3DプリンターやAIを駆使した義足製造ソリューション事業を展開するインスタリム株式会社のCEO・徳島泰さんが、開発途上国で義足が必要とされる意外な理由や起業に至った経緯、今後のビジョンなどについて語った。
徳島さんは1978年京都府生まれ。世界初の3Dプリント義足を開発し、開発途上国で製造・販売することにより現地の雇用を生み出している人物だ。
徳島さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページ
徳島:インスタリムでは3DプリントとAIの技術を組み合わせ、これまで一般的には50万円以上した義足を5万円以下という安価な価格帯で品質よく作ることができるテクノロジーをフィリピン・インド・インドネシアといった開発途上国、最近ではウクライナなどへ提供する事業を行っています。ちなみに社名は、「インスタントなリム=即席の足」に由来します。
オフィスで開発・製造しているのは義足ではなく、3Dプリンター。それを途上国に持ち込み、現地の人々に義足の制作を一任しているのだという。義足を作る上で重要なのが、断端を収納する「ソケット」だ。一人ひとりの身体に合わせて医学的に最適な形状を作らなければならないため、高度な技術が求められる。途上国にはそういった義足づくりの専門家が不足しているのだが、インスタリムの3Dプリンターでは搭載されたAI技術により、初心者でもある程度の研修を受ければクオリティの高い義足を製作することができるそうだ。
こうした途上国の人々が義足を必要とする背景には、ある意外な理由が隠されていた。
徳島:開発途上国で義足を求める人が多い理由は、紛争があるからと思われがちです。もちろんそれもあるのですが、一番の原因は糖尿病なのです。糖尿病はかつて日本において「贅沢病」と誤解されていましたが、最近では「貧困病」と呼ばれています。開発途上国の貧困層は、米や小麦をはじめとした安価で糖質・カロリーの高い食料で、お腹を満たす生活を続けています。彼らは貧しさゆえに健康診断を受けることができません。その結果、糖尿病の症状が無症状で進行してしまい、気付いたときには足が壊疽して切断するほかないという人が多いのです。
徳島:フィリピンでは、教育をしっかりと受けていないがために定規が読めない、ハサミのような基本的な工具さえ使えないといった方々に対して、どのようにものづくりを教えるべきかを模索していました。その解決策とし思いついたのが、自分の手を小器用に使わなくても、スマートフォンやPCがあればできる「デジタルモノづくり」をレクチャーしていくことです。そうすれば、誰でも高品質なもの作りができると考えたのです。この活動はフィリピンで珍しかったこともあって、政府関係者も見学に来ていました。その見学に来られた方々からよく言われていたのが、「義足はここで作れないのか?」ということです。当時の僕は義足にあまり関心を払っておらず、現地の人たちが頻繁に話題に出すことを不思議に思って調べたところ、フィリピンにおける義足の実情を知りました。そこで「これは何とかしなければいけない」という気持ちがムクムクとわいてきて。帰国後、現地の人でも安価で義足を作れないかと試作を始めたことが現在の活動の原点となっています。
徳島さんはフィリピンに初めて3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル加工設備を備えた、デジタルモノづくり工房、通称「ファブラボ」を立ち上げ、現在その数は20カ所以上にのぼる。この場所が今、3Dプリンターを用いた義足づくりの現地の拠点となっているのだが、世界初の義足を作るオリジナル3Dプリンターを開発するのには相応の苦労があったという。
徳島:3Dプリンターはホビー用と専門のものに分けられます。ホビー用は安価で手軽に様々なものが作れる反面、義足に必要な強度を出せません。一方の専門的な3Dプリンターは1台2000~3000万円することがざらです。開発途上国で品質がよくてコストが安いものを作ろうとした場合、ホビー用くらいのシンプルさで、品質が専門的くらいのものが必要だったのですが、世の中にはそういったものはありませんでした。そこで僕がゼロから理想の3Dプリンターを作ることになったわけです。当時は面白さよりも、しんどさのほうが優っていたように感じますが、振り返ってみれば楽しい時間だったのかもしれません。コツコツとトライアンドエラーを繰り返しながら0から1を作り上げるというのは、事業の醍醐味だったりもするので。
