
お笑い芸人の友田オレが自身がお笑いの道を目指した経緯や、ネタ作りについて語った。
友田が登場したのは、4月12日(土)放送のJ-WAVE『KDDI LINKSCAPE』(ナビゲーター:TENDRE、田中シェン)のコーナー「CONNECTORS AVENUE」。人、街、そして、音楽やカルチャーでつながる新感覚のエンターテインメントプログラムだ。
番組は、Spotifyなどのポッドキャストでも聴くことができる。
・ポッドキャストページ
TENDRE:そもそも、なぜ芸人の道に進んだのでしょうか。
友田:大学受験をするにあたって「モチベーションになるものがないかな」と思っていたところで、大学のお笑いサークルの存在を知って「これ目標にしたら受験頑張れるかも」と。大学に入ってお笑いサークルに入って、アマチュアでずっとやっていたところ、事務所の人にスカウトされてプロになりました。
TENDRE:小さいころからお笑いに憧れて、というわけではなかったんですか?
友田:めちゃくちゃ好きではあったんですが、自分がなるとは思っていなかったです。
TENDRE:芸人としての出発点となった街はどこでしょうか。
友田:大学があった早稲田ですね。そこに4年間住んでもいたので。
TENDRE:思い入れのある街ということですね。
友田:1年生のころはコロナ禍で外に出られず、2、3、4年で授業を受けてサークルに入って。プロになったときも、まだ最初は早稲田にいたので、本当にすべて経験したというか。
TENDRE:青春の詰まった街でもあるということですね。
田中:早稲田といえば、おいしいご飯というか、安くておいしいんですよね。
友田:僕が3日に1回ぐらい行っていたのが「わせだの弁当屋」というところです。そこの唐揚げ弁当が「茄子カラ」という、茄子と唐揚げがのっていてうまいんです。
田中:街並みがタイムスリップした感じがありますよね。
友田:コンパクトで、あまり派手じゃない街並みは好きですね。
TENDRE:早稲田ならではの出会いはありましたか?
友田:僕が行っていたサークルが、いわゆるインカレという、いろいろな大学の人が来ていいという場所で。美大出身の「とにかく飾り付けたいギャル」とか。
田中:めちゃ面白そう。
友田:めちゃくちゃ安く買える古着でコーデをするんです。そういう子とかがいて、刺激を受けていました。
田中:早稲田大学を選んだ理由が「お笑い工房LUDO」というサークルのために、ということですよね。
TENDRE:ここはどういうサークルなんですか?
友田:300人ぐらいいる巨大なサークルで、僕が入ったときは200人ぐらいでした。サークルのゆるさもありつつ、でも毎月ライブで順位が出るんです。だからそこの競争はしっかりある、というちょっと変わったサークルです。
田中:それは投票ですか?
友田:お客さんの投票です。
田中:初めてのステージは覚えています?
友田:文化祭でした。コロナというのもあって、お客さんを入れずに配信でやって。それでけっこうメンタルがズタボロになりました。
TENDRE:ご時世もありましたからね。初ステージの気持ちはどうでしたか?
友田:めちゃくちゃ緊張して。最初は漫才だったんです。上京してきて「俺の笑い、見せたんぞ」みたいな感覚でやりましたが、評価もあまりよくなくて。「これはちゃんとやらないといけないな」というふうに引き締められたというか。
TENDRE:そのときはコンビだったんですね。
友田:「コンビ決めの会」があるんです。そのときに「ツッコミできる人いませんか?」と、要するに「ボケがしたいんです」みたいな感じで言ったら「僕、ツッコミできます」と。「この人できるのかな?」と思ったんですけど「できます」と言ったので練習したら「やっぱりツッコミできません」となって。
TENDRE:そんなことあるんだ。
友田:僕も不慣れなツッコミで、福岡出身なので「なんなんそれお前」とか、無理やり博多弁でやっていました。
TENDRE:もともと性格的にはどっちのタイプなんですか?
