってお友だちができたとき、みんな、バレエやそろばん、プールなど、色々な習い事をしていたんですよ。そこで、私も何かやりたいと思い、家の近くにたまたま音楽教室を見つけ、母と一緒にレッスン風景を見させてもらったんです。そのとき、様々な楽器のレッスンがある中で、一番優しそうな先生がヴァイオリンだったので、ヴァイオリンを始めることにしました(笑)。
ひょんなきっかけで運命の楽器と巡り合った宮本さん。初めて触れたその感触は、いったいどんなものだったのか。
宮本:もちろん最初から綺麗な音を出せていたわけではありません。でも、右手と左手が動いている感覚が、何とも言えないくらいすごく楽しくて。先生も優しいし、幼いなりに、自分の中で「ヴァイオリンとの相性がいいんじゃないか」と感じたんですよね。そんなわけで、楽しみながら習っていたのですが、ヴァイオリンを始めた時期がちょうど、父が海外での仕事が忙しく、一年のうちほとんど家を空けているタイミングだったんです。それで父が帰ってきたときに、私がヴァイオリンをやっていることを知るとびっくりされて、「今すぐやめなさい」と言われました。父は音楽家としてものすごく大変な経験を積み重ねていたからこそ、「そんなに甘くない」という意味を込めて、私にヴァイオリンをやめてほしかったみたいです。
その後、中学生のときに一度、父と、本気でやるか、それとも今すぐ辞めるかという話し合いをしました。私としては、ヴァイオリンは自分自身を唯一表現できる相棒であり、特別な存在だったから、辞めることなんて考えられなかった。そこで「やらせてください」とお願いしたら、父も「じゃあ、許す」と許可してくれたんです。こうしてヴァイオリンを続けられたことは当然嬉しかったんですけど、一方で、父と師匠と弟子のように常に敬語で会話する関係になり、普通の親子ではなくなってしまったのは、寂しかったですね。
中目黒エリアを走る「BMW iX3 M Sport」の車窓を見て、宮本さんはそう声を上げる。やってきたのは、2019年4月に開設されたばかりの東京音楽大学 中目黒・代官山キャンパス。同大学は宮本さんの母校だが、当然、新キャンパスは彼女の在学中に存在していない。そのため、「正面にオシャレなカフェが見えるという……。その時点で羨まし過ぎる(笑)」と、真新しい学び舎でキャンパスライフを送れる後輩たちを羨んでいるうちに、自然と話題は、音大時代の思い出に移っていく。
宮本:大学生になるまで実は私、あまり練習をしてこなかったんです。大学入学後から「このままではいけない」と危機感を覚え、周りの子たちに負けていられないという気持ちのスイッチが一気に入って、1日15~16時間くらい練習するようになりました。そのおかげで音大時代は青春っぽい思い出が一切なくて(笑)。もうすべて練習、とにかく練習……というような毎日でした。音大以外の友人から、カラオケやボウリングに誘われても、全部断って、とにかく自分の技術を高めなければと必死だった記憶があります。とはいえ、一人だけではなく、みんな一緒に戦っているという空気を味わえたことは、ある意味、音大は私にとって青春の場所だったんだなと感じますね。
ひたむきにヴァイオリンの練習に打ち込んでいた大学時代の宮本さんは、音大以外の様々な場所でも学び、一時期、世界的指揮者の小澤征爾が主宰する若手音楽家の教育プロジェクト「小澤征爾音楽塾・オペラプロジェクト」に参加していたという。
宮本:音大でもオーケストラの授業はもちろんあるのですが、トップで活躍されている先生方がオーケストラに加わり一緒に演奏することもあって、「小澤征爾音楽塾・オペラプロジェクト」は空気感が全然違うんですよ。特に思い出深いのは、小澤征爾さんが指揮台に立って振ってくださったこと。その瞬間、一気に鳥肌が立ったことを今でも鮮明に覚えています。指揮者一人でこんなにも時間の瞬間を操れるのか、オーケストラの集中力を瞬時に高められるのかと、その存在感にびっくりしました。また、そこから奏でられる一人ひとりの音色も、とにかく分厚く濃厚で……。何とも言えない贅沢な瞬間を味わうことができたのはすごくいい経験でした。小澤さんは、常ににこやかで、時に冗談をおっしゃったりもされていて。そういったところや雰囲気含めてどことなく父と似ていて、お話させていただくと、「父と話しているみたい」と、不思議な感覚を味わいましたね。
