女優・南沢奈央と、歌人・穂村弘のトークライブが3月19日(火)、六本木の本屋「文喫(ぶんきつ)」で開催されました。主催はラジオ局・J-WAVEです。
J-WAVEは2019年1月~4月まで、「START ME UP!」と題し、新しく何かを始める人を応援するキャンペーン実施しています。読書を始めたい人に向けての取り組みとしては、「文喫」で現在、J-WAVEのナビゲーターがおすすめの本を紹介するコーナーを設置しています。
『TOPPAN FUTURISM』のナビゲーターをつとめる南沢も、選書をしたひとりです。大の読書好きで、落語を題材にした小説『しゃべれどもしゃべれども』(著・佐藤 多佳子/新潮社)を読んで自身も落語を始めた……という経験も。今回、本をテーマにしたトークショーのMCをつとめるにあたり、南沢が「ぜひお話を聴いてみたい」と希望したのが穂村さんでした。
穂村さんは1962年生まれ。現代短歌を代表する歌人のひとりで、評論やエッセイの分野でも活躍。近年は、2017年にエッセイ集『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞を、2018年に第4歌集『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞しました。近著に『あの人に会いに 穂村弘対談集』(毎日新聞出版)があります。
思春期は、本に救いを求めていたという穂村さん。読書への思いや、短歌との出会いについて伺うともに、5首の短歌を解説していただきました。
■短歌の本はコスパが悪い!? でも、その“価値”に惹かれた
「短歌」と聞くと、教科書に載っているもの……という印象があるかもしれません。穂村さんが短歌に目覚めたきっかけとは?
南沢:穂村さんは、北海道大学の在学中に短歌に出会われたそうですね。
穂村:友人が読んでいる本を見せてもらったら、真っ白いページに一行だけ文字が書いてあって、しかも言葉が難しくて読めない。それが歌集でした。「こんな本がこの世にあるんだ」と興味を持ちました。街を歩いていると、ほとんど何も置いてないお店ってありますよね。「全て売れたとしても、家賃が払えないのでは」と思うような。短歌にも同じ印象を受けました。この世のお金のやりとりの外にあるような感じ。昨今「コストパフォーマンス」を気にする人が多いけれど、短歌の本って文字数で割るとコスパが悪い。だから、「ここには、僕が知らない世界の価値があるんだ」と思ったんです。その世界が知りたかった。
穂村さんはその後、北海道大学を中退し、上智大学に入学します。バブルにさしかかった時代で、テニスやサーフィンがもてはやされていました。
穂村:みんなハイテンションで、僕にはちょっときつかった。それで、どんどん暗いほうに行ってしまったんです。物理的に暗い、図書館のいちばん奥の雑誌のバックナンバー置き場に行ったら、短歌の雑誌が置いてあって。そこで、林あまりさんの短歌に出会いました。こんな2首です。
<なにもかも派手な祭りの夜のゆめ火でも見てなよ さよなら、あんた>
<きょう言った「どうせ」の回数あげつらう男を殴り 春めいている>
北大の頃に読んだ短歌とは違って、話し言葉で書かれていて、見てすぐに意味がわかる。こんな短歌もあるのだと知って、自分でも作ってみようと思ったんです。
■本を読めば世界がクリアに見えるはず…救いを求めていた思春期
何者かになりたい、でも何をしたらいいかわからない……当時の穂村さんが抱いていた焦燥感が、短歌と向き合うきっかけになったそうです。短歌を生み出す言葉の引き出しは、どのような読書経験から生まれたのでしょう。
南沢:それまで文学とは、どんなふうに付き合ってこられたんですか?
