俳優・石田ゆり子とシンガーソングライター・あいみょんがJ-WAVEで対談。二人の出会いやあいみょんが音楽の道を目指したきっかけ、東京の魅力を語った。
二人が対談を繰り広げたのは、石田ゆり子が不定期でお届けするラジオ番組『LILY'S TONE』。ここでは、2月27日(日)25:00~27:00にオンエアした内容をテキストで紹介する。
またこの日のオンエアでは、石田ゆり子が大橋トリオプロデュースのもと、「lily」という名前で音楽活動をスタートしていたことを発表。2月25日(金)にリリースした配信シングル『うたかた』をラジオ初オンエアした。
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あいみょん:私、号泣してましたよね(笑)。
石田:泣いてた(笑)!
あいみょん:泣いてたら、浜田さんから「おい、石田さんがいるよ」って言われて。
石田:私は浜田さんと古くからの知り合いなんですけど、あいみょんさんを紹介されたとき、浜田さんそっちのけですっごく興奮しちゃって(笑)。お会いできてすごく嬉しかったです。
あいみょん:あのとき一緒にお写真も撮りましたよね。
石田:あの写真は私の宝物です。
あいみょん:久しぶりに写真を見返したら日付が2019年1月17日でした。
石田:もう3年前なんだ! お会いするのはそれ以来です。
あいみょん:私の家族含めて親族も大家族だったから、親戚がめちゃくちゃ多いんです。あるとき、母方のおばあちゃんが「こんだけ孫がおったら、誰か1人でもええから“歌手になりたかった”っていう私の夢を叶えてほしいな」って言って、その言葉がずっと頭のなかにうっすらと残っていたんですね。もともと歌は好きだったし、お父さんが演奏するのを見てきたから、「自分もやってみたいな」とギターを始めました。それで気付いたら自分で曲を書くようになっていましたね。
石田:それは何歳ぐらいの話?
あいみょん:始めたのは14歳ぐらいでした。勉強がすごく苦手で、ギターの本を読むのも苦手だったから「自分で曲を作ったほうが覚えられる気がする」って思ったんです。なので、シンガーソングライターになろうと思ったっていうより気付いたら曲を書いていた感じでした。
「あいみょんは歌詞がすごいなっていつも思う」と話す石田は、歌詞かメロディか、どれを先に作るのかとあいみょんに問いかける。
あいみょん:同時進行で作っています。だけど私、ギターがいまだに苦手なんです(笑)。
石田:ええ!?
あいみょん:レコーディングのときも「弾きたくないな」って思ってるんですけど、曲づくりのときは「ジャラーン」と鳴らした音と同時に突発的に出た言葉から作詞をしています。
石田:そうなんだ。じゃあ歌詞は考えて考えてひねり出すものではない?
あいみょん:たまに考えないといけない場面もありますけど、できれば歌詞をスラスラ書きたいです。
石田:私、あいみょんの曲が大好きなんです。5年ぐらい前だったかな、妹が「この歌を聴け」と言って、あいみょんの『どうせ死ぬなら』を送ってきたんですよ。
あいみょん:そうだったんですか!
石田:当時、私の姪たちは中学生ぐらいだったと思うんですけども、彼女たちがあいみょんの大ファンだったんですね。
あいみょん:初めて会ったときも「うちの姪っ子が聴いてる」って言ってくださいましたよね。
石田:そうそう。
あいみょん:まさか石田さんが『どうせ死ぬなら』を聴いているとは思ってもいませんでした。
石田:『どうせ死ぬなら』が最初に衝撃を受けた曲なんですよ。
あいみょん:嬉しいです。
あいみょんの曲を聴いた当時、石田は鬱々した思いを抱えていたことを明かした。
石田:なんというか、どん詰まりの気持ちだったんですね。そんなときにあの曲がバンと入ってきて、目の前がパカーンとクリアになったんですよ。「音楽の力ってすごいな」って思うのと同時に、「あいみょんって何? “みょん”って何!?」って思って(笑)。
あいみょん:そうですよね(笑)。
『どうせ死ぬなら』を聴いて以降、石田はあいみょんの音楽活動に興味を持つようになったそうだ。
石田:あいみょんの曲って殴られたような衝撃を感じるんですよ。いい意味でね。叱咤激励されている気持ちになるんです。子どものときというか、自分が一番自分らしかった頃を思い出させてくれます。
あいみょん:『どうせ死ぬなら』を作っていた頃は今もよりもっとがむしゃらな時期だったと思います。インディーズ時代に出ている楽曲は、自分で自分を殴っている感覚が今よりもあった気がしますね。
石田:楽曲のタイトルに「死ぬなら」を入れる強さ。死ぬということは生きることでもあるから、生きている感じが伝わってくるんですよね。その曲を聴いてから、あいみょんのことはずっとすごいと思っていて。実は、すごいと思っている人に会うのは苦手なんですよ。「会ったときにガッカリされたくない」っていうのと「失礼があっちゃいけない」っていう理由で。
あいみょん:その気持ち、わかります。
石田:「ファンだからこそ会っちゃいけない」って思いがあるんですよね。
あいみょん:私もです。それこそ浜田さんにお会いするとき、「鬱陶しいって思われたらどうしよう」って(笑)。でも最近は「会えるうちに会いたいな」という気持ちになることも多いですね。
あいみょん:最初のきっかけは「どういうふうに死ぬのが理想かな」って考えたことでした。それで、「二度寝で死にたい」って単純に思ってできた曲です。
石田:二度寝で死にたいってどういうこと(笑)?
