中島美嘉、デビュー当時の怒涛の日々を振り返る。クールな印象だった理由は?

中島美嘉が蔦谷好位置と対談。音楽ルーツやデビュー秘話、作曲を始めた心境を語った。

2人がトークを展開したのは、J-WAVE(81.3FM)×「MUSIC FUN !」連動企画である、深夜の音楽座談プログラム『WOW MUSIC』。“すごい”音楽をつくるクリエイターが“WOW”と思ういい音楽とは? 毎月1人のクリエイターがマンスリープレゼンターとして登場し、ゲストとトークを繰り広げる番組だ。3月は、蔦谷がマンスリープレゼンターを務めている。ここでは3月11日(土)のオンエアを一部テキストで紹介する。

中島は3月22日(水)に新曲『Beyond』のアニメ盤パッケージシングルをリリースする。

「デモテープの仮歌」を担当だと思ったら…

まずは蔦谷が、中島に音楽ルーツについて訊いた。

蔦谷:子どもの頃はどんな音楽に触れていました?

中島:ほぼ演歌ですね。演歌がおうちで流れていたので。日舞をやっているおうちで、だから演歌育ちです(笑)。

蔦谷:それは小学校より前から? じゃあ原体験として演歌があるんですね。

中島:もっと前です。音楽が家でかかるといえば演歌だったので、ずっと聴いてましたね。今でも好きです。

蔦谷:歌ったり楽器をしたりっていうのはあったんですか。

中島:ピアノを習ってはいたんですけど、言っちゃいけないくらいのレベルです。今は譜面も読めないので。

蔦谷:歌い始めたのはいつくらいですか。

中島:ちゃんと歌い始めたのはデビューしてからです。カラオケとかではもちろんありますけど(笑)。

蔦谷:じゃあ、子どもの頃は演歌が流れていて、小学生のときに好きな曲とかあったんですか。

中島:小学生の頃に初めてCDを買って、好きで聴いてましたね。桑田佳祐さんの『祭りのあと』って曲なんですけど、当時好きだったドラマの主題歌でどうしても欲しいっていって姉に買ってきてもらったのを覚えています。たぶん小学5年生くらいでした。

蔦谷:そこから歌手を目指して、役者もやられてたと思うんですけど、きっかけとかあるんですか。

中島は「すごく(歌手を)目指している方にしたらカッコつけてるみたいに聞こえるかもしれないですけど」と前置きをして、デビューまでの異色な経緯を語り始める。中島のデビューはオーディションだったが、頼まれていたのは「デモテープの仮歌」だったのだという。

中島:作詞作曲をされている知り合いがいて、デモテープの仮歌をやってくれって言われたんですよ。「なんで私なんだろう」って思いつつ、一緒にカラオケとか遊びに行っていた人だったので「ちょっと歌ってみて」っていうので歌って、「じゃあ、この曲出しちゃうね」っていう。楽曲のコンペだと思って提出したら、「この声の子の写真を送ってくれ」という話になって、(デモテープの)「ちょっといい?」が、そのまま(デビューのきっかけに)なって。最終審査で「台本を読んでるのはなんで?」「持って来た曲じゃない曲を歌わされてるのはなんでだろう?」っていうのが本当の話なんですよ。

蔦谷:その頃は地元(鹿児島県)にいたんですか。

中島:福岡にいました。歌手とか女優を目指していたわけではなく、九州だけよく見かける雑誌ってあるじゃないですか。ファッション雑誌だったり情報誌だったり。あれのモデルをやりたいくらいの気持ちで、ちょっと事務所には入っていたんですよ。それでたまに雑誌の仕事をちょこちょこやってて、これで十分だったんですけど、それのおかげで福岡に少し住んでいました。

蔦谷:その頃は芸能活動への憧れみたいなものがあったって感じですか。

中島:雑誌(への憧れ)ですね。とことん雑誌でした。

「これが終わったらバイトに戻るつもりでデビューしました」

中島は2001年に『STARS』でデビューした。
蔦谷:当時を思い返してどうですか。

中島:本当に実感がなかったので。たぶん本人が一番。この曲とドラマ出演でデビューしたんですけど、これで終わりだと思ってたんです。これだけのオーディションを受けさせられたんだと。これが終わったらバイトに戻るつもりでデビューしましたね。それはしっかり覚えています。

