セックス、ジェンダーアイデンティティ、セクシュアリティ、性差別──。わたしたちが生きる世界は、おばあちゃんやお母さんの若い頃にくらべると、性の話題はとてもオープンで、多様性も認められるようになってきた。時代は間違いなく、一人ひとりの自分らしさを尊重する方へ歩みを進めている。
でも、わたしたち自身はどうだろう。性にまつわることを、いつもの温度で誰かと気軽にしゃべることはできるだろうか? 誰かと語り合いたいけど、ちょっと照れる。何から話していいのかわからない。そんなわたしたちの背中をそっと後押ししてくれるのが、7月9日(金)から配信がスタートしたポッドキャスト『わたしたちのスリープオーバー』。
ナビゲーターは、株式会社CINRAで、自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ〈She is [シーイズ] 〉を立ち上げ、2021年4月には新会社ミーアンドユーを設立した、編集者の竹中万季さんと野村由芽さん。彼女たちが感じている女性の性をとりまく問題や、対話に懸ける想いを聞いた。
竹中:安心できる相手に、安心できる場所で、自分が抱えている違和感を打ち明けたことで視野が広がりました。それまでは、自分自身の考え方や悩みなんて、取るに足らないような些細なことで、他の人はもっと我慢しているはず、と自分の中で処理していたことも多かったんです。でも、安心できる相手と話すようになってから、実は自分だけの問題ではなく、社会の問題なのかもしれないと気づいたり、病院の先生など次に話すべき相手がいる場所が見つかったりして。
野村:わたしは、自分の体調についてまず気づきを得ることができました。昔から生理がすごくしんどくて、ずっと何でだろうと思っていたんですよね。あるときまきちゃん(竹中)に打ち明けてみたら、「PMS(月経前症候群)じゃない?」って言われたんです。当時はPMSを知らず、調べてみたら症状があてはまっていて、すごく納得がいって。そこから、当たり前だと思い込んでいた体調の不調について能動的に調べるようになりました。
──野村さんと竹中さんは職場の先輩後輩の関係とのことですが、とても距離が近いんですね。
竹中:わたしはゆめさん(野村)の4年後輩にあたります。最初は『CINRA.NET』の編集部でゆめさん含む編集者の人たちに3か月ほど編集業務を教わって、そのあとは別の部署に配属になったものの、一緒にプロジェクトを行うことが多くて、仕事の仲間でもあるし、友だちみたいにいろんな話をする関係に変わっていきました。
野村:まきちゃんとは当時わたしが苦しんでいた仕事を一緒に進めたところからスタートしているので、最初から同志感がありました。前職は音楽や映画、本などのカルチャーに関心が高く、趣味を仕事にしているような人が多かったので、仕事仲間でもあり、遊び仲間でもあるという雰囲気が濃かったのもあるかも。あと二人でよくカラオケに行ったよね(笑)。わたしの鉄板はT.M.Revolution。
竹中:SPEEDもよく歌ったよね。感情の高まる曲を二人で熱唱したことで、心理的な距離が縮まったのかも。あとは、帰る方向が一緒で、けっこう夜深い時間に歩きながら、あまり人に話さなかったようなことも、つらつらと話して。
──どんな話をされていたんですか?
野村:性のこと、社会のこと、働き方のこと……とにかくいろいろな話をしましたね。20代前半の頃までは、社会や政治にまつわる問題についてひとりでぼんやりとは考えていたけれど、誰かと喋ることもあまりなく、どこか遠い存在だと捉えてしまっていたことで、それらについて語る言葉が自分の言葉になっていないなと気づいたんですよね。性の問題も本当はすごく身近なことなのに、気づけば“大きな言葉”しか持ち合わせていなかった。それを“自分の言葉”にしていきたいと考えるようになりました。
──いまの時代は、ネットにたくさんの情報があり、容易に自己完結できますよね。そうじゃなくて、あえて対話をする大切さって何でしょう?
