日本のBMXシーンを広げていく。BMXメディア「MOTO-BUNKA」の挑戦を、編集長・Daisuke Shiraishiに聞く

J-WAVEが共同プロデュースするオンラインマガジン「守破離 -SHUHARI-」。“守破離”とは剣道や茶道などの修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。(※1)

そんな“守破離”と“音”を切り口に人物のスタイルをリアルに掘り下げ、オリジナルインタビューをInstagramとJ-WAVE NEWSで配信していく。
(※1)引用:デジタル大辞泉「守破離」より

【過去の「守破離 -SHUHARI-」インタビュー】

今回は、プロBMXライダーのDaisuke Shiraishi / 白石大輔にインタビュー。 プロのBMXライダーとして活躍しつつ、2019年からBMXメディア「MOTO-BUNKA」を立ち上げ、現在もBMXシーンの情報を発信している。ライダーたちから支持を得る唯一無二のメディアができるまでの道のり、そしてメディアを通じて伝えたいこととは。そのBMX人生と、シーンを広めたいという熱い思いを訊いた。

バイクで大事故にあったことが、BMXと出会うきっかけに

──DaisukeさんがBMXを始めたきっかけを教えてください。

Daisuke:これけっこう長くなるよ、どこから話そうかな。自分の実家がバイク屋で、バイクに囲まれて育ったから、とにかく小さい頃からバイクに乗るのが夢だった。バイク乗りの大人も周りにたくさんいた影響もあって、小学生の頃はトライアルっていう別の自転車競技をやってたんだよね。でもやっぱり早くバイクに乗りたかったから、高校に入ってすぐ中型免許をとった。念願のバイクが楽しくて、乗り始めて1年くらいしたときに大腿骨を折るくらいの大事故しちゃって。大腿骨を折ると足を地面につけるようになるまでにすごい時間がかかるんだけど、そうなると今度すごい脚が細くなっちゃうのよ。体重も10キロぐらい落ちちゃって。それで実家のバイク屋のお客さんが「これ乗って筋力鍛えたらいいよ、これ乗ってみな」って教えてくれたのがストリートのマウンテンバイク。当時2007年頃、すごい流行ってたんだよね。愛媛の新居浜市っていう田舎の出身だけど、偶然ストリートカルチャーにすごく詳しい人がいて教えてもらった。

それで今度はYouTubeが流行り出して、ストリートとかMTBで検索してる中でBMXの存在を知ったんだよね。YouTubeがBMXと出会った場所で、そのとき「Fit Life」っていうDVDのトレーラーにChase Hawkっていうライダーが出てて、それがめっちゃかっこよくて。「うわーすげー! BMXやりたい!」って思ったんだ。当時mixiで「新居浜BMX」で検索したら、1人だけ、和尚さんっていう人を見つけて、すぐ連絡してBMXに乗らせてもらったのが最初。その人はBMX、俺はストリートの26インチMTBって感じで。イオンの駐車場かな、まだ覚えてるもんね、その日のこと。18歳くらいかな。だから割と始めるのは遅かったんだよね。

──バックボーンはいろいろとありますが、BMXは18歳からだったんですね。

Daisuke:BMXって小さくて超ラクだし楽しいじゃんみたいな、それが始まり。その頃はInstagramもないし、YouTubeで検索しても海外の人しか出てこなかったなぁ。もちろん当時から日本でも映像を作ってる人はいたけど、例えばMOYACY RIDERSとか。名前知ってたら調べられるけど、知るわけないもんね(笑)。

BMXメディア「MOTO-BUNKA」ができるまで

──Daisukeさんの運営されている「MOTO-BUNKA」について教えてください。

Daisuke:日本のBMXライダーの情報を発信するメディア、というかBMX文化活動しています。映像や雑誌を作ったりメディアの運営、あとは映画館を貸し切った映画祭、BMXの大会を開催したりイベントの運営も行っています。

海外のプロライダーとコラボイベントを開催して、彼らを日本に招待したり、海外のプロライダーと日本のライダー達が交流できるような機会を作ることも意識しています。

──「MOTO-BUNKA」の名前の由来は?

