ピアニスト・阪田知樹、緊張のため服が…コンクールで思わぬハプニング!

J-WAVEで放送中の番組「RINREI CLASSY LIVING」(ナビゲーター:村治佳織)。3月17日(土)のオンエアでは、期待の若きピアニスト・阪田知樹さんをゲストにお迎えし、これまでの経緯を伺いました。


■ピアニストを目指したきっかけ

阪田さんがピアノをはじめたのは3~4歳の頃。母のピアノが家にあり、身近な楽器として楽しんでいたと言います。プロを目指したきっかけは何だったのでしょうか。

阪田:小学校4年生のときに、海外のピアニストのリサイタルを聴いて、何ともいえない鮮烈な印象を受けて。両親に「これって職業なのかな?」と訊いたら「そうだよ」と答えたので、「じゃあ私はこれになる」と宣言して。両親は「何を言っているんだろう」と思ったそうですが(笑)。


■コンクールで起こったハプニングとは

阪田さんは、19歳のときにヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで最年少入賞しましたが、演奏の際にちょっとしたハプニングがあったとか。

阪田:緊張してもしょうがないだろうと思って臨んだのですが、いざ自分が演奏したときには、緊張していたのか、上着とズボンが違うセットを着ていることに気付いて。色はほとんど一緒なんですけど、弾いている途中で「あれ!? 服が違うぞ。でもとにかく今はちゃんと弾かなきゃ」と(笑)。そこは上手くいって、最後の6人までいけたんですけど、やっぱり緊張していたんでしょうね、そのときは。


■阪田さんにとって特別な作曲家、フランツ・リスト

ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの4年後に、フランツ・リスト国際ピアノ・コンクールで優勝した阪田さん。フランツ・リストは、坂田さんにとって特別な作曲家だといいます。

阪田:最初に触れた中学2年生のときから、リストの作品は特別な位置にいて。当時の僕のリアクションは、今まで出会ったどの作品とも違って「これは新しい感覚」と、いいとか悪いとか素直に判断できなかったので、余計知りたいと思ったんです。それから、いろいろな文献も読みましたし、作品も聴いて、弾いて。そのうちに気付いたら、リストという作曲家、彼の音楽が人生の一部になっていて。だから本場の、83年の伝統があるコンクールで優勝させていただいたことは、本当に嬉しかった。幸せな時間でした。

将来的には「世界的な殿堂であるニューヨークのカーネギー・ホールで、いつか演奏できるように頑張りたい」と、目標を明かした阪田さん。日本での演奏会は、5月9日(水)にチェリスト・趙 静さんとのデュオコンサートや、ソリストとして5月12日(土)、13日(日)に日本フィルハーモニー交響楽団との共演などが決定しています。

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番組名:「RINREI CLASSY LIVING」
放送日時:土曜 20時-20時54分
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/classyliving/

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