BLUE ENCOUNTの22年の歩みを、J-WAVEで振り返った。
この内容をオンエアしたのは、3月29日『J-WAVE SELECTION FROM ZERO…』。 BOAT RACE 振興会とタッグを組んでお届けしたスペシャルプログラムだ。同会が2026年にCMテーマとして掲げる「ゼロからプロへ」に絡めて、タイアップソングを手がけるBLUE ENCOUNTが“バンド少年”からプロになるまでの道のりに迫った。ナビゲーターはサッシャ。
番組では弾き語りもオンエア。4月5日まで再生可能だ。
田邊:高村と僕と当時のベース、最初は3ピースバンドで活動を開始しました。もともと僕がフォークソングを聴いて音楽を始めた手前、スキルはアコギのカッティングとかそういう感じ。だから、ソロを弾くとなっても自分の中にアイデアがなくて……。「どうしよう」と思っていたときに学校の中庭で出会ったのが、ギターの江口。彼ももともと別のバンドをやっていたんですけど、解散のタイミングで「江口、来てくれないか。俺が弾けないところをお前が弾いてくれ」と。
江口:当時、僕も全然ギターは弾けなかったんですけどね(笑)。
サッシャ:頼む相手を間違えてないですか(笑)?
江口:僕も始めたてだったので……(笑)。
田邊:カッコよくあればいいというか、バンドを楽しみたいという気持ちが一番にあった。ちょうどその時期にELLEGARDENに出会って、みんなでライブDVDを鑑賞したりね?
サッシャ:いいですね、青春だな!
田邊:そうなんですよ! そのときのライブ映像もさることながら、特典映像のオフショット。エルレに限らず、ストレイテナーや10-FEETとか、大体ツアーの模様が収録されていたんですけど、皆さん旅をされて、機材車で移動して──それに憧れて、「ライブをとにかくやりたいよね」という感じで、その熱量のまま結成しました。その向かうべきベクトルが一緒だったのが、BLUE ENCOUNT。
サッシャ:技術力ではなく、空気感が似ていた。
田邊:まさにそうでした。
辻村:僕は先に先輩として同じ学校に入っていて、彼らは僕が2年生のとき、1年生として学校に入ってきました。
田邊:でも、すぐサポートしたわけではないもんね? 僕らが1年生時にバンドコンテストに出る機会があって。そのコンテストには同級生のベースの子と出たんですけど、勝ち上がりまして、「けっこういいところまで行くのでは?」となったとき、ベースの子が抜けたんですよ。
サッシャ:そのタイミングで?!
高村:プレッシャーに耐えられなくなったんですよね。
田邊:「このタイミングでヤバい……」と思っているとき、その状況を学校の先生が見かねて、間を取り持ってくれたのが、辻村で。
辻村:でも、僕は大会が終わるまでのサポートだと思っていたし、当初はその予定だったんですよ。自分的には大きい舞台にも立てるし、経験にもなるからと承諾して。最初は本当にそれくらいの気持ち(笑)。
田邊:そのコンテストでありがたいことに優勝しまして、そのときに正式に誘ったんだよね?