穂村:救いを求めるように読んでいる時期がありました。子どもの頃は、「学校・家・友だち」という普通の生活で楽しかったけど、思春期くらいから苦しくなってきたんです。この世には、自分の知らない何かがある。それを知らないと自分はだめなんだ、という気持ちになって。周りには「本ばっかり読んでいるからそうなっちゃったんだよ」と言われたけど、内心では逆だと思っていました。もともとそういう人間だから本を読んで救いを求めるようになったのであって、本が悪いわけじゃないと。
穂村:だけど、「じゃあおまえが本に求めているすばらしいものはなんなんだ」と訊かれても答えられない。まだ知らない、見たことがないから。「読んだら、自分がよくなって、世界がクリアに見える本がきっとある」みたいな妄想があったんですけど、そんな本はみつからないですよね。当時、まだ中二病という言葉はなかったけど、そういう性格でした。いまも覚えているのは、制服のポケットに将棋のコマの「桂馬」を入れていたんです。それを持っていると自分が特別になれる気がするという、おまじないみたいな感じで。……いま、喋っていても気持ち悪いですね(笑)。
南沢:そんなことないですよ(笑)。
穂村:桂馬というのがポイントでした。王将や飛車じゃなく、桂馬という変則的なジャンプをするコマだからいい、と(笑)。
南沢:あはは(笑)。
■「見たことのない言葉の組み合わせ」の楽しさ
穂村さんは書評も数多く執筆し、『きっとあの人は眠っているんだよ: 穂村弘の読書日記』(河出書房新社)など書籍にもまとめています。「どんな本にときめきますか?」と南沢が訊ねると……。
穂村:奇妙な本ですかね。自分が一度も見たことのない言葉の組み合わせが出てきたりすると、そこに何かがあるんじゃないかと惹きつけられます。
例として挙げたのは、『明石海人歌集』(著・明石海人/岩波書店)からの一文です。
<深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない>
穂村:深海魚って光りますよね。真っ暗な海底ように誰にも助けが求められないとき、自分自身が光を放たなければどこにも光はない、という意味の一文で、「自分でがんばらなければだめなんだ」という言い方をすると普通になってしまうけど、「深海に生きる魚族のように」という比喩がいいですよね。
南沢:すてきな表現です。
■言葉の表現のおもしろさを感じる! 短歌の“読み方”を解説
短歌は、一読して意味がわかるものもあれば、少し解釈に迷うものも。ここでは、穂村さんが選んだ短歌を5首、観客に感想を聞きながら、“読み方”を解説していただきました。
<おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする>(東 直子)
観客:「わたし」は子どもなのかなと思いました。小さいながらも「おねがいね」と任されている、心細さのようなものを感じます。大事なものだからなくしちゃいけないんだけど……と、不安な気持ちになりました。
南沢:私もそう思いました。人から渡される鍵ほど緊張するものはないですよね。
穂村:そうですね。大事なものは、鍵かもしれないし、愛情かもしれないし、記憶みたいなものかもしれない。「なくしてしまう気がするなら、対応策をたてろよ」というのが現実なんだけど、それができないことも“心のレベル”ではきっとあるだろう、と感じる短歌です。また、音の重なりもおもしろいですね。「渡され」「わたし」、「鍵」「気が」と。
南沢:声に出して読むと、音の楽しさに気づきますね。
<あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ>(小野茂樹)
観客:「あの夏」って、人によって思い浮かべる夏が違いますよね。小さい頃かもしれないし、大人になってからかもしれない……「そしてまた」という部分を読んで夏を迎える頃の短歌なのかなと想像したのですが、語尾の「せよ」で、いきなりいまの自分に矢印が向くので、不思議な気持ちというか、ドキッとしました。
