HIP HOPはどのようにカルチャーをつくってきた? 歌詞、サウンド、ファッションから分析

J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:あっこゴリラ)。番組では、毎回ゲストを迎え、様々なテーマを掘り下げていく。

2月18日(木)のオンエアでは、KANDYTOWNからBSCとKEIJU、そして、音楽ジャーナリストの高橋芳朗さんがゲストに登場。「HIP HOPカルチャーが生み出す新時代」をテーマにお届けした。

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リリックが時代を変えたHIP-HOP特集

今回番組では、リリック、サウンド、ファッション、いつの時代も、カルチャーをクリエーションしてきているHIP-HOPの世界に迫った。

ゲストには、KANDYTOWNからBSC、KEIJUの二人が登場。そして、特集を解説してくれるのは、SONAR MUSICではお馴染み、音楽ジャーナリストの高橋芳朗さん。

まずは、「リリックが時代を変えたHIP-HOP特集」からスタート!

あっこゴリラ:いつの時代もラッパーの名言、名リリックありますよね。高橋さん、まずは?
高橋:オールドスクールからラップスキルの向上への変遷に追っていきたいと思います。1980年頃の初期のラップのレコードって、作品というよりかは、パーティーを音源化したような感じだったんですね。
あっこゴリラ:うんうん。
高橋:サビもAメロもBメロもなく曲の体をなしてないというか、歌詞の内容もいかに自分たちがイケてるかっていう自慢が中心だったんです。それが1982年にグランドマスターフラッシュの『ザ・メッセージ』という曲が登場して、これが分岐点になります。この曲は、タイトル通り社会派のメッセージになっていて、ラップもまくし立てるようなものではなく、落ち着いた淡々としたトーンで語りかけるスタイルになります。
あっこゴリラ:なるほど~。
高橋:こうした流れを経て、80年代半ばになると、ラップスキルを格段に進化させるラッパーがどんどん出現してきます。代表的なのが、エリック・Bとのコンビで登場したラキムです。ボキャブラリーといいメタファーといい、あとは詩的な表現や韻の踏み方もシンプルなものじゃなくてちょっと複雑に巧妙になってきたり、一気にスキルを進化させた象徴がラキムだと言えます。
あっこゴリラ:ラキムはラップのスタンダードとも言えますよね。他にはいますか?
高橋:ラキムに負けない影響力を持ったのが、1988年にデビューしたスリック・リックです。彼はストーリーテリングで物語の語り部として優れていました。このように、一曲丸々使っておもしろい話を聞かせる、そういうスキルに長けているラッパーも現れてきました。
あっこゴリラ:ストーリーテリングは、このスリック・リックが初めて発明したんですか?
高橋:スリック・リックが第一人者だと言っていいと思います。そして、そういう流れから社会的、政治的メッセージを前面に出してくるラッパーが台頭してきます。今の一般的なラップのイメージは、このタイミングで確立されたのかなって感じがしますね。
あっこゴリラ:今のパブリックなイメージのHIP HOPの根源が、ここに詰まってるみたいな感じですかね。
高橋:そうですね。その代表格が自分自身でティーチャーを名乗っていた、KRSワンです。ラップで人々を啓蒙しようとした人とも言えます。あとは、パブリック・エネミー。
あっこゴリラ:出た!
高橋:結構過激な歌詞で、ロックファンからも人気を獲得したグループです。パブリック・エネミーのチャックDは、「ラップは黒人にとってのCNNなんだ」と提唱して、ラップを聴くことが“黒人のコミュニティーにとっての情報源になるんだ”ということを主張しました。

