親友から精子提供を受けて、女性パートナーとの間に子どもを授かったトランスジェンダーの男性がいる。NPO法人「東京レインボープライド」共同代表理事の杉山文野さんだ。子育てについての著書『元女子高生、パパになる』(文藝春秋)と『3人で親になってみた ママとパパ、ときどきゴンちゃん』(毎日新聞出版)も上梓した。
そんな杉山さんが7月9日(金)、J-WAVEで放送中の番組『START LINE』に出演。子どもを持った経緯や、目指す社会の形を語った。また、セーラー服を着て通学していた頃の“体感”など自身の経験も明かした。出演したコーナーは「CITROËN AWESOME COLORS」。
長谷川:体に対する違和感は何歳からあったのでしょうか。
杉山:現在、見た目はおじさんなんですけども、「もともと女子高生をやっていました」というのを鉄板の挨拶にしているんです。ただ、「いつから性別に違和感を抱いていたんですか?」という質問は、長谷川さんに「いつから女性なんですか?」と問いかけるのと同じではないかなと思うんです。幼稚園の入園時、スカートを履かされたときに嫌だ嫌だと逃げていたので、生まれたときから違和感はあったということですかね。
長谷川:なんて質問をしてしまったのでしょう。失礼しました。
杉山:いやいや! 失礼ってことはないんです。いわゆる世の中で「女性」「男性」と呼ばれること、「なぜ女性なんですか?」「なぜ男性なんですか?」って訊かれることはあんまりないと思うんですよね。それはやっぱり数が多くて“当たり前”とされているからなんです。自分のなかでは「僕は僕だ」という、それ以上でも以下でもない気持ちがあります。
長谷川:かっこいいです。そういった質問がなくなるために、現在ご活動されているってことですよね。
杉山:おっしゃるとおりです。
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杉山:セーラー服を着てルーズソックスを履いて学校に通っていたんですけども、自分としては「女体の着ぐるみ」を着ているような感覚だったというか。「僕」だと思っているのに、女性の体をしている。当時、自分でもよくわからなかったんですよね。でも、幼心に「こういうことは人に言っちゃいけないんだろうな」と思っていたので、誰にも言えないまま幼少期を過ごしました。セーラー服を着るのも嫌だったけど、変な人と思われたら嫌だから、自分を偽り、なんとか頑張って学校に通っていましたね。
長谷川:最近だと、女性でもズボン登校していい学校はありますけども、当時はそういったことってなかったですもんね。
杉山:実は、高校からはズボン登校も許可されていたんですよ。だけど、ズボン登校する人が誰もいなかった。なぜならみんなセーラー服でルーズソックス、帰りは日焼けサロンに行くという“アムラー(安室奈美恵のファン)世代”だったので(笑)。みんながスカートを短くしていくなか、自分だけがズボンを履いて登校する勇気は当時の僕にはなかったですね。
しかし杉山さんは「今となっては女子校でよかった」とコメントする。
杉山:女子校だと女子しかいないので、学級委員長だろうと何であろうと、女子で役割分担するんですよ。もし男女共学だったら、「学級委員長は男性」とか「重たい荷物は男子が運ぶ」とか、男女でやるスポーツが違っていたと思うんですよ。そういったことがなかったのは、僕にとってはよかったなと思います。
長谷川:たしかに。伸び伸びと過ごせそうですよね。LGBTQにかかわらず、女子校に通っていた方からそういった意見を耳にします。
杉山:「男だから」「女だから」といったものは、男女共学よりは少なかったのかなと思います。
長谷川:小学校から女子校とのことですが、その選択はご両親が?
杉山:幼稚園の頃から日本女子大学の付属で。幼稚園だけは男女共学で、小学校からは女子のみです。僕の叔母さんが同じ学校に通っていたこともあって、いくつかの選択肢のなかから選びました。
杉山:「最終学歴が女子大だと生きづらいんじゃないかな」と思って、当時やっていたフェンシングの推薦で早稲田大学に入学しました。
長谷川:へえ! フェンシングはいつから?