蔦谷:レッスンとかもあったんですか。

中島:ないんですよ。『STARS』をとことん何度もレコーディングしたのは覚えています。いつの日のやつがよかったのかわからないんですけど、マイクの使い方もヘッドホンも何もかもわからないので、結構数日かけて『STARS』を歌ったのを覚えているんですけど、ボイトレみたいなことをやりたいって言ったら「特徴が取れちゃうので、ダメだ」って最初言われて。そのまま歌ってくださいってことで何度か歌いましたね。

クールな印象は「緊張が爆発しそう」だったから

その後、中島は2002年にファーストアルバム『TRUE』をリリース。その年にNHK紅白歌合戦に出場。2003年に映画『偶然にも最悪な少年』に出演し、セカンドアルバム『LOVE』をリリース。2005年には映画『NANA』に大崎ナナ役で出演。この映画の主題歌であるNANA starring MIKA NAKASHIMAの『GLAMOROUS SKY』は大ヒットを記録した。



蔦谷:ここまでノンストップで活動されてたと思うんですけど、多感な頃じゃないですか。今思い返すと自分でよく状況も理解できないまま進んでいっただろうから、けっこうな葛藤があったと思うんですよ。

中島:あったし、常にイライラしていた気がします。昨日までバイトしてた子がドンとプロと肩を並べるので、プロとして見られる。でも言い訳はきかないんで、「やったことないし」って毎回言うわけにはいかないので、毎日オーディションみたいな気持ちでビクビクしながら行ってて、ちょっとキツかったですね。

蔦谷:自分の状況がよくわからないままどんどん進んでいったわけですね。

中島:けっこう、異例だったと思います。確か上京して3カ月でクランクインしてるんですよ。だから練習の暇なんてないんですね。その前に『STARS』も完パケてないといけないので。なんかごちゃごちゃしてますけど、みんなにあいさつを回って、「用意・スタート」も勝手もわからないままクランクインして、急に歌番組に「はい、行ってらっしゃい!」って言われて。

