J-WAVE(81.3FM)×「MUSIC FUN !」連動企画である、深夜の音楽座談プログラム『WOW MUSIC』。“すごい"音楽をつくるクリエイターが“WOW"と思ういい音楽とは? 毎月1人のクリエイターがマンスリープレゼンターとして登場し、ゲストとトークを繰り広げる。
11月のマンスリープレゼンターはNulbarichのJQ。11月27日(金)のオンエアでは、音楽プロデューサーの小林武史がゲストに登場。小林の音楽のルーツやサブスク時代に対する考えに迫った。
小林は1959年、山形県新庄市出身。「地方都市なんだけど、まちなか」だったという。生まれ育った環境や世代的に音楽には幼いころから触れてきたという。
小林:レコード店が3つくらいあって、文化的なことが活発になってきた時代だったんだよね。親も情操教育としてピアノを習わせてくれて。ちょっと前の中国によくあった感じじゃないかなと思う。ステレオが我が家にやってきたような時代だったから、みんなの趣味が音楽鑑賞だった。クラシックやアメリカンポップとか。すぐ上の兄は、ちょうど学生運動の末期の人で、特にザ・ビートルズを現役で聴いていた世代。だから、カウンターカルチャーとしての音楽やロックが、中学に上がる頃にグーっと入ってきたわけ。一方で、キューバ革命やベトナム戦争とかの流れでも、そういう洋楽が入ってきたんだよね。ドーナツ盤で家にあったりもした。
小林が最初に自分で買ったレコードはザ・ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』と、ジョン・レノンのソロ『ジョンの魂』。この2枚は小林にとってメジャーとオルタナティブとして相反する存在のアルバムであり、今の自分にも通じるものがあるそう。
JQ:政治と音楽が密接な状態で日本に入ってきていたんですね。僕たちが音楽と出会うきっかけと全然違う。僕はファッションとか、「あれがかっこいいよね」というので聴いてきているので、聴き方がぜんぜん違うんだろうなと。
小林:「戦争は昔のこと」ということで育って来たんだけど、意外とそうでもない感じなんだよね。当時も、音楽がもうちょっと、そこと繋がっていた感じがする。平和に対しての思いとかね。今は損得勘定が先に立つから、サステナビリティのこととかを考えるとそれでいいのかな、とは思うね。
小林:それまではYMO一派で育ったんだけど、桑田さんと出会って音を支えていく僕の音楽の営みの流れが変わったんですよ。
JQ:小林さんの音は、聴こうと思わなくても聴こえてきました。とにかくベクトルのふり幅がやばい。そこまで政治や音楽について考えている人が、ポップスの中で数ある曲を生み出しているんだと思ったときに感動しちゃいました。
小林:僕は80年代のコンピュータを使って音楽を作る時代に業界に入ってきたから、90年代に入って先祖帰りというか60年代思考に戻った感じがあったんだよね。ガツンといったのが、ニューヨークのウォーターフロントスタジオに行って、YEN TOWN BANDや、Mr.Childrenの中でもかなりオルタナティブなアルバム『深海』を作った頃。そういうアナログ回帰のようなロックの初期衝動だけで作っていくふり幅は大きかったですね。
小林は楽曲制作の際に決まったスタイルが存在していないという。
小林:ピアノをずっとやっているけれども、一度そこから離れてモードっぽいことやビートみたいなこと、コードを使わないアプローチをしてもやっぱりコードに戻ってくる特性があるんですよね。コードとメロディのときの暴力的なまでにフックが跳躍する感じがポップだから、そういうことを探す一面はある。街を歩いていたり目が覚めた途端だったり感覚的かな。あとはオルタナティブな感覚として、あえて誰もいない路地を入って裏から探す作業もします。あえてギターを持ってみてエフェクターだらけにするとか。音から作っていくこともありますね。
小林:僕もサブスクをすごく使っているけど、ステレオの前でアナログを聴く時間もある。両方あるといいと思うね。でもサブスクみたいなものって僕が子どもの頃にあったら、夢のようなもの。
JQ:そうですよね。
小林:だから今の人は夢のような音楽生活を送れていると思います。海外に行ってもパッと思いついた曲を探して聴けちゃう。これは本当にすごいこと。でも、ミュージシャンの生き方としては難しいね。自分の営みの中で循環して作っていく職人や芸術家は生活の糧と循環とともに成長していていく役割だったけど、今はそれが見えないでしょう。どんな感じでお金が振り込まれていくんだろうって。
