字幕翻訳者の藤井美佳さんが、映画翻訳を通して知ったインドの奥深さや、自身の“当たり前”が変わった出来事について語った。
藤井さんが登場したのは、7月15日(火)放送のJ-WAVE『PEOPLE'S ROASTERY』(ナビゲーター:長井優希乃)の「VIBES JINRUIGAKU」。長井がゲストとともに「人と世界」について考えるコーナーだ。
長井:年間で、何本くらいの作品の字幕を手がけられているのですか?
藤井:あまり数えることはありませんが、30本から40本のあいだで、40本やれば「多いかな」という感じです。長いもの、短いものなどいろいろありますが、1本あたり1週間から10日くらいでやります。
長井:「一場面のこの秒数に合うように」と考えるのは、すごく大変な作業ではないかなと思いますが、煮詰まったりしないんですか?
藤井:もう長年やっていて、「見ながら訳していく」という感じでないと間に合わないので、「頭を抱えて」ということは本当にたまにしかありません。慣れでございます(笑)。
長井:すごすぎる! 字幕翻訳をされている藤井さんから見て、インド映画の特徴はどういうところにあると思いますか?
藤井:昔だったら、みなさんが想像するような「歌と踊りがあって、恋愛があって、三角関係があって」という特徴があったんですけど、最近はいろいろな映画があって、もうひと口で言えなくなってしまっていますね。
長井:そうですよね。インド映画を見ていると、日常のなかに宗教や多言語の要素が出てきたりもしますよね。翻訳するうえで、文化や歴史、宗教への理解がすごく必要なんじゃないかと思いますが、どうですか?
藤井:知識を持っているのが当たり前かもしれませんが、私はいただいた仕事を基本的に断らないで受けていくスタイルなので、新しいことに接することもあります。インドの宗教や神話については、ある程度は知っているんですけど、専門家ではないので「次、こんなのがある」と知った瞬間から調べ物開始、みたいな感じで。学び直しの繰り返しですね。
藤井:私はヒンディー語の出身なので、主に北インドのことのほうが答えやすいんですけど、少し前からヒンディー語の映画は「ネタが尽きてきた」みたいな部分があります。また、日本では南インドの映画が人気なんですけど、南インドの映画スタイルで、北インドの人が撮っていくみたいな動きが出てきていています。
長井:おもしろい。
藤井:南インドの映画は、私が想像するよりも暴力のシーンが本当に激しいのですが、それがヒンディー語映画にかなり入ってきているなという感じです。それ以外ですと、地域語や諸言語、たとえばヒンディー語映画でヒンディー語だけで撮れるものを「地域の人がしゃべっているところは多言語でやる」という映画も出てきています。さらに、世界各地と同様に、女性のエンパワーメントやLGBTQに関する映画もたくさん出てきています。
長井:翻訳していくなかで、「この言葉、難しかった」「翻訳に困った」というものはありましたか?
藤井:まず答えやすいのは、罵倒語。あれは日本語にするのが本当に大変なんですけど、ヤクザ映画もとても多いので、思ったよりたくさん入っています。ただ、具体的にはこの放送でもちょっと言えません(笑)。そのほかだと、(インド映画では)すぐに“兄弟”とか“姉妹”とか言いますが、映画を翻訳するなかで「本当に兄弟なのかな?」と思って図にして書いていくと、兄弟じゃなかったということもあります。日本語に訳すときにはちゃんと(説明)しないと誤解されてしまうので、人間関係が難しいなと思います。
さらに、「字幕翻訳を通して知った、新しい言葉」について訊くと、藤井さんは次のように答えた。
藤井:『ガリーボーイ』という映画で、スラムに暮らすラッパーの人が書いたラップに「自分たちの時代が来ている」みたいなフレーズがあって、映画とともにそのフレーズもけっこう流行りました。このあいだ、南インドの別の映画を翻訳していたら、全然関係ない作品なのに、(登場人物が)そのフレーズが書かれたTシャツを着ていて(笑)。「自分たちの時代が来た」というのは、若い人たちが鬱屈したなかで出てきた言葉だと思うんですけど、広く受け入れられているうえに、いろいろなアレンジをされていっているのが面白いなと思いました。
長井:すごいなぁ。そして、最近の大ヒット作といえば『RRR』です。この映画では、「Do you know "Naatu"?」を「ナートゥをご存じか?」と翻訳していて、私も痺れちゃったんですが、どうしてこのように訳されたのですか?
