「マリー・クワント展」が、東京・Bunkamura ザ・ミュージアムで2023年1月29日(日)まで開催中だ。ミニスカートブームを誕生させ、時代を変えたマリー・クワントの歩みを辿る内容になっている。
この展覧会に、シンガーの野宮真貴が足を運んだ。ミュージシャンとして、そしてファッションアイコンとしても長年、音楽シーンで存在感を放つ野宮は、「マリー・クワントはもちろん、60年代のお洋服が大好き」だという。展覧会の感想や、自身のファッションに関する話を聞いた。洋服のパワーは、ライブパフォーマンスにも影響が出るという。(J-WAVE NEWS編集部)
白いタートルにオレンジのミニスカート、ダークブルーのタイツとローヒールパンプスという60’sを彷彿させるルックで現れた野宮は、解説を聞きながら約100点の洋服を楽しんでいく。帽子や若者向けブティック「バザー」のショッパーにも目を留め、そのかわいさに笑顔を見せていた。その中でも最初に気になった様子だったのは、赤いピナフォア。「似たようなエプロンドレスを自分でデザインして母に作ってもらったことがある」と幼少期の思い出を語っていた。
さらに、どれも状態の良い洋服を見て「個人が所有していたものなんですか?」と質問。「大切に取っておいたものですよね」と目を細める野宮。その後もカラフルなレインケープを見て「60’sっぽい!」と声を弾ませたり、「ジンジャー・グループ」ラインの説明文を熟読したり……。途中マリー・クワントの代名詞とも言える年代別のミニスカートドレスのコーナーに差し掛かると、どんどん短くなっていく丈を眺めながら、「かわいい!」とひと言。さらに、スカート丈が短くなっていくことが当時どんなことを意味していたのかについて、また、ツイッギーが来日したときのことに思いを馳せていた。
コスメの展示コーナーに差し掛かると、マニキュアのボトルを見て「私これ持ってました!」。さらに、ジグソーパズル型の招待状や、メイク体験ができるだけで商品の取り扱いはないという「マリー・クワント・ビューティー・バス」の解説を聞き、「アイデアがシャレてますよね」と感心した様子だった。
──まずは「マリー・クワント展」をご覧になられた感想をお願いします。
野宮:マリー・クワントはもちろん、60年代のお洋服が大好きなので、今日はワクワクしながら来ました。60年代ファッションの写真集をたくさん持っていたり、公開中の映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』を観たりしましたが、実物のお洋服を見ることで服そのものが持っているエネルギーを感じることができました。コロナ禍でオシャレをして出掛けることが少なくなってしまったので、展覧会を見てオシャレ心に火がつきましたよね。もっと自由に、カラフルに楽しみたいです。
──野宮さんと60’sファッションの出会いはいつだったのでしょうか。
野宮:私は1960年生まれなので、物心がついたときには女性はみんなミニスカートを履いていた記憶があるんですね。母親もすごくミニのワンピースを着ていましたし、家の隣のお姉さんもミニスカートを履いていました。今って色々なお洋服が出揃っていて好きなスタイルを選べる時代ですが、当時は「ミニが流行ったらみんなミニ」っていう感じ。有名なツイッギーは当時18歳くらいでマリー・クワントのモデルを務めていたんですけど、すっごく細いモデルさんで足をくっつけても向こう側の景色が見える、みたいな(笑)。そんな華奢なツイッギーに60’sファッションってすごく似合っていたんですよね。彼女のスタイルもミニが流行る一因だったと思うんですが、一方で日本の女性はまだまだふくよかな人も多かった。ミニをからかうような心無い男性の言葉もありましたけど、それでもみんなミニを履いていて。それくらい流行っていた記憶があります。
──特に気になったお洋服はありましたか?
