富山県に関する歴史や魅力、独自の風習について、作家・文献学者の山口謠司さんが語った。
山口さんが登場したのは、J-WAVE『GOOD NEIGHBORS』内のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。オンエアは4月24日(月)〜27日(木)。同コーナーでは、地方文化の中で育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが街を訪ね、現地の人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
・ポッドキャストページ
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
山口:富山の駅を降りると、この言葉が書かれたポスターを見かけることができます。また、立川志の輔師匠は富山・射水市のご出身で、師匠が落語をしている写真に「だいてやる」という言葉が添えられています。実は「奢ってやる」という意味なんです。富山の方は、ご飯を食べに行ったり、お酒を飲んで会計を支払うとき、「今日はだいてやる」と言うそうです。これは昔の言葉で「おまえの面倒を見てやる」ということですね。
“奢る”というのは、“自分が抱える”と同義なので、「今日はだいてやる」に対しては、「ありがとうございます」と応えなくてはなりません。そうすれば、向こうも喜んで、だいてくれるんだと思います。
山口:ウ冠の下に「福」の右側の字がありますね。“蓋をする”ということを「一本線」が現し、その下の「口」は何かの入り口を指します。そして「田」はたくさんのものがこの中に入っているということ。例えば、徳利(とっくり)は首の部分が細く、しかし下が膨らんだ形のため、たっぷりお酒が入りますよね。そんな風に“たっぷり入っている”ことを表現しているのが「田」の部分です。つまり、富の部分で「富山というのはたっぷり食べ物がありますよ」いうことを表しているんです。
実際、海にも山にも“恵み”が豊富で、その理由には地形が大きく関係している。まず、平地が少ない。そして富山湾は岸近くから急に深くなるため、海底にはあんこうも生息しているのだそう。富山湾の魚種は日本一と言われている。なかでも、白えびやホタルイカが名物として知られている。
山口さんは、ホタルイカにまつわる現地の人とのエピソードを語った。富山湾で釣り人に話しかけたところ、砂浜に打ち上げられたホタルイカを用いてキスを釣っている、と教えてくれたことがあるのだという。
山口:キスを釣って、昆布締めで食べるそうです。お魚屋さん、お料理屋さんに行くと、昆布締めばかりが並んでいます。「何で、昆布締めなの?」と訊くと、「北前船の中継地として、北海道からやってきた昆布がたくさんあるから使う」とおっしゃっていました。
今年は、残念ながらホタルイカは例年に比べて少ないと言われているんですけど、魚の釣り餌にするくらいですから、まぁ何とか食べられるくらいはあると思います。白えびは漁が解禁されれば生で食べられます。
山口:理由は4つありました。まずは、魚を無駄にしないためです。魚のおいしいところは刺身などにするために取ってしまいますが、まだまだおいしい魚肉がいろんな部位に残っています。そういう部分をすり身にして使います。
2つ目は、江戸時代には「大奥」が江戸城の中にありました。江戸城の中で出されているものが、だいたいかまぼこでした。同じように、江戸城以外でも女性は生魚を食べないで、かまぼこを食べていたそうです。冷蔵庫がなかった時代、魚は腐りやすいものです。竹輪なども竹に、魚のすり身を付けて焼いたものですが、竹には殺菌作用があります。かまぼこもだいたいは笹の上に出して食べます。お腹を壊さないための工夫だったのです。
そして3つ目。かまぼこには「I LOVE YOU」や「長寿」などの字が書いてあるものがありますが、つまり言霊です。お祝いの気持ちが体の中に入ってくるので、かまぼこはとっても縁起がいいものとされています。