藤井:みなさんに「このフレーズ、よかった!」とおっしゃっていただいてうれしいんですけど、実はこれは、自分のなかではけっこう引っかからないで「ポン、ポン、ポン」と翻訳してしまったもののひとつです。ただ、「ご存じ」というのは尊敬語ですが、「ご存じでしょうか?」ではなく、「ご存じか?」としたことで、慇懃無礼な雰囲気が出せたのかなと思っています。
藤井:私は母校(大学)で映画の紹介をしているのですが、南インドと北インドの映画以外にもいろいろな地域の映画を観ていくなかで、東北インドでも活発に映画を撮っている監督がいることを知りました。その監督の『アクニ』という、納豆を食べる人たちの映画があって、デリーに来て納豆の料理をすると、周りの人たちが「くさいくさい」「やめろ」と言うコメディなのですが、実際、デリーには東北インドから来ている人がたくさんいて、彼ら、彼女らに焦点を当てた映画が新しくてよかったです。また、映画を観た東北インドの人のなかに、「自分の故郷はナガランド州だと思うけど、インドだと思ったことはない」とおっしゃった人がいて、私は「インドの人は、インドが故郷だと思っている」と思っていたので、「自分は何も知らなかったな」と感じました。
長井:日本にいると、“インド”という枠で語ってしまうことがけっこう多くあるかなと思いますが、そうではなくて、もっと多様な暮らしや文化があるよねというのを、いま藤井さんのお話を聞いて、私もあらためて思いました。
そんな藤井さんは、7月25日(金)よりBunkamura ル・シネマ渋谷宮下ほか全国で公開となる映画『私たちが光と想うすべて』の字幕翻訳も担当している。
長井:どのような映画か、教えてもらってもいいでしょうか?
藤井:西インドの大都会・ムンバイで暮らす、3人の女性が主人公の映画です。南インドのケーララ州から仕事を求めてやってきて、医療従事者として働くプラバという女性は、夫がドイツのほうに単身赴任をしていて音沙汰がない。同僚のアヌは、ヒンドゥー教徒ですが、イスラム教徒の恋人がいるというちょっと複雑な事情を抱えていて、このふたりは共同生活を送っています。もうひとりの主人公は、病院の食堂で働いているパルヴァティという中年の女性で、この方も旦那さんが亡くなったことで女性の権利が小さくなり、住まいを追い出されてしまうという、いろいろな事情を抱えた、境遇の異なる3人のシスターフッド映画です。
長井:こちらは、第77回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作でもありますが、どのような点が高く評価されたと思いますか?
藤井:パルム・ドールが『ANORA アノーラ』で、ままならない人生を送っている女性を描いた、まったく違うテイストの映画が2つ選ばれていたので、審査委員長がグレタ・ガーウィグ監督だったということも、理由としてあるのかなと思います。『私たちが光と想うすべて』は感情がシンプルで、率直な思いや、インドの女性に限らず、現代女性が直面するような問題が静かに語られています。また、「都会に暮らす地方出身者」という、世界中の多くの人が共感できる、ある意味、普遍的な面を描いていたり、ムンバイの雑踏とラトナギリという海辺の街の描写で、窮屈な気持ちと開放的な気持ちを対比したりしながら、いろいろな人たちの心のなかにあるちょっとした思いを、繊細で優しい語り口で表現したのが、高く評価されたようです。
長井:たしかに、いわゆる「踊るぞ!」という作品とは全然違う時間の流れ方で、すごく繊細な描写がたくさんありました。
J-WAVE『PEOPLE'S ROASTERY』のコーナー「VIBES JINRUIGAKU」では、“声でつながるフィールドワーク”と題し、自分の当たり前を問い直しながら人と世界について考えていく。放送は月曜~木曜の14時5分ごろから。
藤井さんが登場したのは、7月15日(火)放送のJ-WAVE『PEOPLE'S ROASTERY』(ナビゲーター:長井優希乃)の「VIBES JINRUIGAKU」。長井がゲストとともに「人と世界」について考えるコーナーだ。
手がける字幕翻訳は、年間30本以上!
