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さとうほなみに聞く、「綾野剛と溺れかける」「土手ゴロゴロ」 身体を張った『花腐し』撮影秘話

さとうほなみに聞く、「綾野剛と溺れかける」「土手ゴロゴロ」 身体を張った『花腐し』撮影秘話

映画賞総なめの予感。ゲスの極み乙女のドラマーとして知られるほな・いこかが、俳優のさとうほなみとして本格的に大開花した。松浦寿輝による芥川賞受賞小説を映画化した『花腐し』(11月10日公開)で、2人の男の過去にたゆたう女・祥子を体当たり熱演。身も心も祥子にささげた演者としての凄みが、毎シーンに渡って色濃く反射している。果たしてどのような思いで作品に向き合ったのか?さとうに単独インタビューを実施した。

芥川賞受賞作を大胆に超訳

低迷するピンク映画業界で5年も映画を撮れていない監督・栩谷(綾野剛)と、脚本家としての夢を諦めた怪しげな男・伊関(柄本佑)。2人はかつて愛した一人の女・祥子(さとうほなみ)に想いを馳せていく。女優を夢見たはずの祥子はなぜ他の男と心中を図ったのか?マジックマッシュルームの黴臭さが沈殿する廃墟のようなアパートの一室を舞台に、現在と過去が混濁していく……。

『Wの悲劇』『ヴァイブレータ』で知られる名脚本家・荒井晴彦がメガフォンを取り、原作小説を大胆かつ極私的に脚色。映画への情景と、失った愛へのレクイエムとして再構築した渾身の一作だ。

「花腐し」予告編(11月10日(金)全国公開)

オーディションを経て祥子役を掴んださとうも、脚本を一読した段階で荒井版『花腐し』は極私的な経験から生まれた物語だと直感した。「セリフの選び方やエピソードなど、もろ荒井さんのお話。祥子が伊関に見せる雑誌も実際に荒井さんが載っている雑誌です。脚本家志望だった過去を持つ伊関はもちろんのこと、映画を撮れない監督の栩谷からも荒井さんの影を感じました。原作にはない成人映画業界という設定も含めて、かつてその業界に身を置いていた荒井さんが見てきたもの、感じてきたものがダイレクトに物語に反映されています」。

その場で生まれたものを大事に

奇しくも同じ女性・祥子を愛していた栩谷と伊関は、まるでコインの表裏のような関係。そんな2人が語る祥子の思い出は鮮やかなカラーで描かれ、卯の花を腐らせてしまいそうな長雨の続く現在はモノクロ処理される。女優になる夢を持ち続けながらも、栩谷の友人である映画監督と入水自殺をしてしまう悲しき祥子を、さとうはあえて持ち前の明るさを持って演じた。男2人が回想する祥子が明るくひた向きであればあるほど、モノクロで映される現在に喪失の陰りが効果的に落ちる。

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©2023「花腐し」製作委員会

見事な演技プランであると感嘆したいところだが、さとうは決まりきった「役作り」には懐疑的だ。「どの作品においても、役作りというなら人物の背景把握くらいでしょうか。それは決めつけて演じたくないという思いがあるからです。ほかの役者の方から『何も用意せずに現場に挑むのは怖い』と聞いたことがありますが、私はそこに恐怖はありません。セリフを交わす相手と対峙して私の演技を受けていただき、私も相手の反応を受け取って、そこから生まれたものを放出する。その場の空気や感覚を私は大切にしたい。……とカッコいいことを言っていますが、単に何も考えていないだけかも」と無邪気に笑う。

豪雨シーンで溺れそうになる

何も考えていない人が、一つの作品で自分の肉体をここまで酷使し、奉仕することはできまい。まずは寒々しい浜辺に祥子が遺体として打ち上げられている場面。「祥子の地元が北の方という設定なので、新潟の浜辺で撮影しました。雪の降る浜辺に上がる水死体という描写にするために、あえて年越しして寒い1月にロケ。酷なことをさせるなあと思いながらも頑張ってやってみたものの、その年だけ珍しく雪が積もっていないというオチがつきました」と苦笑いだ。

