20世紀を代表する家具デザイナー、ハンス・ウェグナーの傑作が一堂に会する展覧会が、東京・ヒカリエホール(渋谷ヒカリエ9F)で2026年1月18日(日)まで開催中だ。
「織田コレクション ハンス・ウェグナー展 至高のクラフツマンシップ」と題されたこの展覧会に、音楽プロデューサー・亀田誠治が足を運んだ。音楽と椅子──遠い存在に思えるが、亀田は、「ウェグナーの作品と僕が作りたい音楽は、“同じ種”を持っている」と話す。今回は展覧会を巡りながら、時代を超えて愛される“スタンダード”の正体を探った。
亀田は北海道東川町と深い縁を持っている。彼が代表を務める有限会社誠屋と東川町は、2022年からオフィシャルパートナーシップ協定を結んでいるのだ。亀田自身も東川町で講演会やフィールドワークショップなどを開催。自治体と一緒に「共創」の試みを行っている。職人やクリエイターとコミュニケーションを取り、その技術やクラフツマンシップに刺激を受けているそうだ。
そんな亀田は、この展覧会に何を感じるのか。学芸員と対話を重ねながら鑑賞した展示室での様子と、その後のインタビューから紐解いていく。
まず亀田の目に飛び込んできたのは、ハンス・ウェグナーの代表作〈ザ・チェア〉(1949年)。1960年の米大統領選、ジョン・F・ケネディがテレビ討論会で使用したことで一躍有名となった一脚だ。
その佇まいに機能美を見出した亀田は、「座面、硬めじゃないですか? 僕も柔らかすぎるのはダメなんですよ。一発で『俺を黙らせるには柔らかい椅子に座らせろ』ってなっちゃう(笑)」と笑顔を見せた。実際、この椅子は腰痛持ちだったケネディが「長時間座っていても大丈夫だ」と太鼓判を押したことで、アメリカ市場にウェグナーの名が一気に知れ渡ったというストーリーを持っている。
ウェグナーは92年の生涯で500脚以上の椅子を生み出した。そのどれもが無駄な要素を削ぎ落とした、現在でも通用するデザインだ。多作で知られるウェグナーだが、質の高さは一級品。コンスタントにいい作品を生み出す彼のクラフツマンシップに亀田は、「僕も音楽でこういうことをやりたい」と共鳴していた。
最初の部屋は、1930年代後半〜1940年代中頃までに制作されたウェグナー駆け出し時代の椅子の数々と、彼の生涯を辿る年表が展示されている。1938年にデザイナーとして活動をスタートさせたウェグナーはその2年後、デンマーク第二の都市であるオーフスの市庁舎の建築プロジェクトに参加した。設計を担当したのは、デンマークを代表するふたりの建築家だ。ひとりが、アルネ・ヤコブセン。学芸員の解説に、亀田はこんな反応をする。
「僕、アルネ・ヤコブセンがデザインした時計をお仕事でお世話になった方や、大切な人へ必ず今でもプレゼントとして贈るんです。手ごろな価格だし、デザインもかわいいので」
アルネ・ヤコブセンとの縁も判明したところで、続いては年表へ。1950年代〜1960年代は、デンマーク家具の黄金期だった。ウェグナーはまだ30代だったが、代表作〈ザ・チェア〉(1949年)、〈Yチェア〉(1950年)など、すでに一時代を築くきっかけをもたらす作品を発表している。
そして亀田は、ケネディとバラク・オバマの写真が使われたポスターの前で足を止めた。これは〈ザ・チェア〉を製造する家具メーカー「PPモブラー」の広告である。亀田は写真に目を移すと、「いいですね。民主党の歴史にもウェグナーの椅子が寄り添っている。僕、こういうリスペクトで繋がっていくストーリーが大好きです」と笑顔を見せた。
次に亀田が目を奪われたのは、家具職人である濱田由一氏が手掛けた精巧な5分の1スケールモデルの小さな模型。デンマーク家具を制作する際、コストや制作時間などを割り出すために、まずは5分の1スケールを一度作ることが工程に組み込まれているという。その精巧な作りに亀田も「すごい!」と感嘆の声を漏らした。
職人としての技術だけでなく、こうした生産背景までもがデザインに反映されているのがウェグナー作品の特徴だ。そこには、彼自身が家具職人としてキャリアをスタートさせたことが大きく影響している。木を知り尽くしているからこそ、職人の実際の作りやすさまでが配慮されているのだ。その思いは現代の作り手にも届いており、PPモブラーの職人は「自分たちは合理的なものを作っている。『なぜこれを作らなければならないのか』という迷いはなく、純粋にいいものを作っているという誇りがある」と語るほどだ。作り手も使い手も幸せになるものづくり。それこそが、ウェグナーの椅子が愛され続ける理由なのだろう。
