SKY-HIがナビゲーターを務める、J-WAVEの番組『DIVE TO THE NEW WORLD』。ボートレースのPR拠点「SIX WAKE ROPPONGI」にて行われたオンライン公開収録に、THE ORAL CIGARETTESの山中拓也(Vo/Gt)が登場。自身の音楽ルーツなどを語った。
オンエアは5月14日(土)。公開収録の模様は、YouTubeで期間限定で配信中だ。
山中:僕は奈良出身なんですけど、奈良って若い子たちが洋服を買う服屋さんが少なかったんです。ベッドタウン的な役割もあって、みんな大阪や京都に行って買っていました。でも奈良の大和西大寺駅に、ヒップホップや、そういうちょっとダボッとした洋服を売っているB系ファッション専門店みたいなのがあって。
SKY-HI:「B系」というワードがもう懐かしい(笑)。バスケシャツとかの世代だよね。
山中:そこにヒップホップとかを詳しく教えてくれる兄ちゃんがいたんです。
SKY-HI:いくつぐらいのとき?
山中:14、15歳とかじゃないですかね。そこからEminemやLimp Bizkitを教えてもらって。
SKY-HI:当時はロックもヒップホップもわりとマッチョイズムが強かったんだよね。現代とはだいぶ様相が違ったと思います。体的なこともそうだし、歌詞の内容もそうだし。なんか「パワー」「マネー」「ガール」みたいなところがすごく強かったので。自分はラップミュージックに傾倒していたものの、あんまりそういうマッチョイズムに惹かれなくて。わりとコンシャスやインテリジェンス。ファッションも、ハンチングを被ってラップするTalib KweliやCommon、Mos Defに惹かれていました。
山中:僕はバリバリマッチョのほうが好きでしたね(笑)。でも一緒ですよ。そこに颯爽と現れたEminemという存在。華奢ではないですけど……。
SKY-HI:Eminemは確かにマッチョイズムとは別の方向でね。
山中:当時は事件だったじゃないですか。
SKY-HI:Eminemの登場はけっこう事件だったね。あの時代のラップミュージック、ヒップホップは「My name is」とか「What's My Name」とかが本当に多かった。Snoop Doggとかも『Who Am I (What's My Name)?』という曲があったりして、自分のことを話す曲が多かった気がします。
山中:あの世代はそれがかっこよかった。「どういう生き様なのか」みたいなところがね。
SKY-HI:当時のJ-POPにはっきり言って嫌気がさしていた自分としては、「その人がその人の歌を歌う」というのがすごく気持ちよかった。「なんとなくの歌詞」じゃないというかさ。
山中:確かに自分のことのほうがリアルですからね。
山中:俺がこういう風に人とコミュニケーションがとれるようになったのは、あきらのおかげなんです。そもそもすごいコミュ障で、あんまり人を近づけたくなくて。だから格闘技とかやって自分でも強くなっておこうみたいな。そんな僕にあきらはしつこくうしろから「一緒に帰ろう」って言ってきた時期があって。僕からしたらすごい陽キャだったので、ずっと嫌いだったんです。それでちょっとイライラして上段蹴りをくらわせちゃって……。
SKY-HI:なんで上段蹴りをくらわすのよ。
山中:「もう、うるさい!」って。そうしたら、当時の高校生がよく持っていたプラスチックのカバンがあるじゃないですか。それで身を守ったらカバンが割れちゃったんです。さすがに自分も「かわいそうなことをした」と思って。でも「これで近寄ってこないだろう」と思っていたら、その割れたカバンを振り回しながら「一緒に帰ろう」みたいに言ってきたから、さすがにこんな犬みたいなやついないなと思って。そこからちょっとずつ絡むようになりました。
SKY-HI:THE ORAL CIGARETTESはどう結成したの?
