この秋、J-WAVE平日夜のニュース情報番組『JAM THE PLANET』(月曜~木曜)が大きく変わる。放送時間が19:00-21:45から19:00-20:45に変更となり、これまで全曜日の20時台-21時台でナビゲーターを務めていたグローバーが卒業。それに伴い、吉田まゆと石田健に新しく2名を加えた計4名のナビゲーター陣が各曜日の顔として、独自の視点から国内外の最新ニュースを届ける。
新たなナビゲーターの一人が木曜日を担当する、元NHKの武田真一アナウンサーだ。2023年3月で33年間務めたNHKを退局し、現在、生活情報番組『DayDay.』(日本テレビ系)のMCを務める武田アナ。今回インタビューを通じて、「ニュースを伝えること」への強いこだわりや、意外なFMラジオ愛、さらには、58歳にして意欲的に仕事へ取り組む理由など、柔和な笑顔の裏に隠された放送人としての矜持や情熱が明らかになった。
武田:率直にうれしいです。というのも、僕にとってJ-WAVEさんをはじめとしたFMラジオは青春の一部なんですよ。高校生の頃、出身地の熊本ではFMラジオといえばNHK-FMくらいしか入りませんでしたが、それでもFMラジオには特別な思い入れがありました。特に熱心に聴いていたのは、NHK-FMの番組「サウンドストリート」。甲斐よしひろさんや佐野元春さん、坂本龍一さん、渋谷陽一さんなど、様々な日替わりDJが届けてくれるお話や紹介してくれる音楽は、地方の町で生まれ育った僕にとっては新鮮で、まるでラジオが世界に向けて開かれた窓のように感じられたものです。その後、1986年に筑波大学入学を機に上京し、大学3年生だった1988年にJ-WAVEさんが開局しました。「なんてかっこいいラジオ局なんだ!」と衝撃を受け、夢中になって聴いたことを覚えています。今回、そんなJ-WAVEさんからの思いがけないお申し出だったので、一も二もなく「ぜひやらせていください」とお返事させていただきました。
――武田さんは現在、日本テレビ系の生活情報番組『DayDay.』に週5日出演されています。その中で、毎週ラジオのナビゲーターを務めるのは大変かと思うのですが。
武田:たしかに大変かもしれませんね。『DayDay.』は、エンタメを含む生活に身近な情報をお届けする番組です。これまでにやったことのないジャンルの番組であり、自分の中では大きなチャレンジとしてやりがいも感じているのですが、やはり僕はずっと報道で育ってきたので、どこかで「ニュースをやりたい」「ニュースと縁を切りたくない」という思いがありました。ニュースは放送人としての原点であり、現場ではあらゆること学ばせてもらいました。いわば「家」のようなものなんですよ。
――ニュースが家、ですか。
武田:はい。ニュースの現場はさながら戦場です。みんな終始バタバタしていて、サイレンやチャイムの音がひっきりなしに鳴り響き、大変な緊張感に包まれています。それに何より、僕らが伝える情報によって視聴者の皆さんの命や暮らしが左右される。そう考えるとプレッシャーは大きかったのですが、その分、確かなやりがいもあって。NHKに勤めた33年間の大半を過ごし、「放送は何のためにあるのか」を教えてくれた家のような場所なんです。そんな家に帰ってくると、ちょっとドキドキしますが、そこで仕事をするということは、自分に与えられた使命なのかな、という気もしているんです。
武田:僕はJ-WAVEさんの「ジェジェジェジェイウェーブ!」というジングルが大好きで。大学時代、軽自動車に乗っていたのですが、つくばから都内に出てくるときには首都高速を走るわけです。カーオーディオの周波数を81.3MHzに合わせれば、当時流行していたボビー・ブラウンやジョディ・ワトリーなどの楽曲とともに「ジェジェジェジェイウェーブ!」と聴こえてくる……。そんな青春の思い出が蘇り、ゲスト出演時にはすごくテンションが上がり、自分の口で「ジェジェジェジェイウェーブ!」と言ってしまいました(笑)。
――武田さんは長らくテレビを主戦場としてきたわけですが、テレビでニュースを伝えることとラジオでニュースを伝えることにはどのような違いがあるとお考えですか?