野宮:どの服もチャーミングですよね。中でも初期の50年代の頃の作品はクラシカルな要素も入っていたり、60年代になるとミニになっていったり、時代の流れが感じられるのは貴重でした。それに、マリー・クワントは塩化ビニールやプラスチックのような新しい素材をデザインに取り入れた先駆者、というのも再確認できました。
――赤いピナフォアを見て、お母様に作ってもらったというお話をされていましたね。
野宮:10歳の誕生日だったかな。ちょうど『anan』とか『non-no』とか、ファッション誌が出てきた頃だったんですけど、父が母のために時々買ってきていたんです。子どもながらにそれを見たり、当事の自分のファッションリーダーだった麻丘めぐみさんを見たりしてスケッチをして。母は洋裁ができたので、そのスケッチをもとに作ってもらいましたね。下がグリーンとグレーの千鳥格子で上はシンプルなグレーのタイプと、その逆パターンの2つ作ってもらって。タートルネックのセーターを合わせて着ていました。
──オシャレです……!
野宮:小学校では私、ファッションリーダーだったんですよ(笑)。というのも、小学校に入る前に東京に引っ越しをして、また北海道に戻ったんですけど、当事は東京と北海道でまだ流行の時差があったの。東京からの転校生ってことで注目されていましたし、母がオシャレな子ども服を作ってくれていたので、気付けばファッションリーダーになっていました。
野宮:60年代ってイギリスの若い世代が新しいカルチャーを創り出していました。また人類が月に行くというニュースがあったりと希望に満ちていた時代でした。それがお洋服に反映されてちょっと近未来的なデザインがあったり。そういうのもすごく好きなところです。
マリー・クワントの魅力は、やっぱりファッションの革命を起こしたところかな。ココ・シャネルがコルセットからウエストを開放したように、マリー・クワントは膝を開放した。ココ・シャネルは「膝は醜い」からと膝丈のスカートが定番でしたが、マリー・クワントはミニスカートで新しいアプローチをしました。「女性は女性らしく」という、40年代のディオールのニュールックのような女性らしい体型を強調したスタイルからの開放でもありますよね。そしてミニスカートを発明したことに付随してタイツを発明したり、サスーンカットを流行らせたり。ミニに合うフラットシューズやつけまつ毛やダブルラインのメイクなんかもそうですよね。ミニスカートが登場したことで、本当に色んなものが生まれました。これは20世紀ファッションの中で一番のトピックだと思います。
――おっしゃる通りです。そしてお洋服だけでなく、マリー・クワント自身にも魅力があります。
野宮:私、彼女と1つだけ共通点があるんですよ。映画の中でマリー・クワントが「学生の頃、制服をミニに改造した」ってエピソードがあるんですけど。私も中学生になったときに、制服をミニに直しちゃったんです。先生にもすごく怒られましたし、先輩にも呼び出されましたけど(笑)。私は子どもの頃から痩せ型だったので、ミニワンピースが自分の体に合ってたんですよね。だから迷わずミニしました(笑)。そんな共通点を感じつつ、ライセンスビジネスの先駆者だったり、ファッション、ヘアメイク、コスメなど、トータルでビューティーを作っていったり、デザイナーとしてだけでなくビジネスにも長けているすごい方なんだなと改めて思います。
野宮:ファッションが好きだったのもあって、歌手になって最初の頃は自分でステージ衣装を用意していたんです。私にとってファッションは音楽と同じくらい大切なものですから、ピチカート・ファイヴに入る前から自分のスタイルを大切にしていて、1ステージの中で衣装を何着も着替えたりもしていました。
その後90年にピチカートに入ったんですが、ピチカート2代目の田島貴男くんから女性の私に変わったことで、前面にビジュアルを出していこうという話になって。いろんなファッションにトライしました。リーダーの小西康陽さんやアートディレクターの信藤三雄さんも60年代のカルチャーやファッションが好きだったこともあってか、「ピチカートのイメージってやっぱり60’sのAラインのワンピースだよね」という話になったんです。それから60’s風の衣装を積極的に取り入れていって。60’sのデザインって全然古臭くならないし、とてもアイコニックなスタイルだからたくさんの人が私のファッションに共感してもらえたのかなと思います。
──衣装、ファッションからもらったパワーもたくさんありそうですね。
野宮:いつももらっています。日常生活でもお気に入りの服を着るとワクワクするし、自信になりますよね。でもやっぱり私は歌手なのでステージに立つときの衣装が大きいかな。お気に入りやステキな衣装からはたくさんのエネルギーをもらえるし、それが大きな自信になって良い歌が歌えますね。
──パフォーマンス力というところでも変わりますか?
