バレエダンサーの堀内將平さんが、9年間に及んだ留学生活での苦労、日本バレエ界の第一人者・熊川哲也のすごさ、現在取り組んでいる革新的な取り組みなどについて語った。
堀内さんは1992年、東京都生まれ。10歳でバレエを始め、ルーマニア国立バレエ団を経て、現在はK-BALLET TOKYOのプリンシパルとしてステージに立つ日本バレエ界の重要人物だ。
堀内さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページ
堀内:白金台は、生まれてから6歳ごろまでを過ごした街です。僕の家族は転勤族で、白金台を離れてからは一つの場所に長く定住することがありませんでした。なので、幼少期はここで過ごした印象が一番強いです。小さい頃はとにかく負けず嫌いで。兄は朝起きるのがすごく遅かったんですよ。反対に僕はすごく早起きで、学校に一番に行かないと嫌でした。学校の校門が8時に開くとしたら、僕は7時にはもういるんですよ。で、菊地君という2年生の先輩がいたのですが、その菊地君は僕よりもちょっと早く来るわけです。そうすると、悔しいから僕はさらに早く登校し、互いに競い合ってどんどんエスカレートしてき、母がある日「何が起こってるの!?」と心配するという出来事がありましたね(笑)。
続いてやってきたのは品川区大井エリア。現在、再開発が進む大井町駅周辺の景色に驚きながら、堀内さんはこの街での日々を語り出した。
堀内:10歳の頃、大井町のバレエ教室でバレエを習い始めました。教室はもうなくなってしまいましたが、思い出深い場所です。当時は毎日教室に通い詰め、スタジオで4~5時間レッスンを受けていました。なので、友だちと休みの日に遊びに行くこともあまりありませんでしたね。また、2回目のレッスンのときにはロシア人の先生から「お母さんを呼んできなさい」と言われました。「怒られるのかな……」と内心ビクビクしながら母を連れて行ったところ、先生は「この子には才能があります。もしプロになりたいのでしたら、そのつもりで教えます」というお話をしてくださいました。続けて「ただ、ある程度の年齢になったら、男子と女子でステップが違うので、私には教えられません。なので、外国へ行って学んだほうがいいです」と提案してくださって。それで14歳になった頃にウズベキスタンへ留学し、男性のステップと将来必要になるロシア語を学びました。
堀内:もう辛くて、帰りたくて仕方なかったです(笑)。合計9年間外国で暮らしましたが、当時の僕は精神的に幼く、コンプレックスが強過ぎて。「ジョン・クランコ・スクール」に通っていた頃、学校には世界中からバレエエリートの子どもたちが集まってきていました。鏡を見て「周りのみんなはすごく綺麗なのに自分は……」と劣等感を抱いたり。そんなふうに、コンプレックスに押し潰されていました。ただ、もともと負けず嫌いな性分ですから「他の生徒よりもうまくなりたい」という思いは常にありましたし、自分自身に負けるのも、日本に帰るのも嫌だったので、絶対に落第しないように日々努力していました。
堀内:オーディションは数えきれないほど受けました。まずメールを100件送って返信があるのが数件、そのうちオーディションに参加できるのは2件、みたいな世界なんです。メールやCV(英文履歴書)の書き方さえよくわからず、何から何まで手探りの状態でした。あの頃はチャットGPTもなかったですしね。
ルーマニア国立バレエ団では主演を任されることもあったという堀内さんだが、そのスキルはまだ発展途上だったと振り返る。
堀内:3年間滞在したルーマニアでは主演を務めさせていただく機会にも恵まれました。様々な役を演じさせてもらいましたが、今思えば、何もできなかったという印象です。踊り方自体は昔のほうが綺麗だと思う部分もあるのですが、表現や演技面においてはまだ未熟で。舞台そのものや自分の役が作中でどういった立ち位置なのか、何も分かっていませんでした。とはいえ、当時はすごくうれしくて。朝から午後までレッスンを受け、夜にまた自習をするといった具合に一日中練習に没頭していました。
