Photo by Yuta Matsu

日本でBMXを知らない人がいないくらいにしたい。プロライダー・米田大輔が伝えるBMXの魅力

J-WAVEが共同プロデュースするオンラインマガジン「守破離 -SHUHARI-」。“守破離”とは剣道や茶道などの修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。(※1)そんな“守破離”と“音”を切り口に人物のスタイルをリアルに掘り下げ、オリジナルインタビューをInstagramとJ-WAVE NEWSで配信していく。
(※1)引用:デジタル大辞泉「守破離」より

【過去の「守破離 -SHUHARI-」インタビュー】

今回は、BMXプロライダーのDaisukeDanielYoneta/米田大輔にインタビュー。湘南を拠点とするプロBMXライダーで、東京五輪新種目「BMXフリースタイルパーク」のシーンを引っ張ったパイオニアである彼に、BMXとの出会いから経験した挫折、そして“BMXの魅力を伝える”という仕事への熱い思いを、「守破離」に沿って紐解いていく。

Photo by Gaku Jungnickel

「守」

──米田さんのBMXのスタートは?

小学生のときに見たテレビ番組がきっかけで始めたバイクトライアルから、僕の自転車人生がスタートしました。実は「ダニエル」って本名ではなく、前のタイヤを上げてホッピングするバイクトライアルの技の名前なんです。当時毎日通っていた鵠沼のスケートパークで先輩に命名されてから自分も気に入ってて、ずっとダニエルを名乗ってます。

──影響を受けた人はいますか?

影響を受けたのは、BMXライダーの亀澤宏樹さん。亀ちゃんは鵠沼のローカルパークでお世話になった先輩で、初めてバックフリップを見せてくれて、教えてくれた人です。亀ちゃんがいなかったら今の自分はいなかったってくらい確実に影響を受けました。彼に出会ってから、僕もBMXをやりたいと転向を決めました。ライディングはもちろん人柄も素敵で、当時15歳の僕は亀ちゃんに惚れまくって振る舞いまで真似していました(笑)

──BMXに転向後は?

当時、国内で一番大きかったストリートBMXの大会「endpoint81」(※2)に17歳から2~3年連続で出場して年間ランキング2位になり、次はプロクラスに上がったところでその大会がなくなってしまって。それを機に20歳からは海外にもいくようになりました。まずはオーストラリアに3か月間練習に行って技をたくさん持って帰ってきて、日本でお金貯めたらまた海外に行く、みたいな生活を4、5年くらい続けていました。

「破」

──米田さんのターニングポイントは?

20歳の頃、はじめて世界大会に出場して世界の壁を痛感したときだと思います。当時ドイツの「BMX MASTERS」とエストニアの「SIMPLE SESSION」に出場して、なかなか順位はあがらないしレベルも全然違う。世界のトップライダーたちの中で戦うことの難しさを痛感しました。

大会で1番になれないと価値はないのかと悩んだ辛い時期もありましたが、色んなことを経て、自分のミッションは「まずは日本でBMXをメジャーにすることだ」と気づいたんです。もちろん理想は世界中の大会で良い結果を出してビッグスポンサーがつくことだったんですけど、どうしたら日本でプロBMXライダーが成り立つのかを模索しました。それと自分が「日本で一番有名なBMXライダーになろう」と決めて、そこからYouTubeをはじめたり、メディアにも積極的に出るようになりました。

──マルチに活躍する米田さん。東京2020オリンピックのテレビの解説もされていましたよね。

はい、TOKYO2020 BMXフリースタイル日テレのテレビ中継で解説を担当しました。MCの仕事は、3年前の地元で開催したローカル大会でMC不在でどうしようってなったときに「俺やります!」って手を挙げたのが最初ですね。終わった後に色んな方からお褒めの言葉をいただいて、何より自分自身がすごい楽しくて。そこからオリンピック解説までやりたいと決めて、ローカル大会から全日本選手権までとにかく色んな大会のMCで経験を積んで、昨年実現することができました。目標としてたオリンピックで解説として関われたのは本当に光栄でした。

僕は見てる人を置き去りにしない解説を目指しています。BMXやスケートボードって技の名前を言うだけじゃなくて、空中で何回転したのか、回りながら何してたのか、みたいな「その瞬間に何が起きたのか」を細かいところまで説明して、何がどれだけすごいかをちゃんと伝えないといけない。初めて見る人も技の名前を覚えて楽しんで、どんどんシェアしてほしい。「テイルウィップ」とか「バースピン」がいつかの流行語大賞になってほしいっすね(笑)

「離」

──日本でのBMXシーンのこれからは?

日本のBMX環境はどんどんいい方向に変わってきていると思います。世界で活躍するライダーが増えたり、日本のお父さんたちが練習場所を作ったり、行政もパークを開設してくれたり。広告でBMXが起用されることも増えましたよね。徐々に色んなことがマッチして広がっている感覚を肌で感じているので、これからもっと楽しみです。

さらに日本のライダーはめちゃめちゃスキルが高い。ダイヤモンドの原石ばかりです。大会に出てくじけそうになることもあると思うけど、大会で結果をあげることだけがすべてじゃないし、自分が経験したように、得意分野を伸ばしてBMXのまわりで活躍できることもあるから。そんな選択肢も伝えられたらいいなと思っています。

──今後の目標はありますか?

今後はもっとメディアに出演してBMXの認知度を上げて魅力を伝えていきたいのと、もっとファンを増やしていきたい。大会を見てすごい!で終わるんじゃなくて、何がすごいのか、その背景にはどんなことがあるのか、ずっとBMXをやってきて痛い思いも辛い思いもして、それでもBMXが大好きな自分だからこそ伝えられることがあるなと思って。自分の言葉でもっと多くの人に魅力を伝えていきたいです。そしてライダー育成にも力を入れたいし、新たなライダーも増やしていきたい。日本でBMXを知らない人がいないくらいにするのが目標!

Photo by Naoki Gaman

「音」

START IT AGAIN / AK-69

昔から気持ちを高めたい時にAK-69さんの楽曲を聴いていたのですが、今年1月にAKさんの地元、愛知県の小牧にあるスケートパーク川西にAKさんがジャンプ台を寄贈してくださって。寄贈式のイベントにMCで参加させていただいたときに初めてお会いできて、生のAKさんの言葉一つ一つがめちゃくちゃ心に刺さって、さらにファンになりました。BMXシーンをサポートしていただき本当に感謝しきれません。そして昔よく聴いていた曲を最近聴き直してみたら、当時とはまた違う感覚で「自分もここからまた頑張っていこう」と思えたので今回はこの曲を選びました。



Interview:Gaku Jungnickel & J-WAVE「FREE SLIDE」
Edit / Text:Kana Shionoya

PROFILE

DaisukeDanielYoneta/米田大輔
湘南を拠点とするプロBMXライダーで、東京五輪新種目「BMXフリースタイルパーク」のシーンを引っ張ったパイオニア。14歳からバイクトライアルを始め、17歳でBMXに転向し本格的に大会参加。ダイナミックな回転技「コーク720」やバンクでの「フロントフリップ」などを日本人で初めて成功させた選手でもある。アメリカやオーストラリアでもトレーニングを積んだ経験から、今では東京五輪金メダリストのローガン・マーティンを始めとした海外選手との強いネットワークを持つ。近年、特に力を入れているのがBMX普及活動で、東京五輪やXGamesのテレビ中継の解説をはじめとしたメディア露出や、BMXショーなどにも積極的に参加している。
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