藤原ヒロシがアート、デザイン、ファッション、旅などのトピックをお届けする「JUN THE CULTURE」(毎週土曜13:30〜13:50/『BLUE IN GREEN』内)。今年で8年目、前身である「JUN SOUND POOL」からだと11年続いている。藤原に、ラジオの魅力や、リバイバルブームなど現在のカルチャーに思うことなどを聞いた。
ラジオは30年くらい携わっているから、何か目新しいものがあるかと言われるとないんですけど、粛々と音楽をかけるというのは楽しいです。
テーマは毎回、スタジオに行って決めています。台本には何も書いていないんですよ(笑)。収録前に、「最近、何の映画を観ましたか?」や「先日、ロンドンに行かれていましたね」という近況への質問を受けて、そのまま話しています。
──なるほど。まっさらな状態でいつも臨まれているんですね。自由にお話ができる場所があるって素敵なことだなと思います。
でも、生きていたらそんな状況ばかりですよ(笑)。こうやって、誰かとお茶をしながら話すようなことをラジオでも喋っている感じ。「この映画がおもしろかった、つまらなかった」とか。僕は収録したものをあとで聴いたりはしないから、どこが編集されているかわからないんですけど、いつも長めに話しているような気はします。
──僕が拝聴した回では『エイリアン:ロムルス』のお話をされていました。
つまらないって話してました?
――はい(笑)。
そういうところも、ちゃんと使ってくれているんですね(笑)。
【該当記事】若き日の藤原ヒロシが影響を受けた人物とは?「10代のしがない少年の僕を誘って…」
自然体ではあったけど、ガツガツと自分を表に出したかった部分もあるかもしれないですね。当時であれば、自分の武器だったリミックスとかね。昔のラジオは、曲と曲が繋がっていなかったから、それを生でどうしてもやりたいと思っていたんですよ。それこそレコード室にCDも揃っていない時代だったので、ラジオ局ではターンテーブルでそっと針を落とすだけ。だから僕はミキサーとターンテーブルを持ち込んで、ブースの中で実行していました。6mmを自分で編集して持って行くこともあったし、もっと一生懸命でしたね(笑)。そういう意味では、ラジオはちょっとした発表の場になっていたのかもしれないです。
──藤原さんが考える、ラジオの魅力とは?
やっぱり音楽だと思います。音楽をたくさんかけることができる。
──選曲はどのように行われるんですか?
選曲もその場で、Macを立ち上げて、この曲とこの曲という風に選曲していきます。いつも新譜を1〜2曲セレクトして、旧譜も入れていく。本当に何も考えてないですね。ただ先週何をかけたか、何を話したかは忘れちゃうから、そういう部分はディレクターに確認を取りながら進めていきます。
──ラジオに関わり出した当初から、セレクトの視点は変わらず?
そこは変わってないですね。喋ることに関しては、情報というより自分がおもしろいと思ったもの、自分の好きなものに関して話す。とはいえ、映画やNetflixの作品を先に観させていただくことも多いので、少し情報的な部分はあると思うけど本当の意味での情報番組ではないですよね。どちらかというと「JUN THE CULTURE」はエッセイ番組みたいな部分はあるかもしれないです。
うーん、やっぱり音楽じゃないですかね。今はジャンルがたくさんあるから難しいかもしれないけど、自分が好きなジャンルや新譜がたくさんかかるラジオなら聴いてみたい。最近だと、ベットルームポップというのかな、インディーポップは好きですね。
──新しい情報はサブスクなどで拾ってらっしゃるんですか?
僕は、サブスクは使ってないんですよ。Spotifyにも登録していないし、購入しています。新しい音楽は、友だちとのLINEグループがあって、そこで教えてもらったりしますね。
──リスナーの感覚としては、サブスクが一般的になったからこそ、ラジオから流れてくる音楽や人に勧められる音楽の重要度が増しているような気もします。
そうですね。僕のラジオがその一翼を担えたらいいなと思います。
──Spotifyだと、藤原さんが過去に担当していた番組『MELLOW MADNESS』でオンエアされた楽曲をプレイリストにまとめている方がいました。
そうなんですか? それはありがたいですね。
過去のものっていいものがたくさんあるし、J-WAVEでもかかりますよね。そうすると新しい音楽が埋もれてしまう恐れもあるから、僕は新しい曲を聴きたいし、流したいと思っています。僕も気を抜いちゃうと過去の曲ばかり聴いてしまうところがあるから、意識的に新しいものを聴いていきたい。
──ここ最近は、過去に流行したものや時代そのものがリバイバルしている流れもあると思うんですが、藤原さんはそういった文化の循環に対してどのように考えていますか?