徳島:一番つらかったのはコロナ禍の時期です。オリジナルの3Dプリンターをフィリピンに導入して義足を作り、少しずつ売れ始めたタイミングでパンデミックになってしまいましたから。フィリピンもロックダウンになり、いつまでも売上が立たず、投資家様に投資いただいた資金が尽きてしまうかもしれない状況でした。「これはヤバい」となり、日本に帰ってきて、一生懸命投資家様に追加資金をお願いしたり、銀行で融資を借りたりと、資金調達のために駆けずり回る期間が一年ほど続きました。あの頃、何年もかかって開発した3Dプリンターや3DCAD設計ソフトウェアがすべて無に帰してしまう危機に瀕していたので、睡眠もまともに取れず、しんどい思いをしましたね。
パンデミックの厳しい状況下でも、徳島さんは奔走し続けた。その結果、現地のスタッフを誰一人解雇せずに難局を乗り越えてV字回復を遂げることに成功した。さらには、ファブラボにおいて、思いがけないプラスの効果を生み出したようだ。
徳島:ファブラボのコンセプトは、現地の人たちが自力で必要なものを作れるようになることで、貧困や生活の改善を実現することです。このコンセプトが花開いたと思ったのが、コロナ禍で現地の物流が完全にストップする中、ファブラボで自主的に問題解決していたことでした。具体的には、感染率を下げる目的でフェイスシールドや非接触用のアクリル板などをレーザーカッターおよび3Dプリンターを駆使して作っていたのです。これは日本でもあまり見られなかったことなので、大変感動し心に深く残っています。
徳島:自分の人生をリスクに晒してきたつもりはさほどありません。その都度その都度、食い詰めないようにやってきただけです。青年海外協力隊の職務を終えて帰国後、慶応大学の大学院に入学したのですが、それも義足のプロジェクトが失敗してしまった場合、院卒の資格を取っておけば、その後のキャリアとして国際開発コンサルタントになることができると考えたからです。要するに打算的というか。計画的に失敗してもいいように人生の選択肢を選んできたんですよ。必要だから学び直したというよりも、リスクを最小限にするために大学へ進学したわけです。リスクを最小限にしなければ、最初の一歩を踏み出せないというか。今いる環境を捨てて新しい環境に飛び込む際、失敗したら詰んでしまうという状況は、一本目の踏みだしを鈍らせてしまう。なので、自分を前に進めるためにも、しっかりとリスクヘッジをしながら進むのは非常に重要なことだと考えています。
徳島:めちゃくちゃ届いています。たまに現場へ入って作業をチェックすることがあるのですが、例えば、旦那さんの義足納品時に奥さんが付いてくることが多々あるんですね。旦那さんはまた歩けるようになったことがうれしくてニコニコと笑顔を見せている。一方で奥さんはぼろ泣きしている。そんなシチュエーションによく遭遇します。奥さんからしてみれば、愛する人の苦しみがこれでなくなると思うと、一気に感情が込み上げてくるようです。その号泣している奥さんの姿を見たときに、いつももらい泣きしてしまいます。本当によかったなと思いますし、この仕事をしてきていて本当によかったと感じる瞬間です。
途上国の人々に義足を届け喜びと感動を与え続ける徳島さん。彼にとっての挑戦、そしてその先にあるFreude=喜びとは何か。質問すると、こんな答えが返ってきた。
徳島:今でも絶賛挑戦中なので、「挑戦とは…」みたいなことが言える段階ではないのかもしれません。とはいえ、開発途上国の現場で義足を既にたくさんの人に喜んで使っていただいます。おそらくこのままいけばあと5~10年ほどで、世界中の今まで義足が持てなかったすべての人たちに対して、義足を届けるということが現実的になりつつあると思います。この問題を自分が手掛ける事業で解決できる可能性が見えてきたことで、人生、生きてきてよかったな、やってきてよかったなと感じますね。
構成=小島浩平
徳島さんは1978年京都府生まれ。世界初の3Dプリント義足を開発し、開発途上国で製造・販売することにより現地の雇用を生み出している人物だ。
徳島さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページ
社名の由来は「インスタントなリム=即席の足」