あいみょん:二度寝するときって「まだ寝れるんや、ラッキー」って思うし、気持ちよくないですか? そんな状態で死にたいなって思ったんです。罪悪感もないし、寝ることだけに集中して死ねるっていいなって思って、「どうせ死ぬなら」をテーマに曲を作った記憶がありますね。「親よりも先に死にたい」とか。
石田:親よりも先に、というのは当時のあいみょんが本当に思っていたことだったんですか?
あいみょん:はい。親子で川の字になって、お父ちゃんとお母ちゃんに挟まれる形で死にたいなって思っていました。
『どうせ死ぬなら』の発売当時、あいみょんの両親は否定的だったという。
あいみょん:実家にある5畳ぐらいの部屋で曲を作っていたんですけど、世の中にリリースされるまで私がどんな曲を作っていたのか知らなかったと思うんですよ。それで、曲がリリースされてから「あんた、部屋であんな歌を書いてたんやな」って言われました。なんで親より先に死にたいかっていうと、私が親の死に目に会いたくないから。悲し過ぎるから、その逆がいいなって思ったんですけど、今は全然思ってないです。
石田:気持ちはわかります。親が亡くなるのは最大の恐怖ですから。
あいみょん:怖いです。『どうせ死ぬなら』は怖いものから逃げている曲かもしれないですね。
石田:私、『どうせ死ぬなら』の歌詞が好きなんですよ。本当に大好きなんです、この曲。
あいみょん:嬉しいです。
あいみょん:兵庫県から上京してきて6年になるんですけど、そのときからずっと感じている魅力は人混みです。人混みって東京の魅力だと思います。
石田:それはなぜ?
あいみょん:渋谷駅に岡本太郎の「明日の神話」のでっかい絵が展示されているじゃないですか。あの場所はガラス張りになっていて、スクランブル交差点を上から眺められるんですね。あの景色を見たときに「これが東京の魅力なんや」って納得したんですよ。富士山から見る景色と同じで、唯一無二だと感じました。
石田:出身は兵庫県西宮市ですよね? ああいう景色は見られない?
あいみょん:阪神タイガースがめっちゃ勝ったときの電車ぐらいですね(笑)。地方、海外、いろんなところから来ている人が交差する場所なんてほかにはないです。
石田:わかります。
あいみょん:「明日の神話」が飾られた場所から見る東京はすごく魅力的だなと感じます。
石田ゆり子の最新情報は、公式サイトまで。またあいみょんの最新情報は、公式サイト、またはオフィシャルTwitterまで。
次回の『LILY'S TONE』は4月3日(日)25 時から。大橋トリオをゲストにお届けする。
また、番組ではリスナーからの写真やメッセージをつないで、一本の短いオリジナルミュージックビデオを作る企画が進行中。「東京」または「東京の空」と聞いてイメージする写真やメッセージを3 月10 日(木)まで募集している。応募は番組ホームページ内「メッセージを送る」から。
二人が対談を繰り広げたのは、石田ゆり子が不定期でお届けするラジオ番組『LILY'S TONE』。ここでは、2月27日(日)25:00~27:00にオンエアした内容をテキストで紹介する。
またこの日のオンエアでは、石田ゆり子が大橋トリオプロデュースのもと、「lily」という名前で音楽活動をスタートしていたことを発表。2月25日(金)にリリースした配信シングル『うたかた』をラジオ初オンエアした。
【関連記事】石田ゆり子「最上級の幸せです」 lily名義での音楽活動への想いを明かす
浜田省吾のコンサートがきっかけで出会った2人
石田とあいみょんが初めて会った場所は、浜田省吾のコンサートの楽屋だったという。浜田省吾の大ファンであるあいみょんは、本人と念願の初対面を果たし、嬉しさから涙していたそうだ。あいみょん:私、号泣してましたよね(笑)。
石田:泣いてた(笑)!