山中:最初はあきらと2人で結成していて。Stevie Wonderの『Higher Ground』をレッチリ(Red Hot Chili Peppers)がコピーしていたじゃないですか。あれを当時はレッチリの曲だと勘違いして「Higher Ground」という名前でレッチリのコピーバンドをやっていました。あきらとずっと一緒にやっていて、Higher Groundを解散して、THE ORAL CIGARETTESになるタイミングで(鈴木)重伸を誘って、一緒にやり始めました。
山中は大学生時代、自身が入っていたゼミで銀行員の就職率が非常に高かったこともあり、銀行員になることも考えていたそうだ。しかし、もともと「人の下につく」ということへの苦手意識があった山中は「このまま敷かれたレールを進んでいいのか」と思い始めたのだと振り返る。
山中:それでやめようと思って。そのときにちょうどドラムの雅やん(中西雅哉)が前に組んでいたバンドのボーカリストに相談したら「君は人と人とで生きていく人だから、それがバンドであれ、銀行員であれうまくと思うよ」と言っていただいて。それでどっちかを選ぶかとなったらバンドのほうが人生楽しそうだなと思って。大学生で就職の可能性があったのはメチャメチャデカかった気がする。「それを蹴ってまでやっている」と腹のくくり方が全然違ったかな。
当初はあきらと2人でユニット活動をしようと考えていた山中だったが、バンドを組むことにした。そこにはある理由があったという。
山中:ドラムとギターのThe White Stripesみたいなのをやろうと思って、スタジオに2人で入ったんですけど、「これは寂しい」ってなった(笑)。「やっぱりメンバーがほしいな」ってなって、重伸と当時のドラマーを呼んで結成したのが最初でした。
SKY-HI:メジャーデビューするロックバンド、そこら辺は立て続けにあったのかな?
山中:俺らの世代がどんどんと。関西だったので当時はKANA-BOONやキュウソネコカミが僕らよりも先にポンポンといって、そのあとに僕らやフォーリミ(04 Limited Sazabys)が続いていく、という感じでした。
SKY-HI:みんな『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)によく出てたよね。
山中:出てましたね。「出られるんや」って思って興奮したのをすごく覚えてます。
山中:バンドマンの先輩たちが復活ツアーで助けてくれたのがデカかったですね。
SKY-HI:なにがどう変わったの?
山中:俺らは当時、Zepp DiverCityが埋まらなかったんですよ。ようはUNISON SQUARE GARDENとかと対バンできるようなレベルじゃなかったんです。僕が喉の手術を終えて復帰するタイミングのツアーのときに、「こういう状況で、もう1回巻き返したいと思っているから力を貸してもらえませんか?」と12バンドぐらいに連絡して。そうしたらみんな即答で「いいよ」って言ってくれて、仲間でいてくれる人たちってすごく大事だなって思ったんです。そのときからお客さんも注目してくれるようになった感覚があります。
SKY-HI:いいなぁ。
SKY-HIは「ロックバンドシーンってどう形成されていて、どういう風に入っていくの?」と質問する。
山中:懐に飛び込むのってすごく難しい。先輩もみんな怖いですから。でも飛び込んじゃえばそれを買ってくれる先輩たちがいて。ライブがかっこいいことが前提、みたいなことは先輩のなかにもあるとは思うんですけど。僕らの世代って「先輩たちと絡んでいくバンドになるのか」「一線を引いて孤立してやっていくのか」というのが、ちょうど如実に二手に分かれた世代で。でも俺らも「孤高のほうが売れるんじゃないか」と思っていたこともありました。
SKY-HI:自分がわりとそっちだった。「なにかに帰属するのをやめよう」と思って。アイドルシーンもヒップホップシーンもどうでもいいやと思って起業していまに至るんだけど。拓也の場合、ロックシーンにちゃんといたことが大きな実りになったと思うし、支えもいっぱいあったと思う。そっちを選んだ理由はなんだったの?
山中:自分たちの先輩がメチャメチャかっこよかったのがデカいかも。人としてや「筋をどう通していくか」とか、俺が今後、後輩に教えなきゃいけないようなことを教えてくれた。先輩の話を聞いていると「人間としてこういう人でありたいな」と思えたのが、すごく大きかったなと感じます。
THE ORAL CIGARETTESの最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。
『DIVE TO NEW THE WORLD』は国内外のさまざまなフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちの“本心”にSKY-HIが“DIVE”していくプログラム。放送は毎週土曜23時から。
オンエアは5月14日(土)。公開収録の模様は、YouTubeで期間限定で配信中だ。
ファッション店員に教えてもらったヒップホップ
番組名の『DIVE TO NEW THE WORLD』は、山中と共作した曲『Dive To World feat. Takuya Yamanaka(THE ORAL CIGARETTES)』からきていると明かしたSKY-HI。まずは山中の音楽のルーツを尋ねた。SKY-HI / Dive To World feat. Takuya Yamanaka (THE ORAL CIGARETTES) -Prod. KM- [Music Video]
SKY-HI:「B系」というワードがもう懐かしい(笑)。バスケシャツとかの世代だよね。
山中:そこにヒップホップとかを詳しく教えてくれる兄ちゃんがいたんです。
SKY-HI:いくつぐらいのとき?