堀内:ちょうど10年前、熊川ディレクターが監督を務める毎年恒例の公演「オーチャード・バレエ・ガラ」に出演させていただいたことをきっかけに、Kバレエカンパニーに入団しました。Kバレエは、他のバレエ団と変わらず、ダンサーの身体性や芸術性を大切にしているのですが、それだけでなく、表現に重きを置いていて「魅せる」ことを特長としています。僕自身「表現ってここまでやるんだ」「こんなふうにやるんだ」ということを教わりましたし、Kバレエに入団していなかったら、おそらく今と全く違う踊り方になっていたと思います。
熊川さんと言えば、英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団してプリンシパルにまで上り詰めた、日本バレエ界の第一人者だ。その存在の大きさについて、堀内さんは畏敬の念を持って語る。
堀内:熊川ディレクターは「雲の上の人」です。初めてお会いしたときは……怖かったですね(笑)。今も当然ながら怖いんですけど。怒られるからというわけではなく、ディレクターが稽古などを見に来ると、部屋の空気が変わるんですよ。緊張感が生まれるというか。別に何をするわけでもなく、前に座って稽古の様子をただ見てるだけ。時折他の先生方とおしゃべりをするなど、おそらくディレクター自身はリラックスしているんですけど、ダンサーたちはすごくピリッとして、パフォーマンスが一気に向上するんです。
堀内:Kバレエに入団してから熊川ディレクターにマンツーマンで指導していただく中で、「表現」とは何かがようやくわかってきました。バレエは、自分の内から溢れてくる感情を表現します。逆に自分の中にないものを演じることできません。演じていても、薄っぺらく、嘘くさくなってしまいます。なので、どんな役を演じるときも必ずその役の感情と親和性のある自分の感情を見つけ出して表現することを心掛けています。たとえば悪役であれば、生まれながらの悪ではなく、もともと普通だった人が何かのきっかけでひねくれてしまい、自分の弱さを守るために他者を攻撃してしまう……みたいな複雑さがあると思うんです。そうやってその役を解釈していくと、自分と親和性がある役になっていくんですよね。
堀内:僕の知っているバレエダンサーってすごくかっこいい存在で。アスリートであり、アーティストであり、存在そのものが一つの作品なんですよね。その良さをもっと引き出したいと思って始めたプロジェクトが「バレエザニュークラシック」です。豪華絢爛とは対極に位置するミニマルで削ぎ落とされたソリッドな世界観を目指し、バレエの古典的な演目を現代の価値観にも合うようにアップデートしています。たとえば、ロミオとジュリエットを男性2人で演じたり、白鳥の湖も本来女性が踊るところを男性に任せたりと、ひねりを効かせています。
伝統への深い理解と、変化を恐れぬ革新性によってバレエ界に新たな風を吹き込む堀内さん。最後に自身にとっての挑戦、そしてその先にあるFreude=喜びとは何かと尋ねると、こんな答えが返ってきた。
堀内:僕は常に変わりたい、常に成長したいと思っています。特に意識しているのは、自分のできることではなく、自分のできないことをやり続けることです。もちろんすごくつらくて、何度も自分自身に対して「ほんとにできるのか?」と疑心暗鬼になりますが、その作業の先にしか絶対に成長はないと思っています。そんなふうに挑戦することは大好きですし、生きがいですし、生きている意味のようになっています。
堀内さんは1992年、東京都生まれ。10歳でバレエを始め、ルーマニア国立バレエ団を経て、現在はK-BALLET TOKYOのプリンシパルとしてステージに立つ日本バレエ界の重要人物だ。
堀内さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページ
10歳の頃から突出していたバレエの才能