あいみょん:泣いてたら、浜田さんから「おい、石田さんがいるよ」って言われて。
石田:私は浜田さんと古くからの知り合いなんですけど、あいみょんさんを紹介されたとき、浜田さんそっちのけですっごく興奮しちゃって(笑)。お会いできてすごく嬉しかったです。
あいみょん:あのとき一緒にお写真も撮りましたよね。
石田:あの写真は私の宝物です。
あいみょん:久しぶりに写真を見返したら日付が2019年1月17日でした。
石田:もう3年前なんだ! お会いするのはそれ以来です。
あいみょんの音楽的ルーツを探る
石田が「シンガーソングライターになったきっかけは?」と質問すると、あいみょんは「小さい頃から父親が音楽の仕事に携わっていたから」と答えた。音楽の道を目指すようになったのは、祖母からの言葉も大きかったという。あいみょん:私の家族含めて親族も大家族だったから、親戚がめちゃくちゃ多いんです。あるとき、母方のおばあちゃんが「こんだけ孫がおったら、誰か1人でもええから“歌手になりたかった”っていう私の夢を叶えてほしいな」って言って、その言葉がずっと頭のなかにうっすらと残っていたんですね。もともと歌は好きだったし、お父さんが演奏するのを見てきたから、「自分もやってみたいな」とギターを始めました。それで気付いたら自分で曲を書くようになっていましたね。
石田:それは何歳ぐらいの話?
あいみょん:始めたのは14歳ぐらいでした。勉強がすごく苦手で、ギターの本を読むのも苦手だったから「自分で曲を作ったほうが覚えられる気がする」って思ったんです。なので、シンガーソングライターになろうと思ったっていうより気付いたら曲を書いていた感じでした。
「あいみょんは歌詞がすごいなっていつも思う」と話す石田は、歌詞かメロディか、どれを先に作るのかとあいみょんに問いかける。
あいみょん:同時進行で作っています。だけど私、ギターがいまだに苦手なんです(笑)。
石田:ええ!?
あいみょん:レコーディングのときも「弾きたくないな」って思ってるんですけど、曲づくりのときは「ジャラーン」と鳴らした音と同時に突発的に出た言葉から作詞をしています。
石田:そうなんだ。じゃあ歌詞は考えて考えてひねり出すものではない?
あいみょん:たまに考えないといけない場面もありますけど、できれば歌詞をスラスラ書きたいです。
石田がお気に入りのあいみょんソングを紹介
石田が、あいみょんの楽曲の魅力を語る。石田:私、あいみょんの曲が大好きなんです。5年ぐらい前だったかな、妹が「この歌を聴け」と言って、あいみょんの『どうせ死ぬなら』を送ってきたんですよ。
あいみょん:そうだったんですか!