「BMW M235 xDrive Gran Coupe」は、ものづくりが盛んな墨田区横川エリアにあるインスタリム株式会社のオフィスを出発。車中で徳島さんははじめに、会社の事業内容について語り始めた。オフィスで開発・製造しているのは義足ではなく、3Dプリンター。それを途上国に持ち込み、現地の人々に義足の制作を一任しているのだという。義足を作る上で重要なのが、断端を収納する「ソケット」だ。一人ひとりの身体に合わせて医学的に最適な形状を作らなければならないため、高度な技術が求められる。途上国にはそういった義足づくりの専門家が不足しているのだが、インスタリムの3Dプリンターでは搭載されたAI技術により、初心者でもある程度の研修を受ければクオリティの高い義足を製作することができるそうだ。
こうした途上国の人々が義足を必要とする背景には、ある意外な理由が隠されていた。
徳島:開発途上国で義足を求める人が多い理由は、紛争があるからと思われがちです。もちろんそれもあるのですが、一番の原因は糖尿病なのです。糖尿病はかつて日本において「贅沢病」と誤解されていましたが、最近では「貧困病」と呼ばれています。開発途上国の貧困層は、米や小麦をはじめとした安価で糖質・カロリーの高い食料で、お腹を満たす生活を続けています。彼らは貧しさゆえに健康診断を受けることができません。その結果、糖尿病の症状が無症状で進行してしまい、気付いたときには足が壊疽して切断するほかないという人が多いのです。
3.11をきっかけに、青年海外協力隊に応募
幼少期より徳島さんは開発途上国の医療に興味を持ち、将来の仕事にしたいと考えていたという。大学卒業後は日本の医療機器メーカーに就職して機器の開発にあたっていたものの、子どもの頃の夢を捨てきれず、2011年3月11日の東日本大震災を機に「世の中の役に立つ仕事を始めるのに早すぎるも遅すぎるもない」と一念発起。JICA(独立行政法人国際協力機構)が派遣する20〜39歳を対象とした海外ボランティア「青年海外協力隊」に応募し、2012年からフィリピンでものづくり・デザインの視点からの貧困対策を職務として担当した。その活動が義足作り、ひいては起業へのモチベーションに繋がったそうだ。徳島:フィリピンでは、教育をしっかりと受けていないがために定規が読めない、ハサミのような基本的な工具さえ使えないといった方々に対して、どのようにものづくりを教えるべきかを模索していました。その解決策とし思いついたのが、自分の手を小器用に使わなくても、スマートフォンやPCがあればできる「デジタルモノづくり」をレクチャーしていくことです。そうすれば、誰でも高品質なもの作りができると考えたのです。この活動はフィリピンで珍しかったこともあって、政府関係者も見学に来ていました。その見学に来られた方々からよく言われていたのが、「義足はここで作れないのか?」ということです。当時の僕は義足にあまり関心を払っておらず、現地の人たちが頻繁に話題に出すことを不思議に思って調べたところ、フィリピンにおける義足の実情を知りました。そこで「これは何とかしなければいけない」という気持ちがムクムクとわいてきて。帰国後、現地の人でも安価で義足を作れないかと試作を始めたことが現在の活動の原点となっています。
徳島さんはフィリピンに初めて3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル加工設備を備えた、デジタルモノづくり工房、通称「ファブラボ」を立ち上げ、現在その数は20カ所以上にのぼる。この場所が今、3Dプリンターを用いた義足づくりの現地の拠点となっているのだが、世界初の義足を作るオリジナル3Dプリンターを開発するのには相応の苦労があったという。
徳島:3Dプリンターはホビー用と専門のものに分けられます。ホビー用は安価で手軽に様々なものが作れる反面、義足に必要な強度を出せません。一方の専門的な3Dプリンターは1台2000~3000万円することがざらです。開発途上国で品質がよくてコストが安いものを作ろうとした場合、ホビー用くらいのシンプルさで、品質が専門的くらいのものが必要だったのですが、世の中にはそういったものはありませんでした。そこで僕がゼロから理想の3Dプリンターを作ることになったわけです。当時は面白さよりも、しんどさのほうが優っていたように感じますが、振り返ってみれば楽しい時間だったのかもしれません。コツコツとトライアンドエラーを繰り返しながら0から1を作り上げるというのは、事業の醍醐味だったりもするので。