そのエピソードを聞いた亀田は、作り手としての共感を込めてこう語った。「太っ腹というか。でも、ウェグナーさんからしてみると、作った先を見据えていたと思うんですよね。だからこそ、研究家である織田さんに託したんだと思う。あまり偉そうなことは言えないけど、僕もそうするかもしれない。自分が作った音楽を未来に残すこともそうだし、自分自身はさらに先にいきたいという気持ちがあるので」
同フロアにて〈バレット・チェア〉(1953年)を見つけた亀田は、「僕、これ知っています。ハンガーのようになるんですよね」と、そのユニークな仕掛けにも反応していた。
最後の展示室には、1940年代から1990年代までの作品135脚がずらりと並ぶ。その圧巻の光景に亀田は、「これが全部、織田コレクション!? どこに保管していたんですか?!」と目を丸くした。
学芸員によれば、これらは織田氏が「コツコツと集めた」ものだという。ウェグナー作品だけで約180脚、総数1400脚以上を保有する織田氏の「自身が楽しむだけでなく、未来の人に残すため」という信念に、亀田は深く頷いていた。
展覧会の最後には、実際にウェグナーの椅子に座って体験できるスペースも設けられている。
ゆったりとした〈フラッグハリヤードチェア〉(1950年)に深く身を預けた亀田は、その心地よさに思わず脱力する。「ああ、これはもうダメですね。これから仕事もあるのに、動けない(笑)」と、リラックスした笑顔を見せた。
そもそもなぜ、東京で活動する彼が北海道の自治体と手を取り合うことになったのか。その起点は、自身が実行委員長を務める「日比谷音楽祭」にあった。
文化に対して開かれた町づくりや、「適疎(てきそ=適度な過疎)」という独自の豊かさを掲げる東川町の姿。それが、亀田の目指す「音楽で人々の心を癒やす」という思想と深く共鳴したのだという。物理的な距離を超え、理念で繋がった両者。亀田は実際に現地へ通う中で、職人たちの姿に何を見たのか。
──実際に現地の職人やクリエイターとコミュニケーションを取る中で、感じることはありますか?
亀田:すごくありますね。まず、彼らは「東川家具」と言いながら旭川の家具も受け入れるなど、とにかくボーダーレスなんです。 そして、北海道の大自然や大雪山の湧水がある環境の中で、都会の喧騒の中では作れない唯一無二のものを作っている。人々がシンプルに幸せに生きていくために何が必要かを常に考え、「生きるための手段」としての確かな技術を持っているんです。 ただ便利なだけでなく、機能的で美しい。工房で職人たちがアイデアを出し合って制作する姿を見ると、僕たちが普段音楽を作っていることと非常に似ているなと感じます。
──なるほど。
亀田:ただ、唯一違うなと思う点もあって。僕らの音楽制作は、コンピューターを使ったり、時代とのいろんな関わりの中で進んでいくので、動かしているエンジンがたくさんある状態なんです。 対してクラフツマンシップの人たちは、もっとシンプルな場所で「人々の生活に役立つこと」に向き合い、一つひとつの製品に魂を宿している。 その姿を目の当たりにすると、僕ら音楽家ももっとシンプルに、「必要だから作る、聴かれたいから作る、作りたいから作る」。そういう純粋なクリエイティビティに立ち返らなきゃいけないなと、気づかされますね。
──亀田さんは、東川町で音楽を介したフィールドワークショップも行われていますよね。
亀田:昨年は町民のみなさんと一緒に、「東川の音を音楽にしよう」という企画をやらせていただきました。雪を踏む音、風鈴の音、風の音、子どもたちの声……そうした生活音をみんなでスマホで録音して、僕がそこにメロディーをつけて一つの音楽にするんです。40年間プロとしてやってきましたが、こんな経験は初めてでした。「コミュニティミュージック」と呼んでいるんですが、これこそ先ほどのクラフツマンシップに通ずるものだと思いました。
東京ドームを完売させるアーティストも、その地域に根付いたピアノの先生が奏でる音も、等しく音楽なんです。どっちが優れているとか、上だとか下だとか、そんなボーダーは関係ない。「人々の生活を豊かにしている」という点においては、寸分の違いもない。今回のワークショップを通して、そのことを確信しました。
東京で音楽を作っている僕が、こうした原点のような体験をすることはすごく重要だし、貴重な時間でした。豊かな心が感動を生み、感受性を磨き、想像力を広げていく。東川町とのパートナーシップを通して、まさにそれを体感させてもらっています。
