俳優・宮沢氷魚と松下奈緒がJ-WAVEで対談。幼少期から好きだった「野球」や、人生の分岐点となった「旅」について語った。
ふたりがトークを展開したのは、1月9日(金)放送のJ-WAVE『KENEDIX CROSSROADS』(ナビゲーター:松下奈緒)だ。毎月ひとりのゲストを迎え、成功の背景にある「決断」「迷い」「出会い」を掘り下げながら、「人生の分岐点」について語り合う30分。音楽とともに、ライフデザインのヒントを届けていく。
番組では、毎週月曜7時に再編成版ポッドキャストを配信中。宮沢が登場したオンエアの一回目のポッドキャストは以下で楽しめる。
・ポッドキャストページ
二回目のオンエアは以下のプレイヤーで再生可能。また、このページではトークの模様をテキストで紹介する。
松下:ちょっと意外でした。身長も高くてスラっとされているから、バスケットボールやバレーボールとかをやってらっしゃるのかと思っていました。
宮沢:よく言われます。
松下:これは子どものときから?
宮沢:18年間野球をやっていて、少年野球から大学まで。
松下:甲子園を目指したのですか?
宮沢:インターナショナルスクールだったので高野連に入っていなくて、残念ながら出られなくて。
松下:野球愛は深い?
宮沢:野球愛はたぶん話し始めたら5時間くらいはひとりでしゃべれるくらい(笑)。小さいころから観ていたので、よく球場には行っていました。いまだに時間さえあれば球場に行きます。
松下:野球場の雰囲気が好きとか、そういうのもありますよね。
宮沢:雰囲気も大好きですね。高校生ぐらいまでは球場に行って、ずっと選手を観ていました。ご飯とかもあまり食べずに「どういうプレイをするんだろう」「どういうバッティングフォームなんだろう」「どういう守備位置なんだろう」という、すごくマニアックな研究をしていて。
松下:好きな選手はいらっしゃいますか?
宮沢:引退されていますが、金城龍彦さんという外野手がいたんです。スイッチヒッターといって、右でも打てるし、左でも打てる。足が速くて、大胆なプレイをする選手でした。子どもながらに躍動感にほれ込んで。
松下:選手を見て「あの選手みたいになりたい」と置き換えるんですか?
宮沢:置き換えます。当時は好きな選手のバッティングフォームをまねしたり、その選手が使っているグローブを買ってみたりとか、まねからまず入ります。
松下:今日は金城選手ふうに打ってみようとか。
宮沢:そうです。ほかに気になっている選手がいたら、別の日は「この選手のバッティングフォームで」とか、調子が悪くなってきたら変えてみようとか。
松下:それをマスターできているんですね!
宮沢:途中からものまねが上手になっちゃって「自分のバッティングフォームってなんだったっけ」と。
松下:まねから入るから上手になるんですよね。
宮沢:みんな、まねから入りましたね。僕の時代だったらイチロー選手や松井秀喜選手が全盛期だったので。
松下:スター選手に憧れてみんな始めるわけですね。じゃあ、本当に小学生ぐらいから?
宮沢:小学生から野球をして、毎日ドロドロになって。
松下:部活でずっと中学、高校も?
宮沢:少年野球は近所の学校のチームに入れてもらっていて。中学は硬式野球のクラブチームに入り、当時はプロ野球選手を目指してやっていました。
宮沢:厳しさも許されていた時代でもあるので、ちょっと野球が嫌いになっちゃっていたんです。
松下:体育会系のあまりの厳しさに。
宮沢:ミスをするのが怖くなり、恐怖症みたいになってしまって。自分のところにボールが飛んできてほしくないし、バッターボックスも回ってきてほしくないという、全部ネガティブな方向に動いてしまって。
松下:野球を続けることは諦めてしまったんですか?
宮沢:嫌いになりかけていたので「好きじゃないものを目指せないかも」と思ったんです。一緒にプレイしている子たちもすごくうまいんです。少年野球までは僕がいちばんチームで上手でした。でも、クラブチームはいちばん上手な子たちが集結する集団なので、「自分のレベルは全然、中くらいだ」と思って。それで未来が見えなくなってしまって。
松下:それまでずっと野球を続けてこられたわけじゃないですか。モチベーションというか「これだけは続けたい」と、なにか思われたことがあったんですか?