南沢:なるほど。私はこの短歌を読んで、「どう読んだらいいんだろう?」と迷ってしまいました。
穂村:愛の歌だと思います。失われた愛という感じがしますね、ひと夏の恋とか。「あの夏の数かぎりなき」は、恋をした夏に愛した相手のさまざまな表情を見て、心のなかにしまっている、ということでしょう。続く「たつた一つの」とは意味が矛盾します。でも、記憶って不思議で、ひとつの表情の背後に、その人の持っているすべてがにじむようなことがあると思うんです。一枚の写真を見て、その人の表情のすべてが思い出せるとか。
南沢:たしかに。自分の経験を思い出してしまいました。
穂村:愛の気持ちがあふれすぎて、こんな無理なリクエストになったのかな、という読み方ができますね。ちなみにこの短歌だけ古くて、昭和43年刊行の歌集に収録されています。戦後に作られた愛の歌の人気投票をやると、よく一番になります。誰もこの短歌を正しく散文にはできないんだけど魅力がある、不思議な一首です。
<家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンまだ温かい>(小坂井大輔)
南沢:私がいちばん印象に残った短歌です。温かいパソコンに触れて、家の中で誰が何をしたのだろうと思いを巡らせる空気感を想像したら、ひやりとしました。
穂村:家族の誰なのかはわからないけど、誰かが調べたことはわかる、という。パソコンがまだ温かいというのは、推理モノの「座布団がまだ温かい。犯人は近くにいるんじゃないか」みたいな雰囲気がありますよね。「いま食事をしながらみんなで笑ってるけど、誰かが自首減刑で調べたんだ」っていう。家族ってそういう距離感ですよね。
南沢:秘密があって、でもどこか漏れていて、というのはありますね。聞きたいけど聞けないこともあるし。
穂村:微妙な距離感が出ていますね。
<ペガサスは私にはきっとやさしくてあなたのことは殺してくれる>(冬野きりん)
南沢:ちょっと怖い印象を私は受けました。どんな解釈をしたらいいのでしょう?
穂村:これは10代の女性の短歌です。強い愛の感情を描いていると僕は思います。そこまでの強さがなければ、ペガサスは「あなたのもとに運んでくれる」とか「あなたをさらってきてくれる」とかになると思うんだけど、愛が強くなりすぎて「殺してくれる」になるんじゃないか。
穂村:僕は、漫画で描かれる恋愛より実際の恋愛の温度が低くて驚いた経験があるんですが、思春期って何事に対しても高温のイメージがあるでしょう。これも強い愛の感覚なのかなと。この歌の主人公は、「あなた」を憎んでいるわけじゃなくて、依然として好きなんだと思いますね。ペガサスは、「撃ち殺す」とか「絞め殺す」とかに比べて、キレイに殺してくれそうな気がするし。
南沢:ペガサスという架空の動物なのも、おもしろいですね。
穂村:現実離れしているから、この殺意はおそらく成就しないですよね。これが、20代、30代になると、ペガサスが普通に包丁になっていって、リアルな殺意に……(笑)。それを超えて「殺してもしょうがないから慰謝料をよこせ」みたいになっていくと、現実と一体化しますね。
南沢:年齢によって表現も変わってくるものなのかもしれないですね。
<痩せようとふるいたたせるわけでもなく微妙だから言うなポッチャリって>(脇川飛鳥)
観客:私も不摂生で体重が増えてしまったので、ちょっと共感します(笑)。
南沢:かわいらしい短歌ですよね。
穂村:「ポッチャリとはどの程度か」って、人によって違うじゃないですか。明らかに失礼な言い方であれば、「ふざけんな」と腹が立ち、ダイエットしようと奮い立つかもしれない。でも、「ポッチャリ」って響きもかわいいし、だからこそ逆に言うな、みたいなね。「いい意味でポッチャリ」とかありますもんね。あと、短歌って上から読んでいくから、最後まで何が起こるかわからない。読み終えて初めて「なるほどね」となる、そんなおもしろさがありますね。
