矢野顕子が、細野晴臣との出会いエピソードを語り、リスナーと聴きたい細野晴臣楽曲をセレクトした。
この内容をお届けしたのは、J-WAVEの番組『STEP ONE』(ナビゲーター:サッシャ、ノイハウス萌菜)内の期間限定コーナー「Pen TALK ABOUT HARUOMI HOSONO」。ここでは12月4日(水)のオンエア内容をテキストで紹介する。
■2日オンエア:安部勇磨
■3日オンエア:ゆりやんレトリィバァ
■4日オンエア:矢野顕子
■5日オンエア:いとうせいこう
番組では、『Pen』とのスペシャルコラボ企画を期間限定で実施。細野を愛してやまないアーティストが、彼の人物像や音楽の魅力について語る。今回は、シンガーソングライターの矢野顕子が出演。
矢野は1976年にアルバム『JAPANESE GIRL』でソロデビュー以降、YMOをはじめさまざまなアーティストと共演するなど、活動は多岐にわたる。本格デビュー前に細野の音楽ユニット、キャラメル・ママのセッションに参加し、YMOでは楽曲を共同で制作。サポートメンバーとして国内外ツアーに帯同してきた。まずは矢野に、細野との出会いについて聞いた。
矢野:細野さんの音楽を初めて聴いたのは、たぶん私がまだ高校生の頃だったと思います。おそらく、はっぴいえんどの曲を聴いたのが最初です。そこから高校の先輩である林 立夫さんや後藤次利さんが、はっぴいえんどがいた集団のなかに寄っていくのを見て「私もそのなかに入れたらいいな」と思っていたんです。だけど、同時にクラブで演奏することも忙しい時期でもあったんですね。それがだいたい16、17歳ぐらいだったと思います。
デビュー作『JAPANESE GIRL』のレコーディングにあたり、デモテープの制作過程で細野と面識を持ったと矢野は振り返る。
矢野:スタジオで初めて会って、すぐに演奏したのが最初です。そのなかで使われた曲は、のちに『JAPANESE GIRL』の『大いなる椎の木』とか、2枚目のアルバム『いろはにこんぺいとう』でもさらに何曲か使ったりしました。
矢野:私にとっては“ベースを弾く人”としての細野さんが一番強い結びつきだと思います。それは実際にプレイをしたのもありますし、素晴らしいプレイを一緒にできた幸せがあるからです。それから、自分がデビューをして、コンサートをやるようになったんですけど、当時は私に作詞作曲の力がすごくあるわけじゃないとわかっていたんですね。だけど、好きな曲を歌いたいという思いが基本でしたから、自然と細野晴臣の曲を歌うことが多くなったんです。デビューからかなり長いあいだ、「私は世界で一番、細野晴臣の曲を歌っている矢野顕子」という風に自負しておりました。
サッシャ:デモテープを録るときにいらしていたベーシストが細野さんだったという出会いだったんですね。矢野さんは中学生の頃からジャズ喫茶に通って、ジャズミュージシャンになるために高校を中退して、10代からレストランやクラブでピアノを弾いていた経歴をお持ちです。
最後に矢野は、リスナーと聴きたい細野晴臣楽曲として『絹街道』をセレクトした。
矢野:『絹街道』は私もずっとライブでやっていた曲です。たぶん孫悟空の歌だと思うんですけど、誰も書けないような世界が書けるんですよね。そして、曲がオシャレなので大好きです!