野宮:変わりますね。私の場合、ジーンズとTシャツ、裸足でステージに上がって歌えない(笑)。“シンガー・野宮真貴”になるには、衣装とヘアメイク、ヒールが必要なんです。ただ、年齢と共にハイヒールを履くと疲れてくるので、今はハイヒールを履くためのトレーニングをしています。大臀筋と腹筋を鍛えて、フラフラしないようにコアの筋肉も鍛えたりね。
──美しさの影にはそんな努力があったのですね。それでは最後に、メッセージをお願いします。
野宮:最近はオーバーサイズで、スカートも長めなカジュアルのものが多いですよね。ぜひ若い世代の子もマリー・クワント展に来て、60’sファッションに挑戦してみてほしいです。たまには短いのを履いてみても良いんじゃないかな。もちろん、若い世代に限らず、マリー・クワント展も、ミニスカートも楽しんでほしい。私も還暦になって「ミニスカート解禁宣言」をしましたしね。 このマリー・クワント展、ぜひ足を運んで実際に目で見て、マリー・クワントがやってきた新しい挑戦、彼女が表現しようとした自由で美しいファッションのエネルギーを感じ取ってみてください。そしてちょっとでもオシャレ心が動かされたら、実際にオシャレをして楽しんでほしい。きっとそれがマリー・クワントが私たち女性に望んでいることだと思います。
マリー・クワント展の詳細は、公式サイトまで。
・公式サイト
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_maryquant/
■野宮 真貴(MAKI NOMIYA)
ミュージシャン/エッセイスト
1960年生まれ。1981年「ピンクの心」でソロ・デビュー。1982年結成のポータブル・ロックを経て、1990年ピチカート・ファイヴに加入。元祖“渋谷系の女王”として「渋谷系」ムーブメントを世界各国で巻き起こし、以来、音楽・ファッションアイコンとしてワールドワイドに活躍。現在は“渋谷系とそのルーツの名曲を歌い継ぐ”音楽プロジェクト「野宮真貴、渋谷系を歌う。」を行うなど、ソロアーティストとして活動。2021年はデビュー40周年を迎え、音楽、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイストなど多方面で活躍している。現在40周年記念アルバム『New Beautiful』、ポータブル・ロック結成40周年アルバム『PAST & FUTURE ~My Favorite Portable Rock』が好評発売中。
・野宮真貴デビュー40周年記念アルバム『New Beautiful』
https://jvcmusic.lnk.to/NewBeautiful
・ポータブル・ロック結成40周年アルバム『PAST & FUTURE ~My Favorite Portable Rock』
https://tjc.lnk.to/aFftSod8
Official Site http://www.missmakinomiya.com/
Instagram https://www.instagram.com/missmakinomiya/
Twitter https://twitter.com/missmakinomiya
Facebook https://www.facebook.com/maki.nomiya.9
YouTube Channel 野宮真貴 / Maki Nomiya Official - YouTube https://www.youtube.com/channel/UCHC85dh2C-iftvkKSfsBdCg
(取材・文=高橋 梓、撮影=夛留見 彩)
この展覧会に、シンガーの野宮真貴が足を運んだ。ミュージシャンとして、そしてファッションアイコンとしても長年、音楽シーンで存在感を放つ野宮は、「マリー・クワントはもちろん、60年代のお洋服が大好き」だという。展覧会の感想や、自身のファッションに関する話を聞いた。洋服のパワーは、ライブパフォーマンスにも影響が出るという。(J-WAVE NEWS編集部)
思い出も蘇る、カラフルでキュートな洋服たち
「服のエネルギー」を感じる展覧会
鑑賞後には、インタビューを実施。マリー・クワント展についてや60’sファッションへの思いなどを語ってもらった。──まずは「マリー・クワント展」をご覧になられた感想をお願いします。
野宮:マリー・クワントはもちろん、60年代のお洋服が大好きなので、今日はワクワクしながら来ました。60年代ファッションの写真集をたくさん持っていたり、公開中の映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』を観たりしましたが、実物のお洋服を見ることで服そのものが持っているエネルギーを感じることができました。コロナ禍でオシャレをして出掛けることが少なくなってしまったので、展覧会を見てオシャレ心に火がつきましたよね。もっと自由に、カラフルに楽しみたいです。
野宮:私は1960年生まれなので、物心がついたときには女性はみんなミニスカートを履いていた記憶があるんですね。母親もすごくミニのワンピースを着ていましたし、家の隣のお姉さんもミニスカートを履いていました。今って色々なお洋服が出揃っていて好きなスタイルを選べる時代ですが、当時は「ミニが流行ったらみんなミニ」っていう感じ。有名なツイッギーは当時18歳くらいでマリー・クワントのモデルを務めていたんですけど、すっごく細いモデルさんで足をくっつけても向こう側の景色が見える、みたいな(笑)。そんな華奢なツイッギーに60’sファッションってすごく似合っていたんですよね。彼女のスタイルもミニが流行る一因だったと思うんですが、一方で日本の女性はまだまだふくよかな人も多かった。ミニをからかうような心無い男性の言葉もありましたけど、それでもみんなミニを履いていて。それくらい流行っていた記憶があります。
──特に気になったお洋服はありましたか?