南沢:わかるわかる、とイメージしやすい短歌でした。
南沢も、「本」「読書」をテーマに短歌を詠みました。
<本を開く前にするのはこのジャッジ「脱皮させるか、衣つけるか」>
南沢:本を開く前の瞬間を短歌にしました。私は本をキレイに読みたいと思うタイプで。本のカバーをとることを「脱皮させる」と言っているんですけど、「カバーを取って持ち歩くか、上からカバーをかけるか」って考えるんです。
穂村:すごくいい歌。「脱皮させる」がすばらしい。こんなふうに短歌にすると、本が生き物のように思えます。これが「裸にするか、衣つけるか」だと普通の例えなんだけど、「脱皮」となると“命”がより強くなるし、ちょっとあやしい生き物という感じもします。また、本を読む前の儀式のような行為に着目する視点もおもしろい。本をテーマに短歌をつくってくださいと言われたとき、違う視点から見るのが多数派だと思うから。
穂村さんによると、短歌は意味だけでなく「音」や「文字の印象」が重要になる表現。「無意識のうちにきれいな音を選べる人と選べない人がいるんだけど、南沢さんの短歌はきれいだと思いました」とコメントし、南沢は照れながらも喜んでいました。
「言葉の表現って、おもしろい!」と感じさせる穂村さんの解説。本の世界に飛び込みたい気持ちをかきたてるトークイベントとなりました。みなさんもぜひ、六本木の本屋「文喫」に足を運んで、読書を楽しんでください。
■文喫とコラボ! J-WAVE 選書
J-WAVEナビゲーターが「本を読んで何かをはじめたくなる」そんなキッカケとなる『本』を選びました。昨年12月六本木にオープンした話題の本屋「文喫」内に、『J-WAVE 選書』のコーナーで展示。もちろん購入OK。読書をはじめるきっかけとなる本を選んでみてください。
・選書ナビ:南沢奈央、クリス智子、サラーム海上、大倉眞一郎 他
・展示開始:3月1日~
■イベント概要
「J-WAVE START ME UP!南沢奈央×穂村弘 スペシャルトークショー」
・日時:2019年3月19日(火)
・会場:文喫 六本木 http://bunkitsu.jp/
・ゲスト:穂村弘(歌人)
・MC:南沢奈央(TOPPAN FUTURISMナビゲーター)
J-WAVEは2019年1月~4月まで、「START ME UP!」と題し、新しく何かを始める人を応援するキャンペーン実施しています。読書を始めたい人に向けての取り組みとしては、「文喫」で現在、J-WAVEのナビゲーターがおすすめの本を紹介するコーナーを設置しています。
『TOPPAN FUTURISM』のナビゲーターをつとめる南沢も、選書をしたひとりです。大の読書好きで、落語を題材にした小説『しゃべれどもしゃべれども』(著・佐藤 多佳子/新潮社)を読んで自身も落語を始めた……という経験も。今回、本をテーマにしたトークショーのMCをつとめるにあたり、南沢が「ぜひお話を聴いてみたい」と希望したのが穂村さんでした。
穂村さんは1962年生まれ。現代短歌を代表する歌人のひとりで、評論やエッセイの分野でも活躍。近年は、2017年にエッセイ集『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞を、2018年に第4歌集『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞しました。近著に『あの人に会いに 穂村弘対談集』(毎日新聞出版)があります。
思春期は、本に救いを求めていたという穂村さん。読書への思いや、短歌との出会いについて伺うともに、5首の短歌を解説していただきました。
■短歌の本はコスパが悪い!? でも、その“価値”に惹かれた
「短歌」と聞くと、教科書に載っているもの……という印象があるかもしれません。穂村さんが短歌に目覚めたきっかけとは?
