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災害時、まず動くのは「建設会社」─さらに災害廃棄物の処理も。意外と知らない建設業の役割を、奥村組に聞く

災害時、まず動くのは「建設会社」─さらに災害廃棄物の処理も。意外と知らない建設業の役割を、奥村組に聞く

提供:株式会社奥村組

自然災害発生時にメディアで目にするのは、人命救助などに活躍する自衛隊や警察、消防の姿。しかし、建設会社も災害発生直後からさまざまな貢献をしていることをご存じだろうか? 例えば、自衛隊や警察、消防が現場に入れるのも、まず被災地の地元建設会社が、道路を塞いだガレキを除去してくれているからだ。災害対応のほかにも、防災・減災に寄与する技術の開発、普及展開など、建設会社は多方面から私たちの安全な暮らしを支えてくれている。

災害時における具体的な取り組みを伺うべく、総合建設会社「奥村組」の技術本部 技術戦略部 環境技術担当部長・大塚義一さんにインタビュー。聞き手は、J-WAVEの番組『RADIO DONUTS』でナビゲーターを務め、気象予報士や防災士の資格を持つタレントの山田玲奈が務めた。

まず「道路を開く」 被災地の救援・物資輸送ルートを確保する重要な作業

地形や地質、気象といった自然条件により、災害が発生しやすいとされる日本。この災害大国に暮らす以上、地震、津波、台風、豪雨などの脅威は、いつわが身へ降りかかってもおかしくない自分事だ。よって、万が一の備えとして防災に関する知識を身に付けておくべきと言える。

気象予報士の資格を持つ山田も、災害時の対処法を知っておきたいとの思いから、「防災士」の資格を取得したという。しかし、そんな防災意識の高い彼女でさえ、自然災害の被災地で建設会社が重要なタスクを担っていることは知らなかったそうだ。

山田:自然災害が発生したときに、自衛隊や救急車が駆けつけることは知っていました。でも、その前に建設会社さんが作業にあたられていたとは。

大塚:たしかに、ご存じない方のほうが多いかもしれませんね。全国47都道府県には建設業協会という、地元建設会社などで組織された団体があります。各建設業協会は国や自治体と災害協定を結んでいて、いざ事が起これば協定に基づいて地元建設会社が速やかに出動し、例えば、災害により道路がガレキで塞がれてしまった場合には、いち早く救援ルートや物資輸送経路を確保するために「道路啓開」と呼ばれる作業にあたっています。
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株式会社奥村組 技術本部 技術戦略部 環境技術担当部長 大塚義一さん。地球環境学 博士、建設部門の技術士であり、京都大学大学院地球環境学舎特任講師も務める

山田:「道路啓開」、初めて聞きました!

大塚:道路啓開は、読んで字の如く、道路を啓開……つまり「道を開く」ために、ブルドーザーやショベルカーなどの重機で、道を塞ぐガレキを道路脇に寄せる作業です。寄せられたガレキは、そのまま置きっぱなしにするわけにはいかないので、素早く処分しなければなりません。でも、このいわゆる“災害廃棄物”は、木材や鉄もあれば、可燃物も不燃物もあって、ごちゃ混ぜの状態で、毎日一定量を分別して処分していくのは本当に大変なんです。
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道路啓開後の様子。発災初期に行う重要な作業/写真提供:奥村組

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東日本大震災後に、岩手県山田町で災害廃棄物処理を行う様子/写真提供:奥村組

山田:災害廃棄物はどこへ?

大塚:まずは一次仮置場や二次仮置場という、被災地に設けられた集約施設へ搬入します。一次仮置場では、建物の柱材、角材など、比較的ピックアップしやすいもの、まとめやすいものを集積し、簡易的な粗選別を行ったあと、二次仮置場に運び込んでより細かな選別をします。こうして分別した災害廃棄物を最終的な受け入れ施設に運び込むのですが、その施設側の受け入れ条件が千差万別で。たとえば、可燃物を処理する焼却施設も複数あって、施設ごとに受け入れられる廃棄物の量が違いますし、「塩ビパイプ・発泡スチロールは不可」といったように持ち込むことができない廃棄物の種類や搬入可能時間など、細かな指定もさまざまなんです。