辻村:そう! 東京大会のときに言われた。
田邊:「俺ら優勝したよ、バンドに入ってくれないか」と。
辻村:誘われたことには即答で、「はい」と返事をしました。そこがきっかけです。
田邊:熊本でお客さんがたくさんいたりするわけではなく、「何かチャンスが転がっている」という一縷の望みを持って東京に出てきて、コンテストで優勝して、学内でも「すごいぞ」という評価を得るようになった。そうなれば、井の中の蛙が踊り回っている状況(笑)。
サッシャ:まだ大海を知らないけど(笑)。
田邊:「俺ら、デビューいける!」という感じでした。当時出会ったインディーズレーベルの社長さんがいたんですが、紆余曲折あって卒業と同時にそこから出そうということになりまして。21歳くらいかな、本当に井の中の蛙だったんだなと。売れた枚数も友だちの数くらいの枚数だったんですよ。
サッシャ:それは意外ですね。
田邊:そうなんですよ。現実の恐ろしさに直面したタイミングではありました。いわばレーベルも負債を抱えた状況でのスタートというか。もちろん卒業もしていますから、学校のお膳立てもないですし、空の状態でCDの在庫を抱えた中でブッキングライブや各地で手売りしていく。
辻村:事務所に行くたびにCDが入った段ボールを見なきゃいけなかった。あれは嫌だったよね。
田邊:本当に減らないんですよ! それを常に自分たちの機材車に積んで手売りする日々でしたね。高校時代、特典映像で見ていた華々しい光景とは乖離してた。打ち上げをするお金もないですし、ましてや1日3食食べるお金もない。炊飯器とお米を持って行動してました。リハ中にお米を炊いて、コンビニでしゃけフレークやふりかけを買って、白ごはんだけで腹を満たす。
辻村:リハ中にお米の匂いが充満して、お腹が空いてくるんだよね(笑)。
サッシャ:バンドを辞めるという選択肢はなかったんだ?
田邊:常にバンドの原動力になっていたのは、「なんかイケる!」という根拠ない自信というか。熊本時代もデモ音源を作っていろんなレコード会社に送って、例えばソニーさんに送っただけなのに、次の日には友だちに「ソニーからメジャーデビューが決まった!」って言ってた(笑)。だから、東京に行ってからも「なんか、イケるんじゃないかな」という謎の自信があったんです。僕たちの音楽はカッコいいと思っていたから、それが原動力でした。
田邊:まずは対バンを通してバンドの仲間が増えてきて。
サッシャ:SUPER BEAVERとか?
田邊:そうですね。SUPER BEAVERはメジャーからインディーズに変わった時期に出会って、意気投合して共にツアーを回りました。その中で覚えているのは、僕らだけ物販がどうしても売れなくて……。
辻村:あれはキツかったな。
田邊:毎晩、お金もないからファミレスで打ち上げをやって、SUPER BEAVERにこれからどうしたらいいかなとか、そういうリアルな話ができる仲間が増えてきて。バンドで生きていくという、いいことも悪いことも含めて、みんなで共有して、そうすることで動員も増えてきたり、少しずつではあるけど、「BLUE ENCOUNTをお手伝いしたい」という方も増えた。その節目が10年目のメジャーデビューだったと思います。
サッシャ:それまでにやめようと思ったことはなかったの?
辻村:僕は1度、2011年に脱退を申し込んでいますね。
田邊:その年の頭に三行半を突きつけられまして。でも、これも根拠ない自信なんですけど、「次のアルバムでなんとかなると思うんだ」と言ったんですよ。
辻村:こいつ何言ってるの?! って思ってた(笑)。大丈夫じゃないから、俺は言ってるんだと思っていたけど、彼は一貫してブレてなかったですね。
サッシャ:その言葉で思いとどまったんですか?
辻村:もうちょっと寄り添ってくれると思っていたんですけどね(笑)。そこで考え直したり、他のバンドに誘われていたこともあって、他のバンドとブルエンを同時進行でやっているタイミングでもありましたね。
ナビゲーターのサッシャから賛辞が送られたあと、語られたのは、メジャーデビュー後の彼らについて。
サッシャ:メジャーデビューして、何か変化がありましたか?