杉山:10歳ですね。小学校5年生の頃です。
長谷川:小学校5年生ではじめられて、フェンシングの日本代表に選ばれたんですね。
杉山:今でこそ盛り上がっているフェンシングですが、当時は競技人口も少なくて。「やるとすぐに世界が見えるよ」と言われて。たまたま同級生のお母さんがフェンシング協会の人だったんですよ。僕としては水泳も好きだったんですけど、女性用水着がどうしても嫌で。お姉ちゃんはバレエをやっていたので、そちらも勧められたんですけど、レオタード姿にはなりたくなかったんです。剣道もやっていたんですけど、女の子は赤胴に白袴姿と決まっていて、どうしても嫌でやめてしまいました。他のスポーツも男女でユニフォームの差があって困っていたんですけど、フェンシングには差がなかったんですよ。そのおかげでフェンシングを続けることができました。
長谷川:スポ-ツの世界でも男性と女性で分けられていますね。
杉山:どこにも悪気がないんですよね。スポーツはそもそも「強い男性を育成すること」を目的に発展してきた時代背景があったりするので、男性・女性と分けることへの意識がすごく強いんですよ。
長谷川:それは知らなかったです。
杉山さんは現在、日本フェンシング協会理事とJOC(日本オリンピック委員会)理事を務めている。「スポーツ界の多様性の推進や、心理的安全性の向上に関われたら嬉しい」と語った。
長谷川:パパになった経緯をお聞かせいただけますか?
杉山:自分のなかで子どもを持ちたいという感覚は自然にあるものでした。ただ、「トランスジェンダーである自分は無理だろうな」とも思っていたんです。今のパートナーと出会ったのは10年以上前なんですけども、相手は僕がトランスジェンダーであることをわかっていました。僕と付き合うまでのパートナーは、世の中で一般的に言われるストレートで、男性としか交際経験がなかったんです。だけど、「好きになったんだからしょうがないよね」って感じで、お付き合いがスタートしました。交際して3年ぐらいした頃、「今後も一緒にいたいよね」「いつか子どもを持ちたいよね」という気持ちになっていきました。
当時、子どもをもうける選択肢は2つあったという。
杉山:1つは、どなたかに産んでいただいたお子さんを何かしらの形で引き取って子育てをする。もう1つは、彼女自身が産む。彼女自身が出産を希望していたので、次は精子提供をどうするのかを考えました。
杉山さんが精子提供を依頼した相手は、知り合いであるゲイの男性だった。
杉山:どれだけ仲がよくても、異性愛者の方からの提供だと嫉妬心が生まれるので、ゲイの方だったらそんな気持ちにならないし、今の日本社会において「子どもを持ちたくても持てない」という状況が似ているなと感じたんです。なので、一番信頼関係があったゲイの友人にお願いして、精子提供の話をしました。
長谷川:文野さんのInstagramをよくチェックしているんですけど、お子さんがかわいくてたまらないです!