宮沢:インターナショナルスクールの高校からなんです。それまではチームがないんですが、子どものころからチームの練習とかを見ていて「そのチームに入りたい」というのが、プロに入るひとつ手前の目標でした。そこまでは続けるというのは決めていたので、だからなんとか中学でもギリギリだったんですが、最後までやって。高校に入ったらもう、とにかくアメリカンな感じなので「野球を楽しく」という。「プレイボール、遊ぶボール」だから。
松下:日本の野球とはちょっと感覚が違うというか。
宮沢:違いましたね。苦しさをいかに感じないか、とか。その時点でみんな、ある意味プロを目指していない子たちなので「いい思い出作りをしようよ。そのなかで勝てればいいよね」というチームだったので。最後は野球をまた好きになれました。
松下:「野球をする」ということから学んだことは、なにかありますか?
宮沢:野球ってすごく不思議なスポーツで。もちろん、チームなので団体競技ではあるんですが、でも個人競技でもあると思っていて。結局、ピッチャーだったら最多勝だったり「何勝できるか」「三振をいくつ取れるか」といった、個人の成績が重視されていて。特にプロになったら、それで自分の契約が決まるし。どんなにチームが勝っていても、自分が結果を残せなかったらクビになってしまうわけだし。だから自分のコンディション作りや、調子を自分で維持するという、メンテナンスやコントロールが必要で。それはあくまで、自分のチームに貢献するためにすべてを捧げるということなんです。
宮沢によると、野球での経験は俳優業にも通じるところがあるという。
宮沢:役を演じるのは自分。自分のパフォーマンス次第でチーム、作品の勝ち負けではないですが、クオリティを左右する可能性がある。そういうところにおいては、いかに自分のレベルを上げていくか、自分のパフォーマンスをベストな状態に持っていくかという。それがみんなできたときにいちばんいいチームというか、お芝居だったらいい作品につながると思うので。野球があったからこそ、いまでもそこをベースにして強くいろいろなことを進めることができています。
宮沢:大学のときにバイト代や貯金していたお年玉で、ボロボロの中古車を買ったんです。それで友だちとふたりでアメリカを横断……するのはちょっと難しいから「縦に行こう」と。
松下:横には行かなかったんですね(笑)。
宮沢:横は時間的にもだし、当時、学生だったのでお金もなくて「縦で挑戦してみよう」とやってみて。だけど、それでもアメリカが広くて全然回れなくて。
松下:ちなみに、どこからスタートしたんですか?
宮沢:サンフランシスコから始まって、1回ちょっと内陸に入ってヨセミテとかレイクタホに行って、サクラメントのほうに行き。ちょっとまた戻りながらセドナやグランドキャニオンに行って、サンディエゴの手前へ。ロサンゼルスやサンタバーバラというエリアを回って、それだけでも1カ月かかりました。カリフォルニアとアリゾナ、ネバダの3州だけで1カ月。
松下:けっこう西エリア限定ですが、それでも1カ月。
宮沢:1日8時間くらい運転して。お金がないので車中泊したり、ヨセミテに関しては野宿したり。外にブルーシートを敷いて寝て(笑)。
松下:すごい。そういうときって、怖さとか危ないとかは感じないものですか?