高村:いや、メジャーデビューをしたからといって、変わったという気持ちはなかった気がしますね。
田邊:そう思わせず、いつも通りにさせてくれているチームの偉大さですよね。もちろんインディーズとは異なり、TVに出演させていただいたり、ラジオに出演させていただいたり、そういう変化はあったんですけど、どの場面でも人間として僕らが中心にいるべきだという思いを持ってくれているチームがあるので、だからこそ僕たちも自由にしゃべってはいますけど、責任感を持っているというか。ちゃんと伝えたいことを伝える、それは日々変わらずやれているかなと思います。
サッシャ:いろんな代表曲が産まれるようになったのは、やはり環境の変化ですか。それとも成長なのか。
田邊:「あの頃の自分に馬鹿にされたくないな」という気持ちでいまだに曲を作っていると思います。正直、インディーズの後半は自分たちでSNSやライブのブッキングを例えば、リーダーの江口がやってくれていたり、僕ができることをやったり。各々できることがたくさんあって、「このまま4人でやることもできるよね」という話をしていたんですよ。そんな中でいろんな方のお力添えもあり、メジャーにいよいよ行くとなったとき、インディーズでもカッコいい音楽ができると思っていた僕らが未来の僕らを見て、ダサいと思わないよう曲を作ることがまず大前提ですよね。
サッシャ:前よりもいい楽曲を作っていく、そういう発想ですね。
田邊:そうですね。昔の曲を聴き比べた上で、負けてない、ここは強いと思いながら模索している感覚はあります。
サッシャ:そんな形でメジャーデビューしてこれまで輝かしい軌跡を辿ってきたと思うんですが、辻村さんは2023年4月から2025年の9月まで拠点をアメリカに移されました。当時は辞めるつもりだったんですか?
辻村:そうですね。辞めたくないけど、アメリカに行かせてくれとは言えなくて。覚悟として辞めてもいいから、僕はアメリカに行くというか。
サッシャ:なるほど。アメリカに行きたいからという気持ちが強かった。
辻村:前回の脱退騒動と異なるのは、自分のための人生をどう生きたいか、そこにフォーカスして、ずっと行きたかったアメリカに行きたいとみんなに相談して。否定ではなく肯定してくれるメンバーがいた。
田邊:みんなで送り出すムードでやっていたんですけど、その最中にコロナ禍がやってきて。制約がある中でしたがブルエンはライブをやり続けて、2021年に横浜アリーナ2Daysをやらせていただいたときに、「こいつのベース以外ない」と思って、「やっぱり辞めないでくれ」と。その代わり「好きにやってこい、俺らも日本で頑張るから、アメリカに何か掴んで帰ってこい」という形にしました。
2023年には、バンドを始めるきっかけとなったELLEGARDENとの対バンも実現。「いまだに夢のような時間だった」と田邊は振り返る。
田邊:あの日は自分たちが出せる全てを出した、ベストオブベストで挑んで先輩たちに一矢報いることができた感覚があります。細美さんからも「いいライブだったよ」と言っていただけて。
サッシャ:キャリアの中でもベストライブですか?
田邊:いや、正直覚えてないんですよ! 楽屋に帰るエレベーターで細美さんと生方さんとご一緒して、細美さんが生方さんに「こいつら、うまいな」って言ってくれてて、そのときから記憶がないんです(笑)。
田邊: 2026年からCM内でのドラマの内容やキャストも一新してということだったので、まさに『ゼロからプロへ』だったり、今回は教官が主人公のドラマで訓練生との絆だったり、テーマに合わせてブルエンのリアルとして何を伝えられるかを考えました。まさに駆け出した頃の自分たち。
サッシャ:まさにゼロからプロへ向かう自分たち。
田邊:そうです。先ほど、あの頃の自分に負けたくないからいまも曲を書いてると言いましたけど、逆にいうとあの頃の自分たちは壁にぶつかりまくっていた日々だったので、いまの俺たちから何をプレゼントできるかなと考えたとき、自然とサビが浮かんできて。すごく等身大のメッセージを内包できたと思います。
サッシャ:リリックビデオはボートレーサー養成所で撮影されたんですか?