大学でヒンディー語を専攻し、卒業後に字幕翻訳の道へ進んだ藤井さん。代表作には『バーフバリ』シリーズや『ガリーボーイ』『RRR』『ジョイランド わたしの願い』などがある。長井:年間で、何本くらいの作品の字幕を手がけられているのですか?
藤井:あまり数えることはありませんが、30本から40本のあいだで、40本やれば「多いかな」という感じです。長いもの、短いものなどいろいろありますが、1本あたり1週間から10日くらいでやります。
長井:「一場面のこの秒数に合うように」と考えるのは、すごく大変な作業ではないかなと思いますが、煮詰まったりしないんですか?
藤井:もう長年やっていて、「見ながら訳していく」という感じでないと間に合わないので、「頭を抱えて」ということは本当にたまにしかありません。慣れでございます(笑)。
長井:すごすぎる! 字幕翻訳をされている藤井さんから見て、インド映画の特徴はどういうところにあると思いますか?
藤井:昔だったら、みなさんが想像するような「歌と踊りがあって、恋愛があって、三角関係があって」という特徴があったんですけど、最近はいろいろな映画があって、もうひと口で言えなくなってしまっていますね。
長井:そうですよね。インド映画を見ていると、日常のなかに宗教や多言語の要素が出てきたりもしますよね。翻訳するうえで、文化や歴史、宗教への理解がすごく必要なんじゃないかと思いますが、どうですか?
藤井:知識を持っているのが当たり前かもしれませんが、私はいただいた仕事を基本的に断らないで受けていくスタイルなので、新しいことに接することもあります。インドの宗教や神話については、ある程度は知っているんですけど、専門家ではないので「次、こんなのがある」と知った瞬間から調べ物開始、みたいな感じで。学び直しの繰り返しですね。
テーマや演出が広がっている、最近のインド映画
続いて長井は、「最近のインド映画の特徴や傾向」について、藤井さんに質問する。藤井:私はヒンディー語の出身なので、主に北インドのことのほうが答えやすいんですけど、少し前からヒンディー語の映画は「ネタが尽きてきた」みたいな部分があります。また、日本では南インドの映画が人気なんですけど、南インドの映画スタイルで、北インドの人が撮っていくみたいな動きが出てきていています。
長井:おもしろい。
藤井:南インドの映画は、私が想像するよりも暴力のシーンが本当に激しいのですが、それがヒンディー語映画にかなり入ってきているなという感じです。それ以外ですと、地域語や諸言語、たとえばヒンディー語映画でヒンディー語だけで撮れるものを「地域の人がしゃべっているところは多言語でやる」という映画も出てきています。さらに、世界各地と同様に、女性のエンパワーメントやLGBTQに関する映画もたくさん出てきています。
長井:翻訳していくなかで、「この言葉、難しかった」「翻訳に困った」というものはありましたか?
藤井:まず答えやすいのは、罵倒語。あれは日本語にするのが本当に大変なんですけど、ヤクザ映画もとても多いので、思ったよりたくさん入っています。ただ、具体的にはこの放送でもちょっと言えません(笑)。そのほかだと、(インド映画では)すぐに“兄弟”とか“姉妹”とか言いますが、映画を翻訳するなかで「本当に兄弟なのかな?」と思って図にして書いていくと、兄弟じゃなかったということもあります。日本語に訳すときにはちゃんと(説明)しないと誤解されてしまうので、人間関係が難しいなと思います。
さらに、「字幕翻訳を通して知った、新しい言葉」について訊くと、藤井さんは次のように答えた。
藤井:『ガリーボーイ』という映画で、スラムに暮らすラッパーの人が書いたラップに「自分たちの時代が来ている」みたいなフレーズがあって、映画とともにそのフレーズもけっこう流行りました。このあいだ、南インドの別の映画を翻訳していたら、全然関係ない作品なのに、(登場人物が)そのフレーズが書かれたTシャツを着ていて(笑)。「自分たちの時代が来た」というのは、若い人たちが鬱屈したなかで出てきた言葉だと思うんですけど、広く受け入れられているうえに、いろいろなアレンジをされていっているのが面白いなと思いました。
長井:すごいなぁ。そして、最近の大ヒット作といえば『RRR』です。この映画では、「Do you know "Naatu"?」を「ナートゥをご存じか?」と翻訳していて、私も痺れちゃったんですが、どうしてこのように訳されたのですか?