杉山:ありがとうございます。
長谷川:「家族」の形は、どこかの誰かが決めたことだったんだなって、文野さんのInstagramを見ているとよく思います。男のお父さん、女のお母さんのもとに子どもがいなきゃいけないルールなんてないですし、子どもにとっての幸せは誰も決めようがないですからね。
杉山:そうですね。
長谷川:杉山さんは「家族」ではなく「ファミリー」という言い方をされているとお聞きしました。
杉山:「家族」って漢字2文字で書くと、法的な繋がりや血の繋がりを連想する部分があるかなと思ったんです。「伝統的な家族」VS「多様な家族」みたいに対立構造で語られてしまうんですけど、そんなことはないと思うんですよ。「伝統的な家族も素晴らしいし、いろんな家族があってもいいよね」と。個人のライフスタイルが多様化しているので、家族の在り方が多様化するのも必然的なことだと思うんですよ。
長谷川:おっしゃるとおりです。
杉山:自分勝手でもなく、子どもにとっても一番いい状況で子育てをしたいと思ったので、子どもの人権を専門にされている弁護士さんに相談したんですね。そのときに弁護士さんは「子どもにとっては血の繋がりよりも、目の前にいる大人がどれだけ真剣に関わってくれるかが大事なんです。関わる大人が少な過ぎて困ることがあっても、多すぎて困ることはあんまりないですよ」と言ってくださって。その言葉を聞いて、「血の繋がりに関係なく目の前の子どもたちに向き合っていこう」と考えて今の生き方を選びました。
杉山:僕自身は「こうあるべきだ」という押し付け合いじゃなくて、「こうありたい」とお互いを応援できる社会がいいんじゃないかなと思っています。
長谷川:いいですね。
杉山:「男女はこうあるべき」「会社員はこうあるべき」「日本とはこうあるべき」「家族はこうあるべき」。「べき」ばかりで苦しいんですよね。それに、相手に対して「こうあるべき」という言葉を使うと、自分の行動も制限してしまう気がするので、「こうありたい」とお互い応援し合える社会のほうがいいんじゃないかなと。LGBTQに限らず、誰もが安全・安心に「こうありたい」と自分を表現できる社会になっていけたらなと思います。
長谷川:こういったことは自分たち一人ひとりの意識だと思います。みなさんも杉山さんの活動や書籍を通して情報を得てみてはいかがでしょうか。
『START LINE』のワンコーナー「CITROËN AWESOME COLORS」では、自分らしく輝くあの人のストーリーをお届け。放送は毎週金曜日の18時10分から。
そんな杉山さんが7月9日(金)、J-WAVEで放送中の番組『START LINE』に出演。子どもを持った経緯や、目指す社会の形を語った。また、セーラー服を着て通学していた頃の“体感”など自身の経験も明かした。出演したコーナーは「CITROËN AWESOME COLORS」。
「僕は僕だ」それ以上でもそれ以下でもない気持ち
杉山さんは、多様性に富んだ人々がフラットにあつまれる場づくりと、多様性に関する講演/研修/企画提案事業を行う、株式会社ニューキャンバスの代表取締役でもある。女性の身体を持って生まれたが、性自認は男性だ。そんな自身の経験を生かし、LGBTQの認知を広げる活動を行っている。長谷川:体に対する違和感は何歳からあったのでしょうか。
杉山:現在、見た目はおじさんなんですけども、「もともと女子高生をやっていました」というのを鉄板の挨拶にしているんです。ただ、「いつから性別に違和感を抱いていたんですか?」という質問は、長谷川さんに「いつから女性なんですか?」と問いかけるのと同じではないかなと思うんです。幼稚園の入園時、スカートを履かされたときに嫌だ嫌だと逃げていたので、生まれたときから違和感はあったということですかね。
長谷川:なんて質問をしてしまったのでしょう。失礼しました。
杉山:いやいや! 失礼ってことはないんです。いわゆる世の中で「女性」「男性」と呼ばれること、「なぜ女性なんですか?」「なぜ男性なんですか?」って訊かれることはあんまりないと思うんですよね。それはやっぱり数が多くて“当たり前”とされているからなんです。自分のなかでは「僕は僕だ」という、それ以上でも以下でもない気持ちがあります。
長谷川:かっこいいです。そういった質問がなくなるために、現在ご活動されているってことですよね。