野村:ネットにも学びのきっかけとなる情報はたくさんありますし、そこから自分で調べて、知識を深めていく良さもあると思います。一方であらゆるものごとは多面的で、視点や考え方はもちろん、歴史や背景が複雑に絡み合って存在していますよね。対話することで、ものごとを表面的に見て簡単にわかった気になるのではなく、一人ひとりの語りに、さまざまな固有の問題や複雑な感情があると気づくことができるのではないかと感じます。そういったことに目を向けることが、一人ひとりの生きやすさにつながるのではないかなと考えています。
竹中:とりわけ性の話題ってすごく繊細で複雑なものだから、自分ひとりで解決策を見つけるのがすごく難しいですよね。検索して出てくる“解決策らしきもの”は、大多数の人に向けて書かれているから、あたかも決まりきった装いをしているものも多くて。でも、対話をしていると人は必ず決まった枠に当てはまるわけではなく複雑なものだとわかり、正解のかたちはひとつじゃないんだなと、あらためて気づくんですよね。あと、迷っていたり、揺らいでいたりするときに、誰かと対話すると、自分の姿がちょっとずつ見えてくる気がしていて。こうしたことは、なかなか検索やSNSなどでは辿りつけないことで、そのことに対話の意義があるんじゃないかなと思います。
竹中:20代後半に差し掛かったとき、社会が定義する“女性らしさ”みたいなものに対する違和感をもつようになったんです。ちょうどその頃、当時付き合っていた人と別れたのですが、知人に伝えたときに、結婚適齢期という概念が根強いのか「この年齢で別れるってツイてないね」みたいなことを言われたんですよね。でも、それってそう思わせている社会に問題があるんじゃないのかなと思ったんです。職場や親戚の集まりでも、どこか“女性はこうあるべきだ”というのを肌で感じることがあって、ゆめさんとそのことについて話したのを覚えています。
野村:その話を聞いたときには、「えー!」と言ったような気がしますが、少し時間を置いて角度を変えて考えてみると、その発言が生まれた環境や構造について思いを巡らせる必要があるなと感じました。同時に、自分も知らぬうちに誰かを傷つけていたのかもしれないと反省もしました。
竹中:「自分はそんなことは言わないはず」と思っていたこともあるけど、誰かと話していると実は自分も“こうあるべき”という価値観に染まっていることに気づかされますよね。たぶんこれまでも「この人の価値観、社会によって作りだされた”こうあるべき”に左右されてる」と話していた相手に思われたことがあるはずで。それを思い出すたびに「あー……」となんともいえない気持ちになります。
生きてきた環境や今置かれている状況で、人の考え方ってすごく変わるものだと思うんですよね。わたしも以前、学生時代の友だちに、今まで話したことがないようなテーマについて語り合ったとき、完全にすれ違ってしまってショックを受けてしまったこともありました。でも、ショックを受けたのは、「自分と同じ考えのはず」って、勝手に期待していただけなんですよね。何でも一緒だということはないんだなということを、人間ってどうも忘れてしまいがちだなって。それに気づけたという意味でも、対話してよかったなって思います。
──対話で自分自身の輪郭が浮かび上がってくることもある、ということですよね。ただ、もしかしたら、なかには性の話をどう切り出していいかわからないという人もいるかもしれません。
野村:誰とでも対話しないといけないということではないですし、話したくないことを話す必要ももちろんないと強く思います。だけどもし性について、自分の基準というよりは社会のムードで話しにくいと感じていたのなら、気の置けない人とまずは話しはじめてみることで視野が広がることがあるのではないかなと感じています。わたしは体調の話からはじめることもあります。「今日、調子悪くて。実は生理痛がひどくて」みたいな話をしてみて、相手がそれを受け入れてくれたら、この人とはもう少し深い話ができるのかもしれないな、と思ったり。
竹中:わたしたちも体調の話はけっこうするよね。わたしは、本や映画のような作品を入り口にすると話しやすいのでは、と思っています。作品に触れたとき、自分の経験を重ねることって多いと思うんです。本を貸したり映画を一緒に観たりして、作品をどう思ったかを共有してみると、相手の考えや気づきが見えたりして。それから自分の個人的な話をこの相手にはできそうだな、と思ったら話が膨らんでいきそうですよね。ちょっと難しそうだなと思ったら止めておくのもいいですし。
──女性同士は、結婚や出産でライフステージが変わると話が合わなくなってきて、ちょっと寂しい気持ちになる、という話もよく聞かれます。
野村:その相手と、どういうスパンで付き合いたいかを考えてみるといいかもしれませんね。ジェーン・スーさんが女性たちは“サケの遡上”のように、人生の選択がわかれたとしても、ある時期を過ぎるとまた同じところに戻ってくるのではないかというようなことをおっしゃっていて。わたし自身、学生時代に仲の良かった友人と距離ができてしまった経験もあり、かなり苦しんだ時期もありましたが、中長期的な視点で見れば、もしかしたらまた出会う日がくるかもしれないなと今は思っています。ただ、もしその友人と関係を続けたいのであれば、頻繁じゃなくても1、2年に1度ぐらい連絡をとるとか。ゆるやかなつながりを保てたらいいのかもしれませんね……と20代の自分に言いたいですね。