友田:ツッコミではないと思いますね。
TENDRE:そう思っていたけど、そのときはツッコミにチャレンジしたと。
田中:どういうきっかけで、そこからピンになっていくんですか?
友田:相方の子は学年が2個上の人だったのですぐに卒業しちゃって。ひとりになったし「ピンでやってみようかな」と思って、ライブにピンでエントリーしました。
田中:友田さんといえば、早くに所属事務所のGATEさんに見つかっています。
TENDRE:直々に福岡の実家に来られた?
友田:僕が大学に入って、いちおう就活とかもしていたので、親としても心配なところが多少あったんです。そのときに社長とマネージャーさんが実家の福岡まで来てくださって。そこで両親も「少し安心した」と言っていました。
TENDRE:両親としてはどういう人と一緒に仕事をするのかは、いちばん気になるところですよね。
友田:そのときはまだ事務所にお笑いの部門がなくて。「ここから若手芸人を育てていこう」という段階だったので、だいぶ力を入れて僕に声をかけてくれました。
TENDRE:熱い想いをぶつけられて「頑張ろう」みたいな気持ちになったわけですね。
田中:就職活動はどういうところを狙っていたんですか?
友田:メディア系でテレビ局とか出していて。アナウンサーのインターンも出したんですが、全然準備していなくてボロボロでした。
田中:エンターテインメントというか、声を出すお仕事が好きだったんですね。
友田:周りがもう就活していたから「まあ、いちおうやるか」ぐらいでやっていました。
友田:彼は浪人して入ったので、1年ずれた状態で上京してきました。高校生のときに一緒にコピーバンドとかをやっていて、そこの関わりがあったんです。彼が東京に来たときに「音楽とかできたらいいね」という話はしていました。お笑いで自分が歌ネタをやっていて、基本、替え歌をやっていましたが、替え歌は著作権的にテレビでは基本できない。だから彼の手を借りました。
TENDRE:オリジナルを作ろうと。コピーバンドのほうも気になりますね。
友田:もうごっちゃごちゃです。それぞれが好きな曲を持ってきて、イーグルスと星野 源さんと、神聖かまってちゃんと、いろいろやったのを覚えています。
TENDRE:幅がすごい(笑)。ネタは清水くんと一緒に作ると思いますが、どういったところから曲を作り始めるんですか?
友田:アイデアが先にできる場合もあれば、「曲調こういうのがいいな」とざっくりしたものが先の場合もあります。とにかく、ひとつテーマを彼の家に持って行って、夜から朝にかけて作業して、なんとなくかたちを作るみたいな感じです。
TENDRE:歌詞は一緒に考えるんですか?
友田:歌詞は僕ですね。
TENDRE:「こういう歌詞で、これにメロディをつけるんだったらこんな感じかな」というのを模索すると。
田中:ちょうどいい歌詞というか、誰も傷つけないじゃないですか。
TENDRE:間違いない。
田中:言っていることは普通なのに、友田さんが言うとじわじわくるんです。表情とともに「いま笑っていい瞬間なんだ」みたいな。
TENDRE:ほのかな自虐なんだけど、ちょっとおもろいみたいな感じがいいですよね。密着動画があって、清水くんは「友田さんを面白くするには、高い音域で歌うのがいい。ちょうど印象に残らないぐらいの曲を作ることを心がけている」みたいなコメントをしています。
友田:ふたりで作業をしていくなかで、なるべく高いほうが面白いなという。ミュージシャンの方も高い音域で歌ったときの声で、その人の特徴がわかるみたいなところ、あるじゃないですか。
TENDRE:ちょっと人間が出てくる感じがありますよね。
友田:それが面白さにもつながるかなと。あとは印象に残らないぐらいの曲というのは、彼がけっこう言っているというか。
TENDRE:絶妙な塩梅を探るというか。
友田:前奏でギターのリフが印象的なのが入りすぎると、ネタにも影響が出てくるとか。そこはこだわってもらっています。
