「ワンオペラジオ生放送」で築く、リスナーとの絆とは─DJ TAROに聞く25年の歴史

J-WAVEのナビゲーター及びラジオDJとしてのキャリアを歩み続けて25年。DJ TAROは現在、『SATURDAY NIGHT VIBES』(毎週土曜 25:00 - 27:00)で、軽快なトークと良質な音楽を毎週生放送で届けている。同番組の特徴は、オンエアにかかわるすべてのタスクを一人で完結させる“ワンオペ”のプログラムであるということ。今回は、彼がワンオペにこだわる理由や、リスナーとの関係性を聞いた。また、四半世紀にわたるナビゲーター人生の中で、特に印象に残っている出来事とは?

■「NAVIGATOR'S VOICE」過去のインタビュー

長野五輪をきっかけに始まったラジオDJ人生

――TAROさんは、今年でラジオDJ歴25周年になります。そもそも、J-WAVEのナビゲーターをどんな経緯から務めることになったのでしょうか?

きっかけは1998年の長野オリンピックでした。僕が担当したのは、白馬ジャンプ競技場における競技中の総合アナウンス的なMCと、賑やかしのDJ。会場では観客のみなさんが、競技が始まるまで何時間も待たなければいけませんでした。こうした環境の中で僕は、お皿を回して世界中の音楽をかける“雪上ディスコ”のようなことをやりたくて。それも、みなさんには座ったままではなく、立った状態で楽しんでもらえる何かをしてみたかった。そこで着目したのが「ウェーブ」でした。当時、日本ではまだ一般的ではなかったウェーブですが、会場全体でできるし、何より、立ったり座ったりすれば身体も温まる。そんな考えから実際に取り入れてみたら、みんな楽しくてしょうがないといった感じで盛り上がったんです。

この僕のMCを、J-WAVEの方が「面白い」と思ってくれたみたいで。オリンピック期間中、宿泊していた白馬のペンションに電話があり、いきなり「東京に帰ってきたら、オーディションを受けてみませんか?」とお誘いをただきました。その後、2月28日に五輪の仕事が終わり、3月4日にオーディションを受けたんです。

――25年前の出来事なのに、日付まで覚えているとは。

それくらい衝撃的だったんです。もともと洋楽好きということもあって、J-WAVEは大学時代からよく聴いていたんですよ。僕は埼玉の大学へ車で通学していたのですが、登校時の朝はカーラジオでジョン・カビラさんの番組を聴き、夕方の下校時はキャロル久末さんの番組を聴く……という生活を送っていて。そんなわけで、僕の中で「ラジオ=J-WAVE」というイメージが漠然とあったから、J-WAVEの方から電話をもらったときは「え~っ!?」と、すごく驚きました。

――そうだったのですね。

はい。話を戻すと、オーディションでは自己紹介と曲紹介、テーマに基づいた受け答えをするように求められ、オーディションの担当者さんからは「準備ができたら声をかけてください」と声をかけられました。僕がすぐに「やります」と返答すると、担当者さんは「考える時間がなくて大丈夫ですか?」と心配してくれたんですけど、「とりあえずやります」と、与えられた課題をこなした。そしたら、予想以上にアッサリと終わってしまって。「これはダメかな……」と半ば諦めの気持ちでいました。

ただ、僕がしゃべった後にJ-WAVEのジングルが流れて、それがうれしかったんです。オーディション終了後に、「すいません、今日のオーディションを録音したテープはもらえるんですかね?」と聞き、記念品としてテープをもらって帰ったことを覚えています。そしたら3日後、ケータイに連絡があり、結果はまさかの合格! 1998年4月1日から月曜日~金曜日に放送される帯番組のナビ―ゲーターを務めることが決まり、その瞬間から僕のラジオ人生がスタートしたわけです。

米国の大物歌手と2人きりで映画鑑賞した思い出

――25年のキャリアの中で特に印象的な出来事を押してください。

2009年にマイケル・ジャクソンが亡くなった際、番組で映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』の関連企画・イベントを行ったことが印象に残っています。僕はマイケル・ジャクソンが大好きで。追悼という悲しいきっかけではあったのですが、敬愛する彼のことをラジオで伝える仕事ができて、大変光栄な気持ちでした。このラジオの放送後は、六本木ヒルズアリーナで行われる『THIS IS IT』のレッドカーペットイベントとプレミア上映でMCを担当することになっていて。プレミア上映でMCをするとなると、タイムスケジュール的に映画の冒頭を見ることができない。そこでスタッフの方が気を利かせて「別の劇場でプレミア上映を用意しています」と案内してくれたのですが、その先に待っていたのは、マイケルと旧知の仲のライオネル・リッチーで、「2人で映画を観てください」と言われたんです(笑)。 

――それはすごい!