南沢:穂村さんは、北海道大学の在学中に短歌に出会われたそうですね。
穂村:友人が読んでいる本を見せてもらったら、真っ白いページに一行だけ文字が書いてあって、しかも言葉が難しくて読めない。それが歌集でした。「こんな本がこの世にあるんだ」と興味を持ちました。街を歩いていると、ほとんど何も置いてないお店ってありますよね。「全て売れたとしても、家賃が払えないのでは」と思うような。短歌にも同じ印象を受けました。この世のお金のやりとりの外にあるような感じ。昨今「コストパフォーマンス」を気にする人が多いけれど、短歌の本って文字数で割るとコスパが悪い。だから、「ここには、僕が知らない世界の価値があるんだ」と思ったんです。その世界が知りたかった。
穂村さんはその後、北海道大学を中退し、上智大学に入学します。バブルにさしかかった時代で、テニスやサーフィンがもてはやされていました。
穂村:みんなハイテンションで、僕にはちょっときつかった。それで、どんどん暗いほうに行ってしまったんです。物理的に暗い、図書館のいちばん奥の雑誌のバックナンバー置き場に行ったら、短歌の雑誌が置いてあって。そこで、林あまりさんの短歌に出会いました。こんな2首です。
<なにもかも派手な祭りの夜のゆめ火でも見てなよ さよなら、あんた>
<きょう言った「どうせ」の回数あげつらう男を殴り 春めいている>
北大の頃に読んだ短歌とは違って、話し言葉で書かれていて、見てすぐに意味がわかる。こんな短歌もあるのだと知って、自分でも作ってみようと思ったんです。
■本を読めば世界がクリアに見えるはず…救いを求めていた思春期
何者かになりたい、でも何をしたらいいかわからない……当時の穂村さんが抱いていた焦燥感が、短歌と向き合うきっかけになったそうです。短歌を生み出す言葉の引き出しは、どのような読書経験から生まれたのでしょう。
南沢:それまで文学とは、どんなふうに付き合ってこられたんですか?
穂村:救いを求めるように読んでいる時期がありました。子どもの頃は、「学校・家・友だち」という普通の生活で楽しかったけど、思春期くらいから苦しくなってきたんです。この世には、自分の知らない何かがある。それを知らないと自分はだめなんだ、という気持ちになって。周りには「本ばっかり読んでいるからそうなっちゃったんだよ」と言われたけど、内心では逆だと思っていました。もともとそういう人間だから本を読んで救いを求めるようになったのであって、本が悪いわけじゃないと。
穂村:だけど、「じゃあおまえが本に求めているすばらしいものはなんなんだ」と訊かれても答えられない。まだ知らない、見たことがないから。「読んだら、自分がよくなって、世界がクリアに見える本がきっとある」みたいな妄想があったんですけど、そんな本はみつからないですよね。当時、まだ中二病という言葉はなかったけど、そういう性格でした。いまも覚えているのは、制服のポケットに将棋のコマの「桂馬」を入れていたんです。それを持っていると自分が特別になれる気がするという、おまじないみたいな感じで。……いま、喋っていても気持ち悪いですね(笑)。
南沢:そんなことないですよ(笑)。
穂村:桂馬というのがポイントでした。王将や飛車じゃなく、桂馬という変則的なジャンプをするコマだからいい、と(笑)。
南沢:あはは(笑)。
■「見たことのない言葉の組み合わせ」の楽しさ
穂村さんは書評も数多く執筆し、『きっとあの人は眠っているんだよ: 穂村弘の読書日記』(河出書房新社)など書籍にもまとめています。「どんな本にときめきますか?」と南沢が訊ねると……。
穂村:奇妙な本ですかね。自分が一度も見たことのない言葉の組み合わせが出てきたりすると、そこに何かがあるんじゃないかと惹きつけられます。
例として挙げたのは、『明石海人歌集』(著・明石海人/岩波書店)からの一文です。
<深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない>