山田:それは大変ですね……。

大塚:特に、東日本大震災のときはたくさんの受け入れ施設に運搬しなければならなかったので、ロスなく的確に運搬する必要がありました。そこで当社は、「廃棄物統合管理システム」というツールを、伊藤忠テクノソリューションズさんと共同で開発しました。災害廃棄物の種類、重量、ダンプトラックの運行状況などの情報をクラウド上で一元管理し、当社だけでなく、発注者である岩手県や環境省の方など、様々な関係者にも“見える化”するもので、業務管理が格段に省力化されるとともに、情報共有も容易になりました。

山田:システム開発により業務を効率化されているんですね。
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J-WAVEでは『RADIO DONUTS』のナビゲーターを務める山田玲奈。気象予報士、防災士の資格を持つ。

大塚:そうなんです。この「廃棄物統合管理システム」を導入したことによって大幅な業務効率化が実現し、通常5名程度で行っていた進捗管理などの業務を、たった1名で行えるようになりました。もちろん、本業の建設事業においても、安全に効率よく施工できるシステムの開発や、先進的なICTの導入を進めているんです。
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山田町での災害廃棄物処理の様子。適切に処理するため、手作業で選別していくことも。写真提供:奥村組

阪神・淡路大震災での復旧工事─「数年かかる」を74日間で完遂。

近年における日本の自然災害史は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災、そして、2011年3月11日に発生した東日本大震災を抜きには語れない。2つの未曽有の大災害に際し、奥村組が果たした役割とは何なのか。まずは、阪神・淡路大震災について、大塚さんに聞いた。

大塚:阪神・淡路大震災でも当社はさまざまな場所で復旧・復興に尽力しました。当社が担当させていただいたなかに、JR神戸線「六甲道駅」の復旧工事があります。「六甲道駅」は大打撃を受けたJR神戸線(東海道本線)のなかでも特に被害が大きく、線路が走る高架橋が崩落し、東西をつなぐ大動脈が寸断される事態となりました。一日も早い鉄道復旧を願う地元の方々の思いに応えるべく、当社は、落橋した高架橋をジャッキアップするという前代未聞の工事を敢行し、当初数年かかるといわれていた復旧工事をわずか74日間で完遂しました。
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崩落した高架橋を持ち上げる工事が急ピッチで進められた/写真提供:奥村組

山田:現場で働くみなさんの努力の結果ですね。

大塚:余震の恐怖とも闘いながら、不眠不休に近いような形で作業にあたっていたと聞いています。こうした姿を住民の方々も見てくれていたようで、近隣のビルに「こうじの皆さまおケガのないように!!」という横断幕を掲げてくださいました。過酷な作業を続けている中で、このように応援していただけたことは、本当にありがたく、誇らしいとともに、大きなモチベーションにも繋がりました。
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奥村組が担当したJR六甲道駅復旧工事の近隣ビルに掲げられた横断幕。困難を極めた工事を進める中、こうした住民の思いが大きな支えとなった/写真提供:奥村組

葛藤に揺れながら…「災害廃棄物」の迅速な処理

東日本大震災発生から1カ月後の4月11日に岩手県山田町へ派遣されたという大塚さん。当時を振り返る言葉の端々からは、当事者ならではの生々しい現場の臭いが漂う。

大塚:私が赴任するより随分前(発災数日後)から多くの当社社員が現地で頑張っていて、まずは、生きていく上で必要な施設の一つである下水道施設が正常に機能するかどうかを調べるため、マンホールの中に入って確認作業を行い、早期の復旧に向けて尽力していました。そして、道路啓開後に町内に残存する膨大な災害廃棄物の処理に取り掛かったわけですが、そこには葛藤もあって。

山田:葛藤、ですか。

大塚:はい。災害廃棄物の迅速な処理は、復旧・復興に必要不可欠なことです。でも、被災現場を直接見て、被災者の方々ともお話をする中で「これらを“ガレキ”や“廃棄物”と呼んでいいものなのだろうか?」という思いが膨らんできました。ガレキの山の中には、誰かにとってすごく大切なものが埋もれているに違いありません。その大切なものを、知らず知らずのうちに処分してしまっているのではないか、と思ったんです。

山田:そう考えると、たしかにためらってしまいますね。
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大塚:そうなんです。当社は、地震で倒壊しかけた建物の解体も担ったのですが、その近くに人が立たれていたので「危ないですよ。どうされました?」と声を掛けたら、悲しそうに「これは私の建物なんです」と。どんどん解体していかなければいけないけれど、その方の心情を慮るとやるせない気持ちになりました。

