「紫式部が使った硯」を現代に蘇らせる上で心がけたことは?製硯師・青栁貴史さんが語る

製硯師の青栁貴史さんが、硯作りに目覚めたきっかけや「紫式部の硯」を再現する上で心がけたこと、さらに硯の可能性を拡張する新たな試みなどについて語った。

青栁さんは1979年生まれの現在45歳。浅草で90年続く書道用具専門店「宝研堂」の四代目として硯の製作に従事するだけでなく、技術の継承と2000年続く硯文化の熟成を目指す人物だ。

青栁さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。

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祖父の巧みな誘導で下心が“仕事心”に変化

書道の授業や習いごとで誰もが一度は使ったことがある硯。その歴史は古く、2000年以上前に中国大陸で誕生し、日本には平安時代に伝わったとされる。この硯を取り扱い、都内で唯一硯の工房を持つ書道用具専門店「宝研堂」の四代目を担う青栁さんを乗せた「BMW M8 Coupe Competition」は都内を走行。10代の頃より祖父と父に師事していたという青栁さんだが、硯づくりの楽しさに目覚めたのは、ちょっとした“下心”がきっかけだったと振り返る。

青栁:幼少期から祖父のところによく遊びに行っていたのですが、中高生になってくると様子が変わってきます。「あのゲームが欲しい」という欲求がわいてきたのです(笑)。そこで、祖父のところに足を運んでは「こういうゲームがあるんだよね」とプレゼンするわけですね。すると祖父は「わかった、わかった」と口では言うけど、買ってはくれない。そのときに、硯を彫ったり、磨いたりする姿を僕に見せつつ「そこにある道具を手入れしてくれ」「そこにある漆を溶いてくれ」と頼んでくるわけです。


当時の僕は「これを全部やったら買ってもらえるかもしれない」という下心から指示通りに手伝い、作業を終えると祖父は、よい点を褒めてくれるとともに、改善点も指摘してくれました。翌日、再び祖父のもとを訪ねた僕は、昨日伝えたグッドポイントとモアポイントを達成したらお小遣いをあげると言われ、同じ作業に頑張って取り組みました。どうにかクリアすると「これで足りるかわからないけど」と、お小遣いをくれたんですよね。今振り返ると、もしかすると祖父は、僕の仕事心に火をつけようとしていたのかもしれません。そういったいきさつもあり、職人としての祖父との距離が近づいていき、20歳手前の頃には、下心よりも「祖父の喜ぶ顔が見たい」という気持ちから仕事をするようになっていました。

北海道の上空から硯用の石が採れそうな山を探したことも

今では日本唯一の製硯師として腕を振るう青栁さん。硯を作る際には硯に適した石を求めて、中国をはじめ国内外の産地に自ら赴き、その土地の空気や石の声を感じ取るという。これまで数々の採石地を訪れるなかで、とりわけ印象に残ったのは“未開の地”である北海道での思い出だ。

青栁:日本における硯の採石地マップで、北海道だけ空欄だったんですよ。北海道は、筆記よりも口頭伝承に重きを置くアイヌ民族の文化性から、長らく対人のコミュニケーションに文字が介在していませんでした。だから硯を使う理由がなく、そもそも墨を磨るのに適した石を探すという発想が生まれなかったというわけです。しかし、あれだけ広大な土地で硯に適した石がないはずがない。そう考えた僕は飛行機で北海道の空を飛び、上空から硯用の石が採れそうな雰囲気の山に当たりを付けました。そこから5年ほどの期間を要し、その場所で墨を磨るのに大変優秀な成分を有した層を発見したのですが、あのときはうれしかったですね。

中国では硯に適した石が見つかった際に、第一発見者の名前を付けることが多いんですけど、ちょっとよぎったんです。「僕の名前を付けていいんじゃないか」って。よぎったんですけども、これは絶対ダメだと。1000年以上前であればそれでよかったかもしれませんが、この大地で石が採れたという事実を残すことのほうが重要です。ということで採石した地名から取って「白滝石」としました。後にこの石で実際に硯を作り、白滝ジオパークにお納めしています。