石田:当時、私の姪たちは中学生ぐらいだったと思うんですけども、彼女たちがあいみょんの大ファンだったんですね。
あいみょん:初めて会ったときも「うちの姪っ子が聴いてる」って言ってくださいましたよね。
石田:そうそう。
あいみょん:まさか石田さんが『どうせ死ぬなら』を聴いているとは思ってもいませんでした。
石田:『どうせ死ぬなら』が最初に衝撃を受けた曲なんですよ。
あいみょん:嬉しいです。
あいみょん「どうせ死ぬなら」(Official Video)
石田:なんというか、どん詰まりの気持ちだったんですね。そんなときにあの曲がバンと入ってきて、目の前がパカーンとクリアになったんですよ。「音楽の力ってすごいな」って思うのと同時に、「あいみょんって何? “みょん”って何!?」って思って(笑)。
あいみょん:そうですよね(笑)。
『どうせ死ぬなら』を聴いて以降、石田はあいみょんの音楽活動に興味を持つようになったそうだ。
石田:あいみょんの曲って殴られたような衝撃を感じるんですよ。いい意味でね。叱咤激励されている気持ちになるんです。子どものときというか、自分が一番自分らしかった頃を思い出させてくれます。
あいみょん:『どうせ死ぬなら』を作っていた頃は今もよりもっとがむしゃらな時期だったと思います。インディーズ時代に出ている楽曲は、自分で自分を殴っている感覚が今よりもあった気がしますね。
石田:楽曲のタイトルに「死ぬなら」を入れる強さ。死ぬということは生きることでもあるから、生きている感じが伝わってくるんですよね。その曲を聴いてから、あいみょんのことはずっとすごいと思っていて。実は、すごいと思っている人に会うのは苦手なんですよ。「会ったときにガッカリされたくない」っていうのと「失礼があっちゃいけない」っていう理由で。
あいみょん:その気持ち、わかります。
石田:「ファンだからこそ会っちゃいけない」って思いがあるんですよね。
あいみょん:私もです。それこそ浜田さんにお会いするとき、「鬱陶しいって思われたらどうしよう」って(笑)。でも最近は「会えるうちに会いたいな」という気持ちになることも多いですね。
『どうせ死ぬなら』制作時を振り返る
あいみょんが『どうせ死ぬなら』を制作したときのエピソードを語った。あいみょん:最初のきっかけは「どういうふうに死ぬのが理想かな」って考えたことでした。それで、「二度寝で死にたい」って単純に思ってできた曲です。
石田:二度寝で死にたいってどういうこと(笑)?
あいみょん:二度寝するときって「まだ寝れるんや、ラッキー」って思うし、気持ちよくないですか? そんな状態で死にたいなって思ったんです。罪悪感もないし、寝ることだけに集中して死ねるっていいなって思って、「どうせ死ぬなら」をテーマに曲を作った記憶がありますね。「親よりも先に死にたい」とか。
石田:親よりも先に、というのは当時のあいみょんが本当に思っていたことだったんですか?
あいみょん:はい。親子で川の字になって、お父ちゃんとお母ちゃんに挟まれる形で死にたいなって思っていました。
『どうせ死ぬなら』の発売当時、あいみょんの両親は否定的だったという。
あいみょん:実家にある5畳ぐらいの部屋で曲を作っていたんですけど、世の中にリリースされるまで私がどんな曲を作っていたのか知らなかったと思うんですよ。それで、曲がリリースされてから「あんた、部屋であんな歌を書いてたんやな」って言われました。なんで親より先に死にたいかっていうと、私が親の死に目に会いたくないから。悲し過ぎるから、その逆がいいなって思ったんですけど、今は全然思ってないです。
石田:気持ちはわかります。親が亡くなるのは最大の恐怖ですから。
あいみょん:怖いです。『どうせ死ぬなら』は怖いものから逃げている曲かもしれないですね。
石田:私、『どうせ死ぬなら』の歌詞が好きなんですよ。本当に大好きなんです、この曲。
あいみょん:嬉しいです。
あいみょんが語る東京の魅力
最後に、あいみょんに「東京のイメージ」を訊いた。あいみょん:兵庫県から上京してきて6年になるんですけど、そのときからずっと感じている魅力は人混みです。人混みって東京の魅力だと思います。
石田:それはなぜ?
あいみょん:渋谷駅に岡本太郎の「明日の神話」のでっかい絵が展示されているじゃないですか。あの場所はガラス張りになっていて、スクランブル交差点を上から眺められるんですね。あの景色を見たときに「これが東京の魅力なんや」って納得したんですよ。富士山から見る景色と同じで、唯一無二だと感じました。
石田:出身は兵庫県西宮市ですよね? ああいう景色は見られない?
あいみょん:阪神タイガースがめっちゃ勝ったときの電車ぐらいですね(笑)。地方、海外、いろんなところから来ている人が交差する場所なんてほかにはないです。
石田:わかります。
あいみょん:「明日の神話」が飾られた場所から見る東京はすごく魅力的だなと感じます。
石田ゆり子の最新情報は、公式サイトまで。またあいみょんの最新情報は、公式サイト、またはオフィシャルTwitterまで。
次回の『LILY'S TONE』は4月3日(日)25 時から。大橋トリオをゲストにお届けする。
また、番組ではリスナーからの写真やメッセージをつないで、一本の短いオリジナルミュージックビデオを作る企画が進行中。「東京」または「東京の空」と聞いてイメージする写真やメッセージを3 月10 日(木)まで募集している。応募は番組ホームページ内「メッセージを送る」から。
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番組情報
- LILY'S TONE
-
2022年2月27日(日)25:00-27:00
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石田ゆり子