田邊:僕と高村で福岡にあるボートレーサー養成所に行かせていただいて、間近でドラマの撮影を行なっているときに訪問させていただいて。実際に訓練生の方にご挨拶していただけたり、フレッシュな集まりの場所に行って、よりこの曲を歌い繋いでいくことの責任の重大さを感じました。
この日は、番組の最後に『幻日』もスタジオで生演奏。サッシャの「いい曲だ〜」という言葉に、4人も喜びを見せた。
江口:バンドもこれだけ長くやってきて、これまでは自分たち自身がこのバンドを大事にしてきたんですけど、BLUE ENCOUNTというバンドを大事にしてくれるファンの方も増えてきたので、その先はそういう方たちのためにも守っていきたいなという気持ちが強いですね。
高村:いまだに「もっといいものが作れるのではないか」「もっといいライブができるのではないか」という気持ちはあって。その気持ちを持ち続けることが、この道をずっと続けていくモチベーションになるのかなと思います。
辻村:プロになって、自分は音楽が余計に好きになりました。音楽を生涯愛していきたいと思えた。プロになることで余計に視野が広がって、余計に愛せると思うんです。愛せる自信があるのであれば、プロになってほしい。より広い世界を見てほしいなと思います。
田邊:今日話したことで腑に落ちたのが、根拠なくとも自信を持つことがいいのだろうと。どの職業、どの道においても、自分に自信があるからこそその自信に人が付いてきて、人が応援してくれて、巻き込んで、いつしかその自信がその人の道になっていく。自分を信じて前に進めるというのがプロなのかなと思います。根拠の裏付けをしていけるのは仲間のおかげなので、根拠の裏付けをし続けられるプロでありたいと思います。
BLUE ENCOUNTの最新情報は公式サイトまで。
(構成:笹谷淳介、撮影=竹内洋平)
この内容をオンエアしたのは、3月29日『J-WAVE SELECTION FROM ZERO…』。 BOAT RACE 振興会とタッグを組んでお届けしたスペシャルプログラムだ。同会が2026年にCMテーマとして掲げる「ゼロからプロへ」に絡めて、タイアップソングを手がけるBLUE ENCOUNTが“バンド少年”からプロになるまでの道のりに迫った。ナビゲーターはサッシャ。
ELLEGARDENなど人気バンドに憧れて
BLUE ENCOUNTは田邊駿一(Vo./Gt.)、江口雄也(Gt.)、辻村勇太(Ba.)、高村佳秀(Dr.)からなるバンド。結成されたのは2004年、田邊、江口、高村が通っていた熊本の高等専門学校だった。田邊:高村と僕と当時のベース、最初は3ピースバンドで活動を開始しました。もともと僕がフォークソングを聴いて音楽を始めた手前、スキルはアコギのカッティングとかそういう感じ。だから、ソロを弾くとなっても自分の中にアイデアがなくて……。「どうしよう」と思っていたときに学校の中庭で出会ったのが、ギターの江口。彼ももともと別のバンドをやっていたんですけど、解散のタイミングで「江口、来てくれないか。俺が弾けないところをお前が弾いてくれ」と。
江口:当時、僕も全然ギターは弾けなかったんですけどね(笑)。
サッシャ:頼む相手を間違えてないですか(笑)?
江口:僕も始めたてだったので……(笑)。
サッシャ:いいですね、青春だな!
田邊:そうなんですよ! そのときのライブ映像もさることながら、特典映像のオフショット。エルレに限らず、ストレイテナーや10-FEETとか、大体ツアーの模様が収録されていたんですけど、皆さん旅をされて、機材車で移動して──それに憧れて、「ライブをとにかくやりたいよね」という感じで、その熱量のまま結成しました。その向かうべきベクトルが一緒だったのが、BLUE ENCOUNT。
サッシャ:技術力ではなく、空気感が似ていた。
田邊:まさにそうでした。
バンドコンテストでピンチを乗り越え優勝!