次は土手ゴロゴロ。荒井監督がかつて脚本を手掛けた日活ロマンポルノ『母娘監禁 牝』(1987年)へのオマージュ的劇中劇で、さとうはピンク映画界のレジェンド級俳優・伊藤清美と取っ組み合いの喧嘩をしながら2人で土手をハードに転がり落ちる。「私が清美さんを守らねばと思って庇いながら転がり落ちるつもりでしたが、勢い余って途中で放してしまって……テイク2。一発OK狙いで気合いを入れてゴロゴロしたので、体中が泥だらけのアザだらけでした」と苦労を物語るが、本人はケロッとしている。
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©2023「花腐し」製作委員会

昨年急逝した劇画家で映画監督の石井隆の諸作品を意識した土砂降りシーン。映画人のたまり場である深夜の新宿ゴールデン街の路上で、祥子と栩谷は激しい雨に打たれてキスをする。「まるで滝行! 仰向けに寝転がったので口と鼻に大量の水が入って、綾野さんと2人でゴボゴボと溺れかけました」と自身初の雨降らしシーンの洗礼を受けたが、実はこの場面は本作にとって重要な箇所だったりする。

「『万葉集』に書かれている“花腐し”の語源の詩の世界を映像として具現化した場面で、オーディションでもそのシーンを演じました。栩谷との本格的な出会いの場面であり、ここから負の物語が始まるようなところもあり、2人の関係性を象徴するような雨とザリガニが出てくる。『花腐し』にとっての要のシーンです」と力を込める。

濡れ場を演じるスタンス

そして栩谷と伊関を相手に様々に行われる、一糸まとわぬ濡れ場。男性の影に隠れて歩いているような普段とは違う、大胆さのギャップに祥子という女性の奥深さが浮かび上がってくる。裸体をさらすシーンは演じるハードルも高いように思われるが「単なる濡れ場ではなく、そこにもしっかりとした意味と物語が込められているので、臆することはありませんでした。よく『肝が据わっているね』と言われることがありますが、そんなことはなくて、物語に必要不可欠であれば性行為という描写に対しても拒絶する意識がないだけです」と俳優としてのスタンスを口にする。

栩谷を前にして祥子がカラオケで歌うのは、山口百恵のラストソング『さよならの向う側』。その歌詞は、祥子が辿ることになる最期を仄めかしているようで胸に迫って来る。ストーリーに歌謡曲を忍ばせて歌詞に感情を語らせる技法は、まさに荒井節。さとうは長回し撮影の中、フルコーラス熱唱した。

「リハーサルの段階では恥ずかしがりながらマイクを持って立ち上がりました。けれど祥子は十八番として自信満々にあの曲を入れている。荒井さんとも『祥子ならばこれを聴け!という感じで歌うだろう』と意見が一致したので、本番では思い切り歌うことにしました。私自身の恥ずかしさはそこで取っ払いました。祥子が腹を括ったわけですから、私も同じように腹を括らないと」。
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エンドロール終了後の激エモ

さとうが歌う『さよならの向う側』はエンドロールにも使用され、最後の最後に思いがけないエモーション演出が炸裂する。場内が明るくなるまで退席は厳禁だ。「湯布院映画祭で一般のお客さんに交じって『花腐し』を観た時、エンドロールの途中で席を立ってしまう観客を思わず引き留めそうになりました」とさとうは振り返りながら「エンドロールの最後までしっかり見てください!そこに凄まじいエモが待っていますから!」と劇場公開に向けて注意喚起する。

お世辞を抜きにして、俳優・さとうほなみに自身初の映画賞をもたらす予感すらある。その指摘にさとうは恐縮しつつ「今の私が『花腐し』に出会えたのは意味があると思います。俳優として成長したという大それたことは言えませんが、祥子を演じられたのは幸せなこと。素晴らしい作品に携わることが出来て、俳優として大きな経験をいただきました」と手応えを得ている。今後の展開に期待だ。
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(文=石井隼人、撮影=村松巨規)

作品概要

タイトル:『花腐し』
公開日:11月10日(金)テアトル新宿ほか全国公開
配給:東映ビデオ
コピーライト:©2023「花腐し」製作委員会

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