Daisuke:実家のバイク屋が「モトブンカ」っていう名前で、そもそも父親がバイク好きでそれをみんなの娯楽として広めたいみたいな気持ちがあったんだよね。モーターサイクルのMOTOと文化を繋げて「MOTO-BUNKA」って名前に決めたらしい。

BMXの正式名称はBICYCLE MOTOCROSSだから、そのBMXのMOTOをとって「MOTO-BUNKA」って同じ名前にしたんだよね。

──その名前が今、BMXメディアの名前として引き継がれてるのはすごいですね。

Daisuke:でも「MOTO-BUNKA」を始める前は「ほりえぐみ」というクルーとして佃勇海(以下Yumi)と一緒に活動してて、それが前身なんだよね。BMXのことを何も分からずやってたんだけど、ネットで調べたりして憧れのライダーもできたりして。その頃にYumiと出会って、まだBMX歴1年目とかなんだけどめちゃくちゃ上手くて。こいつプロになるかもと思ったんだよね。プロライダーに会ったこともなかったしわかんなかったけど、なんかすごく才能あるなぁと感じて、Yumiと映像を作ろうというので始まったのが、ほりえぐみ。

──YumiさんもDaisukeさんと同じ愛媛出身ですか?

Daisuke:そう、愛媛で、お互い家が近所だった。Yumiと世界から注目される、まだ誰もやってない映像をつくりたいといろいろ考えて、まずは誰も使ってないような曲をディグるところからスタートした。HIPHOPやROCKはすでに色んな映像で使われているから、それ以外で考えたとき、めっちゃメロウな邦楽とかいいんじゃないってなって。山下達郎とか、今でいうシティポップとかかな。

Yumiの映像をそんな感じで作っていって、ほりえぐみとして活動してたら、海外のメディアも取り上げてくれたり割と注目されるようになって。それでYumiがプロになったんだよね。まずは「フローチーム」に入ったんだけど、そのタイミングで「ほりえぐみ」としてはあんまりうまくいかなくなっちゃったんだよね。多分やりたいことが違うというか、ちょっとギクシャクしちゃって、もうやめよっかみたいな感じだったんだ。それぞれ好きなことやればいいかな、みたいな。俺らの中でほりえぐみは超遊びで、俺とYumiとPegyOsomatsuもいたけど、基本はYumiの感性で遊びたいように、で俺が形にするみたいな。小物を売り出したり有名になろうとすると、ちょっとビジネス的な感じも生まれてくるじゃん。そういうのがよくなかったんだろうね、俺らにとって。だから解散することにした。熱狂的ファンがめちゃくちゃいたから、「解散しちゃうの?」みたいな連絡もたくさんもらったな。手書きの手紙とかも来たし、イギリスから日本語で頑張って書いてくれたメッセージも多かった。スポンサーしてほしいとか、クルーに入れてほしいとかも。「子どもが死んじゃって、そのショックでチャリを乗らなくなったんだけど、お前らの映像を観て、俺またチャリ乗るわ」みたいなメッセージとかもあった。いろんな言葉をもらって、自分たちも心を動かすような事ができてるんだと思った。

でもその頃にはもうほりえぐみ以外のいろいろな気になるライダーの映像を撮り始めていて、すでにメディアっぽい感じの動きだったんだよね。だったらそういう、目立ちたいけどまだ目立ててないライダーとかをフックアップする動きができたら面白いなと思って。誰かをこう次のステージへ連れて行くというか、何かのきっかけになるような動きができればいいなって思った。だからメディアっていう形にして、面白い情報、面白いライダーをチームとかブランドとか関係なくフィーチャーし続けようみたいな感じで「MOTO-BUNKA」が始まったんだ。だから今のInstagramとYouTubeアカウントは名前変えてるだけで実は「ほりえぐみ」なんだよね。投稿とか全部消してさ。フォロワーはもう既に多かったし。

──もともと何人ぐらいいたんですか?