わからないまま、感覚でやらないといけなかったと語る中島。「だからクールで怒ってるように見られてたんだと思います」と振り返る。

中島:しゃべっちゃいけないこともわからないし、しゃべって怒られることもあるし、どっちなのって思ってたから(笑)。

蔦谷:それじゃあ、しゃべれなくなりますよね。

中島:しゃべらないとか、緊張が爆発しそうになって、ずっとこらえて黙ってたので。でも私はそんなにクールじゃないんですよ。本来はずっとしゃべってるし。

蔦谷:今日もずっと笑顔ですからね。

中島:たぶん底抜けに楽しむほうだと思うんですけど、なんでクールって言われたんだろうねってずっと言ってますね。

蔦谷:当時の精神状態とか。

中島:緊張ですかね。

蔦谷:そんな中でも歌も演技もやられていて、仕事が好きだなって思える瞬間はありましたか。

中島:歌ってる瞬間は好きになるものもあったんですけど、正直戸惑いのほうが大きかったですね。

蔦谷:でもキャリア何年ですか。

中島:22年目ですね。

蔦谷:それだけやってるってことは、嫌いだったら続かないと思うんですけど。

中島:そうですね。好きなものはもちろんあるし、好きに少しずつなれてきたのかなとも思いますね。

蔦谷:最初はよくわからず与えられて歌って演技をしていたのが、ご自身で作詞作曲をされたりするようになったのは、何かきっかけとか変化があったんでしょうね。

中島:ここでやるしかないと腹をくくったっていうのが、ひとつだったんだと思います。

無知がゆえの楽しさをまた味わえている

中島は昨年5月に初のセルフプロデュースアルバム 『I』をリリースした。

蔦谷:プロデュースって今までやられてなかったんですか。

中島:やってないですね。選ぶことはもちろんしてましたけど、全部っていうのはしたことがなかったですね。

蔦谷:今までは歌詞を書いたり、ものによっては作曲もたまにされてたりとかしてましたか。

中島:作曲は一切したことがなくて、作詞だけですね。

蔦谷:今回から作曲をアレンジャーの方と一緒にやられたと。

中島:そうです。最初『I』もプロデュースはするけれど、作曲をするつもりはなくて。できるはずがないと、考えてもいなかったんですね。この人たちとアルバムを作る。自分が決めてない曲って言うと変ですけど、全部好きで出してますけど、私がとにかく好きで好きで選んだ曲だけを入れるアルバムというか。好き勝手するアルバムっていうのをやりたかったんですね。それを10周年のときにやろうと思ってたんですけど、流れてしまったので20周年でやろうかなと思ったらちょっと間に合わなくて(笑)。

蔦谷:ある種自己表現ですよね。そういう風になっていったっていうのはキャリアを重ねる上で何かあったんですか。

中島:ここで生きていくんだ、生きていかないとって腹をくくったのと、例えば自分が歌う瞬間を好きになったりとかって本当にここ数年なんですよ。それまではなかったので、どうにかいただいたものを昇華する、ベストを尽くすことしかできなかったので、その流れをちょっと変えたかったんですよ。だからもっと好きになる、自分のものをかたちにするっていうのはどんな気持ちなんだろうと思ってやりたかったんですけど。作曲はプロデュースしてもらっているCOLDFEETが「やってみたらできるんじゃないか」ってうまいこと背中を押してくれて。それでまんまと書くことになったんですけど。

中島は「私には初めての作業過ぎて、ひたすら歌って作るしかなかった」と制作を振り返る。

蔦谷:鼻歌で作ったりそういう感じですか?

中島:どうすればいいかわからなかったんですよ。最初、鼻歌でもなんでもいいから私たちにちょうだいって言ってくれたんですけど、性格的にそれが嫌なんですよね。私が何か弾ければシンセメロとかで出せるかもしれないですけど、私はとにかく歌うしかなくて、GarageBand(音楽制作アプリ)でマイクを付けてずっと歌い続けるしかない日々だったんです。最初にインストをいただいて、これの違うやり方を知りたいんです。

蔦谷:僕も手元に携帯がありますけど、ボイスメモに鼻歌で歌ったりするんですよ。でも後から聴くとどういうコードを付けたかったんだろうって全然わからないっていう(笑)。

中島:そういうものなんですね。

蔦谷:それでいいんじゃないですかね。メロディーっていうのは自由で。今回アルバムを聴かせてもらいましたけど、すごく面白かったですよ、メロディーも。ロックな面ももちろんあるし、ファンの方も喜ぶんだろうなっていうバラードもあれば、すごくディープなところもあったりとか。初めて作曲したとは全然思えないです。

中島:ありがとうございます。だとしたらCOLDFEETのおかげですね。

蔦谷:作曲してみて、プロデュースしてみて何か変わりましたか。

中島:無知がゆえの楽しさをまた味わえていることがラッキーだと思いました。20年経ってやることが慣れてきちゃって、「うーん」ってなってるところにまだこれやり方わからないから、やってみちゃえっていう楽しさをもう1回味わえたこと。嫌いになりたくないから「書いて、書いて」って言わないでね、って。それを仕事にはしたくないっていう。

蔦谷:あくまで楽しみたいってことですね。

中島は1月に新曲『Beyond』を配信リリース。この曲はアニメ『魔道祖師 完結編』(TOKYO MXほか)のオープニングテーマになっており、3月22日(水)にはアニメ盤パッケージシングルとしてもリリースされる。



蔦谷:Carlos K.さんと一緒に初めて作曲されたんですか。

中島:初めてですね。

蔦谷:お二人で作曲されてるんですけど、どんな感じで作っていったんですか。

中島:これもCarlosさんに軽いインストみたいなのを作ってもらって、そこに私が歌って投げ返して作り上げました。

中島は現在アコースティックライブ「Mika Nakashima Premium Live Tour 2023」を開催中。

中島美嘉の最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。
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2023年3月18日28時59分まで

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番組情報
WOW MUSIC
毎週土曜
24:00-25:00

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