竹中:ライフステージの変化とか、タイミングって難しいですよね。わたしも学生時代からの友だちが出産したときに、自分は仕事のことで頭がいっぱいで、生活サイクルが合わず以前よりも会えなくなってしまって。自分って薄情な人間だな……とつらい気持ちになってしまっていたけれど、頻度が下がったからといって仲が悪くなったわけでは決してなくて。こうしたことも解決策はこれ、というのがあるわけではないので、自分や相手の状況や気持ちを考えて、心地よい関係性をその都度作っていくものなのだと思います。
野村:根本的には、女性に限らず一人ひとりが多様であるという前提に立ち、あらゆる個人の生きやすさを常に考え直していける社会であってほしいと思っているんです。これまでは近代以降の社会の制度や空気によって、男女二元論という前提で役割が決まっていくことが多かったと思うのですが、それはあらゆるジェンダーやセクシュアリティの人々の存在を構造的に見えないものにしてしまっていると思います。その歪みのもとにわたしたちは今生きているということを認識したうえで、一人ひとりの生きやすさを考え直していくことが必要なのではないかなと考えています。
竹中:考え直すためには過去の歴史を知ることも大切ですよね。これまで女性として生まれたがゆえに、ステレオタイプな「女性」のジェンダー観に押し込められて生きてきた人たちがたくさん存在していて、男性も然りですが、そうなった背景について知り、学び続ける姿勢は忘れたくないと思っています。それから、自分自身もグラデーションの中に存在していることを知ることも大事なんじゃないかなって。わたしは性自認は女性で、いまのところ異性愛者ですが、それはもしかしたら揺らいでいくかもしれない。あらゆるシチュエーションで「これが普通で、これが異質」のような差別が生まれない社会であってほしいと思います。
そのためにも、性のことをもっと日常の中で考えられるといいですよね。性の話は大きな声でネタのように話すか、あるいはすごくひそひそと隠れて話すか、どちらかになってしまっている気がしていて。すべての人に関係があることだから、もっといつも話している感じで話ができるといいと思うんです。わたしたちのポッドキャストは、お泊り会を意味する英語「スリープオーバー」をタイトルにしていますが、お泊り会の終盤、深夜2時くらいに話し出すテンションで、性の話ができるといいなって。
野村:いつもの声の大きさや、温度で話したいですね。ポッドキャストでは、個人的な違和感を持ち寄っておしゃべりをすることと、それによって浮かんできた疑問を専門家やその領域に詳しい方とともに学んでいく構成を考えていて。自らの中に眠っている違和感や疑問に気づくことからはじめたいと思っています。
──番組における対話の仕方も、性について語り合うときの参考になりそうですね。ちなみに、ポッドキャストのナレーションは、シンガーソングライターの青葉市子さんですが、お二人は青葉さんの楽曲がお好きだとか。
野村:大好きです。わたしは眠りにつくのが遅いのですが、眠れない夜に青葉さんの歌声を聴くと身体に染み込んで溶けていくような感覚があり、スッと眠ってしまっていたということがよくあります。ナレーションは凛としていながらも親密な響きに満ちていて、『わたしたちのスリープオーバー』で大切にしたい対話のイメージにぴったりで本当に嬉しかったです。
竹中:わたしもコロナ禍で気持ちがふさぎ込んでしまっていたときに青葉市子さんの音楽にとても救われていて。青葉さんのナレーションを聴くと、朝でも昼でも「ここからスリープオーバーがはじまるぞ」と親密な空間が広がるような感覚があります。
それから、メインビジュアルを作ってくださったDAY・DREAMさんは、ご自身も性をとりまく問題について、ここ数年ずっと関心を持たれて考えていらっしゃったみたいで。今回のメインビジュアルを作るにあたって、ご自身でもいろいろな本を読まれたり、わたしたちと一緒にお話をしてくださったりして、想いを汲んで制作してくださったんです。夜空の中で耳元でそっと囁くイメージがぴったりで、本当に、気に入っているビジュアルです。
ポッドキャスト『わたしたちのスリープオーバー』は毎週金曜日、SPINEAR( https://spinear.com/ )および、Apple Podcasts、Spotify、Amazon Music、Google Podcastなどの主要なリスニングサービスで配信。7月は「セックスの数は愛情のバロメーターなの?」をテーマにお届けする。
(取材・文=末吉陽子、写真=松井綾音)
でも、わたしたち自身はどうだろう。性にまつわることを、いつもの温度で誰かと気軽にしゃべることはできるだろうか? 誰かと語り合いたいけど、ちょっと照れる。何から話していいのかわからない。そんなわたしたちの背中をそっと後押ししてくれるのが、7月9日(金)から配信がスタートしたポッドキャスト『わたしたちのスリープオーバー』。
ナビゲーターは、株式会社CINRAで、自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ〈She is [シーイズ] 〉を立ち上げ、2021年4月には新会社ミーアンドユーを設立した、編集者の竹中万季さんと野村由芽さん。彼女たちが感じている女性の性をとりまく問題や、対話に懸ける想いを聞いた。
「性」についての対話は、どんなメリットがある?