杉山:おっしゃるとおりです。
【関連記事】Mattが語る、何気ない言葉への違和感。例えば「好きな女性のタイプは?」という質問は…
「女体の着ぐるみ」を着ているような感覚だった
杉山さんは小中高と女子校に通っていた。そのときをこう振り返る。杉山:セーラー服を着てルーズソックスを履いて学校に通っていたんですけども、自分としては「女体の着ぐるみ」を着ているような感覚だったというか。「僕」だと思っているのに、女性の体をしている。当時、自分でもよくわからなかったんですよね。でも、幼心に「こういうことは人に言っちゃいけないんだろうな」と思っていたので、誰にも言えないまま幼少期を過ごしました。セーラー服を着るのも嫌だったけど、変な人と思われたら嫌だから、自分を偽り、なんとか頑張って学校に通っていましたね。
長谷川:最近だと、女性でもズボン登校していい学校はありますけども、当時はそういったことってなかったですもんね。
杉山:実は、高校からはズボン登校も許可されていたんですよ。だけど、ズボン登校する人が誰もいなかった。なぜならみんなセーラー服でルーズソックス、帰りは日焼けサロンに行くという“アムラー(安室奈美恵のファン)世代”だったので(笑)。みんながスカートを短くしていくなか、自分だけがズボンを履いて登校する勇気は当時の僕にはなかったですね。
しかし杉山さんは「今となっては女子校でよかった」とコメントする。
杉山:女子校だと女子しかいないので、学級委員長だろうと何であろうと、女子で役割分担するんですよ。もし男女共学だったら、「学級委員長は男性」とか「重たい荷物は男子が運ぶ」とか、男女でやるスポーツが違っていたと思うんですよ。そういったことがなかったのは、僕にとってはよかったなと思います。
長谷川:たしかに。伸び伸びと過ごせそうですよね。LGBTQにかかわらず、女子校に通っていた方からそういった意見を耳にします。
杉山:「男だから」「女だから」といったものは、男女共学よりは少なかったのかなと思います。
長谷川:小学校から女子校とのことですが、その選択はご両親が?
杉山:幼稚園の頃から日本女子大学の付属で。幼稚園だけは男女共学で、小学校からは女子のみです。僕の叔母さんが同じ学校に通っていたこともあって、いくつかの選択肢のなかから選びました。
スポーツの世界における性差を考える
高校時代にトラストジェンダーだとカミングアウトした杉山さんは、大学だけ進路を変更した。杉山:「最終学歴が女子大だと生きづらいんじゃないかな」と思って、当時やっていたフェンシングの推薦で早稲田大学に入学しました。
長谷川:へえ! フェンシングはいつから?
杉山:10歳ですね。小学校5年生の頃です。
長谷川:小学校5年生ではじめられて、フェンシングの日本代表に選ばれたんですね。
杉山:今でこそ盛り上がっているフェンシングですが、当時は競技人口も少なくて。「やるとすぐに世界が見えるよ」と言われて。たまたま同級生のお母さんがフェンシング協会の人だったんですよ。僕としては水泳も好きだったんですけど、女性用水着がどうしても嫌で。お姉ちゃんはバレエをやっていたので、そちらも勧められたんですけど、レオタード姿にはなりたくなかったんです。剣道もやっていたんですけど、女の子は赤胴に白袴姿と決まっていて、どうしても嫌でやめてしまいました。他のスポーツも男女でユニフォームの差があって困っていたんですけど、フェンシングには差がなかったんですよ。そのおかげでフェンシングを続けることができました。
長谷川:スポ-ツの世界でも男性と女性で分けられていますね。
杉山:どこにも悪気がないんですよね。スポーツはそもそも「強い男性を育成すること」を目的に発展してきた時代背景があったりするので、男性・女性と分けることへの意識がすごく強いんですよ。
長谷川:それは知らなかったです。
杉山さんは現在、日本フェンシング協会理事とJOC(日本オリンピック委員会)理事を務めている。「スポーツ界の多様性の推進や、心理的安全性の向上に関われたら嬉しい」と語った。
子どもにとって、血の繋がりよりも大事なこと
杉山さんは2018年、親友から精子提供を受け、パートナーの女性とのあいだに第一子を授かった。2020年には第二子が誕生し、子育てに奮闘する日々を過ごしている。長谷川:パパになった経緯をお聞かせいただけますか?
