歌人の伊藤 紺と俳優の見上 愛がJ-WAVEで対談。見上が伊藤のお気に入りの短歌を紹介しつつ、言葉について語り合った。
2人がトークを繰り広げたのは、7月14日(日)にJ-WAVEで放送された『J-WAVE SELECTION INPEX THE ENERGY OF WORDS』。見上 愛がナビゲーターを務め、私たちの日常にあふれている「言葉」のエナジーに迫った。
見上:知らないうちに短歌を目にしていたかもしれないけれど、短歌を短歌と認識して読むのは初めてでした。すごく素敵でした。伊藤さんと時間を共有していないはずなのに同じ時間を過ごしていたんじゃないかって気持ちになったり、言葉の合わせ方がすごくおもしろいなって。
伊藤:よかった。
見上:私の好きな短歌を紹介すると……。「言葉にならんときは黙ってていいってただしい大人はみんな知っている」これはすごいスッと入ってきて。
伊藤:親戚が亡くなったとき、義理の兄がその親戚とも仲がよかったので、この人は何て言うのかなって思っていたんですね。(自分が)こういうときになんて言ったらいいかわからない、世間知らずだったので。そうしたら無言で近づいていって止まってうなずいたんです。それだけでお母さんも無言でうなずいて去って行って、何もしゃべらなくていいんだって。そういう場ってお悔やみを申し上げますとか何か定型文があって、それをちゃんと大人は上手にしゃべらなくてはいけないと思っていたんです。でも、本当に苦しい場面、本当に大事な場面ではしゃべらなくてもいいんだってことがすごく新鮮だったというか。驚いて。義理の兄のやり方もカッコいいなって。そのときのことを書いた歌です。
見上:そのときの気持ちをこうやって言語化してくださり、ありがとうございます。すごい。
伊藤:そのときは、すぐに短歌になるわけじゃないんですけど、何となく覚えていて、すごいことだったなって思ったのを後から確認することが多いです。
見上:言葉の魔術師ですね。
『チエちゃんと私』は、一人暮らしをしていた主人公・カオリが率直で嘘のない7歳年下のいとこ・チエちゃんとの奇妙な共同生活の中で、人生を見つめ直す再生の物語。家族、仕事、お金、欲望など、いろいろな人生の大切なものがテーマになっている。
見上:この本はいつ出会ったんですか。
伊藤:けっこう最近です。よしもとばななさんがすごく好きなんですけど、著作を全部読めていなかったので、全部読むぞってことを今やっていて。4月くらいに公園で読書して最後まで読み切りました。
見上:どんなことを感じました?
伊藤:チエちゃんは無口で社会に馴染んでいる感じのタイプではない人物なんですけど、チエちゃんと出会うことで主人公・カオリの人生が豊かになっていくんですね。それが自分にとっての短歌という存在にすごく似ているなと思って。自分も短歌に出会って、短歌が自分にぴったりとハマって自分の中に揺るがない価値観みたいなものができてきて。たとえば世間からの反応で、どう思われるかというのを気にしなくなって、自分の中の大事なことがすごくはっきりしてきた。私にとってのチエちゃんは短歌なんだなってすごく思いました。
見上:私も好きで聴いてます。
伊藤:うわ、うれしい。最高ですね。
見上:どういう印象を受けましたか。
伊藤:私、カネコアヤノさんが大好きでライブも何回か行っているんですけど、同世代のヒーローだなと思っていて。歌が強くなる理由の1つとして、歌詞を歌うんだけど、その歌詞の意味と同時にその歌詞とは別の意味が鳴ってくるみたいなものがあると思うんですね。この曲は『さびしくない』って曲で、さびしくないって繰り返すんですけど、また別の世界でさみしさがすごく燃えているような印象を受ける。その2つの感情の混ざり合いみたいなものが歌でバッとぶつかっている感じがして、そこに胸が熱くなるし、歌の可能性、人間ができる可能性をすごく感じる曲です。
見上は伊藤の話を聞いて、カネコアヤノの『ラッキー』を思い出したという。
見上:『ラッキー』って聞いたら、とびきりハッピーなうれしいことのように思うけど、すごく暗い感じのマイナーな曲調で始まって。その言葉の持つ意味を1つにしないっていうところがすごくカネコさんの良さだなって思いました。
伊藤:なかなかできることじゃないと思っていて。短歌も歌なのでそういう風なことができたらいいなって思うんですけど難しいですね。
見上:私は(伊藤さんの本を)読ませていただいて、そうでしたよ。
「ほんの少しあなたに多くよそうのは愛ではなくてそういう生き様」
見上:これ、最後の「生き様」に震えちゃいましたよ。
伊藤:これは前に友だちがハンバーグを焼いて、きれいなほうをあなたにあげることこそが愛だって言っていて。でも私はそうは思わないんですね。それが愛なのではなくて、私は自分の主義としてどんなにあなたが嫌いだとしても、きれいに焼けたほうをあげたいんですよ。
見上:ああ、なるほど。
伊藤:そう思ったことを書きました。何かをしてあげるっていうことが愛で、それが愛情表現なのではなくて、私が他者に対し最低限の礼儀として備わっていることなんだよなっていう。こうやって説明すると、こんなに小さいことって思っちゃうじゃないですか。でも自分の中ではすごく大事で大きなことなんですよね。見上さんはきれいに焼けたほうをあげますか?