──お二人は、誰かと性の話をしたことで、どのような変化がありましたか?竹中:安心できる相手に、安心できる場所で、自分が抱えている違和感を打ち明けたことで視野が広がりました。それまでは、自分自身の考え方や悩みなんて、取るに足らないような些細なことで、他の人はもっと我慢しているはず、と自分の中で処理していたことも多かったんです。でも、安心できる相手と話すようになってから、実は自分だけの問題ではなく、社会の問題なのかもしれないと気づいたり、病院の先生など次に話すべき相手がいる場所が見つかったりして。
野村:わたしは、自分の体調についてまず気づきを得ることができました。昔から生理がすごくしんどくて、ずっと何でだろうと思っていたんですよね。あるときまきちゃん(竹中)に打ち明けてみたら、「PMS(月経前症候群)じゃない?」って言われたんです。当時はPMSを知らず、調べてみたら症状があてはまっていて、すごく納得がいって。そこから、当たり前だと思い込んでいた体調の不調について能動的に調べるようになりました。
──野村さんと竹中さんは職場の先輩後輩の関係とのことですが、とても距離が近いんですね。
竹中:わたしはゆめさん(野村)の4年後輩にあたります。最初は『CINRA.NET』の編集部でゆめさん含む編集者の人たちに3か月ほど編集業務を教わって、そのあとは別の部署に配属になったものの、一緒にプロジェクトを行うことが多くて、仕事の仲間でもあるし、友だちみたいにいろんな話をする関係に変わっていきました。
野村:まきちゃんとは当時わたしが苦しんでいた仕事を一緒に進めたところからスタートしているので、最初から同志感がありました。前職は音楽や映画、本などのカルチャーに関心が高く、趣味を仕事にしているような人が多かったので、仕事仲間でもあり、遊び仲間でもあるという雰囲気が濃かったのもあるかも。あと二人でよくカラオケに行ったよね(笑)。わたしの鉄板はT.M.Revolution。
竹中:SPEEDもよく歌ったよね。感情の高まる曲を二人で熱唱したことで、心理的な距離が縮まったのかも。あとは、帰る方向が一緒で、けっこう夜深い時間に歩きながら、あまり人に話さなかったようなことも、つらつらと話して。
カラオケで盛り上がった思い出を語るふたり。左が竹中万季さん、右が野村由芽さん。
野村:性のこと、社会のこと、働き方のこと……とにかくいろいろな話をしましたね。20代前半の頃までは、社会や政治にまつわる問題についてひとりでぼんやりとは考えていたけれど、誰かと喋ることもあまりなく、どこか遠い存在だと捉えてしまっていたことで、それらについて語る言葉が自分の言葉になっていないなと気づいたんですよね。性の問題も本当はすごく身近なことなのに、気づけば“大きな言葉”しか持ち合わせていなかった。それを“自分の言葉”にしていきたいと考えるようになりました。
──いまの時代は、ネットにたくさんの情報があり、容易に自己完結できますよね。そうじゃなくて、あえて対話をする大切さって何でしょう?