武田:本質的には同じですが、聴いてくださっている方々のシチュエーションはおそらく違うと思います。テレビは、自宅のリビングルームで家族と一緒にご覧になる方が多いことでしょう。一方のラジオは、運転中や勉強時など、一人で聴いている方が多いのではないかと推察します。そういったリスナーさんたちと1対1で対話をするかのように伝えていくことがラジオの醍醐味ではないかと思います。
――ちなみに、NHK時代はラジオ番組には出演されていたのでしょうか?
武田:NHKでは「ラジオ深夜便」を何度か担当していました。夜11時から朝5時までのおよそ6時間、生放送でお送りするのですが、最後のほうは意識が朦朧としてくるんですよ(笑)。それでも真夜中にロックンロールをかけたりと、楽しかった思い出ばかりが残っています。また、眠れない長い夜にラジオを傍らに置き、僕の声を聴きながら過ごしてくださっている方がいると考えて、なんだか胸が熱くなった記憶があります。なので『JAM THE PLANET』も、そんなふうにリスナーの皆様と1対1で絆を作る時間にしていけたらと思っています。
――では、今後『JAM THE PLANET』でやってみたいことを教えてください。
武田:僕はアナウンサーとしてのキャリアを通じて長らく災害報道に注力してきたので、被災地支援に関連した情報をお伝えしていきたいです。また、被災された方だけでなく、仕事がない方、将来に希望を見いだせない方、生きづらさを感じている方など社会に取り残されたと感じている方々の心に寄り添うような情報やトピックを紹介していけたらとも考えています。
武田:入社2年目で初めて台風中継のリポーターを務めたことがきっかけでした。当時、初任地の熊本に勤務していた僕は、1991年9月に発生し、青森県で収穫間際のりんごをことごとく落下させたことから「りんご台風」の別名で知られる台風第19号の上陸に伴い、朝から天草市に向かいました。現場では強烈な風が1日中吹きすさび、中継車から出られなかったことを覚えています。このときにはじめて自分の声と言葉で人の命を救えるかもしれないと手ごたえを感じました。それから約4年後の1995年1月、愛媛県松山市で勤務していたときに経験したのが阪神淡路大震災です。淡路島を訪れ、壊滅状態になった街や、ご遺体が収められた棺がずらりと並んでいる様子を目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。そのときにこの仕事を一生の仕事にしていこうと決めたのです。
武田:僕は2年半前、55歳のときにフリーへ転身しました。もちろん、NHKは優秀な職員を多く擁する素晴らしい組織であり、そんな環境で長年番組作りに関われたことはとても幸せでした。しかし一方で、いろいろな世界を見てみたいという気持ちも50代にして湧いてきたのです。これだけたくさんテレビ局・ラジオ局がある中で、僕はNHK一つ、それも報道畑しか知らない。それで果たして本当に放送人と言えるのか?という思いから33年間勤務したNHKを退局しました。その結果、『DayDay.』のMCを務めさせていただき、今回『JAM THE PLANET』のナビゲーターに抜擢していただきました。さらには、昨年10月には日本テレビ系ドラマ『放課後カルテ』で、初めて演技のお仕事もさせていただいたりもして。そういった意味で、僕は今すごく人生を楽しんでいます。今50代後半になり、これから60代、70代を迎える中でも人生、日々楽しく生きることができるということを皆さんにお伝えしたいんですよね。それが仕事に取り組むモチベーションの一つになっています。
――最後にメッセージをお願いします。
武田:『JAM THE PLANET』のコンセプトは、身近なところから日本国内、世界、そして最後は宇宙からの視点で僕らの社会を見るというものです。ラジオは小さい箱のように見えるかもしれませんが、実は大きな世界に繋がってる素敵な窓です。学生時代の僕にとって、J-WAVEさんをはじめとしたFMラジオは、まさに世界の音楽やカルチャーなど知らないことを教えてくれる窓でした。そんな番組にしていけたらと思いますので、ぜひ僕と一緒に、ラジオから大きな世界を見ていきましょう。
初回のオンエアは10月2日(木)。オンエアは放送開始から1週間、radikoのタイムフリー機能で楽しめる。
(取材・文=小島浩平、撮影=竹内洋平)