山中:14、15歳とかじゃないですかね。そこからEminemやLimp Bizkitを教えてもらって。
SKY-HI:当時はロックもヒップホップもわりとマッチョイズムが強かったんだよね。現代とはだいぶ様相が違ったと思います。体的なこともそうだし、歌詞の内容もそうだし。なんか「パワー」「マネー」「ガール」みたいなところがすごく強かったので。自分はラップミュージックに傾倒していたものの、あんまりそういうマッチョイズムに惹かれなくて。わりとコンシャスやインテリジェンス。ファッションも、ハンチングを被ってラップするTalib KweliやCommon、Mos Defに惹かれていました。
山中:僕はバリバリマッチョのほうが好きでしたね(笑)。でも一緒ですよ。そこに颯爽と現れたEminemという存在。華奢ではないですけど……。
SKY-HI:Eminemは確かにマッチョイズムとは別の方向でね。
山中:当時は事件だったじゃないですか。
SKY-HI:Eminemの登場はけっこう事件だったね。あの時代のラップミュージック、ヒップホップは「My name is」とか「What's My Name」とかが本当に多かった。Snoop Doggとかも『Who Am I (What's My Name)?』という曲があったりして、自分のことを話す曲が多かった気がします。
山中:あの世代はそれがかっこよかった。「どういう生き様なのか」みたいなところがね。
SKY-HI:当時のJ-POPにはっきり言って嫌気がさしていた自分としては、「その人がその人の歌を歌う」というのがすごく気持ちよかった。「なんとなくの歌詞」じゃないというかさ。
山中:確かに自分のことのほうがリアルですからね。
あきらかにあきらとの出会い
山中がバンドを組んだのは高校生のとき。あきらかにあきら(Ba/Cho)とは同じ高校に通っていたが、最初の1年は「メチャメチャ嫌いでしたね(笑)」と振り返った。山中:俺がこういう風に人とコミュニケーションがとれるようになったのは、あきらのおかげなんです。そもそもすごいコミュ障で、あんまり人を近づけたくなくて。だから格闘技とかやって自分でも強くなっておこうみたいな。そんな僕にあきらはしつこくうしろから「一緒に帰ろう」って言ってきた時期があって。僕からしたらすごい陽キャだったので、ずっと嫌いだったんです。それでちょっとイライラして上段蹴りをくらわせちゃって……。
SKY-HI:なんで上段蹴りをくらわすのよ。
山中:「もう、うるさい!」って。そうしたら、当時の高校生がよく持っていたプラスチックのカバンがあるじゃないですか。それで身を守ったらカバンが割れちゃったんです。さすがに自分も「かわいそうなことをした」と思って。でも「これで近寄ってこないだろう」と思っていたら、その割れたカバンを振り回しながら「一緒に帰ろう」みたいに言ってきたから、さすがにこんな犬みたいなやついないなと思って。そこからちょっとずつ絡むようになりました。
SKY-HI:THE ORAL CIGARETTESはどう結成したの?