宮沢:当時は若さがゆえなのか、大学生だからか、なんでも大丈夫でした。
当時の旅は、宮沢にとって大きな分岐点になったそう。
宮沢:ヨセミテ、グランドキャニオン、セドナのいわゆるナショナルパークに行ったときに、自然の力というか偉大さに圧倒されて。当時、芸能のお仕事をするのか、学生を続けるのか、自分のなかでのターニングポイントというか。履歴書も出していて、返事ももらっていて、あとは日本に帰るか帰らないかというタイミングでした。
松下:そういう時期に旅をされたんですね。
宮沢:そのときに自分のなかでいろいろ悩んだり、小さいことでも落ち込んだりしていたんです。だけどそのロードトリップで、自分の悩みなんてすごくちっぽけで、自然に比べたらなんてことないんだと思って。自分のやりたいことというか「いまいちばん大事にしているものを大切にしよう」と、それがきっかけで思えるようになりました。だから、お芝居をしてみたい、ドラマや作品の世界に入ってみたいという気持ちをそこであらためて(感じて)。そこに飛び込む勇気をもらったんじゃないかなと。
松下:その旅に出ていなかったら、分岐点がまた違った道になっていたかもしれないですね。
最後に、宮沢はかつて先輩からかけてもらったという言葉を紹介した。
宮沢:作品やお仕事をやっていると、基本的にアウトプットが多いじゃないですか。なにかを提供するとか、役を通してエネルギーを出すというお仕事だから「必ずなにかを入れていかないと、空っぽになってしまうよ」と先輩に言われて。「でも、なんでもいいんだよ。食べるでもいいし、誰かに会うでも、旅に出るでもいい」と。それをこの歳になってすごく感じます。
松下:デビューしたてのころって一生懸命だし、なにもなくても「出し切る」ということに専念しちゃうけど、気持ちもそうだし、自分が満たされたなかでお芝居をしてみたいとか思いますよね。心のタンクが空っぽになると、なかなかいいお芝居もできないかもしれない。
宮沢:だから空っぽになるちょっと前で、また補充してと。
松下:お忙しいでしょうから。素敵な旅が素敵なお芝居につながっているのかもしれないですね。
毎月ひとりのゲストを迎え、「人生の分岐点」について語り合うJ-WAVE『KENEDIX CROSSROADS』は毎週金曜24時30分からオンエア。宮沢は1月のゲストとして、16日、23日、30日も出演する。
16日は、宮沢がリスペクトしてやまない、とある大先輩について語る。出会いがもたらした大きな転機とは? オンエアから一週間はradikoタイムフリー機能も再生可能だ。
ふたりがトークを展開したのは、1月9日(金)放送のJ-WAVE『KENEDIX CROSSROADS』(ナビゲーター:松下奈緒)だ。毎月ひとりのゲストを迎え、成功の背景にある「決断」「迷い」「出会い」を掘り下げながら、「人生の分岐点」について語り合う30分。音楽とともに、ライフデザインのヒントを届けていく。
番組では、毎週月曜7時に再編成版ポッドキャストを配信中。宮沢が登場したオンエアの一回目のポッドキャストは以下で楽しめる。
・ポッドキャストページ
二回目のオンエアは以下のプレイヤーで再生可能。また、このページではトークの模様をテキストで紹介する。
少年野球から大学まで、18年間続けた野球
前週に引き続き宮沢に話を聞く『KENEDIX CROSSROADS』。アンケートをもとに分岐点にまつわるストーリーを尋ねていった。この日、宮沢の「クロスロード」を探るキーワードのひとつ目は「野球」。松下:ちょっと意外でした。身長も高くてスラっとされているから、バスケットボールやバレーボールとかをやってらっしゃるのかと思っていました。
宮沢:よく言われます。
松下:これは子どものときから?
宮沢:18年間野球をやっていて、少年野球から大学まで。
松下:甲子園を目指したのですか?
宮沢:インターナショナルスクールだったので高野連に入っていなくて、残念ながら出られなくて。
松下:野球愛は深い?
宮沢:野球愛はたぶん話し始めたら5時間くらいはひとりでしゃべれるくらい(笑)。小さいころから観ていたので、よく球場には行っていました。いまだに時間さえあれば球場に行きます。
松下:野球場の雰囲気が好きとか、そういうのもありますよね。
宮沢:雰囲気も大好きですね。高校生ぐらいまでは球場に行って、ずっと選手を観ていました。ご飯とかもあまり食べずに「どういうプレイをするんだろう」「どういうバッティングフォームなんだろう」「どういう守備位置なんだろう」という、すごくマニアックな研究をしていて。
松下:好きな選手はいらっしゃいますか?
宮沢:引退されていますが、金城龍彦さんという外野手がいたんです。スイッチヒッターといって、右でも打てるし、左でも打てる。足が速くて、大胆なプレイをする選手でした。子どもながらに躍動感にほれ込んで。
松下:選手を見て「あの選手みたいになりたい」と置き換えるんですか?
