提供:静岡県沼津市
静岡県沼津市の魅力を“食”を通じて体験・発信するレストランイベント「NUMAZU 富士の麓の美食体験会」が2025年1月18日、東京都町田市に建つ白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅「武相荘」で開催された。同イベントには武相荘館長の牧山圭男氏、その妻で白洲夫妻の長女・牧山桂子氏、沼津市長の賴重秀一氏、同市出身で観光PR大使を務める俳優の磯村勇斗らが出席し、駿河湾で獲れた魚介類や富士の麓で育まれたブランド牛・農産物などをふんだんに使用したコース料理を堪能した。
そんな武相荘のレストランスペースにて開催された今回のイベント。沼津市産の食材を武相荘レストランシェフによるオリジナルコース料理として味わうべく、会場には19名の参加者が集結した。
沼津市と武相荘の縁を紡いだのは、ほかならぬ正子だ。正子は戊辰戦争で活躍した軍人・川村純義伯爵の孫であり、沼津には川村伯爵の別荘だった沼津御用邸西附属邸があった。開会の辞を担った圭男氏によれば、正子は学習院初等科時代に水泳が得意で、学習院の伝統行事である沼津水泳演習時には遠泳を披露していたそう。その泳力は、小学3~4年生で先生のアシスタントを務めるほどだったと、長じてから「韋駄天お正」と呼ばれる彼女の幼少期から変わらぬ活発さを示すエピソードを紹介した。
正子が通った沼津の海水浴場は、日本一深い湾として知られる「駿河湾」に面している。沼津市は、北に富士山、南に伊豆半島ジオパーク、東に人気の観光地・箱根、そして西に駿河湾と、優れた自然環境の中心に位置する。挨拶を求められた賴重市長はこうした地理的特性から、沼津がおいしい山と海の幸に恵まれているとし「それらを活用した沼津自慢のお食事を、本日は皆さんに味わっていただきたいと考えています。こちらをご堪能し、ぜひ沼津のファンになっていただきたいです」と呼びかけた。
観光PR大使「燦々ぬまづ大使」を務める磯村は、正子同様に沼津と町田それぞれの街と繋がりがある。18歳まで沼津市で過ごしたあと、東京に転居して初めて暮らした街が町田市だったのだとか。「なので今日は、地元の食材で作られた料理を初めて東京に移り住んだときに暮らした町田という場所、それも、白洲次郎さんの邸宅でいただけるとことで、すごく楽しみにしてきました」と期待に胸を膨らませた。
「椀」の中央に浮かぶのは、沼津市の愛鷹山麓で古くから栽培される伝統の里芋「大中寺芋」をつぶして巾着仕立てにしたもの。カツオと昆布のお出汁とともにいただけば、身も心も温まる。さらに大中寺芋の下には、今年の干支にちなんで蛇の形をした大根が隠されており、神の使いである白蛇のようでなんとも縁起がいい。
続いては「造」。皿一面に広がるクラッシュドアイスとその上に散りばめられた落ち葉は、雪降る冬の武相荘をイメージ。氷をかき分けていくと、懐紙が出てくる。中を開ければ、ひんやりと冷えて身が引き締まった真鯛と鯵の刺身があらわれるという、食べるまでにひと手間掛かる遊び心溢れる一品だ。
「炊」は、愛鷹山麓裾野で育ったブランド牛「あしたか牛」のスネの煮込み。肉質はナイフを使わず箸で両断できるほど柔らかく、ひとたび噛み締めると、豊かな風味と深いコクが口いっぱいに広がる。皿全体へ土に見立てて散りばめられた粉末状の長ネギと、肉の上に飾られた青々とした菜の花が春の芽吹きを予感させる。
「口」で味わうのは、内浦駿河鯛の白身とアラで取った出汁だ。雪をイメージしたみぞれ仕立てのカブとアブラナ科の名産野菜「プチヴェール」の爽やかな風味が、鯛の旨味をより一層引き立てる。
「揚」と「飯」は一皿でまとめられた。「揚」では、フライにした内浦漁港直送の新鮮な鯵を、駿河湾の海水で作られたミネラル豊富な「戸田塩(へだしお)」でいただく。傍らに添えられた「飯」、沼津が誇る一等米「するがの極み」を生姜と共に炊き込んだミニサイズの生姜結びは、サッパリとした味わいで、揚げ物との相性抜群だ。
「水菓子」は外の囲炉裏で炭焼きした西浦みかん。焼いて酸味を飛ばしており、優しい香りと甘さを楽しめる。焼きたてが用意されたため、各テーブルでは、皮をむく参加者たちの「アチ、アチ」という声が聞こえてきた。
「甘味」は、大中寺芋を裏ごしした餡で作った最中。自然由来のほのかで素朴な甘みは、澄んだ緑色ながらしっかりと茶葉のおいしさを感じられる「ぬまづ茶」と好相性。お口直しに最適だ。