堀内さんは2015年、Kバレエカンパニー(現K-BALLET TOKYO)に一番下の階級であるアーティストとして入団。以降、毎年昇格を重ね、2020年に最高位であるプリンシパルに就任した。そんな新進気鋭のバレエダンサーを乗せた「BMW iX xDrive60 M Sport」は六本木ヒルズを出発し、最初の目的地である港区白金台に到着した。続いてやってきたのは品川区大井エリア。現在、再開発が進む大井町駅周辺の景色に驚きながら、堀内さんはこの街での日々を語り出した。
堀内:10歳の頃、大井町のバレエ教室でバレエを習い始めました。教室はもうなくなってしまいましたが、思い出深い場所です。当時は毎日教室に通い詰め、スタジオで4~5時間レッスンを受けていました。なので、友だちと休みの日に遊びに行くこともあまりありませんでしたね。また、2回目のレッスンのときにはロシア人の先生から「お母さんを呼んできなさい」と言われました。「怒られるのかな……」と内心ビクビクしながら母を連れて行ったところ、先生は「この子には才能があります。もしプロになりたいのでしたら、そのつもりで教えます」というお話をしてくださいました。続けて「ただ、ある程度の年齢になったら、男子と女子でステップが違うので、私には教えられません。なので、外国へ行って学んだほうがいいです」と提案してくださって。それで14歳になった頃にウズベキスタンへ留学し、男性のステップと将来必要になるロシア語を学びました。
留学期間中は「帰りたくて仕方なかった」
10歳にしてバレエの才能を見出された堀内さんは、14歳でウズベキスタンへ留学。その後モナコを経て、2008年、16歳のときにはドイツ・シュッツトガルトにある名門バレエ学校「ジョン・クランコ・スクール」へ入学した。海外での武者修行の日々は、10代の堀内少年にとって大変過酷なものだったようだ。堀内:もう辛くて、帰りたくて仕方なかったです(笑)。合計9年間外国で暮らしましたが、当時の僕は精神的に幼く、コンプレックスが強過ぎて。「ジョン・クランコ・スクール」に通っていた頃、学校には世界中からバレエエリートの子どもたちが集まってきていました。鏡を見て「周りのみんなはすごく綺麗なのに自分は……」と劣等感を抱いたり。そんなふうに、コンプレックスに押し潰されていました。ただ、もともと負けず嫌いな性分ですから「他の生徒よりもうまくなりたい」という思いは常にありましたし、自分自身に負けるのも、日本に帰るのも嫌だったので、絶対に落第しないように日々努力していました。
ルーマニア国立バレエ団では主演を務めたことも
コンプレックスを感じながらも、持ち前の負けず嫌いな性格から堀内さんは研鑽を重ね、異国の地で頭角を現していく。2012年にルーマニア国立バレエ団にアーティストとして入団すると、13年にソリスト、14年にファースト・ソリストへと昇格。とはいえ、すんなりとステップアップしたわけではない。成功の裏には数えきれないほど多くの「不合格」を経験したようだ。堀内:オーディションは数えきれないほど受けました。まずメールを100件送って返信があるのが数件、そのうちオーディションに参加できるのは2件、みたいな世界なんです。メールやCV(英文履歴書)の書き方さえよくわからず、何から何まで手探りの状態でした。あの頃はチャットGPTもなかったですしね。
ルーマニア国立バレエ団では主演を任されることもあったという堀内さんだが、そのスキルはまだ発展途上だったと振り返る。
堀内:3年間滞在したルーマニアでは主演を務めさせていただく機会にも恵まれました。様々な役を演じさせてもらいましたが、今思えば、何もできなかったという印象です。踊り方自体は昔のほうが綺麗だと思う部分もあるのですが、表現や演技面においてはまだ未熟で。舞台そのものや自分の役が作中でどういった立ち位置なのか、何も分かっていませんでした。とはいえ、当時はすごくうれしくて。朝から午後までレッスンを受け、夜にまた自習をするといった具合に一日中練習に没頭していました。
熊川哲也が稽古場に来ると「部屋の空気が変わる」