JQ:オンラインライブになっていく今の流れはリアルに実感する物が失われていく怖さはありますね。僕も今はスピーカーの前で音楽を聴く時間を作っています。両方あることをちゃんとわかっていたほうがいい。普通のライブの素晴らしさもオンラインライブやサブスクの存在も。両方が両立していかないと怖いかな。
小林:僕はミュージックバーもやっているので、そこである程度の人数で音楽を聴いている心地よさって本当に伝わっていくんですよ。ステレオの前でもいいけど、響いてきたり漏れたりする音はなくならない。でも、さっき僕が「どうやって営んでいくかが見えにくくなるのは怖い」って言ったけど、それでいいのかもしれないね。ミュージシャンが先駆けて、仕事のためにやっていることとそうではないことの境界線をなくしていけばいい。お金がみんなに回っていけば、食べるために働くだけじゃなくて「いいね」を増やせる。そういう風にミュージシャンもなるといいかな。
JQ:悪くないですよね。楽しいことができて生活ができていればそれはそれで幸せ。「死ぬ気で頑張れ」みたいな時代は……。
小林:もうなくていい。
JQ:「楽しんだもん勝ち」みたいな部分は確かにありますね。
小林:でもその中で、いろいろな発見や可能性をいっぱい残しておいたほうがいいということだと思いますね。
『MUSIC FUN !』のYouTubeページには、同番組のトーク動画のほか、ミュージシャンやプロデューサーによる音楽の話が数多く配信されている。
https://www.youtube.com/c/MUSICFUN_JP/featured
11月のマンスリープレゼンターはNulbarichのJQ。11月27日(金)のオンエアでは、音楽プロデューサーの小林武史がゲストに登場。小林の音楽のルーツやサブスク時代に対する考えに迫った。
ポップとオルタナティブの二面性は、最初に買った2枚のアルバムから
ふたりが初めて対面したのは今年のはじめ。さまざまな話で盛り上がり、小林はJQに「語りが豊かでおもしろい」という印象を受けたと明かした。小林は1959年、山形県新庄市出身。「地方都市なんだけど、まちなか」だったという。生まれ育った環境や世代的に音楽には幼いころから触れてきたという。
小林:レコード店が3つくらいあって、文化的なことが活発になってきた時代だったんだよね。親も情操教育としてピアノを習わせてくれて。ちょっと前の中国によくあった感じじゃないかなと思う。ステレオが我が家にやってきたような時代だったから、みんなの趣味が音楽鑑賞だった。クラシックやアメリカンポップとか。すぐ上の兄は、ちょうど学生運動の末期の人で、特にザ・ビートルズを現役で聴いていた世代。だから、カウンターカルチャーとしての音楽やロックが、中学に上がる頃にグーっと入ってきたわけ。一方で、キューバ革命やベトナム戦争とかの流れでも、そういう洋楽が入ってきたんだよね。ドーナツ盤で家にあったりもした。
小林が最初に自分で買ったレコードはザ・ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』と、ジョン・レノンのソロ『ジョンの魂』。この2枚は小林にとってメジャーとオルタナティブとして相反する存在のアルバムであり、今の自分にも通じるものがあるそう。
JQ:政治と音楽が密接な状態で日本に入ってきていたんですね。僕たちが音楽と出会うきっかけと全然違う。僕はファッションとか、「あれがかっこいいよね」というので聴いてきているので、聴き方がぜんぜん違うんだろうなと。
小林:「戦争は昔のこと」ということで育って来たんだけど、意外とそうでもない感じなんだよね。当時も、音楽がもうちょっと、そこと繋がっていた感じがする。平和に対しての思いとかね。今は損得勘定が先に立つから、サステナビリティのこととかを考えるとそれでいいのかな、とは思うね。
桑田佳祐との出会い「僕の音楽の営みの流れが変わった」
幼少期から音楽に慣れ親しんでいた小林だったが、「頭でっかちな部分があった」と振り返る。「もっと普通の人並みに音楽が寄り添うことに興味を持った」として、桑田佳祐との出会いをターニングポイントだと語った。小林は1980年代後半頃から桑田佳祐およびサザンオールスターズの楽曲に参加している。小林:それまではYMO一派で育ったんだけど、桑田さんと出会って音を支えていく僕の音楽の営みの流れが変わったんですよ。