野村:ネットにも学びのきっかけとなる情報はたくさんありますし、そこから自分で調べて、知識を深めていく良さもあると思います。一方であらゆるものごとは多面的で、視点や考え方はもちろん、歴史や背景が複雑に絡み合って存在していますよね。対話することで、ものごとを表面的に見て簡単にわかった気になるのではなく、一人ひとりの語りに、さまざまな固有の問題や複雑な感情があると気づくことができるのではないかと感じます。そういったことに目を向けることが、一人ひとりの生きやすさにつながるのではないかなと考えています。
竹中:とりわけ性の話題ってすごく繊細で複雑なものだから、自分ひとりで解決策を見つけるのがすごく難しいですよね。検索して出てくる“解決策らしきもの”は、大多数の人に向けて書かれているから、あたかも決まりきった装いをしているものも多くて。でも、対話をしていると人は必ず決まった枠に当てはまるわけではなく複雑なものだとわかり、正解のかたちはひとつじゃないんだなと、あらためて気づくんですよね。あと、迷っていたり、揺らいでいたりするときに、誰かと対話すると、自分の姿がちょっとずつ見えてくる気がしていて。こうしたことは、なかなか検索やSNSなどでは辿りつけないことで、そのことに対話の意義があるんじゃないかなと思います。
竹中万季さん
対話の「すれ違い」は固定観念をほぐしてくれる機会に
──過去、お二人の対話で、どのような気づきがありましたか?竹中:20代後半に差し掛かったとき、社会が定義する“女性らしさ”みたいなものに対する違和感をもつようになったんです。ちょうどその頃、当時付き合っていた人と別れたのですが、知人に伝えたときに、結婚適齢期という概念が根強いのか「この年齢で別れるってツイてないね」みたいなことを言われたんですよね。でも、それってそう思わせている社会に問題があるんじゃないのかなと思ったんです。職場や親戚の集まりでも、どこか“女性はこうあるべきだ”というのを肌で感じることがあって、ゆめさんとそのことについて話したのを覚えています。
野村:その話を聞いたときには、「えー!」と言ったような気がしますが、少し時間を置いて角度を変えて考えてみると、その発言が生まれた環境や構造について思いを巡らせる必要があるなと感じました。同時に、自分も知らぬうちに誰かを傷つけていたのかもしれないと反省もしました。
竹中:「自分はそんなことは言わないはず」と思っていたこともあるけど、誰かと話していると実は自分も“こうあるべき”という価値観に染まっていることに気づかされますよね。たぶんこれまでも「この人の価値観、社会によって作りだされた”こうあるべき”に左右されてる」と話していた相手に思われたことがあるはずで。それを思い出すたびに「あー……」となんともいえない気持ちになります。
生きてきた環境や今置かれている状況で、人の考え方ってすごく変わるものだと思うんですよね。わたしも以前、学生時代の友だちに、今まで話したことがないようなテーマについて語り合ったとき、完全にすれ違ってしまってショックを受けてしまったこともありました。でも、ショックを受けたのは、「自分と同じ考えのはず」って、勝手に期待していただけなんですよね。何でも一緒だということはないんだなということを、人間ってどうも忘れてしまいがちだなって。それに気づけたという意味でも、対話してよかったなって思います。
──対話で自分自身の輪郭が浮かび上がってくることもある、ということですよね。ただ、もしかしたら、なかには性の話をどう切り出していいかわからないという人もいるかもしれません。
野村:誰とでも対話しないといけないということではないですし、話したくないことを話す必要ももちろんないと強く思います。だけどもし性について、自分の基準というよりは社会のムードで話しにくいと感じていたのなら、気の置けない人とまずは話しはじめてみることで視野が広がることがあるのではないかなと感じています。わたしは体調の話からはじめることもあります。「今日、調子悪くて。実は生理痛がひどくて」みたいな話をしてみて、相手がそれを受け入れてくれたら、この人とはもう少し深い話ができるのかもしれないな、と思ったり。
──女性同士は、結婚や出産でライフステージが変わると話が合わなくなってきて、ちょっと寂しい気持ちになる、という話もよく聞かれます。