僕らが90年代のものを聴くのはいいんだけど、もう一度発表するとか、「いいよね」と言うのは懐古主義でつまらない。同じいいものでも、僕が言う「いいね」と10代の子たちが言う「いいね」では意味が異なると思うので、10代の子たちの思う良さを重要視してあげたほうがいいなと思います。逆に僕は新しいものを聴きたいし、発信していきたい。もちろんそこで古いものを絡めて発信できたらいい。たぶん、こういう風に考えている人は多いんじゃないかな。
──改めて、ラジオを通じて時代の移り変わりを感じたりすることはありますか?
ラジオそのもので言うと、昔は局によって差がけっこうあったけれど、今はそれがどうかな? と思いますね。J-WAVEも昔はもっと音楽寄りだった印象があるけど、今はわりとAMに近づいているというか、僕もエッセイのような感じで話しているし。個人的にはもう少し局によって差が出てもいいのかなと思います。
今はいい具合に中和されちゃいましたよね。いい音楽も流れて、喋りもたくさんあって。昔はつまらない音楽も流れていた時間とか、喋りが全くない番組とかもあった。
──なるほど。
今はどうかわからないけど、昔よくNYに行ってた頃は、そのラジオ局でしかかからないバージョンの曲がたくさんあったりしたんですよ。レコードやCDで発表されていない、ラジオ局が作ったミックスみたいなものがあった。だからそういう、J-WAVEでしかかからない曲やミックスがあってもおもしろいと思う。音楽に詳しいスタッフさんも多いじゃないですか。たとえば、『SAISON CARD TOKIO HOT 100』の上位10曲で、J-WAVE MIXバージョンをたまに流したりしたらおもしろいですよね。
良くも悪くもだと思います。音楽だけじゃなくて世の中全てがそんな感じだと思う。ある意味で全然ダメだったもののクオリティが上がったとも言えると思います。“まあまあ良いもの”が増えて底上げされた。でも、尖ったものもなくなってしまって中間のものが増えた。それが良いのか悪いのか、僕にはわからないけど、個人的にはもう少しムラのある方が好きかもしれない。
──たしかに尖ったものは少なくなりましたね。
洋服もそうだけど、好き嫌いは別として、ユニクロとかのおかげで全体的なクオリティはすごく上がりましたよね。だって、変な格好の人を街で見なくなった。昔はめちゃくちゃダサい人もいましたよね(笑)。ダサいおじさんとか最近は見ないじゃないですか?
──見ませんね。もっと奇抜な人も多かったですし。
白いシャツをジャージにインしてるおじさんとか、昔はいたような印象もあったけど、それだけクオリティが上がっているということですね。
──確実にボトムアップされている。
きっと音楽もそうなんでしょう。耳に馴染む音楽が増えた。あとは、コンプライアンスが厳しくなって、喋りに関しては過激なことを言えなくなったわけで。それでは、尖った部分は出てこないですよね。だから、つまらないと言えばつまらないし、良くなったと言えば良くなったという感じですかね。
実は、YOSHIKIくんとは30年くらい前から一緒にやっているんですよ。30年前にもリミックスをやったりしていたんですけど、それ以来会ってはなくて。たまたまパリで再会して「もう一度やりましょう」と2年前くらいから動き始めているんですけど、とても楽ですよ。裏方の人たちは大変かもしれないけど、やっている僕は非常にやりやすい。制作もめちゃくちゃスムーズですし、「こういうものを弾いて」とお願いすると「はい!」とYOSHIKIくんは弾いてくれる。
──サウンドがアンビエント調になったのはお二人のモードだったからですか?
「やりましょう」となってから、僕がやれるのはこんな感じかな?というところだったので、まず僕がトラックを作ってスタジオに持って行って、YOSHIKIくんはそのトラックを聴きながら「弾いてみます」と弾いてくれたものを持ち帰って、編集して制作をしました。YOSHIKIくんは本当に文句を言わないんです。逆にこちらが「弾きすぎ」と言ってしまうくらい(笑)。すごくスムーズで僕にとってはめちゃくちゃやりやすいパートナーではあります。
今回はとりあえずやってみようということで二人だけでやっていた感じですけど、できるのであれば今後これに色をつけていきたいし、新しい楽曲も含めて発展できたら良いなと考えています。
──発展というと、今後はボーカルを招いたり?