見上:訊きますね。どっちがいいって(笑)。
伊藤:新しい。平和ですね。それが一番いいな。新時代な感じがします。
見上:きれいなほうを渡すことによって、気を使っていると思われることも恥ずかしくなっちゃう瞬間ってあるじゃないですか。相手との距離感にもよるんですけど、それが恥ずかしくて全部言葉にしちゃいますね。恥ずかしいんです(笑)。
伊藤:言葉の面白さは、形がないところかなって思っていて。実体がないというか。一応、本になるし文字になるし、そうやって形になることもあるんだけど、たとえば絵画とかって実際に絵があってはじめて見られるし、音楽も流すから聴ける。でも言葉って覚えてしまえば何度も頭の中で再生できるし、覚えてしまえば自分で書くこともできてしまう。形がないからこそ水を飲んだり、食べ物を食べたりするように、自分の中にそのまま取り込むことができて、その言葉と一緒に生きていけることができるのが言葉だけではないと思うけど、言葉ってそういうところがあって、そこがすごくおもしろいところだなって思っています。
一方、言葉の怖さについて伊藤はこう語る。
伊藤:怖いところはいっぱいありますよね。何かそうじゃない伝わり方をしてしまうときがある。私はしゃべるのが苦手で、出てこないんですよ。しゃべれないからこそ、何か迷い困ってパッと出した言葉が間違えたって。1回それで出ちゃうと「この人ってこう思っているんだ」みたいな。そういう具体的で、しっかり意味のあるものと、捉えられてしまう。そういう意味じゃなかったんですよって言うのも白々しいじゃないですか(笑)。
見上:確かに。何を言っても言い訳になっちゃいますよね。
伊藤:そういうところが本当に怖いし、なるべくしゃべりたくないなって思っています(笑)。
見上:じゃあ、自分がこう思って書いたのと、受け取られ方のギャップに対して思うことってありますか?
伊藤:ギャップはよくあって。それこそおもしろいところでもあるなと思って。けっこう「泣ける」って言ってくれる人もいるんですね。でも一方でめちゃくちゃ笑いましたっていう人もいるんです。ケラケラ笑うわけじゃないけど思わずわらっちゃうこととか、人によって同時に起きていて。それってうれしいんですよね。それで言うと絶対に泣けるものとか、絶対に笑えるものって、そもそも存在しないと思うんですけど、そういう反応が返ってきたら怖くなるっていうか。これからもそれを続けていかなくちゃいけない気がしているし、どこか嘘くさい気がするんです。絶対にこうって。人の気持ちなんてそれぞれみんな違うし、タイミングとか育ってきた環境も違うのに。だから、何か1つの言葉を自分が突き詰めて作った言葉なのに、受け取り方がうわって変わって広がっていくみたいなのが、おもしろいですね。
見上:普段、私は言葉と関わるってなるとセリフを発することが圧倒的に多くて、それがもう自分で考えた言葉ではないのだけれど、それを自分なりに解釈して発しなくちゃいけなくて。それこそオーディションとか行くと、同じセリフをいろんな人がいろんな語り方で、いろんな表現で話しているのを見て、そこにみんなの人生を垣間見るというか。今まで育ってきた背景をすごく垣間見る瞬間があって。だから伊藤さんの短歌を読んだ人たちで感想会をやりたいです。ぜひ。
伊藤 紺の最新情報は、エックス、インスタグラムの公式アカウントまで。
2人がトークを繰り広げたのは、7月14日(日)にJ-WAVEで放送された『J-WAVE SELECTION INPEX THE ENERGY OF WORDS』。見上 愛がナビゲーターを務め、私たちの日常にあふれている「言葉」のエナジーに迫った。
時間を共有していないのに同じ時間を過ごしている感覚
伊藤は昨年12月に第三歌集の最新刊『気がする朝』(ナナロク社)を発表。見上はこの一冊を読み「気になる短歌が多すぎて、たくさんメモをしてしまった」と笑う。見上:知らないうちに短歌を目にしていたかもしれないけれど、短歌を短歌と認識して読むのは初めてでした。すごく素敵でした。伊藤さんと時間を共有していないはずなのに同じ時間を過ごしていたんじゃないかって気持ちになったり、言葉の合わせ方がすごくおもしろいなって。
伊藤:よかった。
見上:私の好きな短歌を紹介すると……。「言葉にならんときは黙ってていいってただしい大人はみんな知っている」これはすごいスッと入ってきて。