宮本:サントリーホールは、小学生の頃から何度も足を運んでいる思い出深い場所の一つです。ここには、小ホールと大ホールがあって。小ホール「ブルーローズ」では、デビューリサイタルをさせていただき、はじめて2時間のプログラムを人前で演奏しました。そんな経験は今までなかったので、前日は一睡もできず、ドキドキしたのを思い出します。終わった瞬間は頭の中が真っ白で。解放感で満たされたのですが、同時に反省点も頭に浮かびました。というのも、「間違えずに最初から最後まで皆さんの前で演奏しなければ」という気持ちが強過ぎて、楽しむ余裕がなかったんです。そのため、次に来るときはもっと楽しみながら演奏したいと誓った場所でもあります。その4年後に大ホールで演奏できたことは、自分にとって一生の思い出です。もちろんこのときも緊張してお腹が痛くなったりしたんですけど、デビューから4年間でたくさんの場所でコンサートをやらせていただいたことにより人前で演奏することに慣れ、素の自分を出せる瞬間が増えてきて、「音楽って楽しいな」という気持ちをより表現できるようになった気がします。
宮本:長いような、あっという間のような……何とも言えない気持ちになった15周年でしたね。クラシック音楽をたくさんの人に聞いてもらいたい、また、ヴァイオリンの存在を広めたいという思いから始まったヴァイオリニストとしてのキャリアですが、その中でクラシックだけでなく、ポップスをはじめとした幅広い音楽にも挑戦させていただきました。私がポップスをやっていた頃は「中途半端なことをやっている」と言われてしまうこともありましたが、今はより多種多様な方法でヴァイオリンという楽器の魅力を届ける若い音楽家が増えている印象を受けます。15年でこんなに状況が変わるんだと驚くと同時に、自分のやってきたことは間違っていなかったのかなとも思いますね。
宮本:楽曲を作る際は常に、誰もが声に出して歌いやすい音域やメロディの繋がりを一番に意識しているのですが……ある意味、自分の頭の中をすべて曝け出しているようで、恥ずかしさもあります。メロディを書いて「ダサいって思われないかな……」「時代遅れって言われないかな……」と、ついついネガティブに考えてしまうことも少なくありません。だけど、自分の表現したいことに自信を持ち、一つひとつの音を重ねていけば、聴いてくれている方たちに「宮本笑里ってこういう人なんだな」とわかってもらえるかなと。少しでも私の音楽を聴いてホッとする瞬間があったり、「明日も頑張ろう」と思ってもらえるように、今後も作曲を続けていきたいです。
最後に、宮本さんにとっての「未来への挑戦=FORWARDISM」とは何かを尋ねると、こんな答えが返ってきた。
宮本:ヴァイオリンという楽器には、わかりにくいところもあるかもしれません。でも、よく耳を傾けてみるとすごく個性が表現されている楽器の一つでもあるんです。だからこそ、私が演奏した楽曲、手掛けた楽曲を聴いて「宮本笑里の曲だ」「宮本笑里の音だ」とすぐにわかってもらえるような、そんな存在になりたいです。
(構成=小島浩平)
元オーボエ奏者でクラシック界のレジェンド・宮本文昭さんを父に持つ彼女は、7歳からヴァイオリンを弾き始め、小澤征爾音楽塾、NHK交響楽団などへの参加を経て、2007年にアルバム『smile』でCDデビュー。クラシックの名作からポップス、さらにはオリジナル曲まで幅広い音楽を演奏するほか、ラジオナビゲーターやテレビキャスターとしても活躍するなど、ヴァイオリンの魅力を幅広い層に広めた立役者だ。
宮本さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
このプログラムは、ポッドキャストでも配信中。
・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
ヴァイオリンは自分自身を唯一表現できる相棒だった