そうですね。誰かボーカルを入れたりするのも良いなと思います。
──ちなみに藤原さんはアイデアが常に生まれるタイプですか?
何かきっかけがあれば。例えば今回のように誰かとやりましょうということだったら、「この人とだったらこういうことができるな」とか、そういうことはすぐに出てくるかもしれない。ラジオでも最初にひと言、二言話して、キッカケがあって「じゃあ、この話をしよう」と思いつくタイプ。だから、きっと聴き返すと、何もないことを話している回もあったりするんじゃないかな? 先週食べたカレーの話みたいな、くだらない話題もあるんじゃないかなと思います(笑)。
(取材・文=笹谷 淳介)
■藤原ヒロシ プロフィール
80年代よりクラブDJを始め、85年TINNIE PUNXを高木完とともに結成し、日本のヒップホップ黎明期にダイナミックに活動。90年代からは音楽プロデュース、作曲家、アレンジャーとして活動の幅を広げる。’11年より真心ブラザースの倉持陽一とともにAOEQを結成し、その後猪野秀史、OKAMOTO’S、ユナ&ユウキ(ex:CHAI)、渡辺シュンスケ(シュローダーヘッズ)、三浦淳悟(ペトロールズ)、番長(ワンダフルボーイズ)などのミュージシャンと新たなバンドスタイルでの演奏活動を継続的に行っている。
2024年10月、新たにYOSHIKIとBLUEBYRDSとしても活動を開始した。
またワールドワイドなストリートカルチャーの牽引者としての顔も持ち、ファッションの分野でも若者に絶大な影響力を持つ。
・「JUN THE CULTURE」(毎週土曜13:30〜13:50)公式ページ
https://www.j-wave.co.jp/original/blueingreen/culture/
最新の「JUN THE CULTURE」はこちら。再生は11月3日ごろまで
ラジオの収録は、人と話をするように
──ラジオという媒体に長く携わってみて、いかがでしょう。番組のテーマはどのように決めているんですか?ラジオは30年くらい携わっているから、何か目新しいものがあるかと言われるとないんですけど、粛々と音楽をかけるというのは楽しいです。
テーマは毎回、スタジオに行って決めています。台本には何も書いていないんですよ(笑)。収録前に、「最近、何の映画を観ましたか?」や「先日、ロンドンに行かれていましたね」という近況への質問を受けて、そのまま話しています。
──なるほど。まっさらな状態でいつも臨まれているんですね。自由にお話ができる場所があるって素敵なことだなと思います。
でも、生きていたらそんな状況ばかりですよ(笑)。こうやって、誰かとお茶をしながら話すようなことをラジオでも喋っている感じ。「この映画がおもしろかった、つまらなかった」とか。僕は収録したものをあとで聴いたりはしないから、どこが編集されているかわからないんですけど、いつも長めに話しているような気はします。
──僕が拝聴した回では『エイリアン:ロムルス』のお話をされていました。
つまらないって話してました?
――はい(笑)。
そういうところも、ちゃんと使ってくれているんですね(笑)。
ミキサーとターンテーブルを持ち込んでいた時代
──2019年の放送回では、藤原さんが過去に若かりし自分をフックアップしてくれたという、J-WAVEのプロデューサーのお話をされていましたね。当時から、今のように自然体で収録に臨まれていたのでしょうか?【該当記事】若き日の藤原ヒロシが影響を受けた人物とは?「10代のしがない少年の僕を誘って…」
自然体ではあったけど、ガツガツと自分を表に出したかった部分もあるかもしれないですね。当時であれば、自分の武器だったリミックスとかね。昔のラジオは、曲と曲が繋がっていなかったから、それを生でどうしてもやりたいと思っていたんですよ。それこそレコード室にCDも揃っていない時代だったので、ラジオ局ではターンテーブルでそっと針を落とすだけ。だから僕はミキサーとターンテーブルを持ち込んで、ブースの中で実行していました。6mmを自分で編集して持って行くこともあったし、もっと一生懸命でしたね(笑)。そういう意味では、ラジオはちょっとした発表の場になっていたのかもしれないです。
──藤原さんが考える、ラジオの魅力とは?
やっぱり音楽だと思います。音楽をたくさんかけることができる。
──選曲はどのように行われるんですか?
