OKAMOTO’Sのオカモトショウがテクノミュージックの歴史と文化を探求した。
オカモトショウが登場したのはJ-WAVEで放送された番組『SONAR MUSIC』。オンエアは11月10日(水)。今回はお休み中のあっこゴリラに代わってオカモトショウがナビゲーターを担当。この日のテーマは『めくるめくテクノの世界』。テクノDJのQ’HEYをゲストにむかえて、テクノミュージックを掘り下げた。
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Q’HEY:ハウスやテクノといった音楽に触れるようになってから、リズムマシンが打ち鳴らす太いキックやシンセのノイズに、ギターを越えたロックのダイナミズムみたいなものを感じるようになったんです。それで徐々にダンスミュージックをプレイするようになり、1993年あたりからがっつりテクノDJとしてプレイしています。
ショウ:もともと僕はテクノミュージックを全然聴いてきてなかったんです。でもロックやパンクから感じた感動に近いというか、機械が出している音だけどそこに宿っている威力や暴力性も含めた骨太なものを感じるようになって、一気に「こんなに格好いいんだ」と思うようになったんです。
Q’HEY:(オカモトショウの)『SAKURA』という曲、すごくテクノ的ですよね。格好よかったです。
ショウ:ありがとうございます。そうなんです、あれはロックが好きだった人がテクノ好きになった結果どういうことになるか?みたいなミクスチャー具合を狙ったんです。個人的にはウッドストック(Woodstock Music and Art Festival)が開催された69年にテクノのテクノロジーがあったら、どんな曲ができるかなみたいな(笑)。なんかそういう気持ちで作ったのでうれしいです。
Q’HEYはテクノの成り立ちを解説。1980年代あたりのデトロイト発祥で、同じ高校に通っていたホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィン・サンダーソンの3人がオリジネーターとされているという。
Q’HEY:このデトロイトで始まったテクノがイギリスやベルギーなどで評価されて、ヨーロッパで作品が広く紹介されるようになりました。テクノに先行してシーンを形成していたハウス・ミュージックとともに「セカンド・サマー・オブ・ラブ」(80年代後半のイギリスで起こったダンスミュージックの流行)として一大ムーブメントとなります。先ほどショウさんもおっしゃっていたウッドストックというフェスティバルを軸にしたムーブメントがサマー・オブ・ラブで、その再来ということでクラブやレイヴなどで恍惚となって果てしなく踊りまくるシーンでしたね。そのなかでデリック・メイの『Strings Of The Strings Of Life』がアンセムとして世界中のクラブでプレイされていました。
Q’HEY:テクノが全国的に火がついたのは1996年に初開催された野外オールナイトフェス「RAINBOW2000」がきっかけだと思います。ここで大ヒット曲『Born Slippy』を引っ提げたアンダーワルドと、レジェンドのC.J.ボーランドを招聘し、国内の有名テクノDJが全員集合しました。さらにNHKでも特番が組まれて、社会現象にもなりました。その「RAINBOW2000」終了後も2000年から2012年までオールナイト野外フェス「METAMORPHOSE」が開催されて、シーンをけん引していったという感じでしょうか。
ショウ:世界的にテクノシーンというのはどうなっていくんですか?
Q’HEY:イギリスで1995年に発足した「プライメイト」というレーベルがあって、そのレーベルと周辺のレーベルが一時代を築きました。
ショウ:レーベルのファンがつくという感じなんですかね、確かにわかります。レーベルのカラーで見るのは楽しいですよね。
Q’HEY:テクノは匿名性が高い部分もあるので、レーベルでカラーを強く打ち出していって、レーベルのファンがその曲を支持していくという文化はありますよね。
ショウ:はやりが変わっていって、スタイルが合わなくなっていったということですか?
Q’HEY:レーベルは音のカラーというのがあるものですから、新しいことをやるには新しいレーベルをスタートさせるというマインドですね。
ショウ:「いまこういうのがいいよね、いまのムードこれだよね」という思いにあったレーベルをむしろ作っていったんですね。BPMはちょっと遅くなりました?