TENDRE:ちょっと昔の歌謡曲っぽい感じというか。聴いたことあるような音像だけど、歌がやっぱり面白くてというのが、バランスが考えられているということですよね。
友田:いろいろリファレンスをとりながらやっている感じです。
TENDRE:観ていてメロがめちゃくちゃいいなと。メロディの流れと言葉の聞こえやすさと、計算されているものもあって。メインで聴かせるサビとかAメロといったものがあるじゃないですか。ちゃんとみんなが聴くまでの流れがすごくきれいでした。
友田:芸人としては同世代と一緒にコント番組というか、往年の平成のコント番組みたいな感じでやっていきたいのがひとつです。あと、清水と完全に音楽に振り切ったほうもやっていて。普段、お笑いは僕のやりたいことを優先していて、音楽は清水のやりたいこと優先です。そっちも分けてやっているので、なにかやっていきたいなと思います。
TENDRE:なんかちょっと、いろいろやりたいですよね。
友田:ぜひぜひお願いします。
田中:つながりますね。
TENDRE:今日、なんだったら伴奏練習してこようかなと思っていて。もう2回ぐらい聴けばできる思うので、もう1回来てください。
友田:ぜひ来ます。
TENDRE:気になるのは、次の「R-1」は出るんでしょうか?
友田:いまは出なくていいかなと。
TENDRE:先々、もしかしたらいろいろ経験していくなかで「来年も頑張ってみようかな」と思うことも、あるかもしれないと。
友田:変わるかもしれないなと思っています。
友田オレの最新情報は、公式X(@tomoda_crodango)まで。
人、街、そして、音楽やカルチャーでつながる「ワクワクする未来」を描く、J-WAVE『KDDI LINKSCAPE』は毎週土曜16時からオンエア。
友田が登場したのは、4月12日(土)放送のJ-WAVE『KDDI LINKSCAPE』(ナビゲーター:TENDRE、田中シェン)のコーナー「CONNECTORS AVENUE」。人、街、そして、音楽やカルチャーでつながる新感覚のエンターテインメントプログラムだ。
番組は、Spotifyなどのポッドキャストでも聴くことができる。
・ポッドキャストページ
大学のお笑いサークルからプロの道へ
友田は2001年生まれ、福岡県出身の23歳。早稲田大学でお笑いサークルに入り、芸人としての活動をスタート。デビュー10カ月で「第44回ABCお笑いグランプリ」の決勝に進出。「R-1グランプリ」では2024年に準々決勝に進出し、2025年に優勝を果たした。23歳での優勝は史上最年少記録だ。TENDRE:そもそも、なぜ芸人の道に進んだのでしょうか。
友田:大学受験をするにあたって「モチベーションになるものがないかな」と思っていたところで、大学のお笑いサークルの存在を知って「これ目標にしたら受験頑張れるかも」と。大学に入ってお笑いサークルに入って、アマチュアでずっとやっていたところ、事務所の人にスカウトされてプロになりました。
TENDRE:小さいころからお笑いに憧れて、というわけではなかったんですか?
友田:めちゃくちゃ好きではあったんですが、自分がなるとは思っていなかったです。
TENDRE:芸人としての出発点となった街はどこでしょうか。
友田:大学があった早稲田ですね。そこに4年間住んでもいたので。
TENDRE:思い入れのある街ということですね。
友田:1年生のころはコロナ禍で外に出られず、2、3、4年で授業を受けてサークルに入って。プロになったときも、まだ最初は早稲田にいたので、本当にすべて経験したというか。
TENDRE:青春の詰まった街でもあるということですね。
田中:早稲田といえば、おいしいご飯というか、安くておいしいんですよね。
友田:僕が3日に1回ぐらい行っていたのが「わせだの弁当屋」というところです。そこの唐揚げ弁当が「茄子カラ」という、茄子と唐揚げがのっていてうまいんです。
田中:街並みがタイムスリップした感じがありますよね。
友田:コンパクトで、あまり派手じゃない街並みは好きですね。
TENDRE:早稲田ならではの出会いはありましたか?