杉山:自分のなかで子どもを持ちたいという感覚は自然にあるものでした。ただ、「トランスジェンダーである自分は無理だろうな」とも思っていたんです。今のパートナーと出会ったのは10年以上前なんですけども、相手は僕がトランスジェンダーであることをわかっていました。僕と付き合うまでのパートナーは、世の中で一般的に言われるストレートで、男性としか交際経験がなかったんです。だけど、「好きになったんだからしょうがないよね」って感じで、お付き合いがスタートしました。交際して3年ぐらいした頃、「今後も一緒にいたいよね」「いつか子どもを持ちたいよね」という気持ちになっていきました。
当時、子どもをもうける選択肢は2つあったという。
杉山:1つは、どなたかに産んでいただいたお子さんを何かしらの形で引き取って子育てをする。もう1つは、彼女自身が産む。彼女自身が出産を希望していたので、次は精子提供をどうするのかを考えました。
杉山さんが精子提供を依頼した相手は、知り合いであるゲイの男性だった。
杉山:どれだけ仲がよくても、異性愛者の方からの提供だと嫉妬心が生まれるので、ゲイの方だったらそんな気持ちにならないし、今の日本社会において「子どもを持ちたくても持てない」という状況が似ているなと感じたんです。なので、一番信頼関係があったゲイの友人にお願いして、精子提供の話をしました。
長谷川:文野さんのInstagramをよくチェックしているんですけど、お子さんがかわいくてたまらないです!
杉山:ありがとうございます。
長谷川:「家族」の形は、どこかの誰かが決めたことだったんだなって、文野さんのInstagramを見ているとよく思います。男のお父さん、女のお母さんのもとに子どもがいなきゃいけないルールなんてないですし、子どもにとっての幸せは誰も決めようがないですからね。
杉山:そうですね。
長谷川:杉山さんは「家族」ではなく「ファミリー」という言い方をされているとお聞きしました。
杉山:「家族」って漢字2文字で書くと、法的な繋がりや血の繋がりを連想する部分があるかなと思ったんです。「伝統的な家族」VS「多様な家族」みたいに対立構造で語られてしまうんですけど、そんなことはないと思うんですよ。「伝統的な家族も素晴らしいし、いろんな家族があってもいいよね」と。個人のライフスタイルが多様化しているので、家族の在り方が多様化するのも必然的なことだと思うんですよ。
長谷川:おっしゃるとおりです。
杉山:自分勝手でもなく、子どもにとっても一番いい状況で子育てをしたいと思ったので、子どもの人権を専門にされている弁護士さんに相談したんですね。そのときに弁護士さんは「子どもにとっては血の繋がりよりも、目の前にいる大人がどれだけ真剣に関わってくれるかが大事なんです。関わる大人が少な過ぎて困ることがあっても、多すぎて困ることはあんまりないですよ」と言ってくださって。その言葉を聞いて、「血の繋がりに関係なく目の前の子どもたちに向き合っていこう」と考えて今の生き方を選びました。
「こうありたい」を互いに応援できる社会へ
杉山さんは、渋谷区・同性パートナーシップ条例制定に関わり、渋谷区男女平等・多様性社会推進会議委員も務めている。杉山さんが目指す社会、未来はどのようなものなのだろうか。杉山:僕自身は「こうあるべきだ」という押し付け合いじゃなくて、「こうありたい」とお互いを応援できる社会がいいんじゃないかなと思っています。
長谷川:いいですね。
杉山:「男女はこうあるべき」「会社員はこうあるべき」「日本とはこうあるべき」「家族はこうあるべき」。「べき」ばかりで苦しいんですよね。それに、相手に対して「こうあるべき」という言葉を使うと、自分の行動も制限してしまう気がするので、「こうありたい」とお互い応援し合える社会のほうがいいんじゃないかなと。LGBTQに限らず、誰もが安全・安心に「こうありたい」と自分を表現できる社会になっていけたらなと思います。
長谷川:こういったことは自分たち一人ひとりの意識だと思います。みなさんも杉山さんの活動や書籍を通して情報を得てみてはいかがでしょうか。
『START LINE』のワンコーナー「CITROËN AWESOME COLORS」では、自分らしく輝くあの人のストーリーをお届け。放送は毎週金曜日の18時10分から。
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2021年7月16日28時59分まで
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