Q’HEY:シンプルかつゆるいビートで、BPMはだいぶ遅くなりましたね。
ショウ:たぶん、何事にも反動があるということでしょうね。
Q’HEY:ちょっと激しくなりすぎた。だからBPMが速くて、激しいビートのテクノは完全に葬り去られた時期ですね。かつては140BPMぐらい普通にありましたが、そのころだと125あたりに落ち着いていたかな。
ショウ:この15の差というのはけっこうありますよね。音楽性がだいぶ変わるぐらいの差が。
その後テクノには再度“揺り戻し”が来た。世界的はEDMが大流行して「Tomorrowland」、「ULTRA MUSIC FESTIVAL」、「Electric Daisy Carnival」などの巨大フェスがマーケットを拡大し、若い世代のなかで往年のテクノが再評価されていった。
Q’HEY:若い世代にとってEDMがダンスミュージックの入り口になって、そのなかからいろいろ見つけるわけですよ。ハウス、ドラムベース、ブレイクビーツという細かいものを探っていくなかで見つけたもののひとつがテクノ。若い世代のなかで引っ掛かったうえに、特にニーナ・クラヴィッツ、シャーロット・ドゥ・ウィッテといった女性DJが台頭してくるんです。彼女たちがプレイするハードなテクノがオーディエンスに支持されて、そこでまたコマーシャリズムを獲得します。
ショウ:女性DJは本当にいま力がありますし、すごくストイックでハードという印象があります。
Q’HEY:その一方でアンダーグラウンドのシーンではベルリンのクラブ「ベルグハイン」を取り巻くシーンというのは強力でした。こっちはクリックとかミニマルの路線を発展させたシーンなんです。世界全体で見れば、アダム・ベイヤーのレーベル「ドラム・コード」がいまテクノシーンの独壇場にあるんです。ドラム・コード周辺、ベルクハイン周辺、そのほかというのが現在のテクノ勢力図です。
番組ではアダム・ベイヤーの曲を女性DJアメリー・レンズがリミックスした『Teach Me(Amelie Lens Main Mix)』をオンエアした。
ショウ:アメリー・レンズはリミックスも上手ですね。これがリリースされた2019年に、僕もベルクハインに初めて遊びに行きました。いまのテクノシーンのサウンド面の流行はあったりするんですか?
Q’HEY:アシッドでヘビーなサウンドが主流ですね。本当に90年代の熱いサウンドが戻ってきたかのような感じがしています。ただ、日本においてはよりアンダーグラウンドなベルクハイン系の音を好んでプレイするDJも多いですね。
ショウ:現在進行形のテクノシーンからは、新しいアーティストも登場しているんでしょうか。
Q’HEY:国内の若手のなかでもレイヴィーでハードなテクノをプレイするDJは出てきています。そのなかでも20代のアーティストのSeimei。彼はTREKKIE TRAXというベース・ミュージック系のリリースが多いレーベルを運営しているんですけど、そんな彼が全編にわたって140BPMのハードなテクノトラックを詰め込んだアルバム『A Diary From the Crossing』をカナダのレーベルWET TRAXから先月リリースしております。
ショウ:リアルタイムですね。
番組ではSeimeiの『Don't Bend My Life』をオンエアした。
ショウ:レイヴっぽくてすばらしいですね。
Q’HEY:格好いいですね。
ショウ:今後のテクノシーンはこれからどうなっていくと思われますか?
Q’HEY:しばらくハードなサウンドは鳴り続けるとは思うんですが、またしばらくしたら少しずつビートは遅くなっていくかなと思ってます。
ショウ:そこの振り子はありますね。
Q’HEY:来年すぐというわけではないし、しばらくはこういう感じでいくと思います。いずれにしろクラブカルチャーというのはユースカルチャーなので、このシーンに参入してくる若い世代が自分たちにとって新鮮なものを見つけて、そこに同時代の人たちが共鳴していく。そうやって成り立っていくものだと思います。それを見届けるのを僕は楽しみにしていますね。
ショウ:すばらしい話ですね。確かにわかります。30年以上のDJキャリアを持つQ’HEYさんにとってテクノミュージックの面白さはどういうところにありますか?