JQ:小林さんの音は、聴こうと思わなくても聴こえてきました。とにかくベクトルのふり幅がやばい。そこまで政治や音楽について考えている人が、ポップスの中で数ある曲を生み出しているんだと思ったときに感動しちゃいました。
小林:僕は80年代のコンピュータを使って音楽を作る時代に業界に入ってきたから、90年代に入って先祖帰りというか60年代思考に戻った感じがあったんだよね。ガツンといったのが、ニューヨークのウォーターフロントスタジオに行って、YEN TOWN BANDや、Mr.Childrenの中でもかなりオルタナティブなアルバム『深海』を作った頃。そういうアナログ回帰のようなロックの初期衝動だけで作っていくふり幅は大きかったですね。
小林は楽曲制作の際に決まったスタイルが存在していないという。
小林:ピアノをずっとやっているけれども、一度そこから離れてモードっぽいことやビートみたいなこと、コードを使わないアプローチをしてもやっぱりコードに戻ってくる特性があるんですよね。コードとメロディのときの暴力的なまでにフックが跳躍する感じがポップだから、そういうことを探す一面はある。街を歩いていたり目が覚めた途端だったり感覚的かな。あとはオルタナティブな感覚として、あえて誰もいない路地を入って裏から探す作業もします。あえてギターを持ってみてエフェクターだらけにするとか。音から作っていくこともありますね。
食べるために働くだけじゃなく、「いいね」を増やしていく
80年代から長い間音楽業界に身を置く小林。今はレコードもCDも廃れ、サブスクリプションサービスが主流になるなど、音楽の変化は目まぐるしい。今の音楽を取り巻く状況に対して、どう考えているのか。小林:僕もサブスクをすごく使っているけど、ステレオの前でアナログを聴く時間もある。両方あるといいと思うね。でもサブスクみたいなものって僕が子どもの頃にあったら、夢のようなもの。
JQ:そうですよね。
小林:だから今の人は夢のような音楽生活を送れていると思います。海外に行ってもパッと思いついた曲を探して聴けちゃう。これは本当にすごいこと。でも、ミュージシャンの生き方としては難しいね。自分の営みの中で循環して作っていく職人や芸術家は生活の糧と循環とともに成長していていく役割だったけど、今はそれが見えないでしょう。どんな感じでお金が振り込まれていくんだろうって。
JQ:オンラインライブになっていく今の流れはリアルに実感する物が失われていく怖さはありますね。僕も今はスピーカーの前で音楽を聴く時間を作っています。両方あることをちゃんとわかっていたほうがいい。普通のライブの素晴らしさもオンラインライブやサブスクの存在も。両方が両立していかないと怖いかな。
小林:僕はミュージックバーもやっているので、そこである程度の人数で音楽を聴いている心地よさって本当に伝わっていくんですよ。ステレオの前でもいいけど、響いてきたり漏れたりする音はなくならない。でも、さっき僕が「どうやって営んでいくかが見えにくくなるのは怖い」って言ったけど、それでいいのかもしれないね。ミュージシャンが先駆けて、仕事のためにやっていることとそうではないことの境界線をなくしていけばいい。お金がみんなに回っていけば、食べるために働くだけじゃなくて「いいね」を増やせる。そういう風にミュージシャンもなるといいかな。
JQ:悪くないですよね。楽しいことができて生活ができていればそれはそれで幸せ。「死ぬ気で頑張れ」みたいな時代は……。
小林:もうなくていい。
JQ:「楽しんだもん勝ち」みたいな部分は確かにありますね。
小林:でもその中で、いろいろな発見や可能性をいっぱい残しておいたほうがいいということだと思いますね。
『MUSIC FUN !』のYouTubeページには、同番組のトーク動画のほか、ミュージシャンやプロデューサーによる音楽の話が数多く配信されている。
https://www.youtube.com/c/MUSICFUN_JP/featured
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2020年12月4日28時59分まで
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