それからかまぼこは大きく、お腹いっぱいになります。ひとつ大きなかまぼこを買ってきて、またはもらってきて、切り分けて、あるいは煮て食べて、“みんなで楽しみましょう”ということを教えるために、かまぼこの文化は発達しています。
コロナの前は、結婚式でも大きなかまぼこを引き出物として配るケースもよくあったそうだ。手で持って持ち運ぶ大変なほどのサイズで、タクシーで帰る人も多かったのだとか。誕生日・入学式・卒業式……さまざまな節目に宴会をして、お礼にかまぼこを贈りあっていたと山口さんは解説した。
山口:富山では、菅原道真が描いた掛け軸を、12月25日になると、自分の家の床の間に掛けるんです。そして、鏡餅と御神酒を菅原道真に供える。1月1日には、お雑煮とおせちを供え、1月2日には、菅原道真の掛け軸の前で書き初めをする。1月25日には、菅原道真が北野天満宮から天におかえりになられるので、朝早くに掛け軸を畳んであげる。また、おかえりのときには、床の間に鯛を一匹供えるといった儀式をするそうです。
学問の神様ですので、全国の神社で菅原道真を祀っています。東京で言いますと、例えば湯島天満宮では受験シーズンはたくさんの人がいます。しかし、それとは別に、富山の方々は菅原道真をとても大事に思っていらっしゃるそうです。女性が結婚して、男の子が生まれると、母方のお父さんとお母さんはできるだけ大きな菅原道真の掛け軸を買ってきて、子どものために贈るそうです。
掛け軸の価格は、50万円〜100万円と高額。それでも、両親が、あるいは親戚などからお金を集めて贈るほど根付いた風習なのだそう。
山口:江戸時代に富山で作られて、全国で売られた薬がございます。「越中反魂丹(えっちゅうはんごんたん)」と呼ばれるものです。「ストレスによる胃腸障害の緩和、食べ過ぎ・飲み過ぎによる消化不良にこの薬は効きます」と言われています。
反魂丹という名前はそもそも「元気じゃない魂を元気にしてあげる」という意味。つまり名前を聞いただけで元気になるということで、全国に広まっていきます。この薬を発明したのが、富山藩の二代目藩主・前田正甫(まさとし)です。藩主でありながら、この人は本草学者で漢方の勉強をしていました。植物や虫、動物などに詳しい博物学者でもありました。
当時、前田正甫はストレスに苛まれていました。理由は財政難です。参勤交代で江戸に出仕すると、多額のお金がかかります。でも、富山では、お米が十分に収穫できません。どう食べて行くかで悩み、「薬を売っていくしかない」と、まずは自分のために反魂丹を作ったのです。
そのうち「みんなもストレスに病んで、お腹の具合が悪くなるのでは……」と考えるようになり、流通させるための薬を作りました。立山連峰ではたくさんの野草がとれるのでちょうど良いのです。そのように、米の代わりに薬を作りました。みんなのためにとお薬を作り、お金に変えました。
現在はドラッグストアやコンビニエンスストアで、簡単に薬を入手できる。そんな中、山口さんは富山の薬の歴史でも根底にある「置き薬」について触れた。
山口:「置き薬」は、月に一回まわってくるものです。そして、自分たちが使った絆創膏や胃薬に対して「これだけ使いましたね」とお金を持って帰ります。置いていくときにはお金を取らないで、使った分だけ徴収します。それが、前田正甫が始めた「先用後利(せんようこうり)」。まずは役目を果たして、あとからお金をもらえばいいという意味です。
置き薬を渡しに行く際は、「最近はどのようにお過ごしですか?」とコミュニケーションをとり、子どもが生まれた家庭で名付け親になった薬売りの人もいたそう。人の役に立つために、何代にもわたって富山の薬売りを務めた家もあったとのこと。
山口:高岡市の礎を築いた前田利長ですが、高岡城を作るときに、どう装飾するかを考え、「漆」に行き着いたそうです。富岡のあたりではアワビやトコブシがたくさんとれます。貝殻のピカピカと光る部分を薄く剥いで、漆に貼っていく。そうすると美しく光るので、お椀や漆器で使うようになりました。江戸時代末期、石井勇助という漆器職人が、漆器にデザインを加えたそうです。高岡では、タンスもたくさん売っているそうです。富山にも、螺鈿が貼ってあるタンスやお膳やお箸がたくさんありました。