「BMW iX xDrive60 M Sport」は恵比寿に差し掛かる。車窓に流れる景色を眺めながら堀内さんは「Kバレエスクール恵比寿校の前を今通りました。日本に帰って来てからはしばらく大人の生徒さんを教える機会をいただき、そのときによく恵比寿のスタジオにお邪魔していました」と懐かしむ。思い出深い風景を目にしたことで、話題は、熊川哲也さん率いるKバレエカンパニー(現K-BALLET TOKYO)に入団した経緯に移っていく。堀内:ちょうど10年前、熊川ディレクターが監督を務める毎年恒例の公演「オーチャード・バレエ・ガラ」に出演させていただいたことをきっかけに、Kバレエカンパニーに入団しました。Kバレエは、他のバレエ団と変わらず、ダンサーの身体性や芸術性を大切にしているのですが、それだけでなく、表現に重きを置いていて「魅せる」ことを特長としています。僕自身「表現ってここまでやるんだ」「こんなふうにやるんだ」ということを教わりましたし、Kバレエに入団していなかったら、おそらく今と全く違う踊り方になっていたと思います。
堀内:熊川ディレクターは「雲の上の人」です。初めてお会いしたときは……怖かったですね(笑)。今も当然ながら怖いんですけど。怒られるからというわけではなく、ディレクターが稽古などを見に来ると、部屋の空気が変わるんですよ。緊張感が生まれるというか。別に何をするわけでもなく、前に座って稽古の様子をただ見てるだけ。時折他の先生方とおしゃべりをするなど、おそらくディレクター自身はリラックスしているんですけど、ダンサーたちはすごくピリッとして、パフォーマンスが一気に向上するんです。
Kバレエで学んだ「表現」の真髄
海外から帰国した時点で堀内さんには、確かな実績と経験があった。しかし、Kバレエおよび熊川さんとの出会いによって得た学びは大きく、バレエダンサーとしてさらなる成長を遂げたようだ。堀内:Kバレエに入団してから熊川ディレクターにマンツーマンで指導していただく中で、「表現」とは何かがようやくわかってきました。バレエは、自分の内から溢れてくる感情を表現します。逆に自分の中にないものを演じることできません。演じていても、薄っぺらく、嘘くさくなってしまいます。なので、どんな役を演じるときも必ずその役の感情と親和性のある自分の感情を見つけ出して表現することを心掛けています。たとえば悪役であれば、生まれながらの悪ではなく、もともと普通だった人が何かのきっかけでひねくれてしまい、自分の弱さを守るために他者を攻撃してしまう……みたいな複雑さがあると思うんです。そうやってその役を解釈していくと、自分と親和性がある役になっていくんですよね。
古典的な演目をアップデートする新プロジェクト
今を生きている私たちだからこそできる表現とは何か――。そう考えるようになった堀内さんは、新たな挑戦として「バレエザニュークラシック」をスタート。ジャンルの垣根を越え、まだ誰も見たことがない新しい舞台を生み出すプロジェクトだ。世界で活躍する日本人バレエダンサーとクリエイターたちに声をかけ、クラウドファンディングで資金を調達。2022年・2024年と大盛況を収め、2026年の開催に向けて準備を進めているという。同プロジェクトではどんな演目を行っているのだろうか。堀内:僕の知っているバレエダンサーってすごくかっこいい存在で。アスリートであり、アーティストであり、存在そのものが一つの作品なんですよね。その良さをもっと引き出したいと思って始めたプロジェクトが「バレエザニュークラシック」です。豪華絢爛とは対極に位置するミニマルで削ぎ落とされたソリッドな世界観を目指し、バレエの古典的な演目を現代の価値観にも合うようにアップデートしています。たとえば、ロミオとジュリエットを男性2人で演じたり、白鳥の湖も本来女性が踊るところを男性に任せたりと、ひねりを効かせています。
堀内:僕は常に変わりたい、常に成長したいと思っています。特に意識しているのは、自分のできることではなく、自分のできないことをやり続けることです。もちろんすごくつらくて、何度も自分自身に対して「ほんとにできるのか?」と疑心暗鬼になりますが、その作業の先にしか絶対に成長はないと思っています。そんなふうに挑戦することは大好きですし、生きがいですし、生きている意味のようになっています。