新たなナビゲーターの一人が木曜日を担当する、元NHKの武田真一アナウンサーだ。2023年3月で33年間務めたNHKを退局し、現在、生活情報番組『DayDay.』(日本テレビ系)のMCを務める武田アナ。今回インタビューを通じて、「ニュースを伝えること」への強いこだわりや、意外なFMラジオ愛、さらには、58歳にして意欲的に仕事へ取り組む理由など、柔和な笑顔の裏に隠された放送人としての矜持や情熱が明らかになった。
放送人として、ニュースは「家」のようなもの
――まずは、この秋から『JAM THE PLANET』の新ナビゲーターに就任することになった今の心境から聞かせてください。武田:率直にうれしいです。というのも、僕にとってJ-WAVEさんをはじめとしたFMラジオは青春の一部なんですよ。高校生の頃、出身地の熊本ではFMラジオといえばNHK-FMくらいしか入りませんでしたが、それでもFMラジオには特別な思い入れがありました。特に熱心に聴いていたのは、NHK-FMの番組「サウンドストリート」。甲斐よしひろさんや佐野元春さん、坂本龍一さん、渋谷陽一さんなど、様々な日替わりDJが届けてくれるお話や紹介してくれる音楽は、地方の町で生まれ育った僕にとっては新鮮で、まるでラジオが世界に向けて開かれた窓のように感じられたものです。その後、1986年に筑波大学入学を機に上京し、大学3年生だった1988年にJ-WAVEさんが開局しました。「なんてかっこいいラジオ局なんだ!」と衝撃を受け、夢中になって聴いたことを覚えています。今回、そんなJ-WAVEさんからの思いがけないお申し出だったので、一も二もなく「ぜひやらせていください」とお返事させていただきました。
――武田さんは現在、日本テレビ系の生活情報番組『DayDay.』に週5日出演されています。その中で、毎週ラジオのナビゲーターを務めるのは大変かと思うのですが。
武田:たしかに大変かもしれませんね。『DayDay.』は、エンタメを含む生活に身近な情報をお届けする番組です。これまでにやったことのないジャンルの番組であり、自分の中では大きなチャレンジとしてやりがいも感じているのですが、やはり僕はずっと報道で育ってきたので、どこかで「ニュースをやりたい」「ニュースと縁を切りたくない」という思いがありました。ニュースは放送人としての原点であり、現場ではあらゆること学ばせてもらいました。いわば「家」のようなものなんですよ。
――ニュースが家、ですか。
武田:はい。ニュースの現場はさながら戦場です。みんな終始バタバタしていて、サイレンやチャイムの音がひっきりなしに鳴り響き、大変な緊張感に包まれています。それに何より、僕らが伝える情報によって視聴者の皆さんの命や暮らしが左右される。そう考えるとプレッシャーは大きかったのですが、その分、確かなやりがいもあって。NHKに勤めた33年間の大半を過ごし、「放送は何のためにあるのか」を教えてくれた家のような場所なんです。そんな家に帰ってくると、ちょっとドキドキしますが、そこで仕事をするということは、自分に与えられた使命なのかな、という気もしているんです。
ニュースを伝えることは、テレビとラジオでどう違う?
――2024年10月には『JAM THE PLANET』にゲスト出演されていますが、そのときの印象はいかがでしたか?武田:僕はJ-WAVEさんの「ジェジェジェジェイウェーブ!」というジングルが大好きで。大学時代、軽自動車に乗っていたのですが、つくばから都内に出てくるときには首都高速を走るわけです。カーオーディオの周波数を81.3MHzに合わせれば、当時流行していたボビー・ブラウンやジョディ・ワトリーなどの楽曲とともに「ジェジェジェジェイウェーブ!」と聴こえてくる……。そんな青春の思い出が蘇り、ゲスト出演時にはすごくテンションが上がり、自分の口で「ジェジェジェジェイウェーブ!」と言ってしまいました(笑)。
――武田さんは長らくテレビを主戦場としてきたわけですが、テレビでニュースを伝えることとラジオでニュースを伝えることにはどのような違いがあるとお考えですか?
武田:本質的には同じですが、聴いてくださっている方々のシチュエーションはおそらく違うと思います。テレビは、自宅のリビングルームで家族と一緒にご覧になる方が多いことでしょう。一方のラジオは、運転中や勉強時など、一人で聴いている方が多いのではないかと推察します。そういったリスナーさんたちと1対1で対話をするかのように伝えていくことがラジオの醍醐味ではないかと思います。
――ちなみに、NHK時代はラジオ番組には出演されていたのでしょうか?