野村:その相手と、どういうスパンで付き合いたいかを考えてみるといいかもしれませんね。ジェーン・スーさんが女性たちは“サケの遡上”のように、人生の選択がわかれたとしても、ある時期を過ぎるとまた同じところに戻ってくるのではないかというようなことをおっしゃっていて。わたし自身、学生時代に仲の良かった友人と距離ができてしまった経験もあり、かなり苦しんだ時期もありましたが、中長期的な視点で見れば、もしかしたらまた出会う日がくるかもしれないなと今は思っています。ただ、もしその友人と関係を続けたいのであれば、頻繁じゃなくても1、2年に1度ぐらい連絡をとるとか。ゆるやかなつながりを保てたらいいのかもしれませんね……と20代の自分に言いたいですね。
竹中:ライフステージの変化とか、タイミングって難しいですよね。わたしも学生時代からの友だちが出産したときに、自分は仕事のことで頭がいっぱいで、生活サイクルが合わず以前よりも会えなくなってしまって。自分って薄情な人間だな……とつらい気持ちになってしまっていたけれど、頻度が下がったからといって仲が悪くなったわけでは決してなくて。こうしたことも解決策はこれ、というのがあるわけではないので、自分や相手の状況や気持ちを考えて、心地よい関係性をその都度作っていくものなのだと思います。
現状の「性の話」は、ネタか“ひそひそ”になってしまっている
──お二人は「性にまつわることをいつもの自分の温度で話しはじめてみる」をテーマに、ポッドキャスト『わたしたちのスリープオーバー』を配信されています。現代の女性の性をとりまく問題について、どのように感じていらっしゃいますか。野村:根本的には、女性に限らず一人ひとりが多様であるという前提に立ち、あらゆる個人の生きやすさを常に考え直していける社会であってほしいと思っているんです。これまでは近代以降の社会の制度や空気によって、男女二元論という前提で役割が決まっていくことが多かったと思うのですが、それはあらゆるジェンダーやセクシュアリティの人々の存在を構造的に見えないものにしてしまっていると思います。その歪みのもとにわたしたちは今生きているということを認識したうえで、一人ひとりの生きやすさを考え直していくことが必要なのではないかなと考えています。
野村由芽さん
そのためにも、性のことをもっと日常の中で考えられるといいですよね。性の話は大きな声でネタのように話すか、あるいはすごくひそひそと隠れて話すか、どちらかになってしまっている気がしていて。すべての人に関係があることだから、もっといつも話している感じで話ができるといいと思うんです。わたしたちのポッドキャストは、お泊り会を意味する英語「スリープオーバー」をタイトルにしていますが、お泊り会の終盤、深夜2時くらいに話し出すテンションで、性の話ができるといいなって。
野村:いつもの声の大きさや、温度で話したいですね。ポッドキャストでは、個人的な違和感を持ち寄っておしゃべりをすることと、それによって浮かんできた疑問を専門家やその領域に詳しい方とともに学んでいく構成を考えていて。自らの中に眠っている違和感や疑問に気づくことからはじめたいと思っています。
──番組における対話の仕方も、性について語り合うときの参考になりそうですね。ちなみに、ポッドキャストのナレーションは、シンガーソングライターの青葉市子さんですが、お二人は青葉さんの楽曲がお好きだとか。
野村:大好きです。わたしは眠りにつくのが遅いのですが、眠れない夜に青葉さんの歌声を聴くと身体に染み込んで溶けていくような感覚があり、スッと眠ってしまっていたということがよくあります。ナレーションは凛としていながらも親密な響きに満ちていて、『わたしたちのスリープオーバー』で大切にしたい対話のイメージにぴったりで本当に嬉しかったです。
竹中:わたしもコロナ禍で気持ちがふさぎ込んでしまっていたときに青葉市子さんの音楽にとても救われていて。青葉さんのナレーションを聴くと、朝でも昼でも「ここからスリープオーバーがはじまるぞ」と親密な空間が広がるような感覚があります。
それから、メインビジュアルを作ってくださったDAY・DREAMさんは、ご自身も性をとりまく問題について、ここ数年ずっと関心を持たれて考えていらっしゃったみたいで。今回のメインビジュアルを作るにあたって、ご自身でもいろいろな本を読まれたり、わたしたちと一緒にお話をしてくださったりして、想いを汲んで制作してくださったんです。夜空の中で耳元でそっと囁くイメージがぴったりで、本当に、気に入っているビジュアルです。
DAY・DREAMが手がけた、『わたしたちのスリープオーバー』のビジュアル
(取材・文=末吉陽子、写真=松井綾音)