そうなんです。何せ、あの広い六本木ヒルズのTOHOシネマズに、僕とライオネル・リッチーの2人だけですからね(笑)。「どこに座ろうかな……」と迷っていたら、劇場の真ん中に座っていたライオネル・リッチーが「こっちだよ」と、手招きしてくれた。そんなわけで、巨大スクリーンの前に2人横並びで『THIS IS IT』を鑑賞していたら、「このとき、僕はモータウンでアルバイトをしていたんだけど、当時は彼のシッターをやっていてね」と、全部解説してくれたんです。J-WAVEで番組をやっていなかったら、こんな機会はまずなかったでしょうね。

「原点回帰」目指し、ワンオペ番組をスタート

――TAROさんといえば、現在放送中の『SATURDAY NIGHT VIBES』を“ワンオペ”で取り組んでいることが知られています。オンエア中は、具体的にどんなことをしているのでしょうか?

通常の番組ですと、DJブースとコントロールルームがあり、DJブースには、しゃべり手さんと、場合によっては放送作家さんやディレクターさんがいます。一方のコントロールルームには、音の操作をするミキサーさんやディレクターさん、ディレクターを補佐するADさんなどがいる。つまり、一般的なラジオの放送は、しゃべり手さんを入れて5~6名で行われるわけですが、これを完全に一人でやっているんです。しゃべる、音楽をかける、リスナーさんから寄せられたメッセージをチョイスする、SNSをチェックする……。こうした番組放送にかかわるタスクはもちろん、SNSで「今日の番組はこんなことをやります」と伝える事前告知用の画像や、その日のオンエアで使用するマッシュアップを作る事前制作業務も行っています。でも、一番大事なのは、CMのボタンを押すこと。これに尽きます(笑)。ミスをすれば、すべて自分の責任ですからね。

―― では“ワンオペ”を始めたきっかけは何だったのでしょうか。

僕の中では新しい挑戦であるとともに、「原点回帰」の意味もあって。というのも、これまでJ-WAVEで様々な時間帯の番組で毎回新しい取り組みをさせてもらってきましたが、土曜日の深夜の時間帯をいただいたときに、「“DJ TARO”ってなんだろう?」「“何の人”なんだろう?」と今一度、考えてみたんです。そのときに、もともとクラブDJからスタートしたキャリアだから、「音楽をかけながらしゃべる人だよな」という結論に至った。で、あれば、いろんなものを逆に取り払って、「音楽と僕」ということだけでやってみようと思い立ちました。1920年にアメリカで世界初といわれるラジオ放送局が開局して100年。当時は話し手が一人で話しながら、そこに音楽を乗せるということをしていた。そんな100年前のスタイルにリスペクトを込めて、ワンマンの限界をやってみたかったんです。おそらく、同じことをやっている人はいないと思うんですよね。

――たった一人でラジオをやるのはすごく大変そうに思うのですが。

いや、全然大変じゃないですよ。とはいえ以前、ブラン・ニュー・ヘヴィーズから、ブルーノート東京でのライブ終わりに、SNS経由で「来たい」と直接連絡いただいたことがありまして。そこで、ブルーノートの担当者に「ライブ終わりに来たいと言っているんですけど、ありですか?」と確認したところ、わざわざバスを手配していただき、実際に来たんですよ。そうして、スタジオ内にメンバー4人が入ったわけですが、僕一人で4人分のマイクを用意して、4人分の音声も全部自分でコントロールしなければいけなかったから、このときばかりはさすがにきつくて、「誰かに手伝ってもらったほうがよかった」と思いました(笑)。

リスナー同士も仲が深まる…絆が生まれるラジオ

――以前、TAROさんが司会を務めるJ-WAVEのイベントを取材したのですが、イベント終了後にリスナーの方たちと記念撮影をされるなど、ファンとの距離が近い印象を受けました。