選曲もその場で、Macを立ち上げて、この曲とこの曲という風に選曲していきます。いつも新譜を1〜2曲セレクトして、旧譜も入れていく。本当に何も考えてないですね。ただ先週何をかけたか、何を話したかは忘れちゃうから、そういう部分はディレクターに確認を取りながら進めていきます。
──ラジオに関わり出した当初から、セレクトの視点は変わらず?
そこは変わってないですね。喋ることに関しては、情報というより自分がおもしろいと思ったもの、自分の好きなものに関して話す。とはいえ、映画やNetflixの作品を先に観させていただくことも多いので、少し情報的な部分はあると思うけど本当の意味での情報番組ではないですよね。どちらかというと「JUN THE CULTURE」はエッセイ番組みたいな部分はあるかもしれないです。
リバイバルブームをどう見ているか?
──今後、「こんなラジオだったら聴いてみたい」と思うような番組はありますか?うーん、やっぱり音楽じゃないですかね。今はジャンルがたくさんあるから難しいかもしれないけど、自分が好きなジャンルや新譜がたくさんかかるラジオなら聴いてみたい。最近だと、ベットルームポップというのかな、インディーポップは好きですね。
──新しい情報はサブスクなどで拾ってらっしゃるんですか?
僕は、サブスクは使ってないんですよ。Spotifyにも登録していないし、購入しています。新しい音楽は、友だちとのLINEグループがあって、そこで教えてもらったりしますね。
──リスナーの感覚としては、サブスクが一般的になったからこそ、ラジオから流れてくる音楽や人に勧められる音楽の重要度が増しているような気もします。
そうですね。僕のラジオがその一翼を担えたらいいなと思います。
──Spotifyだと、藤原さんが過去に担当していた番組『MELLOW MADNESS』でオンエアされた楽曲をプレイリストにまとめている方がいました。
そうなんですか? それはありがたいですね。
過去のものっていいものがたくさんあるし、J-WAVEでもかかりますよね。そうすると新しい音楽が埋もれてしまう恐れもあるから、僕は新しい曲を聴きたいし、流したいと思っています。僕も気を抜いちゃうと過去の曲ばかり聴いてしまうところがあるから、意識的に新しいものを聴いていきたい。
──ここ最近は、過去に流行したものや時代そのものがリバイバルしている流れもあると思うんですが、藤原さんはそういった文化の循環に対してどのように考えていますか?
僕らが90年代のものを聴くのはいいんだけど、もう一度発表するとか、「いいよね」と言うのは懐古主義でつまらない。同じいいものでも、僕が言う「いいね」と10代の子たちが言う「いいね」では意味が異なると思うので、10代の子たちの思う良さを重要視してあげたほうがいいなと思います。逆に僕は新しいものを聴きたいし、発信していきたい。もちろんそこで古いものを絡めて発信できたらいい。たぶん、こういう風に考えている人は多いんじゃないかな。
──改めて、ラジオを通じて時代の移り変わりを感じたりすることはありますか?
ラジオそのもので言うと、昔は局によって差がけっこうあったけれど、今はそれがどうかな? と思いますね。J-WAVEも昔はもっと音楽寄りだった印象があるけど、今はわりとAMに近づいているというか、僕もエッセイのような感じで話しているし。個人的にはもう少し局によって差が出てもいいのかなと思います。
今はいい具合に中和されちゃいましたよね。いい音楽も流れて、喋りもたくさんあって。昔はつまらない音楽も流れていた時間とか、喋りが全くない番組とかもあった。
──なるほど。
今はどうかわからないけど、昔よくNYに行ってた頃は、そのラジオ局でしかかからないバージョンの曲がたくさんあったりしたんですよ。レコードやCDで発表されていない、ラジオ局が作ったミックスみたいなものがあった。だからそういう、J-WAVEでしかかからない曲やミックスがあってもおもしろいと思う。音楽に詳しいスタッフさんも多いじゃないですか。たとえば、『SAISON CARD TOKIO HOT 100』の上位10曲で、J-WAVE MIXバージョンをたまに流したりしたらおもしろいですよね。
ファッションも音楽も「中間のもの」が増えた
──先ほど、中和というワードが出てきましたが藤原さん的に今の中和状態についてどう考えていますか?良くも悪くもだと思います。音楽だけじゃなくて世の中全てがそんな感じだと思う。ある意味で全然ダメだったもののクオリティが上がったとも言えると思います。“まあまあ良いもの”が増えて底上げされた。でも、尖ったものもなくなってしまって中間のものが増えた。それが良いのか悪いのか、僕にはわからないけど、個人的にはもう少しムラのある方が好きかもしれない。
──たしかに尖ったものは少なくなりましたね。
洋服もそうだけど、好き嫌いは別として、ユニクロとかのおかげで全体的なクオリティはすごく上がりましたよね。だって、変な格好の人を街で見なくなった。昔はめちゃくちゃダサい人もいましたよね(笑)。ダサいおじさんとか最近は見ないじゃないですか?