山田:それはつらいですね……。

大塚:話は変わりますが、解体でいうと、ある水産工場の解体も行ったのですが、震災で電気が遮断されて冷凍庫が作動していなかったために、保管されていた大量の魚がすべて腐敗していて。作業後、身体中に腐敗臭が付着してしばらく取れなかったことを覚えています。そういった腐敗した魚などは当時、異例の措置として海洋投棄が許されたので、船で数十キロ離れた地点まで輸送し、沈めたりもされていました。

免震のパイオニアとして─技術開発・研究で社会を支えていく

未来に目を向けると、30年以内に70%程度の確率で発生すると言われる「首都直下地震」と「南海トラフ巨大地震」の危機が刻一刻と迫っている。巨大地震が近い将来、列島を襲うことはよく知られているが、そのための適切な備えができている人は、果たしてどれほどいるのか。大塚さんは「個々人の行動から変えないと、大変なことになる」と警鐘を鳴らす。

山田:当事者にならないとわからないことって、どうしてもありますよね。私自身、防災士の資格取得にあたり、阪神・淡路大震災では多くの方が家屋で下敷きになって亡くなったと知りました。そこから「ベッドの近くに重量のあるモノや大きな棚を置かない」「大きな棚を置くのであれば天井と固定する」といった教訓を得て実践しています。
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大塚:災害に備えるということは非常に大切なことです。

山田:奥村組は地震対策技術である「免震」のパイオニアであると聞いています。どのようなものなのでしょう?

大塚:「免震」とは建物の基礎などに免震装置を組み込み、地震の揺れを建物に伝わりにくくする技術で、阪神・淡路大震災で多くの建物が倒壊したことをきっかけに急速に関心が高まりました。当社が免震の研究に着手したのは、阪神・淡路大震災が発生する十数年前の1980年で、福岡大学の教授の指導を受けながら研究を進めました。そして、1986年に日本初の実用免震ビル(奥村組技術研究所 管理棟)を完成させたことを皮切りに、全国各地で免震建物の施工実績を積み重ねてきました。
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建物の基礎などに組み込む免震装置(奥村記念館の実物)/写真提供:奥村組

山田:奥村組ではさらに発展させた免震技術も開発しているとか。

大塚:はい。免震構造の建物は地震時の安全性が高い反面、人が感知できないような微細な振動の影響も受けやすいという一面があります。そのため、精密加工を行うような工場では採用が見送られることもありました。そこで当社は、免震装置と微振動対策用ダンパーを併用することで、大地震時の安全性と平常時の微振動抑制機能を両立する高性能な免震システム「オールラウンド免震」を開発しました。免震技術は人々の安全・安心な暮らしを守るだけでなく、企業のBCP(事業継続計画)にも貢献するんです。さらなる技術開発を進めるとともに、普及に努めていきたいと考えています。

山田:なるほど。あと、ちょっと気になったのですが、自然災害はいつ発生するのかわからないものですよね? 奥村組では、災害発生時に出動する人員が常に待機しているのでしょうか。

大塚:災害はいつ、どこで発生するかわからないので、常に人員を待機させておくことは現実的ではありません。災害発生時は、災害対策本部を迅速に立ち上げて対応を検討した上で、必要に応じて各地の建設現場で働く社員や内勤の社員の中から人選して現地に派遣し、復旧・復興に尽力しています。おっしゃる通り、災害は深夜であったり、休日であったり、時を選ばず発生するものです。そのため、働き方改革を推進しつつも、24時間いつでも即座に有事への対応できるような体制を整えていくことが肝要であると言えます。

山田:それぞれの立場で働く方々が、社会と人々の安全を守ってくれているのだと、改めて感じられました。最後に、今後の防災への想いを聞かせていただけますか。

大塚:豪雨災害が毎年のように発生していますし、近い将来、日本国を滅ぼしかねないような巨大地震がいくつも発生すると予測されています。人々の安全・安心な暮らしを守る建設業の使命を全うできるよう、防災・減災に貢献する技術の開発や、災害時における組織的な対応力の強化を進めていきたいと考えています。

(取材・文=小島浩平、撮影=竹内洋平)

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