藤井:みなさんに「このフレーズ、よかった!」とおっしゃっていただいてうれしいんですけど、実はこれは、自分のなかではけっこう引っかからないで「ポン、ポン、ポン」と翻訳してしまったもののひとつです。ただ、「ご存じ」というのは尊敬語ですが、「ご存じでしょうか?」ではなく、「ご存じか?」としたことで、慇懃無礼な雰囲気が出せたのかなと思っています。
字幕翻訳を担当した、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作がまもなく公開!
長年、字幕翻訳という仕事を通してインド映画に触れるなかで、藤井さんの“当たり前”がひっくり返ったエピソードを語ってもらった。藤井:私は母校(大学)で映画の紹介をしているのですが、南インドと北インドの映画以外にもいろいろな地域の映画を観ていくなかで、東北インドでも活発に映画を撮っている監督がいることを知りました。その監督の『アクニ』という、納豆を食べる人たちの映画があって、デリーに来て納豆の料理をすると、周りの人たちが「くさいくさい」「やめろ」と言うコメディなのですが、実際、デリーには東北インドから来ている人がたくさんいて、彼ら、彼女らに焦点を当てた映画が新しくてよかったです。また、映画を観た東北インドの人のなかに、「自分の故郷はナガランド州だと思うけど、インドだと思ったことはない」とおっしゃった人がいて、私は「インドの人は、インドが故郷だと思っている」と思っていたので、「自分は何も知らなかったな」と感じました。
長井:日本にいると、“インド”という枠で語ってしまうことがけっこう多くあるかなと思いますが、そうではなくて、もっと多様な暮らしや文化があるよねというのを、いま藤井さんのお話を聞いて、私もあらためて思いました。
そんな藤井さんは、7月25日(金)よりBunkamura ル・シネマ渋谷宮下ほか全国で公開となる映画『私たちが光と想うすべて』の字幕翻訳も担当している。
7.25公開『私たちが光と想うすべて』 予告編
藤井:西インドの大都会・ムンバイで暮らす、3人の女性が主人公の映画です。南インドのケーララ州から仕事を求めてやってきて、医療従事者として働くプラバという女性は、夫がドイツのほうに単身赴任をしていて音沙汰がない。同僚のアヌは、ヒンドゥー教徒ですが、イスラム教徒の恋人がいるというちょっと複雑な事情を抱えていて、このふたりは共同生活を送っています。もうひとりの主人公は、病院の食堂で働いているパルヴァティという中年の女性で、この方も旦那さんが亡くなったことで女性の権利が小さくなり、住まいを追い出されてしまうという、いろいろな事情を抱えた、境遇の異なる3人のシスターフッド映画です。
長井:こちらは、第77回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作でもありますが、どのような点が高く評価されたと思いますか?
藤井:パルム・ドールが『ANORA アノーラ』で、ままならない人生を送っている女性を描いた、まったく違うテイストの映画が2つ選ばれていたので、審査委員長がグレタ・ガーウィグ監督だったということも、理由としてあるのかなと思います。『私たちが光と想うすべて』は感情がシンプルで、率直な思いや、インドの女性に限らず、現代女性が直面するような問題が静かに語られています。また、「都会に暮らす地方出身者」という、世界中の多くの人が共感できる、ある意味、普遍的な面を描いていたり、ムンバイの雑踏とラトナギリという海辺の街の描写で、窮屈な気持ちと開放的な気持ちを対比したりしながら、いろいろな人たちの心のなかにあるちょっとした思いを、繊細で優しい語り口で表現したのが、高く評価されたようです。
長井:たしかに、いわゆる「踊るぞ!」という作品とは全然違う時間の流れ方で、すごく繊細な描写がたくさんありました。
J-WAVE『PEOPLE'S ROASTERY』のコーナー「VIBES JINRUIGAKU」では、“声でつながるフィールドワーク”と題し、自分の当たり前を問い直しながら人と世界について考えていく。放送は月曜~木曜の14時5分ごろから。
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2025年7月22日28時59分まで
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番組情報
- PEOPLE'S ROASTERY
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月・火・水・木曜13:30-16:00