──そうした縁から繋がった今回の「織田コレクション」。改めて、ハンス・ウェグナーの作品にどのようなイメージをお持ちですか?
亀田:「50年前も50年先も愛され、使い続けられていくもの」ですね。僕が作りたい音楽と“同じ種”を持っているなと感じます。 使い込めば風合いは古くなっていくけれど、そこに込められた職人の思いは変わらない。家族が語らう、楽器を演奏する、本を読む。そういった「豊かな時間」を受け継いでいくための、普遍的なデザインなんだなと。
その普遍性があるからこそ、世界中に彼のデザインに影響を受けた椅子が生まれているわけですよね。中には「模倣だ」と言われるものもあるかもしれないけれど、それほどまでにウェグナーさんのデザインが「スタンダード」として世界に浸透しているというのは、ある意味ですごいことだし、素敵なことだと思うんです。
──音楽における「スタンダード」にも通じますね。
亀田:まさに。僕もウェグナーさんの作品のように、10年後、50年後に「平成のあの曲よかったね」「令和のあの曲よかったね」と言われるような普遍性を持ちたいんです。 ウェグナーさんは「私は芸術のために作っているのではなく、ただいい椅子を作りたい」という言葉を残していますが、これは全く僕と同じ考えです。「椅子」を「音楽」に入れ替えるだけで、そのまま僕の言葉としても成立する。
僕は日本という国で音楽を作っているけれど、その姿勢は何も間違ってなかったんだな、と。今日、ウェグナーさんの仕事に触れて、刺激を受けたというより、「大丈夫だよ」と背中を押され、励まされているような感じがしました。
──そのポジティブなパワーは、これからの制作にも活きそうですね。
亀田:実はこのあとレコーディングに向かうんですけど、今日めちゃくちゃいい音楽が生まれたりしたら、この椅子のおかげかもしれない(笑)。それくらい、ここにある椅子たちからポジティブな波動を感じ取ることができました。 デザインというのは、人の人生を豊かにすると同時に、優しいイノベーションを起こしていくものなんだなと。時代が変わっても、人々の「心地よさ」や「心の平和(ピース・オブ・マインド)」に貢献し続けていることを、改めて体感しました。
受け取り手次第ではありますが、僕はウェグナーさんの波動にビンビンと自分が導かれている感覚があったんです。
──最後に、この膨大なコレクションを残し、伝えていくことの意味をどう感じましたか?
亀田:織田先生がコレクションしたものを単に保存するだけでなく、デザインミュージアムを作って公開したいと発信していることは、すごく尊いと思います。目先のモノの話ではなく、文化や、これから先の地球、そして未来を生きる人たちの心に「すごく大事なもの」を届けてくれる。そんな展覧会だと感じました。
「織田コレクション ハンス・ウェグナー展 至高のクラフツマンシップ」の情報は公式サイトまで。
・公式サイト
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/25_wegner/
(取材・文=笹谷淳介、撮影=竹内洋平)
「織田コレクション ハンス・ウェグナー展 至高のクラフツマンシップ」と題されたこの展覧会に、音楽プロデューサー・亀田誠治が足を運んだ。音楽と椅子──遠い存在に思えるが、亀田は、「ウェグナーの作品と僕が作りたい音楽は、“同じ種”を持っている」と話す。今回は展覧会を巡りながら、時代を超えて愛される“スタンダード”の正体を探った。
「僕も音楽でこういうことをやりたい」
本展覧会は、世界的な椅子研究家であり北欧を中心とした近代家具のコレクターでもある織田憲嗣氏のコレクションを有する北海道東川町の協力を得て、椅子約160点、その他家具などを一堂に集めた、国内でかつてない規模のウェグナー大回顧展だ。亀田は北海道東川町と深い縁を持っている。彼が代表を務める有限会社誠屋と東川町は、2022年からオフィシャルパートナーシップ協定を結んでいるのだ。亀田自身も東川町で講演会やフィールドワークショップなどを開催。自治体と一緒に「共創」の試みを行っている。職人やクリエイターとコミュニケーションを取り、その技術やクラフツマンシップに刺激を受けているそうだ。
そんな亀田は、この展覧会に何を感じるのか。学芸員と対話を重ねながら鑑賞した展示室での様子と、その後のインタビューから紐解いていく。
まず亀田の目に飛び込んできたのは、ハンス・ウェグナーの代表作〈ザ・チェア〉(1949年)。1960年の米大統領選、ジョン・F・ケネディがテレビ討論会で使用したことで一躍有名となった一脚だ。