山中:最初はあきらと2人で結成していて。Stevie Wonderの『Higher Ground』をレッチリ(Red Hot Chili Peppers)がコピーしていたじゃないですか。あれを当時はレッチリの曲だと勘違いして「Higher Ground」という名前でレッチリのコピーバンドをやっていました。あきらとずっと一緒にやっていて、Higher Groundを解散して、THE ORAL CIGARETTESになるタイミングで(鈴木)重伸を誘って、一緒にやり始めました。
山中は大学生時代、自身が入っていたゼミで銀行員の就職率が非常に高かったこともあり、銀行員になることも考えていたそうだ。しかし、もともと「人の下につく」ということへの苦手意識があった山中は「このまま敷かれたレールを進んでいいのか」と思い始めたのだと振り返る。
山中:それでやめようと思って。そのときにちょうどドラムの雅やん(中西雅哉)が前に組んでいたバンドのボーカリストに相談したら「君は人と人とで生きていく人だから、それがバンドであれ、銀行員であれうまくと思うよ」と言っていただいて。それでどっちかを選ぶかとなったらバンドのほうが人生楽しそうだなと思って。大学生で就職の可能性があったのはメチャメチャデカかった気がする。「それを蹴ってまでやっている」と腹のくくり方が全然違ったかな。
当初はあきらと2人でユニット活動をしようと考えていた山中だったが、バンドを組むことにした。そこにはある理由があったという。
山中:ドラムとギターのThe White Stripesみたいなのをやろうと思って、スタジオに2人で入ったんですけど、「これは寂しい」ってなった(笑)。「やっぱりメンバーがほしいな」ってなって、重伸と当時のドラマーを呼んで結成したのが最初でした。
SKY-HI:メジャーデビューするロックバンド、そこら辺は立て続けにあったのかな?
山中:俺らの世代がどんどんと。関西だったので当時はKANA-BOONやキュウソネコカミが僕らよりも先にポンポンといって、そのあとに僕らやフォーリミ(04 Limited Sazabys)が続いていく、という感じでした。
SKY-HI:みんな『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)によく出てたよね。
山中:出てましたね。「出られるんや」って思って興奮したのをすごく覚えてます。
復活ツアーで助けてくれた先輩たち
THE ORAL CIGARETTESの活動は決して順調なものではなく、先輩に「同期がどんどん売れていってしまう」と相談したこともあったと告白。ターニングポイントは自身の喉の手術だったという。山中:バンドマンの先輩たちが復活ツアーで助けてくれたのがデカかったですね。
SKY-HI:なにがどう変わったの?
山中:俺らは当時、Zepp DiverCityが埋まらなかったんですよ。ようはUNISON SQUARE GARDENとかと対バンできるようなレベルじゃなかったんです。僕が喉の手術を終えて復帰するタイミングのツアーのときに、「こういう状況で、もう1回巻き返したいと思っているから力を貸してもらえませんか?」と12バンドぐらいに連絡して。そうしたらみんな即答で「いいよ」って言ってくれて、仲間でいてくれる人たちってすごく大事だなって思ったんです。そのときからお客さんも注目してくれるようになった感覚があります。
SKY-HI:いいなぁ。
SKY-HIは「ロックバンドシーンってどう形成されていて、どういう風に入っていくの?」と質問する。
山中:懐に飛び込むのってすごく難しい。先輩もみんな怖いですから。でも飛び込んじゃえばそれを買ってくれる先輩たちがいて。ライブがかっこいいことが前提、みたいなことは先輩のなかにもあるとは思うんですけど。僕らの世代って「先輩たちと絡んでいくバンドになるのか」「一線を引いて孤立してやっていくのか」というのが、ちょうど如実に二手に分かれた世代で。でも俺らも「孤高のほうが売れるんじゃないか」と思っていたこともありました。
SKY-HI:自分がわりとそっちだった。「なにかに帰属するのをやめよう」と思って。アイドルシーンもヒップホップシーンもどうでもいいやと思って起業していまに至るんだけど。拓也の場合、ロックシーンにちゃんといたことが大きな実りになったと思うし、支えもいっぱいあったと思う。そっちを選んだ理由はなんだったの?
山中:自分たちの先輩がメチャメチャかっこよかったのがデカいかも。人としてや「筋をどう通していくか」とか、俺が今後、後輩に教えなきゃいけないようなことを教えてくれた。先輩の話を聞いていると「人間としてこういう人でありたいな」と思えたのが、すごく大きかったなと感じます。
THE ORAL CIGARETTESの最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。
『DIVE TO NEW THE WORLD』は国内外のさまざまなフィールドで活躍するアーティストやクリエイターたちの“本心”にSKY-HIが“DIVE”していくプログラム。放送は毎週土曜23時から。
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