高専の卒業後、当時のベーシストは脱退し、田邊、江口、高村の3人は同じ音楽専門学校に通うために上京。音楽専門学校で生まれる縁に期待しており、実際に辻村に出会った。辻村:僕は先に先輩として同じ学校に入っていて、彼らは僕が2年生のとき、1年生として学校に入ってきました。
田邊:でも、すぐサポートしたわけではないもんね? 僕らが1年生時にバンドコンテストに出る機会があって。そのコンテストには同級生のベースの子と出たんですけど、勝ち上がりまして、「けっこういいところまで行くのでは?」となったとき、ベースの子が抜けたんですよ。
サッシャ:そのタイミングで?!
高村:プレッシャーに耐えられなくなったんですよね。
田邊:「このタイミングでヤバい……」と思っているとき、その状況を学校の先生が見かねて、間を取り持ってくれたのが、辻村で。
田邊:そのコンテストでありがたいことに優勝しまして、そのときに正式に誘ったんだよね?
辻村:そう! 東京大会のときに言われた。
田邊:「俺ら優勝したよ、バンドに入ってくれないか」と。
辻村:誘われたことには即答で、「はい」と返事をしました。そこがきっかけです。
炊飯器を持参して食費節約─それでもバンドを辞める選択肢はなかった
田邊によると、熊本時代からアルバムを自主制作していたそう。精力的に活動し、上京後はコンテストで優勝──順風満帆に思えたが、メンバーはプロの手前で、厳しい現実にも直面した。田邊:熊本でお客さんがたくさんいたりするわけではなく、「何かチャンスが転がっている」という一縷の望みを持って東京に出てきて、コンテストで優勝して、学内でも「すごいぞ」という評価を得るようになった。そうなれば、井の中の蛙が踊り回っている状況(笑)。
サッシャ:まだ大海を知らないけど(笑)。
田邊:「俺ら、デビューいける!」という感じでした。当時出会ったインディーズレーベルの社長さんがいたんですが、紆余曲折あって卒業と同時にそこから出そうということになりまして。21歳くらいかな、本当に井の中の蛙だったんだなと。売れた枚数も友だちの数くらいの枚数だったんですよ。
サッシャ:それは意外ですね。
田邊:そうなんですよ。現実の恐ろしさに直面したタイミングではありました。いわばレーベルも負債を抱えた状況でのスタートというか。もちろん卒業もしていますから、学校のお膳立てもないですし、空の状態でCDの在庫を抱えた中でブッキングライブや各地で手売りしていく。
辻村:事務所に行くたびにCDが入った段ボールを見なきゃいけなかった。あれは嫌だったよね。
田邊:本当に減らないんですよ! それを常に自分たちの機材車に積んで手売りする日々でしたね。高校時代、特典映像で見ていた華々しい光景とは乖離してた。打ち上げをするお金もないですし、ましてや1日3食食べるお金もない。炊飯器とお米を持って行動してました。リハ中にお米を炊いて、コンビニでしゃけフレークやふりかけを買って、白ごはんだけで腹を満たす。
辻村:リハ中にお米の匂いが充満して、お腹が空いてくるんだよね(笑)。
サッシャ:バンドを辞めるという選択肢はなかったんだ?
田邊:常にバンドの原動力になっていたのは、「なんかイケる!」という根拠ない自信というか。熊本時代もデモ音源を作っていろんなレコード会社に送って、例えばソニーさんに送っただけなのに、次の日には友だちに「ソニーからメジャーデビューが決まった!」って言ってた(笑)。だから、東京に行ってからも「なんか、イケるんじゃないかな」という謎の自信があったんです。僕たちの音楽はカッコいいと思っていたから、それが原動力でした。
仲間にも支えられて掴んだメジャーデビュー
メジャーデビューは2014年。結成から10年の月日が経っていた。「突然、メジャーデビューの切符が目の前に現れたわけではなく、一人ひとり出会ってくれる仲間が増えて」と、田邊は経緯を振り返る。田邊:まずは対バンを通してバンドの仲間が増えてきて。
サッシャ:SUPER BEAVERとか?
