現代美術家として、世界が驚く数多くの作品を描き出してきた横尾忠則氏。自身最大規模の展覧会「横尾忠則 寒山百得」展が12月3日(日)まで、東京国立博物館表慶館で開催中だ。
この展覧会の裏話や、驚きの過去について、J-WAVEでインタビューした。聞き手は、開発者の川田十夢。
【オンエア:8月13日(日)『TADANORI YOKOO ×TOM KAWADA RADIO INSTALLATION』】
川田はまず、子どもの頃の「絵との関わり」を質問した。横尾氏は物心ついた頃から絵を描いていたが、「普通の子ども、幼児が描くような落書きはしたことがないんです」と振り返る。
横尾:僕の記憶にあるのは最初から、誰かの描いた絵を見て模写するということに興味があったみたいです。それがそのまま、いまの状態になっちゃったという感じかな。
川田:なにを見本にして、なにを描いていたんでしょうか。
横尾:僕らの時代はそんなにまだ、子どもの本がたくさんあるわけじゃなくてね。講談社の絵本という、戦前からあった本がうちになぜか、何冊かありまして。それが歴史的な本が多かったんですよ。子どものための歴史本といったらいいのかな。宮本武蔵やヤマトタケルノミコトといった、時代ものの絵本が多かったんです。それを見て描いていました。
横尾:僕はそのころに「レコードを作ってほしい」というレコード会社からの依頼を受けていて、細野(晴臣)くんと一緒にインドへ行ったんです。そこで毎日一緒でした。僕はそのころジャーマン・ロックが好きで、クラフト・ワークだとかタンジェリン・ドリームといったドイツのロックの話を細野くんにしたんです。なぜ僕が詳しかったかというと、ドイツから直輸入でどんどん新しいレコードを取り入れていたんです。だからそういう意味では彼らよりは情報がうんと豊かだったんですよね。
音楽の話をしていくなかで、細野は音楽グループを作る話をして「横尾さんも参加してくれない?」と声をかけたのだという。横尾は自身が音楽のプレイヤーではなかったものの、ジャケットやステージのデザインなら協力できそうだと思い加入を決めたが、予想外の展開となってしまったそう。
横尾:記者会見をしなきゃいけない日に僕は別の仕事を抱えていて。その仕事を終わらせないと記者会見が(午後)4時からなんだけど、4時の会場に行けなかったんです。僕は、高橋さんに作ってもらったタキシードを着て、テクノカットをして、記者会見に臨む状態で仕事をやっていたの。それが4時までに済まないんですよ。3人の記者会見で終わってしまったところに、僕がのこのこでかけて「僕もそうです」と言えなくなっちゃったの。
川田:(笑)。
横尾:だから、「もうやめちゃえ」ということでやめてしまったの(笑)。
川田:そのまま間に合っていたら、別の歴史になっていたでしょうね。
横尾:2、30枚描いたら飽きちゃってさ。本当は5、6枚で飽きているんだけどね、もうなんとか頑張って20枚。ところが最初に100枚って決めたんです。なぜかというと寒山拾得は「10」でしょ? 10点だけ描いた展覧会なんか成立しないから。会場のスペースを考えると100点描かないと展覧会ができないから、じゃあ「寒山百得」にしようと言って、展覧会名を先に決めてしまったんですよ。それをあとで追いかけて100枚、もう描くのはヘトヘトですよ(笑)。
川田:(笑)。100ですから、大変な点数ですよね。
横尾:だからそのなかで、寒山拾得の彼らの生き方というのか、彼らの自由人としてのあのキャラクターは僕のなかにも一部あるなという感じがしました。だから僕のなかの寒山拾得を描けばいいんだと。
川田:最終的には102点、2つ増えたんですね。
横尾:101点だったんだけれども、テレビが「制作風景を撮りたい。そのためにもう1点描いてください」と言われて描いたんです(笑)。
川田:すごい(笑)。
横尾:だからそれを追加すると102点。「寒山百一得」というのも変だから。まあ百というのは数が多いことと考えればね。百で100きっちり描くのは面白くないから1点誤魔化してたくさん描いてやろうと思ったんだけれども、1点増えちゃった。だから正確には「寒山百二得」と呼んでもらってもいいかもわからない(笑)。
川田が「自由な作風」に注目すると、横尾氏は自身の表現者としての在り方を語った。
横尾:自由というのがね、これは追及しても追いかけても到達しない彼方にあるもので、本当の自由というものは生きているあいだに人間が獲得することはできないんじゃないかと思うんです。普通、絵の場合は、自分がひとつのアイデンティティを持って、その1種類の主題とか様式を追求するというのが画家のあり方ですよね。ぼくはそれができないので、1点1点が違うスタイルの作品ができてしまう。それはタブーだけれども「これが僕なんだ」という風に一生するよりないなと思って。そういう作品を見て「自由だ」と言ってくださるのはうれしいんだか、うれしくないのかよくわかりませんけれども(笑)。