野宮:どの服もチャーミングですよね。中でも初期の50年代の頃の作品はクラシカルな要素も入っていたり、60年代になるとミニになっていったり、時代の流れが感じられるのは貴重でした。それに、マリー・クワントは塩化ビニールやプラスチックのような新しい素材をデザインに取り入れた先駆者、というのも再確認できました。
野宮:10歳の誕生日だったかな。ちょうど『anan』とか『non-no』とか、ファッション誌が出てきた頃だったんですけど、父が母のために時々買ってきていたんです。子どもながらにそれを見たり、当事の自分のファッションリーダーだった麻丘めぐみさんを見たりしてスケッチをして。母は洋裁ができたので、そのスケッチをもとに作ってもらいましたね。下がグリーンとグレーの千鳥格子で上はシンプルなグレーのタイプと、その逆パターンの2つ作ってもらって。タートルネックのセーターを合わせて着ていました。
──オシャレです……!
野宮:小学校では私、ファッションリーダーだったんですよ(笑)。というのも、小学校に入る前に東京に引っ越しをして、また北海道に戻ったんですけど、当事は東京と北海道でまだ流行の時差があったの。東京からの転校生ってことで注目されていましたし、母がオシャレな子ども服を作ってくれていたので、気付けばファッションリーダーになっていました。
マリー・クワントが起こした革命
──野宮さんから見て、マリー・クワント、60’sファッションの魅力はどこにあると思いますか。野宮:60年代ってイギリスの若い世代が新しいカルチャーを創り出していました。また人類が月に行くというニュースがあったりと希望に満ちていた時代でした。それがお洋服に反映されてちょっと近未来的なデザインがあったり。そういうのもすごく好きなところです。
マリー・クワントの魅力は、やっぱりファッションの革命を起こしたところかな。ココ・シャネルがコルセットからウエストを開放したように、マリー・クワントは膝を開放した。ココ・シャネルは「膝は醜い」からと膝丈のスカートが定番でしたが、マリー・クワントはミニスカートで新しいアプローチをしました。「女性は女性らしく」という、40年代のディオールのニュールックのような女性らしい体型を強調したスタイルからの開放でもありますよね。そしてミニスカートを発明したことに付随してタイツを発明したり、サスーンカットを流行らせたり。ミニに合うフラットシューズやつけまつ毛やダブルラインのメイクなんかもそうですよね。ミニスカートが登場したことで、本当に色んなものが生まれました。これは20世紀ファッションの中で一番のトピックだと思います。
野宮:私、彼女と1つだけ共通点があるんですよ。映画の中でマリー・クワントが「学生の頃、制服をミニに改造した」ってエピソードがあるんですけど。私も中学生になったときに、制服をミニに直しちゃったんです。先生にもすごく怒られましたし、先輩にも呼び出されましたけど(笑)。私は子どもの頃から痩せ型だったので、ミニワンピースが自分の体に合ってたんですよね。だから迷わずミニしました(笑)。そんな共通点を感じつつ、ライセンスビジネスの先駆者だったり、ファッション、ヘアメイク、コスメなど、トータルでビューティーを作っていったり、デザイナーとしてだけでなくビジネスにも長けているすごい方なんだなと改めて思います。
野宮真貴がファッションから受け取るパワーは
――かく言う野宮さんも、ファッションアイコン的ポジションを確立されていらっしゃいます。自身がそうなり得た理由を、どう分析されますか?野宮:ファッションが好きだったのもあって、歌手になって最初の頃は自分でステージ衣装を用意していたんです。私にとってファッションは音楽と同じくらい大切なものですから、ピチカート・ファイヴに入る前から自分のスタイルを大切にしていて、1ステージの中で衣装を何着も着替えたりもしていました。