宮本さんを乗せた「BMW iX3 M Sport」は、J-WAVEがある六本木ヒルズを出発。車窓に映る都心の風景を眺めながら、宮本さんは幼少期の音楽体験について語り始めた。宮本:子どもの頃は、毎日のように音楽であふれる空間の中で生活していました。オーボエをはじめとした様々な楽器が常に聴こえてくる環境は、今振り返ってみると、すごく恵まれていた気がします。ただ、父は私に楽器をやらせたいとは思っていなかったみたいで。そんな事情もあって、幼稚園のときは何も習い事をしていませんでした。でも、小学校に入ってお友だちができたとき、みんな、バレエやそろばん、プールなど、色々な習い事をしていたんですよ。そこで、私も何かやりたいと思い、家の近くにたまたま音楽教室を見つけ、母と一緒にレッスン風景を見させてもらったんです。そのとき、様々な楽器のレッスンがある中で、一番優しそうな先生がヴァイオリンだったので、ヴァイオリンを始めることにしました(笑)。
宮本:もちろん最初から綺麗な音を出せていたわけではありません。でも、右手と左手が動いている感覚が、何とも言えないくらいすごく楽しくて。先生も優しいし、幼いなりに、自分の中で「ヴァイオリンとの相性がいいんじゃないか」と感じたんですよね。そんなわけで、楽しみながら習っていたのですが、ヴァイオリンを始めた時期がちょうど、父が海外での仕事が忙しく、一年のうちほとんど家を空けているタイミングだったんです。それで父が帰ってきたときに、私がヴァイオリンをやっていることを知るとびっくりされて、「今すぐやめなさい」と言われました。父は音楽家としてものすごく大変な経験を積み重ねていたからこそ、「そんなに甘くない」という意味を込めて、私にヴァイオリンをやめてほしかったみたいです。
その後、中学生のときに一度、父と、本気でやるか、それとも今すぐ辞めるかという話し合いをしました。私としては、ヴァイオリンは自分自身を唯一表現できる相棒であり、特別な存在だったから、辞めることなんて考えられなかった。そこで「やらせてください」とお願いしたら、父も「じゃあ、許す」と許可してくれたんです。こうしてヴァイオリンを続けられたことは当然嬉しかったんですけど、一方で、父と師匠と弟子のように常に敬語で会話する関係になり、普通の親子ではなくなってしまったのは、寂しかったですね。
大学時代は、1日15~16時間の練習に明け暮れる
「あ、徐々に東京音大の新しいキャンパスが見えてきました」中目黒エリアを走る「BMW iX3 M Sport」の車窓を見て、宮本さんはそう声を上げる。やってきたのは、2019年4月に開設されたばかりの東京音楽大学 中目黒・代官山キャンパス。同大学は宮本さんの母校だが、当然、新キャンパスは彼女の在学中に存在していない。そのため、「正面にオシャレなカフェが見えるという……。その時点で羨まし過ぎる(笑)」と、真新しい学び舎でキャンパスライフを送れる後輩たちを羨んでいるうちに、自然と話題は、音大時代の思い出に移っていく。
宮本:大学生になるまで実は私、あまり練習をしてこなかったんです。大学入学後から「このままではいけない」と危機感を覚え、周りの子たちに負けていられないという気持ちのスイッチが一気に入って、1日15~16時間くらい練習するようになりました。そのおかげで音大時代は青春っぽい思い出が一切なくて(笑)。もうすべて練習、とにかく練習……というような毎日でした。音大以外の友人から、カラオケやボウリングに誘われても、全部断って、とにかく自分の技術を高めなければと必死だった記憶があります。とはいえ、一人だけではなく、みんな一緒に戦っているという空気を味わえたことは、ある意味、音大は私にとって青春の場所だったんだなと感じますね。
ひたむきにヴァイオリンの練習に打ち込んでいた大学時代の宮本さんは、音大以外の様々な場所でも学び、一時期、世界的指揮者の小澤征爾が主宰する若手音楽家の教育プロジェクト「小澤征爾音楽塾・オペラプロジェクト」に参加していたという。
宮本:音大でもオーケストラの授業はもちろんあるのですが、トップで活躍されている先生方がオーケストラに加わり一緒に演奏することもあって、「小澤征爾音楽塾・オペラプロジェクト」は空気感が全然違うんですよ。特に思い出深いのは、小澤征爾さんが指揮台に立って振ってくださったこと。その瞬間、一気に鳥肌が立ったことを今でも鮮明に覚えています。指揮者一人でこんなにも時間の瞬間を操れるのか、オーケストラの集中力を瞬時に高められるのかと、その存在感にびっくりしました。また、そこから奏でられる一人ひとりの音色も、とにかく分厚く濃厚で……。何とも言えない贅沢な瞬間を味わうことができたのはすごくいい経験でした。小澤さんは、常ににこやかで、時に冗談をおっしゃったりもされていて。そういったところや雰囲気含めてどことなく父と似ていて、お話させていただくと、「父と話しているみたい」と、不思議な感覚を味わいましたね。