友田:僕が行っていたサークルが、いわゆるインカレという、いろいろな大学の人が来ていいという場所で。美大出身の「とにかく飾り付けたいギャル」とか。
田中:めちゃ面白そう。
友田:めちゃくちゃ安く買える古着でコーデをするんです。そういう子とかがいて、刺激を受けていました。
田中:早稲田大学を選んだ理由が「お笑い工房LUDO」というサークルのために、ということですよね。
TENDRE:ここはどういうサークルなんですか?
友田:300人ぐらいいる巨大なサークルで、僕が入ったときは200人ぐらいでした。サークルのゆるさもありつつ、でも毎月ライブで順位が出るんです。だからそこの競争はしっかりある、というちょっと変わったサークルです。
田中:それは投票ですか?
友田:お客さんの投票です。
田中:初めてのステージは覚えています?
友田:文化祭でした。コロナというのもあって、お客さんを入れずに配信でやって。それでけっこうメンタルがズタボロになりました。
TENDRE:ご時世もありましたからね。初ステージの気持ちはどうでしたか?
友田:めちゃくちゃ緊張して。最初は漫才だったんです。上京してきて「俺の笑い、見せたんぞ」みたいな感覚でやりましたが、評価もあまりよくなくて。「これはちゃんとやらないといけないな」というふうに引き締められたというか。
TENDRE:そのときはコンビだったんですね。
友田:「コンビ決めの会」があるんです。そのときに「ツッコミできる人いませんか?」と、要するに「ボケがしたいんです」みたいな感じで言ったら「僕、ツッコミできます」と。「この人できるのかな?」と思ったんですけど「できます」と言ったので練習したら「やっぱりツッコミできません」となって。
TENDRE:そんなことあるんだ。
友田:僕も不慣れなツッコミで、福岡出身なので「なんなんそれお前」とか、無理やり博多弁でやっていました。
TENDRE:もともと性格的にはどっちのタイプなんですか?
友田:ツッコミではないと思いますね。
TENDRE:そう思っていたけど、そのときはツッコミにチャレンジしたと。
田中:どういうきっかけで、そこからピンになっていくんですか?
友田:相方の子は学年が2個上の人だったのですぐに卒業しちゃって。ひとりになったし「ピンでやってみようかな」と思って、ライブにピンでエントリーしました。
田中:友田さんといえば、早くに所属事務所のGATEさんに見つかっています。
TENDRE:直々に福岡の実家に来られた?
友田:僕が大学に入って、いちおう就活とかもしていたので、親としても心配なところが多少あったんです。そのときに社長とマネージャーさんが実家の福岡まで来てくださって。そこで両親も「少し安心した」と言っていました。
TENDRE:両親としてはどういう人と一緒に仕事をするのかは、いちばん気になるところですよね。
友田:そのときはまだ事務所にお笑いの部門がなくて。「ここから若手芸人を育てていこう」という段階だったので、だいぶ力を入れて僕に声をかけてくれました。
TENDRE:熱い想いをぶつけられて「頑張ろう」みたいな気持ちになったわけですね。
田中:就職活動はどういうところを狙っていたんですか?
友田:メディア系でテレビ局とか出していて。アナウンサーのインターンも出したんですが、全然準備していなくてボロボロでした。
田中:エンターテインメントというか、声を出すお仕事が好きだったんですね。
友田:周りがもう就活していたから「まあ、いちおうやるか」ぐらいでやっていました。
「影の味方」の存在
友田は「R-1グランプリ」でフリップ芸とともに歌う芸などを披露。その歌を作っている「影の味方」が清水 遊だ。友田:彼は浪人して入ったので、1年ずれた状態で上京してきました。高校生のときに一緒にコピーバンドとかをやっていて、そこの関わりがあったんです。彼が東京に来たときに「音楽とかできたらいいね」という話はしていました。お笑いで自分が歌ネタをやっていて、基本、替え歌をやっていましたが、替え歌は著作権的にテレビでは基本できない。だから彼の手を借りました。
TENDRE:オリジナルを作ろうと。コピーバンドのほうも気になりますね。
友田:もうごっちゃごちゃです。それぞれが好きな曲を持ってきて、イーグルスと星野 源さんと、神聖かまってちゃんと、いろいろやったのを覚えています。
TENDRE:幅がすごい(笑)。ネタは清水くんと一緒に作ると思いますが、どういったところから曲を作り始めるんですか?