DJ TAROが司会を務めたイベントレポート

そう言っていただけてうれしいです。僕が番組をやるとだいたい、リスナーのコミュニティーが出来上がるんですよ。最初はイベントに遊びに来てくれたりして、そのうちみなさんだけで飲みに行かれたりとかしているみたいで。J-WAVEや音楽を通じて、そういったコミュニティーができるというのは、すごく微笑ましいなと思って見ています。

また、普段Twitterで見ている人たちは実際に会ったことがなくても、名前やラジオネームをだいたい把握していて、一度顔を見たら、タグが上書きされるかのように、顔と名前が紐づいた状態で覚えています。たまに「お見かけしたんですけど、お声がけできませんでした」と言われることもあるんですが、「いや、声をかけてくれりゃいいのに!」「人間だから難しい顔をしてるときもあるかもしれないけど、そんなことは気にしなくていい。声かけてよ!」と。そういうことを、いつもリスナーには伝えています(笑)。

――そういったフランクな人柄がリスナーさんに愛される理由なんですね。では、改めてリスナーの方々はTAROさんにとってどんな存在でしょうか?

僕はいつも、「リスナーさん」ではなく、仲間という意味合いを込めて「クルー」と呼んでいるんです。異なるエリア・環境にいながらも同じ時間を共有する仲間だと思っているので。みんなが一つの場所に集まっている中で、たまたま僕が声を発する。僕自身がそんな時間を楽しんでいるし、みなさんからいつも元気をもらっています。

「夏に気分が上がる曲」は?

――ナビゲーターインタビューの連載では毎回、テーマに合わせて「おすすめの楽曲」をうかがっています。今回は夏にちなんで、「夏に気分が上がる曲」を教えてください。

もし、2つ紹介させていただけるなら、1つ自分の曲も挙げてもいいですか?(笑)

――ぜひお願いします!

ありがとうございます。では早速、『Sunshine』というFlamingo Cartel&DJ Taro名義の曲を紹介させていただければと。僕は以前から海外のクリエイターと共同で楽曲をリリースしているのですが、その中で夏をテーマに作ったのがこの曲です。個人的に梅雨に入る前の初夏ぐらいの時期がサンディエゴっぽくて好きで。湿度がそんなになくて、夜も気持ち良い初夏の東京に、ウエストコーストのイメージを重ねて手掛けました。

もう一曲は、Los Charly's Orchestraの『Music for the Soul Pt.2』です。スタイルでいうと、ディスコとR&Bの中間の時代で、ブギーやエレクトロファンクに近い。あと、イントロからすごく素敵なんですよ。流れた瞬間に空気感を変えられるというか。ギンギンの夏ではなく、夏に向けたやわらかい朝の空気を感じられ、フレッシュな気持ちにさせてくれる曲です。

DJプレイがリアルに楽しめる「INSPIRE TOKYO 2023」

――TAROさんがDJをするブースが、7月15日(土)と16日(日)の2日間、「J-WAVE presents INSPIRE TOKYO 2023 -Best Music & Market-」に設けられます。本イベントではどんなことをする予定なのでしょうか?

僕は入場無料のエリアでDJを担当させていただきます。Hondaの「ステップ ワゴン」の車両を展示しているブースなので、CMソングとしてお馴染みの「Ob-La-Di, Ob-La-Da」のいろんなバージョンを流す予定です。また、ただ曲をかけるだけではなく、普段ワンオペで行っている番組のようなスタンスでやるつもりです。リクエストもその場でTwitterなどで募集し、リクエストいただいた曲を疑似放送風にミックスしたりとか。来場されたみなさんに、ライブ以外の部分でも楽しんでいただけたらなと考えています。

――最後に「INSPIRE TOKYO 2023」への来場いただく方へ向けて、メッセージをお願いします。

「INSPIRE TOKYO」は音楽をテーマにした遊園地みたいなものです。エンターテインメントにライブ、食事と、丸一日通して楽しんでいただけるイベントになっています。それに、J-WAVEが好きな人同士がこれほど集まる機会はそうありません。ライブのときに偶然目が合ったり、ハイタッチをしたり。そんなふうにコミュニケーションを交わす機会があるならば、躊躇なく、素敵な仲間を作ってください。

・DJ TAROがナビゲートする『SATURDAY NIGHT VIBES』公式サイト
https://www.j-wave.co.jp/original/nightvibes/

・「INSPIRE TOKYO 2023」公式サイト
https://www.j-wave.co.jp/special/inspire2023/

(構成=小島浩平)

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