穂村:深海魚って光りますよね。真っ暗な海底ように誰にも助けが求められないとき、自分自身が光を放たなければどこにも光はない、という意味の一文で、「自分でがんばらなければだめなんだ」という言い方をすると普通になってしまうけど、「深海に生きる魚族のように」という比喩がいいですよね。
南沢:すてきな表現です。
■言葉の表現のおもしろさを感じる! 短歌の“読み方”を解説
短歌は、一読して意味がわかるものもあれば、少し解釈に迷うものも。ここでは、穂村さんが選んだ短歌を5首、観客に感想を聞きながら、“読み方”を解説していただきました。
<おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする>(東 直子)
観客:「わたし」は子どもなのかなと思いました。小さいながらも「おねがいね」と任されている、心細さのようなものを感じます。大事なものだからなくしちゃいけないんだけど……と、不安な気持ちになりました。
南沢:私もそう思いました。人から渡される鍵ほど緊張するものはないですよね。
穂村:そうですね。大事なものは、鍵かもしれないし、愛情かもしれないし、記憶みたいなものかもしれない。「なくしてしまう気がするなら、対応策をたてろよ」というのが現実なんだけど、それができないことも“心のレベル”ではきっとあるだろう、と感じる短歌です。また、音の重なりもおもしろいですね。「渡され」「わたし」、「鍵」「気が」と。
南沢:声に出して読むと、音の楽しさに気づきますね。
<あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ>(小野茂樹)
観客:「あの夏」って、人によって思い浮かべる夏が違いますよね。小さい頃かもしれないし、大人になってからかもしれない……「そしてまた」という部分を読んで夏を迎える頃の短歌なのかなと想像したのですが、語尾の「せよ」で、いきなりいまの自分に矢印が向くので、不思議な気持ちというか、ドキッとしました。
南沢:なるほど。私はこの短歌を読んで、「どう読んだらいいんだろう?」と迷ってしまいました。
穂村:愛の歌だと思います。失われた愛という感じがしますね、ひと夏の恋とか。「あの夏の数かぎりなき」は、恋をした夏に愛した相手のさまざまな表情を見て、心のなかにしまっている、ということでしょう。続く「たつた一つの」とは意味が矛盾します。でも、記憶って不思議で、ひとつの表情の背後に、その人の持っているすべてがにじむようなことがあると思うんです。一枚の写真を見て、その人の表情のすべてが思い出せるとか。
南沢:たしかに。自分の経験を思い出してしまいました。
穂村:愛の気持ちがあふれすぎて、こんな無理なリクエストになったのかな、という読み方ができますね。ちなみにこの短歌だけ古くて、昭和43年刊行の歌集に収録されています。戦後に作られた愛の歌の人気投票をやると、よく一番になります。誰もこの短歌を正しく散文にはできないんだけど魅力がある、不思議な一首です。
<家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンまだ温かい>(小坂井大輔)
南沢:私がいちばん印象に残った短歌です。温かいパソコンに触れて、家の中で誰が何をしたのだろうと思いを巡らせる空気感を想像したら、ひやりとしました。
穂村:家族の誰なのかはわからないけど、誰かが調べたことはわかる、という。パソコンがまだ温かいというのは、推理モノの「座布団がまだ温かい。犯人は近くにいるんじゃないか」みたいな雰囲気がありますよね。「いま食事をしながらみんなで笑ってるけど、誰かが自首減刑で調べたんだ」っていう。家族ってそういう距離感ですよね。
南沢:秘密があって、でもどこか漏れていて、というのはありますね。聞きたいけど聞けないこともあるし。
穂村:微妙な距離感が出ていますね。
<ペガサスは私にはきっとやさしくてあなたのことは殺してくれる>(冬野きりん)
南沢:ちょっと怖い印象を私は受けました。どんな解釈をしたらいいのでしょう?