<解説は、本展覧会の担当者であるBunkamuraザ・ミュージアム 学芸員の吉川貴子さんが務めた>
30代で切り拓いた、デンマーク家具の黄金期

「僕、アルネ・ヤコブセンがデザインした時計をお仕事でお世話になった方や、大切な人へ必ず今でもプレゼントとして贈るんです。手ごろな価格だし、デザインもかわいいので」
アルネ・ヤコブセンとの縁も判明したところで、続いては年表へ。1950年代〜1960年代は、デンマーク家具の黄金期だった。ウェグナーはまだ30代だったが、代表作〈ザ・チェア〉(1949年)、〈Yチェア〉(1950年)など、すでに一時代を築くきっかけをもたらす作品を発表している。


《ザ・チェア PPモブラー社ポスター》織田コレクション

作り手も使い手も幸せになるものづくり
次の部屋には、解体された椅子のパーツが展示されていた。樹齢200年の木を用いた〈ザ・チェア〉も含まれる。制作を手掛けるPPモブラーは、デンマーク国内での生産にこだわり続ける数少ない工房のひとつだ。特筆すべきは、その高い森林保護意識だろう。木をむやみに伐採せず、自然に倒れるのを待ってから椅子として蘇らせる。「木本来のスケジュール」を見ながら受注生産を行うという、サステナビリティを追求したものづくり。その哲学に触れた亀田は、「コストを優先して他国で部品を作ったりしない、その姿勢が大事なんだな」と深く共感していた。

亀田が共感した「未来の人に残す」姿勢
展示も終盤に差し掛かり、次の部屋へ進むと、そこにはウェグナーを象徴する25脚の椅子が並んでいた。〈サークルチェア〉(1986年)をはじめとする多くの名作と共に、ウェグナーが描いた図面の複製も壁面に展示されている。これらは、椅子研究家の織田憲嗣氏が生前のウェグナーから直接譲り受けたものだそう。
<奥に見えるのが図面。ふたりが鑑賞しているのは、晩年の傑作である〈サークルチェア〉だ>



展覧会の最後には、実際にウェグナーの椅子に座って体験できるスペースも設けられている。

<先ほど鑑賞した〈サークルチェア〉に座る亀田>

50年後の「スタンダード」を生み出すために
展示を一巡したあと、改めて亀田に話を聞いた。ウェグナーの仕事に何を感じ、自身の音楽制作とどう重なるのか──その思いを深掘りしていく。そもそもなぜ、東京で活動する彼が北海道の自治体と手を取り合うことになったのか。その起点は、自身が実行委員長を務める「日比谷音楽祭」にあった。
文化に対して開かれた町づくりや、「適疎(てきそ=適度な過疎)」という独自の豊かさを掲げる東川町の姿。それが、亀田の目指す「音楽で人々の心を癒やす」という思想と深く共鳴したのだという。物理的な距離を超え、理念で繋がった両者。亀田は実際に現地へ通う中で、職人たちの姿に何を見たのか。
──実際に現地の職人やクリエイターとコミュニケーションを取る中で、感じることはありますか?
亀田:すごくありますね。まず、彼らは「東川家具」と言いながら旭川の家具も受け入れるなど、とにかくボーダーレスなんです。 そして、北海道の大自然や大雪山の湧水がある環境の中で、都会の喧騒の中では作れない唯一無二のものを作っている。人々がシンプルに幸せに生きていくために何が必要かを常に考え、「生きるための手段」としての確かな技術を持っているんです。 ただ便利なだけでなく、機能的で美しい。工房で職人たちがアイデアを出し合って制作する姿を見ると、僕たちが普段音楽を作っていることと非常に似ているなと感じます。
──なるほど。
亀田:ただ、唯一違うなと思う点もあって。僕らの音楽制作は、コンピューターを使ったり、時代とのいろんな関わりの中で進んでいくので、動かしているエンジンがたくさんある状態なんです。 対してクラフツマンシップの人たちは、もっとシンプルな場所で「人々の生活に役立つこと」に向き合い、一つひとつの製品に魂を宿している。 その姿を目の当たりにすると、僕ら音楽家ももっとシンプルに、「必要だから作る、聴かれたいから作る、作りたいから作る」。そういう純粋なクリエイティビティに立ち返らなきゃいけないなと、気づかされますね。