Q’HEY:僕にとってはロックの面白さですね。ロックのつもりでテクノを始めているので、ロックの面白さと同じです。
ショウ:すごく伝わります(笑)。一言でグサッと刺さってきました。
J-WAVE『SONAR MUSIC』は月~木の22:00-24:00にオンエア。
オカモトショウが登場したのはJ-WAVEで放送された番組『SONAR MUSIC』。オンエアは11月10日(水)。今回はお休み中のあっこゴリラに代わってオカモトショウがナビゲーターを担当。この日のテーマは『めくるめくテクノの世界』。テクノDJのQ’HEYをゲストにむかえて、テクノミュージックを掘り下げた。
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テクノの発祥はデトロイト
Q’HEYは東京で最長寿のテクノパーティ「REBOOT」のオーガナイズを務め、「FUJI ROCK FESTIVAL」や「ULTRA JAPAN」に出演するなど日本のテクノシーンをリード。DJをはじめたのは1989年からで、はじめは学生時代から好きだったニュー・ウェーブやインディー・ダンス、ロックをプレイするDJだったという。Q’HEY:ハウスやテクノといった音楽に触れるようになってから、リズムマシンが打ち鳴らす太いキックやシンセのノイズに、ギターを越えたロックのダイナミズムみたいなものを感じるようになったんです。それで徐々にダンスミュージックをプレイするようになり、1993年あたりからがっつりテクノDJとしてプレイしています。
ショウ:もともと僕はテクノミュージックを全然聴いてきてなかったんです。でもロックやパンクから感じた感動に近いというか、機械が出している音だけどそこに宿っている威力や暴力性も含めた骨太なものを感じるようになって、一気に「こんなに格好いいんだ」と思うようになったんです。
Q’HEY:(オカモトショウの)『SAKURA』という曲、すごくテクノ的ですよね。格好よかったです。
ショウ:ありがとうございます。そうなんです、あれはロックが好きだった人がテクノ好きになった結果どういうことになるか?みたいなミクスチャー具合を狙ったんです。個人的にはウッドストック(Woodstock Music and Art Festival)が開催された69年にテクノのテクノロジーがあったら、どんな曲ができるかなみたいな(笑)。なんかそういう気持ちで作ったのでうれしいです。
Q’HEYはテクノの成り立ちを解説。1980年代あたりのデトロイト発祥で、同じ高校に通っていたホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィン・サンダーソンの3人がオリジネーターとされているという。
Q’HEY:このデトロイトで始まったテクノがイギリスやベルギーなどで評価されて、ヨーロッパで作品が広く紹介されるようになりました。テクノに先行してシーンを形成していたハウス・ミュージックとともに「セカンド・サマー・オブ・ラブ」(80年代後半のイギリスで起こったダンスミュージックの流行)として一大ムーブメントとなります。先ほどショウさんもおっしゃっていたウッドストックというフェスティバルを軸にしたムーブメントがサマー・オブ・ラブで、その再来ということでクラブやレイヴなどで恍惚となって果てしなく踊りまくるシーンでしたね。そのなかでデリック・メイの『Strings Of The Strings Of Life』がアンセムとして世界中のクラブでプレイされていました。
日本におけるテクノブーム
テクノブームは日本にも広がり、都内を中心にテクノをプレイするクラブは増え、青山にあったクラブ「MANIAC LOVE」はテクノの聖地と言われていた。Q’HEY:テクノが全国的に火がついたのは1996年に初開催された野外オールナイトフェス「RAINBOW2000」がきっかけだと思います。ここで大ヒット曲『Born Slippy』を引っ提げたアンダーワルドと、レジェンドのC.J.ボーランドを招聘し、国内の有名テクノDJが全員集合しました。さらにNHKでも特番が組まれて、社会現象にもなりました。その「RAINBOW2000」終了後も2000年から2012年までオールナイト野外フェス「METAMORPHOSE」が開催されて、シーンをけん引していったという感じでしょうか。
ショウ:世界的にテクノシーンというのはどうなっていくんですか?
Q’HEY:イギリスで1995年に発足した「プライメイト」というレーベルがあって、そのレーベルと周辺のレーベルが一時代を築きました。
ショウ:レーベルのファンがつくという感じなんですかね、確かにわかります。レーベルのカラーで見るのは楽しいですよね。
Q’HEY:テクノは匿名性が高い部分もあるので、レーベルでカラーを強く打ち出していって、レーベルのファンがその曲を支持していくという文化はありますよね。
テクノシーンの変遷
続いてQ’HEYは2000年以降のテクノシーンを解説。2000年代中期から2010年初期は激しく踊るというよりは音響を楽しむタイプのテクノが流行。これまで隆盛を極めていた多くのテクノレーベルが活動を休止、消滅していった。ショウ:はやりが変わっていって、スタイルが合わなくなっていったということですか?
Q’HEY:レーベルは音のカラーというのがあるものですから、新しいことをやるには新しいレーベルをスタートさせるというマインドですね。
ショウ:「いまこういうのがいいよね、いまのムードこれだよね」という思いにあったレーベルをむしろ作っていったんですね。BPMはちょっと遅くなりました?