田邊:そうですね。SUPER BEAVERはメジャーからインディーズに変わった時期に出会って、意気投合して共にツアーを回りました。その中で覚えているのは、僕らだけ物販がどうしても売れなくて……。
辻村:あれはキツかったな。
田邊:毎晩、お金もないからファミレスで打ち上げをやって、SUPER BEAVERにこれからどうしたらいいかなとか、そういうリアルな話ができる仲間が増えてきて。バンドで生きていくという、いいことも悪いことも含めて、みんなで共有して、そうすることで動員も増えてきたり、少しずつではあるけど、「BLUE ENCOUNTをお手伝いしたい」という方も増えた。その節目が10年目のメジャーデビューだったと思います。
サッシャ:それまでにやめようと思ったことはなかったの?
辻村:僕は1度、2011年に脱退を申し込んでいますね。
田邊:その年の頭に三行半を突きつけられまして。でも、これも根拠ない自信なんですけど、「次のアルバムでなんとかなると思うんだ」と言ったんですよ。
辻村:こいつ何言ってるの?! って思ってた(笑)。大丈夫じゃないから、俺は言ってるんだと思っていたけど、彼は一貫してブレてなかったですね。
サッシャ:その言葉で思いとどまったんですか?
辻村:もうちょっと寄り添ってくれると思っていたんですけどね(笑)。そこで考え直したり、他のバンドに誘われていたこともあって、他のバンドとブルエンを同時進行でやっているタイミングでもありましたね。
あの頃の自分たちに馬鹿にされないように、いい曲を
そこから10年をかけてメジャーデビュー。今夜は、田邊駿一によるスタジオ生演奏も実施。奏でるのは、彼らの転機になった2nd ミニアルバム『HALO EFFECT』から『HANDS』。ブルエンにとってもファンにとっても特別な曲を優しく、温かく歌い奏でた。サッシャ:メジャーデビューして、何か変化がありましたか?
高村:いや、メジャーデビューをしたからといって、変わったという気持ちはなかった気がしますね。
田邊:そう思わせず、いつも通りにさせてくれているチームの偉大さですよね。もちろんインディーズとは異なり、TVに出演させていただいたり、ラジオに出演させていただいたり、そういう変化はあったんですけど、どの場面でも人間として僕らが中心にいるべきだという思いを持ってくれているチームがあるので、だからこそ僕たちも自由にしゃべってはいますけど、責任感を持っているというか。ちゃんと伝えたいことを伝える、それは日々変わらずやれているかなと思います。
サッシャ:いろんな代表曲が産まれるようになったのは、やはり環境の変化ですか。それとも成長なのか。
田邊:「あの頃の自分に馬鹿にされたくないな」という気持ちでいまだに曲を作っていると思います。正直、インディーズの後半は自分たちでSNSやライブのブッキングを例えば、リーダーの江口がやってくれていたり、僕ができることをやったり。各々できることがたくさんあって、「このまま4人でやることもできるよね」という話をしていたんですよ。そんな中でいろんな方のお力添えもあり、メジャーにいよいよ行くとなったとき、インディーズでもカッコいい音楽ができると思っていた僕らが未来の僕らを見て、ダサいと思わないよう曲を作ることがまず大前提ですよね。
サッシャ:前よりもいい楽曲を作っていく、そういう発想ですね。
田邊:そうですね。昔の曲を聴き比べた上で、負けてない、ここは強いと思いながら模索している感覚はあります。
サッシャ:そんな形でメジャーデビューしてこれまで輝かしい軌跡を辿ってきたと思うんですが、辻村さんは2023年4月から2025年の9月まで拠点をアメリカに移されました。当時は辞めるつもりだったんですか?