コロナ禍では経営危機に直面し、資金調達に奔走
徳島さんは、必要とするすべての人が質の高い義肢装具を手に入れることができる世界を実現するというビジョンのもと、2018年にインスタリム株式会社を創業。しかし、ほどなくして世界を覆った未曽有の危機により、彼の事業は暗転する。「BMW M235 xDrive Gran Coupe」は、そんな辛い時期にオフィスを借りていたお茶の水エリアに到着した。パンデミックの厳しい状況下でも、徳島さんは奔走し続けた。その結果、現地のスタッフを誰一人解雇せずに難局を乗り越えてV字回復を遂げることに成功した。さらには、ファブラボにおいて、思いがけないプラスの効果を生み出したようだ。
徳島:ファブラボのコンセプトは、現地の人たちが自力で必要なものを作れるようになることで、貧困や生活の改善を実現することです。このコンセプトが花開いたと思ったのが、コロナ禍で現地の物流が完全にストップする中、ファブラボで自主的に問題解決していたことでした。具体的には、感染率を下げる目的でフェイスシールドや非接触用のアクリル板などをレーザーカッターおよび3Dプリンターを駆使して作っていたのです。これは日本でもあまり見られなかったことなので、大変感動し心に深く残っています。
人生の歩み方について大切にしていることとは?
徳島さんは現在の会社を立ち上げるまでに大企業での仕事も青年海外協力隊も経験し、起業については今回が2回目。さらには、三つの大学・大学院を卒業している。人生の歩み方について、大切にしていることはどんなことなのか?徳島:自分の人生をリスクに晒してきたつもりはさほどありません。その都度その都度、食い詰めないようにやってきただけです。青年海外協力隊の職務を終えて帰国後、慶応大学の大学院に入学したのですが、それも義足のプロジェクトが失敗してしまった場合、院卒の資格を取っておけば、その後のキャリアとして国際開発コンサルタントになることができると考えたからです。要するに打算的というか。計画的に失敗してもいいように人生の選択肢を選んできたんですよ。必要だから学び直したというよりも、リスクを最小限にするために大学へ進学したわけです。リスクを最小限にしなければ、最初の一歩を踏み出せないというか。今いる環境を捨てて新しい環境に飛び込む際、失敗したら詰んでしまうという状況は、一本目の踏みだしを鈍らせてしまう。なので、自分を前に進めるためにも、しっかりとリスクヘッジをしながら進むのは非常に重要なことだと考えています。
義足納品の現場に立ち会うと、もらい泣きすることも…
徳島さん率いるインスタリムは、フィリピン・インドで既に5000本以上の3D義足を提供し、とりわけフィリピンではシェアNo.1を獲得。実際に義足を手にした方々の声は、徳島さんのもとに届いているのだろうか。徳島:めちゃくちゃ届いています。たまに現場へ入って作業をチェックすることがあるのですが、例えば、旦那さんの義足納品時に奥さんが付いてくることが多々あるんですね。旦那さんはまた歩けるようになったことがうれしくてニコニコと笑顔を見せている。一方で奥さんはぼろ泣きしている。そんなシチュエーションによく遭遇します。奥さんからしてみれば、愛する人の苦しみがこれでなくなると思うと、一気に感情が込み上げてくるようです。その号泣している奥さんの姿を見たときに、いつももらい泣きしてしまいます。本当によかったなと思いますし、この仕事をしてきていて本当によかったと感じる瞬間です。
途上国の人々に義足を届け喜びと感動を与え続ける徳島さん。彼にとっての挑戦、そしてその先にあるFreude=喜びとは何か。質問すると、こんな答えが返ってきた。
徳島:今でも絶賛挑戦中なので、「挑戦とは…」みたいなことが言える段階ではないのかもしれません。とはいえ、開発途上国の現場で義足を既にたくさんの人に喜んで使っていただいます。おそらくこのままいけばあと5~10年ほどで、世界中の今まで義足が持てなかったすべての人たちに対して、義足を届けるということが現実的になりつつあると思います。この問題を自分が手掛ける事業で解決できる可能性が見えてきたことで、人生、生きてきてよかったな、やってきてよかったなと感じますね。
構成=小島浩平