伊藤:親戚が亡くなったとき、義理の兄がその親戚とも仲がよかったので、この人は何て言うのかなって思っていたんですね。(自分が)こういうときになんて言ったらいいかわからない、世間知らずだったので。そうしたら無言で近づいていって止まってうなずいたんです。それだけでお母さんも無言でうなずいて去って行って、何もしゃべらなくていいんだって。そういう場ってお悔やみを申し上げますとか何か定型文があって、それをちゃんと大人は上手にしゃべらなくてはいけないと思っていたんです。でも、本当に苦しい場面、本当に大事な場面ではしゃべらなくてもいいんだってことがすごく新鮮だったというか。驚いて。義理の兄のやり方もカッコいいなって。そのときのことを書いた歌です。
見上:そのときの気持ちをこうやって言語化してくださり、ありがとうございます。すごい。
伊藤:そのときは、すぐに短歌になるわけじゃないんですけど、何となく覚えていて、すごいことだったなって思ったのを後から確認することが多いです。
見上:言葉の魔術師ですね。
登場人物の存在と短歌がすごく似ていた
伊藤はエナジーになっている言葉として、よしもとばななの小説『チエちゃんと私』(文春文庫)の一文「私は燃えるような謎でできている」を紹介した。『チエちゃんと私』は、一人暮らしをしていた主人公・カオリが率直で嘘のない7歳年下のいとこ・チエちゃんとの奇妙な共同生活の中で、人生を見つめ直す再生の物語。家族、仕事、お金、欲望など、いろいろな人生の大切なものがテーマになっている。
見上:この本はいつ出会ったんですか。
伊藤:けっこう最近です。よしもとばななさんがすごく好きなんですけど、著作を全部読めていなかったので、全部読むぞってことを今やっていて。4月くらいに公園で読書して最後まで読み切りました。
見上:どんなことを感じました?
伊藤:チエちゃんは無口で社会に馴染んでいる感じのタイプではない人物なんですけど、チエちゃんと出会うことで主人公・カオリの人生が豊かになっていくんですね。それが自分にとっての短歌という存在にすごく似ているなと思って。自分も短歌に出会って、短歌が自分にぴったりとハマって自分の中に揺るがない価値観みたいなものができてきて。たとえば世間からの反応で、どう思われるかというのを気にしなくなって、自分の中の大事なことがすごくはっきりしてきた。私にとってのチエちゃんは短歌なんだなってすごく思いました。
歌の可能性、人間ができる可能性をすごく感じる曲
番組では伊藤はエナジーになっている音楽として、カネコアヤノの『さびしくない』を紹介した。見上:私も好きで聴いてます。
伊藤:うわ、うれしい。最高ですね。
見上:どういう印象を受けましたか。
伊藤:私、カネコアヤノさんが大好きでライブも何回か行っているんですけど、同世代のヒーローだなと思っていて。歌が強くなる理由の1つとして、歌詞を歌うんだけど、その歌詞の意味と同時にその歌詞とは別の意味が鳴ってくるみたいなものがあると思うんですね。この曲は『さびしくない』って曲で、さびしくないって繰り返すんですけど、また別の世界でさみしさがすごく燃えているような印象を受ける。その2つの感情の混ざり合いみたいなものが歌でバッとぶつかっている感じがして、そこに胸が熱くなるし、歌の可能性、人間ができる可能性をすごく感じる曲です。
見上は伊藤の話を聞いて、カネコアヤノの『ラッキー』を思い出したという。
見上:『ラッキー』って聞いたら、とびきりハッピーなうれしいことのように思うけど、すごく暗い感じのマイナーな曲調で始まって。その言葉の持つ意味を1つにしないっていうところがすごくカネコさんの良さだなって思いました。
伊藤:なかなかできることじゃないと思っていて。短歌も歌なのでそういう風なことができたらいいなって思うんですけど難しいですね。
見上:私は(伊藤さんの本を)読ませていただいて、そうでしたよ。
愛なのではなく自分の主義
見上は、好きな伊藤の短歌をもう1つ紹介した。「ほんの少しあなたに多くよそうのは愛ではなくてそういう生き様」
見上:これ、最後の「生き様」に震えちゃいましたよ。
伊藤:これは前に友だちがハンバーグを焼いて、きれいなほうをあなたにあげることこそが愛だって言っていて。でも私はそうは思わないんですね。それが愛なのではなくて、私は自分の主義としてどんなにあなたが嫌いだとしても、きれいに焼けたほうをあげたいんですよ。
見上:ああ、なるほど。
伊藤:そう思ったことを書きました。何かをしてあげるっていうことが愛で、それが愛情表現なのではなくて、私が他者に対し最低限の礼儀として備わっていることなんだよなっていう。こうやって説明すると、こんなに小さいことって思っちゃうじゃないですか。でも自分の中ではすごく大事で大きなことなんですよね。見上さんはきれいに焼けたほうをあげますか?