穂村:これは10代の女性の短歌です。強い愛の感情を描いていると僕は思います。そこまでの強さがなければ、ペガサスは「あなたのもとに運んでくれる」とか「あなたをさらってきてくれる」とかになると思うんだけど、愛が強くなりすぎて「殺してくれる」になるんじゃないか。
穂村:僕は、漫画で描かれる恋愛より実際の恋愛の温度が低くて驚いた経験があるんですが、思春期って何事に対しても高温のイメージがあるでしょう。これも強い愛の感覚なのかなと。この歌の主人公は、「あなた」を憎んでいるわけじゃなくて、依然として好きなんだと思いますね。ペガサスは、「撃ち殺す」とか「絞め殺す」とかに比べて、キレイに殺してくれそうな気がするし。
南沢:ペガサスという架空の動物なのも、おもしろいですね。
穂村:現実離れしているから、この殺意はおそらく成就しないですよね。これが、20代、30代になると、ペガサスが普通に包丁になっていって、リアルな殺意に……(笑)。それを超えて「殺してもしょうがないから慰謝料をよこせ」みたいになっていくと、現実と一体化しますね。
南沢:年齢によって表現も変わってくるものなのかもしれないですね。
<痩せようとふるいたたせるわけでもなく微妙だから言うなポッチャリって>(脇川飛鳥)
観客:私も不摂生で体重が増えてしまったので、ちょっと共感します(笑)。
南沢:かわいらしい短歌ですよね。
穂村:「ポッチャリとはどの程度か」って、人によって違うじゃないですか。明らかに失礼な言い方であれば、「ふざけんな」と腹が立ち、ダイエットしようと奮い立つかもしれない。でも、「ポッチャリ」って響きもかわいいし、だからこそ逆に言うな、みたいなね。「いい意味でポッチャリ」とかありますもんね。あと、短歌って上から読んでいくから、最後まで何が起こるかわからない。読み終えて初めて「なるほどね」となる、そんなおもしろさがありますね。
南沢:わかるわかる、とイメージしやすい短歌でした。
南沢も、「本」「読書」をテーマに短歌を詠みました。
<本を開く前にするのはこのジャッジ「脱皮させるか、衣つけるか」>
南沢:本を開く前の瞬間を短歌にしました。私は本をキレイに読みたいと思うタイプで。本のカバーをとることを「脱皮させる」と言っているんですけど、「カバーを取って持ち歩くか、上からカバーをかけるか」って考えるんです。
穂村:すごくいい歌。「脱皮させる」がすばらしい。こんなふうに短歌にすると、本が生き物のように思えます。これが「裸にするか、衣つけるか」だと普通の例えなんだけど、「脱皮」となると“命”がより強くなるし、ちょっとあやしい生き物という感じもします。また、本を読む前の儀式のような行為に着目する視点もおもしろい。本をテーマに短歌をつくってくださいと言われたとき、違う視点から見るのが多数派だと思うから。
穂村さんによると、短歌は意味だけでなく「音」や「文字の印象」が重要になる表現。「無意識のうちにきれいな音を選べる人と選べない人がいるんだけど、南沢さんの短歌はきれいだと思いました」とコメントし、南沢は照れながらも喜んでいました。
「言葉の表現って、おもしろい!」と感じさせる穂村さんの解説。本の世界に飛び込みたい気持ちをかきたてるトークイベントとなりました。みなさんもぜひ、六本木の本屋「文喫」に足を運んで、読書を楽しんでください。
■文喫とコラボ! J-WAVE 選書
J-WAVEナビゲーターが「本を読んで何かをはじめたくなる」そんなキッカケとなる『本』を選びました。昨年12月六本木にオープンした話題の本屋「文喫」内に、『J-WAVE 選書』のコーナーで展示。もちろん購入OK。読書をはじめるきっかけとなる本を選んでみてください。
・選書ナビ:南沢奈央、クリス智子、サラーム海上、大倉眞一郎 他
・展示開始:3月1日~
■イベント概要
「J-WAVE START ME UP!南沢奈央×穂村弘 スペシャルトークショー」
・日時:2019年3月19日(火)
・会場:文喫 六本木 http://bunkitsu.jp/
・ゲスト:穂村弘(歌人)
・MC:南沢奈央(TOPPAN FUTURISMナビゲーター)
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