Q’HEY:シンプルかつゆるいビートで、BPMはだいぶ遅くなりましたね。
ショウ:たぶん、何事にも反動があるということでしょうね。
Q’HEY:ちょっと激しくなりすぎた。だからBPMが速くて、激しいビートのテクノは完全に葬り去られた時期ですね。かつては140BPMぐらい普通にありましたが、そのころだと125あたりに落ち着いていたかな。
ショウ:この15の差というのはけっこうありますよね。音楽性がだいぶ変わるぐらいの差が。
その後テクノには再度“揺り戻し”が来た。世界的はEDMが大流行して「Tomorrowland」、「ULTRA MUSIC FESTIVAL」、「Electric Daisy Carnival」などの巨大フェスがマーケットを拡大し、若い世代のなかで往年のテクノが再評価されていった。
Q’HEY:若い世代にとってEDMがダンスミュージックの入り口になって、そのなかからいろいろ見つけるわけですよ。ハウス、ドラムベース、ブレイクビーツという細かいものを探っていくなかで見つけたもののひとつがテクノ。若い世代のなかで引っ掛かったうえに、特にニーナ・クラヴィッツ、シャーロット・ドゥ・ウィッテといった女性DJが台頭してくるんです。彼女たちがプレイするハードなテクノがオーディエンスに支持されて、そこでまたコマーシャリズムを獲得します。
ショウ:女性DJは本当にいま力がありますし、すごくストイックでハードという印象があります。
Q’HEY:その一方でアンダーグラウンドのシーンではベルリンのクラブ「ベルグハイン」を取り巻くシーンというのは強力でした。こっちはクリックとかミニマルの路線を発展させたシーンなんです。世界全体で見れば、アダム・ベイヤーのレーベル「ドラム・コード」がいまテクノシーンの独壇場にあるんです。ドラム・コード周辺、ベルクハイン周辺、そのほかというのが現在のテクノ勢力図です。
番組ではアダム・ベイヤーの曲を女性DJアメリー・レンズがリミックスした『Teach Me(Amelie Lens Main Mix)』をオンエアした。
ショウ:アメリー・レンズはリミックスも上手ですね。これがリリースされた2019年に、僕もベルクハインに初めて遊びに行きました。いまのテクノシーンのサウンド面の流行はあったりするんですか?
Q’HEY:アシッドでヘビーなサウンドが主流ですね。本当に90年代の熱いサウンドが戻ってきたかのような感じがしています。ただ、日本においてはよりアンダーグラウンドなベルクハイン系の音を好んでプレイするDJも多いですね。
ショウ:現在進行形のテクノシーンからは、新しいアーティストも登場しているんでしょうか。
Q’HEY:国内の若手のなかでもレイヴィーでハードなテクノをプレイするDJは出てきています。そのなかでも20代のアーティストのSeimei。彼はTREKKIE TRAXというベース・ミュージック系のリリースが多いレーベルを運営しているんですけど、そんな彼が全編にわたって140BPMのハードなテクノトラックを詰め込んだアルバム『A Diary From the Crossing』をカナダのレーベルWET TRAXから先月リリースしております。
ショウ:リアルタイムですね。
番組ではSeimeiの『Don't Bend My Life』をオンエアした。
ショウ:レイヴっぽくてすばらしいですね。
Q’HEY:格好いいですね。
ショウ:今後のテクノシーンはこれからどうなっていくと思われますか?
Q’HEY:しばらくハードなサウンドは鳴り続けるとは思うんですが、またしばらくしたら少しずつビートは遅くなっていくかなと思ってます。
ショウ:そこの振り子はありますね。
Q’HEY:来年すぐというわけではないし、しばらくはこういう感じでいくと思います。いずれにしろクラブカルチャーというのはユースカルチャーなので、このシーンに参入してくる若い世代が自分たちにとって新鮮なものを見つけて、そこに同時代の人たちが共鳴していく。そうやって成り立っていくものだと思います。それを見届けるのを僕は楽しみにしていますね。
ショウ:すばらしい話ですね。確かにわかります。30年以上のDJキャリアを持つQ’HEYさんにとってテクノミュージックの面白さはどういうところにありますか?
Q’HEY:僕にとってはロックの面白さですね。ロックのつもりでテクノを始めているので、ロックの面白さと同じです。
ショウ:すごく伝わります(笑)。一言でグサッと刺さってきました。
J-WAVE『SONAR MUSIC』は月~木の22:00-24:00にオンエア。
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