サントリーホールで感じた確かな成長
「BMW iX3 M Sport」は港区赤坂へ移動し、サントリーホールへと到着。「世界一美しい響き」を目指して1986年に誕生したこのコンサートホールもまた、宮本さんにとって大切な場所のようだ。宮本:サントリーホールは、小学生の頃から何度も足を運んでいる思い出深い場所の一つです。ここには、小ホールと大ホールがあって。小ホール「ブルーローズ」では、デビューリサイタルをさせていただき、はじめて2時間のプログラムを人前で演奏しました。そんな経験は今までなかったので、前日は一睡もできず、ドキドキしたのを思い出します。終わった瞬間は頭の中が真っ白で。解放感で満たされたのですが、同時に反省点も頭に浮かびました。というのも、「間違えずに最初から最後まで皆さんの前で演奏しなければ」という気持ちが強過ぎて、楽しむ余裕がなかったんです。そのため、次に来るときはもっと楽しみながら演奏したいと誓った場所でもあります。その4年後に大ホールで演奏できたことは、自分にとって一生の思い出です。もちろんこのときも緊張してお腹が痛くなったりしたんですけど、デビューから4年間でたくさんの場所でコンサートをやらせていただいたことにより人前で演奏することに慣れ、素の自分を出せる瞬間が増えてきて、「音楽って楽しいな」という気持ちをより表現できるようになった気がします。
デビュー15周年を振り返っての想い
デビューリサイタルから月日が経ち、宮本さんは昨年、デビュー15周年を迎えた。サントリーホールを後にして、デビュー当時から所属している「ソニーミュージック」がある乃木坂エリアに近づくと、この15年の歩みを振り返りつつ、今演奏家として感じていることを口にした。宮本:長いような、あっという間のような……何とも言えない気持ちになった15周年でしたね。クラシック音楽をたくさんの人に聞いてもらいたい、また、ヴァイオリンの存在を広めたいという思いから始まったヴァイオリニストとしてのキャリアですが、その中でクラシックだけでなく、ポップスをはじめとした幅広い音楽にも挑戦させていただきました。私がポップスをやっていた頃は「中途半端なことをやっている」と言われてしまうこともありましたが、今はより多種多様な方法でヴァイオリンという楽器の魅力を届ける若い音楽家が増えている印象を受けます。15年でこんなに状況が変わるんだと驚くと同時に、自分のやってきたことは間違っていなかったのかなとも思いますね。
「宮本笑里の音だ」とすぐにわかってもらえる存在に
なお、宮本さんの音楽家としての仕事は、“奏でる”だけに留まらない。「実は作曲もやっていて、何曲かオリジナル曲を書いたりしています」と控えめに切り出すと、作曲において大切にしていることを話してくれた。宮本:楽曲を作る際は常に、誰もが声に出して歌いやすい音域やメロディの繋がりを一番に意識しているのですが……ある意味、自分の頭の中をすべて曝け出しているようで、恥ずかしさもあります。メロディを書いて「ダサいって思われないかな……」「時代遅れって言われないかな……」と、ついついネガティブに考えてしまうことも少なくありません。だけど、自分の表現したいことに自信を持ち、一つひとつの音を重ねていけば、聴いてくれている方たちに「宮本笑里ってこういう人なんだな」とわかってもらえるかなと。少しでも私の音楽を聴いてホッとする瞬間があったり、「明日も頑張ろう」と思ってもらえるように、今後も作曲を続けていきたいです。
最後に、宮本さんにとっての「未来への挑戦=FORWARDISM」とは何かを尋ねると、こんな答えが返ってきた。
宮本:ヴァイオリンという楽器には、わかりにくいところもあるかもしれません。でも、よく耳を傾けてみるとすごく個性が表現されている楽器の一つでもあるんです。だからこそ、私が演奏した楽曲、手掛けた楽曲を聴いて「宮本笑里の曲だ」「宮本笑里の音だ」とすぐにわかってもらえるような、そんな存在になりたいです。
(構成=小島浩平)
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