J-WAVEで放送中の番組「CHINTAI TOKYO DISTRICT」(ナビゲーター:秋元梢)。10月29日(日)のオンエアでは、小説家の西加奈子さんをお迎えしました。
西さんはお父さんの仕事の関係でテヘランで生まれ、カイロで育ちました。カイロは騒々しかったため、日本に帰ってきた時に街が静かなことに驚いたそうです。
西:アラビアはパワフルな街で、アラビア語は喧嘩腰という印象があるけど、日本人はクラクションを鳴らさないし、話は柔らかいし、おだやかな街だなって思いました。
秋元:西さんに何か影響を与えました?
西:カイロでは日本人もいたけど、肌の色も言葉も違うし、カイロの中でも大使館があるような、日本でいう麻布のようなところに住まわせてもらっていて…圧倒的に異質だったんです。友達の中には靴も履いていない子もいたし。私が日本では普通に着られているような綺麗な服を着ることができるのは、私の手柄ではなくて父が偶然にそういう仕事だからだと、恥ずかしさも感じていました。その羞恥心が、大きな根っことしてあります。
西さんは、幼少期はやんちゃで、子どもだけで自由に遊んでいたとか。その後、中学生の時に遠藤周作の小説を読んで衝撃を受け、さらに高校生の時には、ノーベル文学賞も授賞したトニ・モリスンの小説を読んで大きな衝撃を受けたそう。
執筆をするようになったのは25歳くらいからで、それまではモリスンの衝撃が大きすぎで、小説は“雲の上の人”が書くものだと思っていたそうです。
西:実際に自分が作家になってみると、自分を含めてアホばっかりで普通の人たちなんです(笑)。アルバイトで雑誌の取材に行っていて、文章を書き始めたら楽しくて、こんなに楽しいことがあるのかと思って書き始めました。
秋元:小説の書き方って、誰かに教わるんですか?
西:最初は、大好きな太宰治っぽい作品を書いていたけど、何作目からかは本当に自分の書きたいことが出てくるんです。それが書けたのがすごく楽しくて、その心境がずっと続いているような感じです。
その後、西さんは上京。大阪は友達も多くて楽しいものの、それでは小説家にはなれないと思ったんだとか。「孤高じゃないといけない」と当時は思っていたそうです。ある出版社の方に小説を読んでもらったのがきっかけで、小説家デビューを果たし、2015年には直木賞を受賞しました。受賞作について「デビューのきっかけを作ってくれた編集の方と久しぶりに会った仕事で、10年目だったから、10年間の自分を全て出して、編集者さんに読んでもらおうとして書いたので、それを評価していただいたのが、めちゃくちゃ嬉しかったです」と語りました。
ちなみに、西さんは、秋元や、ダンサーの菅原小春さんのように言葉以外で表現する仕事に憧れを持っているそうです。「言葉は『祝福』でもあるけど、『呪い』でもあると思っていて、『美しい』と言ってしまったら祝福でもあるけどその言葉に当てはめてしまうことになるかもしれません。そこには、『怖い』とか『儚い』とかいろいろな要素があるはずなのに『美しい』という言葉にあてはめてしまうことに、下品だなと思ってます。でも言葉で表現したいから、そこはせめぎあいです」と心境を打ち明けました。
最後に、小説家を目指す若い人たちにメッセージをお願いしたところ「本当に好きだったら書いていると思うので、たくさん読んだり、書いたりしましょう。頭で考えているうちは何もできないし、『どうやったらいいですか?』と聞くよりも、既に『もう書いてる』っていう人が小説家になるんじゃないかと思います」と語りました。
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【番組情報】
番組名:「CHINTAI TOKYO DISTRICT」
放送日時:毎週日曜 12時-13時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/district/
西さんはお父さんの仕事の関係でテヘランで生まれ、カイロで育ちました。カイロは騒々しかったため、日本に帰ってきた時に街が静かなことに驚いたそうです。
西:アラビアはパワフルな街で、アラビア語は喧嘩腰という印象があるけど、日本人はクラクションを鳴らさないし、話は柔らかいし、おだやかな街だなって思いました。
秋元:西さんに何か影響を与えました?
西:カイロでは日本人もいたけど、肌の色も言葉も違うし、カイロの中でも大使館があるような、日本でいう麻布のようなところに住まわせてもらっていて…圧倒的に異質だったんです。友達の中には靴も履いていない子もいたし。私が日本では普通に着られているような綺麗な服を着ることができるのは、私の手柄ではなくて父が偶然にそういう仕事だからだと、恥ずかしさも感じていました。その羞恥心が、大きな根っことしてあります。
西さんは、幼少期はやんちゃで、子どもだけで自由に遊んでいたとか。その後、中学生の時に遠藤周作の小説を読んで衝撃を受け、さらに高校生の時には、ノーベル文学賞も授賞したトニ・モリスンの小説を読んで大きな衝撃を受けたそう。
執筆をするようになったのは25歳くらいからで、それまではモリスンの衝撃が大きすぎで、小説は“雲の上の人”が書くものだと思っていたそうです。
西:実際に自分が作家になってみると、自分を含めてアホばっかりで普通の人たちなんです(笑)。アルバイトで雑誌の取材に行っていて、文章を書き始めたら楽しくて、こんなに楽しいことがあるのかと思って書き始めました。
秋元:小説の書き方って、誰かに教わるんですか?
西:最初は、大好きな太宰治っぽい作品を書いていたけど、何作目からかは本当に自分の書きたいことが出てくるんです。それが書けたのがすごく楽しくて、その心境がずっと続いているような感じです。
その後、西さんは上京。大阪は友達も多くて楽しいものの、それでは小説家にはなれないと思ったんだとか。「孤高じゃないといけない」と当時は思っていたそうです。ある出版社の方に小説を読んでもらったのがきっかけで、小説家デビューを果たし、2015年には直木賞を受賞しました。受賞作について「デビューのきっかけを作ってくれた編集の方と久しぶりに会った仕事で、10年目だったから、10年間の自分を全て出して、編集者さんに読んでもらおうとして書いたので、それを評価していただいたのが、めちゃくちゃ嬉しかったです」と語りました。
ちなみに、西さんは、秋元や、ダンサーの菅原小春さんのように言葉以外で表現する仕事に憧れを持っているそうです。「言葉は『祝福』でもあるけど、『呪い』でもあると思っていて、『美しい』と言ってしまったら祝福でもあるけどその言葉に当てはめてしまうことになるかもしれません。そこには、『怖い』とか『儚い』とかいろいろな要素があるはずなのに『美しい』という言葉にあてはめてしまうことに、下品だなと思ってます。でも言葉で表現したいから、そこはせめぎあいです」と心境を打ち明けました。
最後に、小説家を目指す若い人たちにメッセージをお願いしたところ「本当に好きだったら書いていると思うので、たくさん読んだり、書いたりしましょう。頭で考えているうちは何もできないし、『どうやったらいいですか?』と聞くよりも、既に『もう書いてる』っていう人が小説家になるんじゃないかと思います」と語りました。
※PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:「CHINTAI TOKYO DISTRICT」
放送日時:毎週日曜 12時-13時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/district/