【Public Enemy『Don't Believe The Hype』を聴く】

あっこゴリラ:さっきKRSワンがティーチャーを名乗ってたっていう話にもあったように、啓蒙というか、ラップってちょっと価値観のプレゼンみたいな面があるじゃないですか。
高橋:うんうん。
あっこゴリラ:そういうのもこの時代から始まった感じなんですか?
高橋:そうですね。この曲『Don't Believe The Hype』でも、「政府やメディアの言うことなんて信じるな」って歌ってますよね。
あっこゴリラ:確かに、HIP HOPの基本中の基本かもしれないですね。
高橋:もうキャッチフレーズみたいになってますよね。そして、このニューヨークのパブリック・エネミーの動きと並行して、西海岸のロサンゼルスで一大旋風を巻き起こしたのがN.W.Aで、1988年にデビューしています。
あっこゴリラ:そっか~! これが同時期なんですね。
高橋:パブリック・エネミーやKRSワンなどの啓蒙とは対照的に、N.W.Aは世界で最も危険なグループを名乗って、露悪的な表現で、本物の暴力を持ち込んできたようなスタイルで人気を集めました。
あっこゴリラ:いわゆる、ギャングスタラップの登場ですね。
高橋:はい。ちょっと音楽をやるような人たちに見えないというか、本物のギャングなのかなって思ってしまうような。
あっこゴリラ:うんうん。だからこの時代はHIP HOPシーンは、啓蒙的なイメージと悪いイメージの両方があったってことですよね。
高橋:はい。N.W.Aも良くも悪くもある種のHIP HOPのイメージを決定づけたところはあると思います。N.W.Aが出てきたことによって、ギャングスタラップが盛り上がったのと同時に、アメリカでは本物のギャングも増えたらしいです。
あっこゴリラ:ギャングも増やしちゃったんですね。あはははは。
BSC:本当に良くも悪くも影響が大きかったんですね。

その後、HIP HOPシーンの中心地はニューヨークやロサンゼルスからアトランタなどアメリカ南部や中西部に移行していくという。

高橋:2000年代に入るとHIP HOPのチャート的な意味での中心地が、アメリカ南部や中西部に移行していきます。その動きの最初の中心になったのが、ニューオリンズのキャッシュ・マネー軍団です。
あっこゴリラ:うんうん。
高橋:その象徴的なヒット曲が、ジュヴィナイルの『Ha』です。ローカルなスラングや訛りを駆使したラップが全国的な人気を獲得するようになります。
あっこゴリラ:なるほど~。
高橋:この『Ha』もそうですけど、今までのラップのスタンダードとちょっと違うし、ネイティブの人でもちょっと何言ってるか分からないらしいです。
あっこゴリラ:ええ~!
高橋:本当にニューオリンズの現地の人たちにしか通じない言葉を使ってラップしてたっていう、そういうスタイルが全国でウケてしまったということですね。

【Nelly『Country Grammar』を聴く】

あっこゴリラ:KANDYTOWNの二人は、やっぱりNelly聴いてた?
KEIJU:聴いてましたね。『Dilemma』っていうヒット曲がありますけど、みんなめちゃめちゃ聴いてたと思う。
BSC:ちょっとR&B要素が入っているよう、踊れるような、それこそダンサーの人たちとかみんな聴いてたんじゃないかなっていう印象があります。
あっこゴリラ:この辺りからフロウとか豊かになっていった感じですか?
高橋:そうですね。歌とラップの境界線をいくようなメロディアスなフロウがここを起点に流行り始めて、今のドレイクとかにも繋がるようなスタイルになっているんじゃないかなって感じはします。

HIP-HOPが時代を変えたファッション特集

続いては、「HIP-HOPが時代を変えたファッション特集」をお届け。

あっこゴリラ:HIP HOPとファッションと言えば、やっぱり最初はここからですよね!
高橋:やっぱりRun-D.M.C.かなと思います。ストリートファッションでステージに立った最初のラッパーです。それまでの派手なコスチュームに比べて、圧倒的にシンプルな恰好です。
あっこゴリラ:うんうん。
高橋:黒のレザージャケットに、黒のハットに、ブラックジーンズにアディダスのスーパースターみたいな。
KEIJU:しかもスーパースターの履き方も紐なしだったり。
高橋:そうそう。ちなみにRun-D.M.C.の『My Adidas』っていう曲があるんですが、コンサートの時に観客に「みんなの履いてるアディダスを掲げろ」って言って、みんながアディダスを掲げるみたいなことがあって、それを見たアディダスの人が感動してRun-D.M.C.のスポンサーになったという話があります。
あっこゴリラ:すげ~!
KEIJU:そうやって契約を取るんですね~。勉強になります(笑)。
あっこゴリラ:あはははは。でも、ラッパーとファッションブランドが契約するって、ある種のステータスですよね。
高橋:ミュージシャンがスポーツブランドと契約したって、多分これが初めてなんじゃないですかね。