宮沢:置き換えます。当時は好きな選手のバッティングフォームをまねしたり、その選手が使っているグローブを買ってみたりとか、まねからまず入ります。
松下:今日は金城選手ふうに打ってみようとか。
宮沢:そうです。ほかに気になっている選手がいたら、別の日は「この選手のバッティングフォームで」とか、調子が悪くなってきたら変えてみようとか。
松下:それをマスターできているんですね!
宮沢:途中からものまねが上手になっちゃって「自分のバッティングフォームってなんだったっけ」と。
松下:まねから入るから上手になるんですよね。
宮沢:みんな、まねから入りましたね。僕の時代だったらイチロー選手や松井秀喜選手が全盛期だったので。
松下:スター選手に憧れてみんな始めるわけですね。じゃあ、本当に小学生ぐらいから?
宮沢:小学生から野球をして、毎日ドロドロになって。
松下:部活でずっと中学、高校も?
宮沢:少年野球は近所の学校のチームに入れてもらっていて。中学は硬式野球のクラブチームに入り、当時はプロ野球選手を目指してやっていました。
野球で挫折しかけたことも
幼少期から大好きだった野球だが、指導方法が原因で挫折しかけたこともあるという。宮沢:厳しさも許されていた時代でもあるので、ちょっと野球が嫌いになっちゃっていたんです。
松下:体育会系のあまりの厳しさに。
宮沢:ミスをするのが怖くなり、恐怖症みたいになってしまって。自分のところにボールが飛んできてほしくないし、バッターボックスも回ってきてほしくないという、全部ネガティブな方向に動いてしまって。
松下:野球を続けることは諦めてしまったんですか?
宮沢:嫌いになりかけていたので「好きじゃないものを目指せないかも」と思ったんです。一緒にプレイしている子たちもすごくうまいんです。少年野球までは僕がいちばんチームで上手でした。でも、クラブチームはいちばん上手な子たちが集結する集団なので、「自分のレベルは全然、中くらいだ」と思って。それで未来が見えなくなってしまって。
松下:それまでずっと野球を続けてこられたわけじゃないですか。モチベーションというか「これだけは続けたい」と、なにか思われたことがあったんですか?
宮沢:インターナショナルスクールの高校からなんです。それまではチームがないんですが、子どものころからチームの練習とかを見ていて「そのチームに入りたい」というのが、プロに入るひとつ手前の目標でした。そこまでは続けるというのは決めていたので、だからなんとか中学でもギリギリだったんですが、最後までやって。高校に入ったらもう、とにかくアメリカンな感じなので「野球を楽しく」という。「プレイボール、遊ぶボール」だから。
松下:日本の野球とはちょっと感覚が違うというか。
宮沢:違いましたね。苦しさをいかに感じないか、とか。その時点でみんな、ある意味プロを目指していない子たちなので「いい思い出作りをしようよ。そのなかで勝てればいいよね」というチームだったので。最後は野球をまた好きになれました。
松下:「野球をする」ということから学んだことは、なにかありますか?
宮沢:野球ってすごく不思議なスポーツで。もちろん、チームなので団体競技ではあるんですが、でも個人競技でもあると思っていて。結局、ピッチャーだったら最多勝だったり「何勝できるか」「三振をいくつ取れるか」といった、個人の成績が重視されていて。特にプロになったら、それで自分の契約が決まるし。どんなにチームが勝っていても、自分が結果を残せなかったらクビになってしまうわけだし。だから自分のコンディション作りや、調子を自分で維持するという、メンテナンスやコントロールが必要で。それはあくまで、自分のチームに貢献するためにすべてを捧げるということなんです。
宮沢によると、野球での経験は俳優業にも通じるところがあるという。
宮沢:役を演じるのは自分。自分のパフォーマンス次第でチーム、作品の勝ち負けではないですが、クオリティを左右する可能性がある。そういうところにおいては、いかに自分のレベルを上げていくか、自分のパフォーマンスをベストな状態に持っていくかという。それがみんなできたときにいちばんいいチームというか、お芝居だったらいい作品につながると思うので。野球があったからこそ、いまでもそこをベースにして強くいろいろなことを進めることができています。
分岐点となったアメリカ縦断
続いてのキーワードは「旅」。宮沢がアンケートに書いたのは「ロードトリップ」という言葉だった。宮沢:大学のときにバイト代や貯金していたお年玉で、ボロボロの中古車を買ったんです。それで友だちとふたりでアメリカを横断……するのはちょっと難しいから「縦に行こう」と。
松下:横には行かなかったんですね(笑)。
宮沢:横は時間的にもだし、当時、学生だったのでお金もなくて「縦で挑戦してみよう」とやってみて。だけど、それでもアメリカが広くて全然回れなくて。
松下:ちなみに、どこからスタートしたんですか?