見上:訊きますね。どっちがいいって(笑)。
伊藤:新しい。平和ですね。それが一番いいな。新時代な感じがします。
見上:きれいなほうを渡すことによって、気を使っていると思われることも恥ずかしくなっちゃう瞬間ってあるじゃないですか。相手との距離感にもよるんですけど、それが恥ずかしくて全部言葉にしちゃいますね。恥ずかしいんです(笑)。
オーディションでそれぞれの人生を垣間見る
見上は「短歌を作るようになって感じた言葉の面白さと怖さは?」と伊藤に質問を投げかける。伊藤:言葉の面白さは、形がないところかなって思っていて。実体がないというか。一応、本になるし文字になるし、そうやって形になることもあるんだけど、たとえば絵画とかって実際に絵があってはじめて見られるし、音楽も流すから聴ける。でも言葉って覚えてしまえば何度も頭の中で再生できるし、覚えてしまえば自分で書くこともできてしまう。形がないからこそ水を飲んだり、食べ物を食べたりするように、自分の中にそのまま取り込むことができて、その言葉と一緒に生きていけることができるのが言葉だけではないと思うけど、言葉ってそういうところがあって、そこがすごくおもしろいところだなって思っています。
一方、言葉の怖さについて伊藤はこう語る。
伊藤:怖いところはいっぱいありますよね。何かそうじゃない伝わり方をしてしまうときがある。私はしゃべるのが苦手で、出てこないんですよ。しゃべれないからこそ、何か迷い困ってパッと出した言葉が間違えたって。1回それで出ちゃうと「この人ってこう思っているんだ」みたいな。そういう具体的で、しっかり意味のあるものと、捉えられてしまう。そういう意味じゃなかったんですよって言うのも白々しいじゃないですか(笑)。
見上:確かに。何を言っても言い訳になっちゃいますよね。
伊藤:そういうところが本当に怖いし、なるべくしゃべりたくないなって思っています(笑)。
見上:じゃあ、自分がこう思って書いたのと、受け取られ方のギャップに対して思うことってありますか?
伊藤:ギャップはよくあって。それこそおもしろいところでもあるなと思って。けっこう「泣ける」って言ってくれる人もいるんですね。でも一方でめちゃくちゃ笑いましたっていう人もいるんです。ケラケラ笑うわけじゃないけど思わずわらっちゃうこととか、人によって同時に起きていて。それってうれしいんですよね。それで言うと絶対に泣けるものとか、絶対に笑えるものって、そもそも存在しないと思うんですけど、そういう反応が返ってきたら怖くなるっていうか。これからもそれを続けていかなくちゃいけない気がしているし、どこか嘘くさい気がするんです。絶対にこうって。人の気持ちなんてそれぞれみんな違うし、タイミングとか育ってきた環境も違うのに。だから、何か1つの言葉を自分が突き詰めて作った言葉なのに、受け取り方がうわって変わって広がっていくみたいなのが、おもしろいですね。
見上:普段、私は言葉と関わるってなるとセリフを発することが圧倒的に多くて、それがもう自分で考えた言葉ではないのだけれど、それを自分なりに解釈して発しなくちゃいけなくて。それこそオーディションとか行くと、同じセリフをいろんな人がいろんな語り方で、いろんな表現で話しているのを見て、そこにみんなの人生を垣間見るというか。今まで育ってきた背景をすごく垣間見る瞬間があって。だから伊藤さんの短歌を読んだ人たちで感想会をやりたいです。ぜひ。
伊藤 紺の最新情報は、エックス、インスタグラムの公式アカウントまで。
番組情報
- J-WAVE SELECTION INPEX THE ENERGY OF WORDS
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2024年7月14日(日)22:00-22:54