高岡では、祭りのときに使われる山車にも、薄い螺鈿を使った漆塗りのものが使われているそうです。越中瀬戸焼というものが立山にありますが、それも富山市内のお料理屋さんで使われています。“さらに料理をおいしく見せよう”と演出の意味合いで、富山の人たちはずいぶん力を尽くしていらっしゃるようです。
最後に山口さんは富山とガラスの密接な関係について語った。
山口:富山には隈研吾さんが設計された「富山市ガラス美術館」があります。「なぜ富山にガラス美術館?」と思いましたが、これは薬との関係がありました。
山口:薬を入れる瓶は保存を考え、ガラス製であることがほとんどです。そのガラス瓶を作っていたからこそ、富山にガラス美術館があるわけです。明治時代から始まった新しい産業と言われていますが、“この瓶にこの薬が入っているよ”と薬の瓶を青・茶色・透明など色分けする。その色ガラスを作るために工場ではさまざまな染料を使って、ガラス瓶を作り始めたそうです。
今となっては、あまり薬瓶としては使われていないかもですが、美術瓶として、藤田喬平さんの金箔を使ったガラスの作品があります。これを見ると、まるで漆かと思うような作品ですけど、富山では伝統的なすり鉢や漆の器とか、瀬戸焼というものではなく、料理を“ガラスを使って美しく見せる”という演出もされているようです。
J-WAVEで放送中の番組『GOOD NEIGHBORS』内のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」は、月曜から木曜の15:10~15:20にオンエア。
(構成=中山洋平)
山口さんが登場したのは、J-WAVE『GOOD NEIGHBORS』内のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。オンエアは4月24日(月)〜27日(木)。同コーナーでは、地方文化の中で育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが街を訪ね、現地の人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
・ポッドキャストページ
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
富山弁で「だいてやる」とは?
富山弁の「だいてやる」。刺激的に感じる言葉だが、標準語とは異なる意味合いを持つという。山口:富山の駅を降りると、この言葉が書かれたポスターを見かけることができます。また、立川志の輔師匠は富山・射水市のご出身で、師匠が落語をしている写真に「だいてやる」という言葉が添えられています。実は「奢ってやる」という意味なんです。富山の方は、ご飯を食べに行ったり、お酒を飲んで会計を支払うとき、「今日はだいてやる」と言うそうです。これは昔の言葉で「おまえの面倒を見てやる」ということですね。
“奢る”というのは、“自分が抱える”と同義なので、「今日はだいてやる」に対しては、「ありがとうございます」と応えなくてはなりません。そうすれば、向こうも喜んで、だいてくれるんだと思います。
豊かな食文化。その理由は地形にある
富山は、豊かな自然の恵みと長い歴史の中で育まれた多彩な食文化がある。「富山」という名称からも、その特徴が感じ取れる。山口:ウ冠の下に「福」の右側の字がありますね。“蓋をする”ということを「一本線」が現し、その下の「口」は何かの入り口を指します。そして「田」はたくさんのものがこの中に入っているということ。例えば、徳利(とっくり)は首の部分が細く、しかし下が膨らんだ形のため、たっぷりお酒が入りますよね。そんな風に“たっぷり入っている”ことを表現しているのが「田」の部分です。つまり、富の部分で「富山というのはたっぷり食べ物がありますよ」いうことを表しているんです。
実際、海にも山にも“恵み”が豊富で、その理由には地形が大きく関係している。まず、平地が少ない。そして富山湾は岸近くから急に深くなるため、海底にはあんこうも生息しているのだそう。富山湾の魚種は日本一と言われている。なかでも、白えびやホタルイカが名物として知られている。