そして出てきたのが、2004年にデビューしたカニエ・ウェスト。ラッパーとしては異例のプレッピースタイルで登場。

高橋:これまでのHIP HOPって、比較的オーバーサイズでわりとストリートなファッションが主流だったと思うんですけど、カニエはラッパーとしてかなり異例のプレッピースタイル、いわゆるおぼっちゃんスタイルで出てきます。ラルフ・ローレンのラガーシャツの重ね着にグッチのバックパック背負ったりして。
KEIJU:あれって、最初はちょっとダサいなって感じでしたよね。
高橋:そうそうそう! 当時は叩かれてましたよね。
KEIJU:今じゃ、アイコンですもんね。
高橋:あとピンクのポロシャツ着ちゃったりして、それもHIP HOPファッションではちょっと異例でしたけど、今となっては彼が多様性を持ち込んだんだなって思いますね。ラッパーが、ハイブランドと密な関係を持つようになったのもカニエの影響が強いんじゃないかな。

そんなカニエに続いて出てきたのが、ファレル・ウィリアムスやエイサップ・ロッキーである。

高橋:そして、次に注目すべきは、リル・ウェインかなと思います。リル・ウェインがスターになったのは、2005年頃だったかな。今では当たり前ですけど、フェイスタトゥーは、リル・ウェインとグッチ・メインがパイオニアかなって感じがします。
あっこゴリラ:確かに、今ってフェイスタトゥーみんなやってますよね。
BSC:しかもみんな普通にやってるもんね。昔は、覚悟があるぐらいに感じてたけど、今はもうファッションとしてなのかな~。
高橋:もうその仕事しかできないというか、退路を断つって感じですよね。
あっこゴリラ:確かに。いわゆるそのロックスターっぽい刹那感みたいなものも、かっこいい価値観として一蹴してきた感じしますよね。
高橋:やっぱりリル・ウェインがロックスターの先駆者だなって思いますね。

時代を変えたSOUND特集

ここからは、「時代を変えたSOUND特集」をお届け。

あっこゴリラ:高橋さん、まずは?
高橋:個人的な主観でいくつかポイントを挙げてみたんですが、まずは1980年代中盤のサンプリングマシーンの導入です。当時は、基本的に生バンドの演奏だったんですよね。その後もドラムマシーンとか導入されたりもするんですけど、トラック制作に劇的に変化をもたらしたのが、サンプリングマシーンの導入かなと思います。
あっこゴリラ:うんうん。
高橋:要はレコードから曲の一部を取り込んで、それをループさせてトラックを作るっていう作業です。
あっこゴリラ:これはもうHIP HOPの基本ですよね。
高橋:そうですね。その手法を駆使した代表的なプロデューサーが、マーリー・マールです。

【Ultramagnetic MC's『Ego Trippin'』を聴く】

あっこゴリラ:その後、どのように変化していくんですか?
高橋:1990年代後半~2000年代前半にかけて、新世代プロデューサーが台頭してきます。サンプリングを使ったトラックがちょっと頭打ちになってきて、あとはさっき話したみたいにHIP HOPシーンがアメリカ南部や中西部に移ってきたこともあって、サンプリングに頼らないトラック作りが主流になっていきます。
あっこゴリラ:なるほど~。
高橋:そこで頭角を現してきたのが、スウィズ・ビーツです。この頃からサンプリングのちょっとくぐもった音がハイファイになります。あとは楽器のビート感やコードを持ち込んだプロデューサーとしてネプチューンズとか、キャッシュ・マネーのマニー・フレッシュがいます。その中でも一番衝撃的だったのが、ティンバランドです。

【Missy Elliiot『Get Ur Freak On』を聴く】

あっこゴリラ:この曲大好き!
高橋:色褪せないですよね。
あっこゴリラ:これってサンプリングでもありますよね。
高橋:確かアジアの何かを使ってるんでしたよね。でもビートはかなり緻密で凝ってて、これがティンバランドの特徴ですね。
あっこゴリラ:ずっとかっこいいですよね。このようにどんどんサウンドが進化していったわけですが、今に至ってはもっとすごいことになってますよね。
高橋:そうですね。作り手の話になるんですけど、SNSの発展に伴って無名なプロデューサーにもヒットを生み出すチャンスが出てきます。誰にでも可能性が開かれてきたところがあると思います。
あっこゴリラ:確かに。
高橋:例えば、2019年に全米チャートの連続1位記録を更新したLil Nas X'sの『Old Town Road』ですが、彼はこのビートをオランダの10代のプロデューサーから30ドルで買ってるんです!
あっこゴリラ:ええ~! ヤバいですね。すごい夢がある!

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番組情報
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月・火・水・木曜
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