川田:絵のタッチも変わっています。寒山自体がいろいろな絵のなかに入り込んだみたいな。本当に自由だなというか(笑)。
横尾:それは生理的に食べるものと同じですよ。朝から晩まで同じものばかり食べてごらん? もうくたくたになりますよ。今日食べた3食を明日もその3食、その次も3食というのは2日ぐらい続くけど3日目から続かない。それと同じで非常に僕は生理的なもので、概念で、頭で描けばひとつの様式を追求すればいいんだけれども、生理、気分でやっているからね。そういう絵の変化が増えていったんじゃないかと思います。
川田が今回の作品群の見どころについて尋ねると、横尾氏は「見どころなんかない」とキッパリ。その理由を語った。
横尾:これは見る人、その人の想像力と経験で物語というのか、お話を見ながら作っていけばいいんじゃないかな。「これはなにが描いてあるのか」「これはなんですか?」って僕に訊かれたって僕は答えようがないからね。見る人が作っていって、それが僕の作品になるわけだから。見る人の作品と考えてもらっていいんじゃないかと思います。
横尾:描きたいものと描きたくないものの2つしかないわけです。その描きたいものをどこか遠くに出かけていって探したりはしません。自分の手が届く範囲内にあるものを描けばいいわけです。だからインスピレーションというのは自分の生活の身近なところに、すでにそこに存在しているわけです。どこか遠くに探しに行こうとすると大変ですよ。飛行機に乗って海外に行かなきゃいけなくなるわけでしょ。そういう人もなかにはいるかもわからないけど、僕はもうそんな面倒くさいことをしない。手の届く範囲で。いまここだけだったら、これとこれが絵のモチーフになりますよね。それでいいんですよ。
川田:僕は横尾さんの影響を受けているのでその話はすごくわかって。でも多くの人というか、なにかを作るためになにかを勉強しなきゃいけないみたいなことが一方の人ではあると思うんです。それってけっこう実は遠回りですよね。
横尾:僕は勉強しないタイプだから。勉強の限界というのは“無限”ですよ。どこまで勉強すればいいのか。百科事典を全部読んだから、それで到達したのか? そんなもんじゃないわけですよね。そんなもの最初から無理だから、最初から無理だったら勉強しないほうがよっぽどいいじゃない。勉強しないことの自由というのは、僕はあると思うんです。勉強したら、勉強したことからしか物事を発想しないわけです。勉強しなければすべてのものが発想のエレメントになるわけですからね。
川田:横尾さんの本を読むと、横尾さんご自身はあまり本を読んでいないとおっしゃっています。とても本を読んでない人から出てこないような言葉を使われるんです。
横尾:それは昨日、(小説家の)平野啓一郎がメールをくれて「横尾さんの言葉はどこから出てくるの?」みたいな、作家とかが使う言葉じゃないようなことを言っていました。僕が作家だったらやっぱり既成の言葉を使うことになるかと思うんです。だから言葉にも使っていい言葉と使っちゃいけない言葉は、文学者のなかにあるけど、僕のなかにはその区別がないわけですよ。なんだっていいんですよ。言葉が年齢的にだんだん出てこなきゃ、赤ちゃん用語でしゃべってもいいと思うんです。
川田:(笑)。
横尾:小説家が突然、言葉が出てこなくて赤ちゃん用語になったら批判されたりするけど、僕たちは赤ちゃん用語が出てきたって批判する人間なんか誰もいないわけ。いるかもわからないけど(笑)。どうでもいいわけですけどね。
川田:完全にインスピレーションの種のお話をいただきました。
会期
2023年9月12日(火)~12月3日(日)
会場
東京国立博物館 表慶館(上野公園)
〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
開館時間
午前9時30分~午後5時
※入館は閉館の30分前まで
公式サイト:https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kanzanhyakutoku/
この展覧会の裏話や、驚きの過去について、J-WAVEでインタビューした。聞き手は、開発者の川田十夢。
【オンエア:8月13日(日)『TADANORI YOKOO ×TOM KAWADA RADIO INSTALLATION』】
絵の原点は「模写」