J-WAVE『STEP ONE』の期間限定コーナー「Pen TALK ABOUT HARUOMI HOSONO」の放送は、月曜~木曜の10時55分頃から。
■9日オンエア:蓮沼執太
■10日オンエア:mei ehara
■11日オンエア:U-zhaan
■12日オンエア:水原希子
この内容をお届けしたのは、J-WAVEの番組『STEP ONE』(ナビゲーター:サッシャ、ノイハウス萌菜)内の期間限定コーナー「Pen TALK ABOUT HARUOMI HOSONO」。ここでは12月4日(水)のオンエア内容をテキストで紹介する。
radikoで音声が楽しめる
同番組では12月2日(月)~5日(木)にかけて、4人のゲストが細野晴臣について語った。それぞれオンエアの1週間後までradikoで再生可能だ。また次週は、12月9日(月)に蓮沼執太、12月10日(火)にmei ehara、12月11日(水)にU-zhaan、12月12日(木)に水原希子が登場する。■2日オンエア:安部勇磨
■3日オンエア:ゆりやんレトリィバァ
■4日オンエア:矢野顕子
■5日オンエア:いとうせいこう
はっぴいえんどが生み出す音楽に憧れを持った学生時代
11月28日、デビュー55周年の細野晴臣を特集した雑誌『Pen』(CCCメディアハウス)の2025年1月号が発売された。1969年のデビューを皮切りに、はっぴいえんど、YMOなどを経て、音楽の地平を切り拓いてきた細野。本誌は「細野晴臣と仲間たち」をテーマに、ミュージシャンやクリエイターとの共作、共演、プロデュースといったコラボレーションに着目した1冊となっている。番組では、『Pen』とのスペシャルコラボ企画を期間限定で実施。細野を愛してやまないアーティストが、彼の人物像や音楽の魅力について語る。今回は、シンガーソングライターの矢野顕子が出演。
矢野は1976年にアルバム『JAPANESE GIRL』でソロデビュー以降、YMOをはじめさまざまなアーティストと共演するなど、活動は多岐にわたる。本格デビュー前に細野の音楽ユニット、キャラメル・ママのセッションに参加し、YMOでは楽曲を共同で制作。サポートメンバーとして国内外ツアーに帯同してきた。まずは矢野に、細野との出会いについて聞いた。
矢野:細野さんの音楽を初めて聴いたのは、たぶん私がまだ高校生の頃だったと思います。おそらく、はっぴいえんどの曲を聴いたのが最初です。そこから高校の先輩である林 立夫さんや後藤次利さんが、はっぴいえんどがいた集団のなかに寄っていくのを見て「私もそのなかに入れたらいいな」と思っていたんです。だけど、同時にクラブで演奏することも忙しい時期でもあったんですね。それがだいたい16、17歳ぐらいだったと思います。
デビュー作『JAPANESE GIRL』のレコーディングにあたり、デモテープの制作過程で細野と面識を持ったと矢野は振り返る。
矢野:スタジオで初めて会って、すぐに演奏したのが最初です。そのなかで使われた曲は、のちに『JAPANESE GIRL』の『大いなる椎の木』とか、2枚目のアルバム『いろはにこんぺいとう』でもさらに何曲か使ったりしました。
コンサートで細野晴臣の曲を歌うことが多かった
矢野にとって細野はどういった存在なのだろうか?矢野:私にとっては“ベースを弾く人”としての細野さんが一番強い結びつきだと思います。それは実際にプレイをしたのもありますし、素晴らしいプレイを一緒にできた幸せがあるからです。それから、自分がデビューをして、コンサートをやるようになったんですけど、当時は私に作詞作曲の力がすごくあるわけじゃないとわかっていたんですね。だけど、好きな曲を歌いたいという思いが基本でしたから、自然と細野晴臣の曲を歌うことが多くなったんです。デビューからかなり長いあいだ、「私は世界で一番、細野晴臣の曲を歌っている矢野顕子」という風に自負しておりました。
サッシャ:デモテープを録るときにいらしていたベーシストが細野さんだったという出会いだったんですね。矢野さんは中学生の頃からジャズ喫茶に通って、ジャズミュージシャンになるために高校を中退して、10代からレストランやクラブでピアノを弾いていた経歴をお持ちです。
最後に矢野は、リスナーと聴きたい細野晴臣楽曲として『絹街道』をセレクトした。
矢野:『絹街道』は私もずっとライブでやっていた曲です。たぶん孫悟空の歌だと思うんですけど、誰も書けないような世界が書けるんですよね。そして、曲がオシャレなので大好きです!
J-WAVE『STEP ONE』の期間限定コーナー「Pen TALK ABOUT HARUOMI HOSONO」の放送は、月曜~木曜の10時55分頃から。
次週のゲストはコチラ
次週のゲストのradikoリンクは以下の通り。オンエア開始から再生可能となる。■9日オンエア:蓮沼執太
■10日オンエア:mei ehara
■11日オンエア:U-zhaan
■12日オンエア:水原希子
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2024年12月11日28時59分まで
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番組情報
- STEP ONE
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月・火・水・木曜9:00-13:00
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サッシャ、ノイハウス萌菜