その後90年にピチカートに入ったんですが、ピチカート2代目の田島貴男くんから女性の私に変わったことで、前面にビジュアルを出していこうという話になって。いろんなファッションにトライしました。リーダーの小西康陽さんやアートディレクターの信藤三雄さんも60年代のカルチャーやファッションが好きだったこともあってか、「ピチカートのイメージってやっぱり60’sのAラインのワンピースだよね」という話になったんです。それから60’s風の衣装を積極的に取り入れていって。60’sのデザインって全然古臭くならないし、とてもアイコニックなスタイルだからたくさんの人が私のファッションに共感してもらえたのかなと思います。
野宮:いつももらっています。日常生活でもお気に入りの服を着るとワクワクするし、自信になりますよね。でもやっぱり私は歌手なのでステージに立つときの衣装が大きいかな。お気に入りやステキな衣装からはたくさんのエネルギーをもらえるし、それが大きな自信になって良い歌が歌えますね。
──パフォーマンス力というところでも変わりますか?
野宮:変わりますね。私の場合、ジーンズとTシャツ、裸足でステージに上がって歌えない(笑)。“シンガー・野宮真貴”になるには、衣装とヘアメイク、ヒールが必要なんです。ただ、年齢と共にハイヒールを履くと疲れてくるので、今はハイヒールを履くためのトレーニングをしています。大臀筋と腹筋を鍛えて、フラフラしないようにコアの筋肉も鍛えたりね。
──美しさの影にはそんな努力があったのですね。それでは最後に、メッセージをお願いします。
野宮:最近はオーバーサイズで、スカートも長めなカジュアルのものが多いですよね。ぜひ若い世代の子もマリー・クワント展に来て、60’sファッションに挑戦してみてほしいです。たまには短いのを履いてみても良いんじゃないかな。もちろん、若い世代に限らず、マリー・クワント展も、ミニスカートも楽しんでほしい。私も還暦になって「ミニスカート解禁宣言」をしましたしね。 このマリー・クワント展、ぜひ足を運んで実際に目で見て、マリー・クワントがやってきた新しい挑戦、彼女が表現しようとした自由で美しいファッションのエネルギーを感じ取ってみてください。そしてちょっとでもオシャレ心が動かされたら、実際にオシャレをして楽しんでほしい。きっとそれがマリー・クワントが私たち女性に望んでいることだと思います。
・公式サイト
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_maryquant/
■野宮 真貴(MAKI NOMIYA)
ミュージシャン/エッセイスト
1960年生まれ。1981年「ピンクの心」でソロ・デビュー。1982年結成のポータブル・ロックを経て、1990年ピチカート・ファイヴに加入。元祖“渋谷系の女王”として「渋谷系」ムーブメントを世界各国で巻き起こし、以来、音楽・ファッションアイコンとしてワールドワイドに活躍。現在は“渋谷系とそのルーツの名曲を歌い継ぐ”音楽プロジェクト「野宮真貴、渋谷系を歌う。」を行うなど、ソロアーティストとして活動。2021年はデビュー40周年を迎え、音楽、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイストなど多方面で活躍している。現在40周年記念アルバム『New Beautiful』、ポータブル・ロック結成40周年アルバム『PAST & FUTURE ~My Favorite Portable Rock』が好評発売中。
・野宮真貴デビュー40周年記念アルバム『New Beautiful』
https://jvcmusic.lnk.to/NewBeautiful
・ポータブル・ロック結成40周年アルバム『PAST & FUTURE ~My Favorite Portable Rock』
https://tjc.lnk.to/aFftSod8
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(取材・文=高橋 梓、撮影=夛留見 彩)