友田:アイデアが先にできる場合もあれば、「曲調こういうのがいいな」とざっくりしたものが先の場合もあります。とにかく、ひとつテーマを彼の家に持って行って、夜から朝にかけて作業して、なんとなくかたちを作るみたいな感じです。
TENDRE:歌詞は一緒に考えるんですか?
友田:歌詞は僕ですね。
TENDRE:「こういう歌詞で、これにメロディをつけるんだったらこんな感じかな」というのを模索すると。
田中:ちょうどいい歌詞というか、誰も傷つけないじゃないですか。
TENDRE:間違いない。
田中:言っていることは普通なのに、友田さんが言うとじわじわくるんです。表情とともに「いま笑っていい瞬間なんだ」みたいな。
TENDRE:ほのかな自虐なんだけど、ちょっとおもろいみたいな感じがいいですよね。密着動画があって、清水くんは「友田さんを面白くするには、高い音域で歌うのがいい。ちょうど印象に残らないぐらいの曲を作ることを心がけている」みたいなコメントをしています。
友田:ふたりで作業をしていくなかで、なるべく高いほうが面白いなという。ミュージシャンの方も高い音域で歌ったときの声で、その人の特徴がわかるみたいなところ、あるじゃないですか。
TENDRE:ちょっと人間が出てくる感じがありますよね。
友田:それが面白さにもつながるかなと。あとは印象に残らないぐらいの曲というのは、彼がけっこう言っているというか。
TENDRE:絶妙な塩梅を探るというか。
友田:前奏でギターのリフが印象的なのが入りすぎると、ネタにも影響が出てくるとか。そこはこだわってもらっています。
TENDRE:ちょっと昔の歌謡曲っぽい感じというか。聴いたことあるような音像だけど、歌がやっぱり面白くてというのが、バランスが考えられているということですよね。
友田:いろいろリファレンスをとりながらやっている感じです。
TENDRE:観ていてメロがめちゃくちゃいいなと。メロディの流れと言葉の聞こえやすさと、計算されているものもあって。メインで聴かせるサビとかAメロといったものがあるじゃないですか。ちゃんとみんなが聴くまでの流れがすごくきれいでした。
今後は音楽活動も
友田は今後の活動として、芸人だけでなくアーティストとしての音楽活動も視野に入れているという。友田:芸人としては同世代と一緒にコント番組というか、往年の平成のコント番組みたいな感じでやっていきたいのがひとつです。あと、清水と完全に音楽に振り切ったほうもやっていて。普段、お笑いは僕のやりたいことを優先していて、音楽は清水のやりたいこと優先です。そっちも分けてやっているので、なにかやっていきたいなと思います。
TENDRE:なんかちょっと、いろいろやりたいですよね。
友田:ぜひぜひお願いします。
田中:つながりますね。
TENDRE:今日、なんだったら伴奏練習してこようかなと思っていて。もう2回ぐらい聴けばできる思うので、もう1回来てください。
友田:ぜひ来ます。
TENDRE:気になるのは、次の「R-1」は出るんでしょうか?
友田:いまは出なくていいかなと。
TENDRE:先々、もしかしたらいろいろ経験していくなかで「来年も頑張ってみようかな」と思うことも、あるかもしれないと。
友田:変わるかもしれないなと思っています。
友田オレの最新情報は、公式X(@tomoda_crodango)まで。
人、街、そして、音楽やカルチャーでつながる「ワクワクする未来」を描く、J-WAVE『KDDI LINKSCAPE』は毎週土曜16時からオンエア。
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