当時の作り手に寄り添うことを意識して製作した「紫式部の硯」

青栁さんが着手する仕事の領域は、文化財の復元・復刻製作にも及ぶ。2022年11月から2023年8月にかけて取り組んだのは、2024年にNHK大河ドラマの主人公として脚光を浴びた紫式部が『源氏物語』の着想を得たときに使用したとされる硯の再現。「オリジナルの持つ文化背景を保ちつつ、鮮明に彫刻を再構成した」という青栁さんだが、1000年以上前の硯を現代に蘇らせる上で相応の苦労があったようだ。

青栁:滋賀県の石山寺に、紫式部が『源氏物語』を起筆した際に使用したとされる硯が残っているんですね。この硯を完全復刻盤ではなく、現代的な解釈を入れて製作してほしいという依頼だったんです。すごく勉強になるお話でしたし、「僕の技術でお役に立てるならば」という気持ちでお受けしました。当然、大切なものですから、お預かりするわけにはいきません。そのため僕のほうから石山寺へお伺いし、どんな硯か拝見させていただきました。実際に現物を目にして思ったのは、中国で製作された硯ということ。

使用されている石は石灰岩系で、大理石に近い印象でした。1000年以上前に作られた硯ですから、石選びは難しかったと思いますが、現代に蘇らせるのであれば、より磨りやすい石にしたいし、これ以上磨り心地のいい石はないというものを選んでいきたい。そんな観点から石をセレクトしました。

また、牛や鯉、網の模様や雲の模様など、大陸の西側から影響を受けたと思われるオリエンタルな彫刻が全面に施されていたのも特徴的で。これを完全再現することにもこだわりました。模様が見えなくなってしまっている部分もあったのですが、そういった箇所も「こんなふうに彫ろうとしていたのではないか」と考えに考えを重ねてできる限り、当時の作り手に寄り添うことを心掛けました。当時の作り手とお話ができるのであれば「僕の作った硯は正解ですか?」と答え合わせしたいような気持で製作にあたった一年でしたね。

人気の文房具アイテム「ガラスペン」に着目した新たな試み

「BMW M8 Coupe Competition」は千代田区・九段下に到着。ここには、青栁さんが「2024年にお世話になったお店」と語る文房具店「ペーパーツリー」がある。

青栁:僕は長らく、墨を磨る文化が衰退してきていることに問題意識を持ち、解決法を思案してきました。そのなかで、ペン文化と毛筆文化が融合できるのではないかと考え、ガラスペンと墨汁の相性のよさについてしばらく調査し、行き着いたのが、ペーパーツリーさんでワークショップをされているカリグラフィー作家の原田祥子さんでした。原田さんは「本当に人の手で書いたものなのか」と思うほど美しいキャラクターのような字をペンで展開されている方です。この字は本当に素晴らしいと感動し、ご本人へ連絡させていただき、カリグラフィーのことを勉強させてもらうことから、原田さんとペーパーツリーさんとのご縁が始まりました。その結果、もう完売してしまったのですが、試験的にガラスペン用の硯を考案・製作して、ペーパーツリーさんで展開させていただきました。


PCやスマホなどデジタル機器の普及に伴い、今や「書く」という習慣そのものが私たちの生活から失われつつある。こうした状況においても青栁さんは「書く」という行為に多様な価値を見出し、硯を通して手書き文化の伝承と拡張に挑み続ける。そんな青栁さんに「あなたにとって『未来への挑戦=FORWARDISM』とは?」と質問したところ、こんな答えが返ってきた。

青栁: 硯で誰かの生活に彩を加え、ひいては「書く」という文化そのものを豊かにしていく。そんなお手伝いを今後もしていきたいです。とはいえ、どんなに硯を作っても、使ってくれる方がいなければ意味がありません。なので、使われる環境を作っていくということが大事だと思います。墨を磨ると、香りが立ち、その時間そのものが禅的な心地よさがあったりと、何らかの気付きを楽しんでいただけるのではないかと思うんですよね。

なので願いとしては、朝早起きして、墨を磨って今日のタスクを書く時間を取ってみるとか。夜家に帰って今日起こったうれしかったことを書く時間を設けてみるとか。マインドフルネスのような使い方も硯の一つの使い方だと思います。そういった硯の可能性を、僕は諦めることなく考え、作り続けていきたいと思っています。

(構成=小島浩平)

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