山口さんは、ホタルイカにまつわる現地の人とのエピソードを語った。富山湾で釣り人に話しかけたところ、砂浜に打ち上げられたホタルイカを用いてキスを釣っている、と教えてくれたことがあるのだという。
山口:キスを釣って、昆布締めで食べるそうです。お魚屋さん、お料理屋さんに行くと、昆布締めばかりが並んでいます。「何で、昆布締めなの?」と訊くと、「北前船の中継地として、北海道からやってきた昆布がたくさんあるから使う」とおっしゃっていました。
今年は、残念ながらホタルイカは例年に比べて少ないと言われているんですけど、魚の釣り餌にするくらいですから、まぁ何とか食べられるくらいはあると思います。白えびは漁が解禁されれば生で食べられます。
画像素材:PIXTA
山口さんによると、富山で暮らす人々は「ニコニコとしていて優しい。質問すると何でも答えてくれます」とのこと。街では路面電車が通り、なごやかな時間が流れている。富山は旅先としても魅力的なようだ。お祝い事には「かまぼこ」の文化
富山では現在も、お祝い事には「かまぼこ」が多く使われる。鯛の形をしたものや、鶴や亀が描かれているもの、最近は「I LOVE YOU」と書かれてあるものまであるという。なぜ、お祝いにかまぼこを用いるのか。山口:理由は4つありました。まずは、魚を無駄にしないためです。魚のおいしいところは刺身などにするために取ってしまいますが、まだまだおいしい魚肉がいろんな部位に残っています。そういう部分をすり身にして使います。
2つ目は、江戸時代には「大奥」が江戸城の中にありました。江戸城の中で出されているものが、だいたいかまぼこでした。同じように、江戸城以外でも女性は生魚を食べないで、かまぼこを食べていたそうです。冷蔵庫がなかった時代、魚は腐りやすいものです。竹輪なども竹に、魚のすり身を付けて焼いたものですが、竹には殺菌作用があります。かまぼこもだいたいは笹の上に出して食べます。お腹を壊さないための工夫だったのです。
そして3つ目。かまぼこには「I LOVE YOU」や「長寿」などの字が書いてあるものがありますが、つまり言霊です。お祝いの気持ちが体の中に入ってくるので、かまぼこはとっても縁起がいいものとされています。
それからかまぼこは大きく、お腹いっぱいになります。ひとつ大きなかまぼこを買ってきて、またはもらってきて、切り分けて、あるいは煮て食べて、“みんなで楽しみましょう”ということを教えるために、かまぼこの文化は発達しています。
コロナの前は、結婚式でも大きなかまぼこを引き出物として配るケースもよくあったそうだ。手で持って持ち運ぶ大変なほどのサイズで、タクシーで帰る人も多かったのだとか。誕生日・入学式・卒業式……さまざまな節目に宴会をして、お礼にかまぼこを贈りあっていたと山口さんは解説した。
「学問の神様」の掛け軸を飾る風習
かまぼこの他にも、富山ならではの風習がある。山口さんは、学問の神様として知られる菅原道真と富山に住む人との関係を語った。山口:富山では、菅原道真が描いた掛け軸を、12月25日になると、自分の家の床の間に掛けるんです。そして、鏡餅と御神酒を菅原道真に供える。1月1日には、お雑煮とおせちを供え、1月2日には、菅原道真の掛け軸の前で書き初めをする。1月25日には、菅原道真が北野天満宮から天におかえりになられるので、朝早くに掛け軸を畳んであげる。また、おかえりのときには、床の間に鯛を一匹供えるといった儀式をするそうです。
学問の神様ですので、全国の神社で菅原道真を祀っています。東京で言いますと、例えば湯島天満宮では受験シーズンはたくさんの人がいます。しかし、それとは別に、富山の方々は菅原道真をとても大事に思っていらっしゃるそうです。女性が結婚して、男の子が生まれると、母方のお父さんとお母さんはできるだけ大きな菅原道真の掛け軸を買ってきて、子どものために贈るそうです。
掛け軸の価格は、50万円〜100万円と高額。それでも、両親が、あるいは親戚などからお金を集めて贈るほど根付いた風習なのだそう。