横尾氏は現在87歳で、デビューは1960年代。肩書は当時としては斬新なグラフィックデザイナー。カラフルでサイケデリックなポップアートで一躍時代の寵児となった。その後1981年に突如として画家に転身し、活動を続けた。川田はまず、子どもの頃の「絵との関わり」を質問した。横尾氏は物心ついた頃から絵を描いていたが、「普通の子ども、幼児が描くような落書きはしたことがないんです」と振り返る。
横尾:僕の記憶にあるのは最初から、誰かの描いた絵を見て模写するということに興味があったみたいです。それがそのまま、いまの状態になっちゃったという感じかな。
川田:なにを見本にして、なにを描いていたんでしょうか。
横尾:僕らの時代はそんなにまだ、子どもの本がたくさんあるわけじゃなくてね。講談社の絵本という、戦前からあった本がうちになぜか、何冊かありまして。それが歴史的な本が多かったんですよ。子どものための歴史本といったらいいのかな。宮本武蔵やヤマトタケルノミコトといった、時代ものの絵本が多かったんです。それを見て描いていました。
YMOとの、驚きの裏話
世界的にも人気のあるイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)。今年に入り、メンバーの坂本龍一さんと高橋幸宏さんが他界している。実は横尾氏は「4人目のYMO」だった可能性があるそうで、驚きの裏話を明かした。横尾:僕はそのころに「レコードを作ってほしい」というレコード会社からの依頼を受けていて、細野(晴臣)くんと一緒にインドへ行ったんです。そこで毎日一緒でした。僕はそのころジャーマン・ロックが好きで、クラフト・ワークだとかタンジェリン・ドリームといったドイツのロックの話を細野くんにしたんです。なぜ僕が詳しかったかというと、ドイツから直輸入でどんどん新しいレコードを取り入れていたんです。だからそういう意味では彼らよりは情報がうんと豊かだったんですよね。
音楽の話をしていくなかで、細野は音楽グループを作る話をして「横尾さんも参加してくれない?」と声をかけたのだという。横尾は自身が音楽のプレイヤーではなかったものの、ジャケットやステージのデザインなら協力できそうだと思い加入を決めたが、予想外の展開となってしまったそう。
横尾:記者会見をしなきゃいけない日に僕は別の仕事を抱えていて。その仕事を終わらせないと記者会見が(午後)4時からなんだけど、4時の会場に行けなかったんです。僕は、高橋さんに作ってもらったタキシードを着て、テクノカットをして、記者会見に臨む状態で仕事をやっていたの。それが4時までに済まないんですよ。3人の記者会見で終わってしまったところに、僕がのこのこでかけて「僕もそうです」と言えなくなっちゃったの。
川田:(笑)。
横尾:だから、「もうやめちゃえ」ということでやめてしまったの(笑)。
川田:そのまま間に合っていたら、別の歴史になっていたでしょうね。
寒山百二得
展覧会「横尾忠則 寒山百得」展では、唐時代に生きた伝説的な詩僧「寒山」と「拾得」をモチーフとした「寒山拾得」を独自の解釈で再構築し、新作102点を一挙に公開する。横尾氏はこの「102点」という作品数の裏話を明かした。横尾:2、30枚描いたら飽きちゃってさ。本当は5、6枚で飽きているんだけどね、もうなんとか頑張って20枚。ところが最初に100枚って決めたんです。なぜかというと寒山拾得は「10」でしょ? 10点だけ描いた展覧会なんか成立しないから。会場のスペースを考えると100点描かないと展覧会ができないから、じゃあ「寒山百得」にしようと言って、展覧会名を先に決めてしまったんですよ。それをあとで追いかけて100枚、もう描くのはヘトヘトですよ(笑)。
川田:(笑)。100ですから、大変な点数ですよね。
横尾:だからそのなかで、寒山拾得の彼らの生き方というのか、彼らの自由人としてのあのキャラクターは僕のなかにも一部あるなという感じがしました。だから僕のなかの寒山拾得を描けばいいんだと。
川田:最終的には102点、2つ増えたんですね。
横尾:101点だったんだけれども、テレビが「制作風景を撮りたい。そのためにもう1点描いてください」と言われて描いたんです(笑)。
川田:すごい(笑)。
横尾:だからそれを追加すると102点。「寒山百一得」というのも変だから。まあ百というのは数が多いことと考えればね。百で100きっちり描くのは面白くないから1点誤魔化してたくさん描いてやろうと思ったんだけれども、1点増えちゃった。だから正確には「寒山百二得」と呼んでもらってもいいかもわからない(笑)。
川田が「自由な作風」に注目すると、横尾氏は自身の表現者としての在り方を語った。