Daisuke:4000人くらいじゃないかな。今の時代では普通だけど、当時ではけっこう多かったと思うんだよね、日本人としては。「ほりえぐみ」やってたのって8年前だし。

日本のBMXシーンをもっと海外に広めたい。「MOTO-BUNKA」の夢とこれから

──話は少し変わりますが、Daisukeさんが一番影響を受けたものは何ですか?

Daisuke:難しい質問だな(笑)。しいて言うなら父親かな。ライダーで言ったらChase Hawk。影響されつつ、人とは違うことをしたいって感じだけど、気づいてないだけでいろいろなものから影響受けてると思うし、もうBMXに関わる全てじゃないかな。BMXの映像を作る人、BMXブランドが作ったアパレルやグッズ、その人らがやってるイベントとか。いろいろなものを見たり、体験しに行ったりしてるから、特定の何かっていうのはないかも。

──BMXに関する自分が感じてきたすべてがDaisukeさんのライディングなどに繋がってるってことですね。

Daisuke:そうだね、いろんな人のライディングとか活動を見ていいなと思ったところは盗むし、真似させてもらってます。ライディングに関しては、自分はとても捻くれていると思いますね。

正直なところSNSとかもどのタイミングでなにをやればバズるのかいつも考えていて、なるべく拡散されそうなものをアップするように意識しています。モト文化はもちろん個人としても発信力を持てば、BMXの魅力をたくさんの人に知ってもらえると思うので。すべての活動の根底にはBMXのシーンの発展があります。

──「MOTO-BUNKA」含め、これからのDaisukeさん個人としての目標や夢を教えてください。

Daisuke:夢か。BMXメディアをやってるし、日本のシーンが海外の人にもっと知ってもらえたら嬉しいな。もちろん日本人も含め、だけど。アメリカとかヨーロッパに比べたらまだまだ小さいシーンだけど、日本を含め韓国、台湾、香港とかインドネシアにもめっちゃいいライダーがいるし、サポートを受けていなかったり知られていないだけで。そういう人たちがもっと活躍できる場を作れたらいいな。そして日本国内のライダーがリアルに交流できるコミュニティを作って、アジアからアメリカ、ヨーロッパのライダーとも交流できる機会とかをもっと増やしていきたいですね。

──アジアという括りで、世界に発信という感じですね。

Daisuke:「MOTO-BUNKA」としてはそうかな。あとはまだまだ駆け出しだけど、自分たちがいつかライダーを雇えたら最高だねっていう話はPegyとしてるかな。ライダーをスタッフとしていつか迎え入れられるように2人で頑張ってる感じ。人を増やしてもっと情報量やできることを増やしていきたい。今もうけっこう限界突破してるからクタクタ。2人でやるもんじゃないよ、だいぶハード(笑)。だから「MOTO-BUNKA」としてもやりたいことあるし、組織的にもやりたいことはあるなぁ。

「音」

──最後に、Daisukeさんの人生に欠かせない一曲と選曲の理由を教えてください。

That's Me / S.L.A.C.K.

ほりえぐみの映像作ってるときにハマって、「周りは気にせず自分の道を突き進んでるぜ」みたいな自分のマインドと歌詞が重なってたんだよね。周りなんて関係ない、流行なんて関係ない。自分が作りたいものを作るっていう熱い気持ちがあったんじゃないかなと思って、それに共感してめちゃくちゃ聴いてた。欠かせないっていうか、よく聴いてたのどれって言われたらこれかな。



Photo:Gaku Jungnickel
Interview&Text:MASA

PROFILE

Daisuke Shiraishi / 白石大輔
プロBMXライダー。愛媛県出身、東京都在住。
プロのBMXライダーとして活躍しつつ、2019年にBMXシーンの情報を発信するBMXメディアMOTO-BUNKAをスタート。WEBメディアや雑誌の発行、映画祭を主催するなどBMXの文化活動を精力的に行っている。
現在はBMXライダーが作るアパレルやBMXパーツを扱う輸入代理店RODI CONNECTも運営している。
Instagram

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