宮沢:サンフランシスコから始まって、1回ちょっと内陸に入ってヨセミテとかレイクタホに行って、サクラメントのほうに行き。ちょっとまた戻りながらセドナやグランドキャニオンに行って、サンディエゴの手前へ。ロサンゼルスやサンタバーバラというエリアを回って、それだけでも1カ月かかりました。カリフォルニアとアリゾナ、ネバダの3州だけで1カ月。
松下:けっこう西エリア限定ですが、それでも1カ月。
宮沢:1日8時間くらい運転して。お金がないので車中泊したり、ヨセミテに関しては野宿したり。外にブルーシートを敷いて寝て(笑)。
松下:すごい。そういうときって、怖さとか危ないとかは感じないものですか?
宮沢:当時は若さがゆえなのか、大学生だからか、なんでも大丈夫でした。
当時の旅は、宮沢にとって大きな分岐点になったそう。
宮沢:ヨセミテ、グランドキャニオン、セドナのいわゆるナショナルパークに行ったときに、自然の力というか偉大さに圧倒されて。当時、芸能のお仕事をするのか、学生を続けるのか、自分のなかでのターニングポイントというか。履歴書も出していて、返事ももらっていて、あとは日本に帰るか帰らないかというタイミングでした。
松下:そういう時期に旅をされたんですね。
宮沢:そのときに自分のなかでいろいろ悩んだり、小さいことでも落ち込んだりしていたんです。だけどそのロードトリップで、自分の悩みなんてすごくちっぽけで、自然に比べたらなんてことないんだと思って。自分のやりたいことというか「いまいちばん大事にしているものを大切にしよう」と、それがきっかけで思えるようになりました。だから、お芝居をしてみたい、ドラマや作品の世界に入ってみたいという気持ちをそこであらためて(感じて)。そこに飛び込む勇気をもらったんじゃないかなと。
松下:その旅に出ていなかったら、分岐点がまた違った道になっていたかもしれないですね。
最後に、宮沢はかつて先輩からかけてもらったという言葉を紹介した。
宮沢:作品やお仕事をやっていると、基本的にアウトプットが多いじゃないですか。なにかを提供するとか、役を通してエネルギーを出すというお仕事だから「必ずなにかを入れていかないと、空っぽになってしまうよ」と先輩に言われて。「でも、なんでもいいんだよ。食べるでもいいし、誰かに会うでも、旅に出るでもいい」と。それをこの歳になってすごく感じます。
松下:デビューしたてのころって一生懸命だし、なにもなくても「出し切る」ということに専念しちゃうけど、気持ちもそうだし、自分が満たされたなかでお芝居をしてみたいとか思いますよね。心のタンクが空っぽになると、なかなかいいお芝居もできないかもしれない。
宮沢:だから空っぽになるちょっと前で、また補充してと。
松下:お忙しいでしょうから。素敵な旅が素敵なお芝居につながっているのかもしれないですね。
毎月ひとりのゲストを迎え、「人生の分岐点」について語り合うJ-WAVE『KENEDIX CROSSROADS』は毎週金曜24時30分からオンエア。宮沢は1月のゲストとして、16日、23日、30日も出演する。
16日は、宮沢がリスペクトしてやまない、とある大先輩について語る。出会いがもたらした大きな転機とは? オンエアから一週間はradikoタイムフリー機能も再生可能だ。
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2026年1月16日28時59分まで
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