──見ませんね。もっと奇抜な人も多かったですし。
白いシャツをジャージにインしてるおじさんとか、昔はいたような印象もあったけど、それだけクオリティが上がっているということですね。
──確実にボトムアップされている。
きっと音楽もそうなんでしょう。耳に馴染む音楽が増えた。あとは、コンプライアンスが厳しくなって、喋りに関しては過激なことを言えなくなったわけで。それでは、尖った部分は出てこないですよね。だから、つまらないと言えばつまらないし、良くなったと言えば良くなったという感じですかね。
YOSHIKIとの制作を振り返る
──藤原さんの最近の活動のお話だと、YOSHIKIさんとのコラボレーション『BLUEBYRDS』が始動されました。YOSHIKIさんとの制作はいかがですか?実は、YOSHIKIくんとは30年くらい前から一緒にやっているんですよ。30年前にもリミックスをやったりしていたんですけど、それ以来会ってはなくて。たまたまパリで再会して「もう一度やりましょう」と2年前くらいから動き始めているんですけど、とても楽ですよ。裏方の人たちは大変かもしれないけど、やっている僕は非常にやりやすい。制作もめちゃくちゃスムーズですし、「こういうものを弾いて」とお願いすると「はい!」とYOSHIKIくんは弾いてくれる。
──サウンドがアンビエント調になったのはお二人のモードだったからですか?
「やりましょう」となってから、僕がやれるのはこんな感じかな?というところだったので、まず僕がトラックを作ってスタジオに持って行って、YOSHIKIくんはそのトラックを聴きながら「弾いてみます」と弾いてくれたものを持ち帰って、編集して制作をしました。YOSHIKIくんは本当に文句を言わないんです。逆にこちらが「弾きすぎ」と言ってしまうくらい(笑)。すごくスムーズで僕にとってはめちゃくちゃやりやすいパートナーではあります。
今回はとりあえずやってみようということで二人だけでやっていた感じですけど、できるのであれば今後これに色をつけていきたいし、新しい楽曲も含めて発展できたら良いなと考えています。
──発展というと、今後はボーカルを招いたり?
そうですね。誰かボーカルを入れたりするのも良いなと思います。
──ちなみに藤原さんはアイデアが常に生まれるタイプですか?
何かきっかけがあれば。例えば今回のように誰かとやりましょうということだったら、「この人とだったらこういうことができるな」とか、そういうことはすぐに出てくるかもしれない。ラジオでも最初にひと言、二言話して、キッカケがあって「じゃあ、この話をしよう」と思いつくタイプ。だから、きっと聴き返すと、何もないことを話している回もあったりするんじゃないかな? 先週食べたカレーの話みたいな、くだらない話題もあるんじゃないかなと思います(笑)。
(取材・文=笹谷 淳介)
■藤原ヒロシ プロフィール
80年代よりクラブDJを始め、85年TINNIE PUNXを高木完とともに結成し、日本のヒップホップ黎明期にダイナミックに活動。90年代からは音楽プロデュース、作曲家、アレンジャーとして活動の幅を広げる。’11年より真心ブラザースの倉持陽一とともにAOEQを結成し、その後猪野秀史、OKAMOTO’S、ユナ&ユウキ(ex:CHAI)、渡辺シュンスケ(シュローダーヘッズ)、三浦淳悟(ペトロールズ)、番長(ワンダフルボーイズ)などのミュージシャンと新たなバンドスタイルでの演奏活動を継続的に行っている。
2024年10月、新たにYOSHIKIとBLUEBYRDSとしても活動を開始した。
またワールドワイドなストリートカルチャーの牽引者としての顔も持ち、ファッションの分野でも若者に絶大な影響力を持つ。
・「JUN THE CULTURE」(毎週土曜13:30〜13:50)公式ページ
https://www.j-wave.co.jp/original/blueingreen/culture/