横尾:自由というのがね、これは追及しても追いかけても到達しない彼方にあるもので、本当の自由というものは生きているあいだに人間が獲得することはできないんじゃないかと思うんです。普通、絵の場合は、自分がひとつのアイデンティティを持って、その1種類の主題とか様式を追求するというのが画家のあり方ですよね。ぼくはそれができないので、1点1点が違うスタイルの作品ができてしまう。それはタブーだけれども「これが僕なんだ」という風に一生するよりないなと思って。そういう作品を見て「自由だ」と言ってくださるのはうれしいんだか、うれしくないのかよくわかりませんけれども(笑)。
川田:絵のタッチも変わっています。寒山自体がいろいろな絵のなかに入り込んだみたいな。本当に自由だなというか(笑)。
横尾:それは生理的に食べるものと同じですよ。朝から晩まで同じものばかり食べてごらん? もうくたくたになりますよ。今日食べた3食を明日もその3食、その次も3食というのは2日ぐらい続くけど3日目から続かない。それと同じで非常に僕は生理的なもので、概念で、頭で描けばひとつの様式を追求すればいいんだけれども、生理、気分でやっているからね。そういう絵の変化が増えていったんじゃないかと思います。
川田が今回の作品群の見どころについて尋ねると、横尾氏は「見どころなんかない」とキッパリ。その理由を語った。
横尾:これは見る人、その人の想像力と経験で物語というのか、お話を見ながら作っていけばいいんじゃないかな。「これはなにが描いてあるのか」「これはなんですか?」って僕に訊かれたって僕は答えようがないからね。見る人が作っていって、それが僕の作品になるわけだから。見る人の作品と考えてもらっていいんじゃないかと思います。
インスピレーションは、手の届く範囲に存在する
川田は最後に横尾氏に「現代美術家、画家としてのインスピレーションの種、創造の源は?」と質問を投げかけた。横尾:描きたいものと描きたくないものの2つしかないわけです。その描きたいものをどこか遠くに出かけていって探したりはしません。自分の手が届く範囲内にあるものを描けばいいわけです。だからインスピレーションというのは自分の生活の身近なところに、すでにそこに存在しているわけです。どこか遠くに探しに行こうとすると大変ですよ。飛行機に乗って海外に行かなきゃいけなくなるわけでしょ。そういう人もなかにはいるかもわからないけど、僕はもうそんな面倒くさいことをしない。手の届く範囲で。いまここだけだったら、これとこれが絵のモチーフになりますよね。それでいいんですよ。
川田:僕は横尾さんの影響を受けているのでその話はすごくわかって。でも多くの人というか、なにかを作るためになにかを勉強しなきゃいけないみたいなことが一方の人ではあると思うんです。それってけっこう実は遠回りですよね。
横尾:僕は勉強しないタイプだから。勉強の限界というのは“無限”ですよ。どこまで勉強すればいいのか。百科事典を全部読んだから、それで到達したのか? そんなもんじゃないわけですよね。そんなもの最初から無理だから、最初から無理だったら勉強しないほうがよっぽどいいじゃない。勉強しないことの自由というのは、僕はあると思うんです。勉強したら、勉強したことからしか物事を発想しないわけです。勉強しなければすべてのものが発想のエレメントになるわけですからね。
川田:横尾さんの本を読むと、横尾さんご自身はあまり本を読んでいないとおっしゃっています。とても本を読んでない人から出てこないような言葉を使われるんです。
横尾:それは昨日、(小説家の)平野啓一郎がメールをくれて「横尾さんの言葉はどこから出てくるの?」みたいな、作家とかが使う言葉じゃないようなことを言っていました。僕が作家だったらやっぱり既成の言葉を使うことになるかと思うんです。だから言葉にも使っていい言葉と使っちゃいけない言葉は、文学者のなかにあるけど、僕のなかにはその区別がないわけですよ。なんだっていいんですよ。言葉が年齢的にだんだん出てこなきゃ、赤ちゃん用語でしゃべってもいいと思うんです。
川田:(笑)。
横尾:小説家が突然、言葉が出てこなくて赤ちゃん用語になったら批判されたりするけど、僕たちは赤ちゃん用語が出てきたって批判する人間なんか誰もいないわけ。いるかもわからないけど(笑)。どうでもいいわけですけどね。
川田:完全にインスピレーションの種のお話をいただきました。
開催概要
「横尾忠則 寒山百得」展会期
2023年9月12日(火)~12月3日(日)
会場
東京国立博物館 表慶館(上野公園)
〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
開館時間
午前9時30分~午後5時
※入館は閉館の30分前まで
公式サイト:https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kanzanhyakutoku/