亀田:昨年は町民のみなさんと一緒に、「東川の音を音楽にしよう」という企画をやらせていただきました。雪を踏む音、風鈴の音、風の音、子どもたちの声……そうした生活音をみんなでスマホで録音して、僕がそこにメロディーをつけて一つの音楽にするんです。40年間プロとしてやってきましたが、こんな経験は初めてでした。「コミュニティミュージック」と呼んでいるんですが、これこそ先ほどのクラフツマンシップに通ずるものだと思いました。
東京ドームを完売させるアーティストも、その地域に根付いたピアノの先生が奏でる音も、等しく音楽なんです。どっちが優れているとか、上だとか下だとか、そんなボーダーは関係ない。「人々の生活を豊かにしている」という点においては、寸分の違いもない。今回のワークショップを通して、そのことを確信しました。
東京で音楽を作っている僕が、こうした原点のような体験をすることはすごく重要だし、貴重な時間でした。豊かな心が感動を生み、感受性を磨き、想像力を広げていく。東川町とのパートナーシップを通して、まさにそれを体感させてもらっています。
──そうした縁から繋がった今回の「織田コレクション」。改めて、ハンス・ウェグナーの作品にどのようなイメージをお持ちですか?
亀田:「50年前も50年先も愛され、使い続けられていくもの」ですね。僕が作りたい音楽と“同じ種”を持っているなと感じます。 使い込めば風合いは古くなっていくけれど、そこに込められた職人の思いは変わらない。家族が語らう、楽器を演奏する、本を読む。そういった「豊かな時間」を受け継いでいくための、普遍的なデザインなんだなと。
その普遍性があるからこそ、世界中に彼のデザインに影響を受けた椅子が生まれているわけですよね。中には「模倣だ」と言われるものもあるかもしれないけれど、それほどまでにウェグナーさんのデザインが「スタンダード」として世界に浸透しているというのは、ある意味ですごいことだし、素敵なことだと思うんです。
──音楽における「スタンダード」にも通じますね。
亀田:まさに。僕もウェグナーさんの作品のように、10年後、50年後に「平成のあの曲よかったね」「令和のあの曲よかったね」と言われるような普遍性を持ちたいんです。 ウェグナーさんは「私は芸術のために作っているのではなく、ただいい椅子を作りたい」という言葉を残していますが、これは全く僕と同じ考えです。「椅子」を「音楽」に入れ替えるだけで、そのまま僕の言葉としても成立する。
僕は日本という国で音楽を作っているけれど、その姿勢は何も間違ってなかったんだな、と。今日、ウェグナーさんの仕事に触れて、刺激を受けたというより、「大丈夫だよ」と背中を押され、励まされているような感じがしました。

亀田:実はこのあとレコーディングに向かうんですけど、今日めちゃくちゃいい音楽が生まれたりしたら、この椅子のおかげかもしれない(笑)。それくらい、ここにある椅子たちからポジティブな波動を感じ取ることができました。 デザインというのは、人の人生を豊かにすると同時に、優しいイノベーションを起こしていくものなんだなと。時代が変わっても、人々の「心地よさ」や「心の平和(ピース・オブ・マインド)」に貢献し続けていることを、改めて体感しました。
受け取り手次第ではありますが、僕はウェグナーさんの波動にビンビンと自分が導かれている感覚があったんです。
──最後に、この膨大なコレクションを残し、伝えていくことの意味をどう感じましたか?
亀田:織田先生がコレクションしたものを単に保存するだけでなく、デザインミュージアムを作って公開したいと発信していることは、すごく尊いと思います。目先のモノの話ではなく、文化や、これから先の地球、そして未来を生きる人たちの心に「すごく大事なもの」を届けてくれる。そんな展覧会だと感じました。

本展宣伝ビジュアル
・公式サイト
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/25_wegner/
(取材・文=笹谷淳介、撮影=竹内洋平)
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