辻村:そうですね。辞めたくないけど、アメリカに行かせてくれとは言えなくて。覚悟として辞めてもいいから、僕はアメリカに行くというか。
サッシャ:なるほど。アメリカに行きたいからという気持ちが強かった。
辻村:前回の脱退騒動と異なるのは、自分のための人生をどう生きたいか、そこにフォーカスして、ずっと行きたかったアメリカに行きたいとみんなに相談して。否定ではなく肯定してくれるメンバーがいた。
田邊:みんなで送り出すムードでやっていたんですけど、その最中にコロナ禍がやってきて。制約がある中でしたがブルエンはライブをやり続けて、2021年に横浜アリーナ2Daysをやらせていただいたときに、「こいつのベース以外ない」と思って、「やっぱり辞めないでくれ」と。その代わり「好きにやってこい、俺らも日本で頑張るから、アメリカに何か掴んで帰ってこい」という形にしました。
2023年には、バンドを始めるきっかけとなったELLEGARDENとの対バンも実現。「いまだに夢のような時間だった」と田邊は振り返る。
田邊:あの日は自分たちが出せる全てを出した、ベストオブベストで挑んで先輩たちに一矢報いることができた感覚があります。細美さんからも「いいライブだったよ」と言っていただけて。
サッシャ:キャリアの中でもベストライブですか?
田邊:いや、正直覚えてないんですよ! 楽屋に帰るエレベーターで細美さんと生方さんとご一緒して、細美さんが生方さんに「こいつら、うまいな」って言ってくれてて、そのときから記憶がないんです(笑)。
「プロへ向かう自分たち」に等身大の言葉を紡いだ
そんなBLUE ENCOUNTは、今年最初のシングルとして『幻日』をリリースした。この楽曲は、BOAT RACE 2026年のCMタイアップソングだ。BLUE ENCOUNT『幻日』リリックビデオ
サッシャ:まさにゼロからプロへ向かう自分たち。
田邊:そうです。先ほど、あの頃の自分に負けたくないからいまも曲を書いてると言いましたけど、逆にいうとあの頃の自分たちは壁にぶつかりまくっていた日々だったので、いまの俺たちから何をプレゼントできるかなと考えたとき、自然とサビが浮かんできて。すごく等身大のメッセージを内包できたと思います。
サッシャ:リリックビデオはボートレーサー養成所で撮影されたんですか?
田邊:僕と高村で福岡にあるボートレーサー養成所に行かせていただいて、間近でドラマの撮影を行なっているときに訪問させていただいて。実際に訓練生の方にご挨拶していただけたり、フレッシュな集まりの場所に行って、よりこの曲を歌い繋いでいくことの責任の重大さを感じました。
<BOAT RACE のCM。物語仕立てになっている>
ゼロからプロへ─そして今思うこと
ゼロからプロになるためには並々ならぬ努力が必要だ。その当事者として、どんな思いがあるのかを聞いた。江口:バンドもこれだけ長くやってきて、これまでは自分たち自身がこのバンドを大事にしてきたんですけど、BLUE ENCOUNTというバンドを大事にしてくれるファンの方も増えてきたので、その先はそういう方たちのためにも守っていきたいなという気持ちが強いですね。
高村:いまだに「もっといいものが作れるのではないか」「もっといいライブができるのではないか」という気持ちはあって。その気持ちを持ち続けることが、この道をずっと続けていくモチベーションになるのかなと思います。
辻村:プロになって、自分は音楽が余計に好きになりました。音楽を生涯愛していきたいと思えた。プロになることで余計に視野が広がって、余計に愛せると思うんです。愛せる自信があるのであれば、プロになってほしい。より広い世界を見てほしいなと思います。
田邊:今日話したことで腑に落ちたのが、根拠なくとも自信を持つことがいいのだろうと。どの職業、どの道においても、自分に自信があるからこそその自信に人が付いてきて、人が応援してくれて、巻き込んで、いつしかその自信がその人の道になっていく。自分を信じて前に進めるというのがプロなのかなと思います。根拠の裏付けをしていけるのは仲間のおかげなので、根拠の裏付けをし続けられるプロでありたいと思います。
BLUE ENCOUNTとサッシャ
(構成:笹谷淳介、撮影=竹内洋平)