武田:NHKでは「ラジオ深夜便」を何度か担当していました。夜11時から朝5時までのおよそ6時間、生放送でお送りするのですが、最後のほうは意識が朦朧としてくるんですよ(笑)。それでも真夜中にロックンロールをかけたりと、楽しかった思い出ばかりが残っています。また、眠れない長い夜にラジオを傍らに置き、僕の声を聴きながら過ごしてくださっている方がいると考えて、なんだか胸が熱くなった記憶があります。なので『JAM THE PLANET』も、そんなふうにリスナーの皆様と1対1で絆を作る時間にしていけたらと思っています。
――では、今後『JAM THE PLANET』でやってみたいことを教えてください。
武田:僕はアナウンサーとしてのキャリアを通じて長らく災害報道に注力してきたので、被災地支援に関連した情報をお伝えしていきたいです。また、被災された方だけでなく、仕事がない方、将来に希望を見いだせない方、生きづらさを感じている方など社会に取り残されたと感じている方々の心に寄り添うような情報やトピックを紹介していけたらとも考えています。
災害報道を「一生の仕事にしていこう」と決意した瞬間
――災害報道に力を入れるようになったきっかけは何だったのでしょうか。武田:入社2年目で初めて台風中継のリポーターを務めたことがきっかけでした。当時、初任地の熊本に勤務していた僕は、1991年9月に発生し、青森県で収穫間際のりんごをことごとく落下させたことから「りんご台風」の別名で知られる台風第19号の上陸に伴い、朝から天草市に向かいました。現場では強烈な風が1日中吹きすさび、中継車から出られなかったことを覚えています。このときにはじめて自分の声と言葉で人の命を救えるかもしれないと手ごたえを感じました。それから約4年後の1995年1月、愛媛県松山市で勤務していたときに経験したのが阪神淡路大震災です。淡路島を訪れ、壊滅状態になった街や、ご遺体が収められた棺がずらりと並んでいる様子を目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。そのときにこの仕事を一生の仕事にしていこうと決めたのです。
「60、70代を迎えても楽しく生きられる」と伝えたい
――武田さんは現在58歳です。一般企業であれば数年で定年退職を迎えるご年齢にもかかわらず、ここまで精力的に仕事へ取り組まれているそのモチベーションは何なのでしょうか?武田:僕は2年半前、55歳のときにフリーへ転身しました。もちろん、NHKは優秀な職員を多く擁する素晴らしい組織であり、そんな環境で長年番組作りに関われたことはとても幸せでした。しかし一方で、いろいろな世界を見てみたいという気持ちも50代にして湧いてきたのです。これだけたくさんテレビ局・ラジオ局がある中で、僕はNHK一つ、それも報道畑しか知らない。それで果たして本当に放送人と言えるのか?という思いから33年間勤務したNHKを退局しました。その結果、『DayDay.』のMCを務めさせていただき、今回『JAM THE PLANET』のナビゲーターに抜擢していただきました。さらには、昨年10月には日本テレビ系ドラマ『放課後カルテ』で、初めて演技のお仕事もさせていただいたりもして。そういった意味で、僕は今すごく人生を楽しんでいます。今50代後半になり、これから60代、70代を迎える中でも人生、日々楽しく生きることができるということを皆さんにお伝えしたいんですよね。それが仕事に取り組むモチベーションの一つになっています。
――最後にメッセージをお願いします。
武田:『JAM THE PLANET』のコンセプトは、身近なところから日本国内、世界、そして最後は宇宙からの視点で僕らの社会を見るというものです。ラジオは小さい箱のように見えるかもしれませんが、実は大きな世界に繋がってる素敵な窓です。学生時代の僕にとって、J-WAVEさんをはじめとしたFMラジオは、まさに世界の音楽やカルチャーなど知らないことを教えてくれる窓でした。そんな番組にしていけたらと思いますので、ぜひ僕と一緒に、ラジオから大きな世界を見ていきましょう。
初回のオンエアは10月2日(木)。オンエアは放送開始から1週間、radikoのタイムフリー機能で楽しめる。
(取材・文=小島浩平、撮影=竹内洋平)
番組情報
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