江戸時代、全国に薬を広めた富山の「薬売り」
江戸時代、全国に薬を広めたという富山。山口さんはそのルーツを解説した。山口:江戸時代に富山で作られて、全国で売られた薬がございます。「越中反魂丹(えっちゅうはんごんたん)」と呼ばれるものです。「ストレスによる胃腸障害の緩和、食べ過ぎ・飲み過ぎによる消化不良にこの薬は効きます」と言われています。
反魂丹という名前はそもそも「元気じゃない魂を元気にしてあげる」という意味。つまり名前を聞いただけで元気になるということで、全国に広まっていきます。この薬を発明したのが、富山藩の二代目藩主・前田正甫(まさとし)です。藩主でありながら、この人は本草学者で漢方の勉強をしていました。植物や虫、動物などに詳しい博物学者でもありました。
当時、前田正甫はストレスに苛まれていました。理由は財政難です。参勤交代で江戸に出仕すると、多額のお金がかかります。でも、富山では、お米が十分に収穫できません。どう食べて行くかで悩み、「薬を売っていくしかない」と、まずは自分のために反魂丹を作ったのです。
そのうち「みんなもストレスに病んで、お腹の具合が悪くなるのでは……」と考えるようになり、流通させるための薬を作りました。立山連峰ではたくさんの野草がとれるのでちょうど良いのです。そのように、米の代わりに薬を作りました。みんなのためにとお薬を作り、お金に変えました。
山口:「置き薬」は、月に一回まわってくるものです。そして、自分たちが使った絆創膏や胃薬に対して「これだけ使いましたね」とお金を持って帰ります。置いていくときにはお金を取らないで、使った分だけ徴収します。それが、前田正甫が始めた「先用後利(せんようこうり)」。まずは役目を果たして、あとからお金をもらえばいいという意味です。
置き薬を渡しに行く際は、「最近はどのようにお過ごしですか?」とコミュニケーションをとり、子どもが生まれた家庭で名付け親になった薬売りの人もいたそう。人の役に立つために、何代にもわたって富山の薬売りを務めた家もあったとのこと。
食の王国・富山は器文化も盛ん
富山・高岡市は鋳造が盛んな場所だ。仏壇の凛や、漆器では螺鈿(らでん)が有名だ。その歴史とは?山口:高岡市の礎を築いた前田利長ですが、高岡城を作るときに、どう装飾するかを考え、「漆」に行き着いたそうです。富岡のあたりではアワビやトコブシがたくさんとれます。貝殻のピカピカと光る部分を薄く剥いで、漆に貼っていく。そうすると美しく光るので、お椀や漆器で使うようになりました。江戸時代末期、石井勇助という漆器職人が、漆器にデザインを加えたそうです。高岡では、タンスもたくさん売っているそうです。富山にも、螺鈿が貼ってあるタンスやお膳やお箸がたくさんありました。
高岡では、祭りのときに使われる山車にも、薄い螺鈿を使った漆塗りのものが使われているそうです。越中瀬戸焼というものが立山にありますが、それも富山市内のお料理屋さんで使われています。“さらに料理をおいしく見せよう”と演出の意味合いで、富山の人たちはずいぶん力を尽くしていらっしゃるようです。
最後に山口さんは富山とガラスの密接な関係について語った。
山口:富山には隈研吾さんが設計された「富山市ガラス美術館」があります。「なぜ富山にガラス美術館?」と思いましたが、これは薬との関係がありました。
画像素材:PIXTA
今となっては、あまり薬瓶としては使われていないかもですが、美術瓶として、藤田喬平さんの金箔を使ったガラスの作品があります。これを見ると、まるで漆かと思うような作品ですけど、富山では伝統的なすり鉢や漆の器とか、瀬戸焼というものではなく、料理を“ガラスを使って美しく見せる”という演出もされているようです。
J-WAVEで放送中の番組『GOOD NEIGHBORS』内のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」は、月曜から木曜の15:10~15:20にオンエア。
(構成=中山洋平)
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