ゲストの一人である、世界約127カ国・地域を食べ歩いた経験を持つ世界NO1.フーディの浜田岳文氏も感想を述べることになった。浜田氏は、沼津の豊富な魚介類のおいしさを評価する一方、魚介とうまく融合した野菜類も「すごく印象に残った」と話す。さらに「これは脇役なんですけど」として取り上げたのが、鯵フライに添えられた「戸田塩」だ。塩の味はその土地の土に含まれる成分によって左右されるとし、「そういった意味で沼津の土壌の豊かさを感じました」と説いた。
最後は賴重市長が閉めの挨拶。賴重市長は、この日の料理が沼津市民として慣れ親しんだ食材を使用していたとしながらも「ここまで劇的に変化し、素晴らしいお料理になるんだと改めて実感して、心から感動しました」と語った。また、沼津市には今回振る舞われた以外にもたくさんの山海の珍味が存在し、それらを現地で食すからこそ一層おいしさを感じられるとした上で「ぜひ機会がございましたら沼津にお越しいただけたらと思います」とアピールした。
(取材・文=小島浩平 撮影=中山圭介)
静岡県沼津市の魅力を“食”を通じて体験・発信するレストランイベント「NUMAZU 富士の麓の美食体験会」が2025年1月18日、東京都町田市に建つ白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅「武相荘」で開催された。同イベントには武相荘館長の牧山圭男氏、その妻で白洲夫妻の長女・牧山桂子氏、沼津市長の賴重秀一氏、同市出身で観光PR大使を務める俳優の磯村勇斗らが出席し、駿河湾で獲れた魚介類や富士の麓で育まれたブランド牛・農産物などをふんだんに使用したコース料理を堪能した。
白洲正子と沼津市の縁
昭和の大宰相・吉田 茂の右腕としてサンフランシスコ講和条約の締結に尽力するなど戦後日本の復興に貢献をした白洲次郎と、その妻で作家として活躍した正子。2人は戦時下の1942年10月、戦況悪化に伴う食糧危機に備え、東京郊外鶴川村(現、東京都町田市能ケ谷町)に茅葺きの農家を農地付きで購入した。かつての武蔵国と相模国の国境に位置することと、「無愛想」を掛けて名付けられたその屋敷は、白洲夫妻が終生住み続けた終の棲家であり、現在は夫妻ゆかりの品々を展示するミュージアムとして親しまれている。武相荘内のレストラン&カフェ
沼津市と武相荘の縁を紡いだのは、ほかならぬ正子だ。正子は戊辰戦争で活躍した軍人・川村純義伯爵の孫であり、沼津には川村伯爵の別荘だった沼津御用邸西附属邸があった。開会の辞を担った圭男氏によれば、正子は学習院初等科時代に水泳が得意で、学習院の伝統行事である沼津水泳演習時には遠泳を披露していたそう。その泳力は、小学3~4年生で先生のアシスタントを務めるほどだったと、長じてから「韋駄天お正」と呼ばれる彼女の幼少期から変わらぬ活発さを示すエピソードを紹介した。
武相荘館長の牧山圭男氏
沼津市の賴重秀一市長
磯村勇斗
「春の訪れ」をテーマにコースは8品で構成
コースは「椀」「造」「炊」「口」「揚」「飯」「水菓子」「甘味」からなる全8品。テーマは「春の訪れ」だ。季節は1月下旬。真冬の寒さがピークを迎えるなか、武相荘庭園の土の下では、春の訪れを待ちわびるようにフキノトウが早くも蕾を膨らませている。そんな冬から春へと移り変わる武相荘の景色が、多種多様な沼津食材を用いて表現された。「椀」の中央に浮かぶのは、沼津市の愛鷹山麓で古くから栽培される伝統の里芋「大中寺芋」をつぶして巾着仕立てにしたもの。カツオと昆布のお出汁とともにいただけば、身も心も温まる。さらに大中寺芋の下には、今年の干支にちなんで蛇の形をした大根が隠されており、神の使いである白蛇のようでなんとも縁起がいい。
「腕」大中寺芋巾着仕立て
「造」沼津内浦漁港より真鯛、鯵
「炊」あしたか牛の牛スネ
「口」真鯛、蕪
「揚」&「飯」鯵フライと生姜結び
「甘味」は、大中寺芋を裏ごしした餡で作った最中。自然由来のほのかで素朴な甘みは、澄んだ緑色ながらしっかりと茶葉のおいしさを感じられる「ぬまづ茶」と好相性。お口直しに最適だ。
「水菓子」の焼きみかんと、甘味の芋餡最中
磯村は「とても素敵な時間を過ごさせていただいた」と感謝
完食後、磯村は「沼津の山の幸、海の幸を本当においしくいただきました。シェフの皆さんに感謝したいです」と謝意を示し、「おいしい食材をおいしく料理していただくと、そこに集まる人たちとおいしいお話も生まれて、とても素敵な時間を過ごさせていただきました」と喜んだ。実際に料理長の立島紀行氏が姿を見せると磯村は「ありがとうございました」と直接礼を言い、桂子氏も「おいしかった。ご苦労様」と労をねぎらった。浜田岳文氏