プロダンサーのMiyuが、ダンスの道を志したきっかけや、SNSで流行した「高速ステップ動画」を投稿した理由、そして、バックアップクルーとして参加する民間人初の月周回プロジェクト「dearMoon」への想いなどについて語った。
Miyuは1997年、東京都生まれ。19歳のときに世界最高峰のダンスバトル大会「ジャスデブ(JUSTE DEBOUT)」でワールドチャンピオンに輝いたほか、国内外のバトルで多数のタイトルを持つ実力派のハウスダンサーだ。最近では、超人的な足捌きによる「高速ステップ動画」をSNSにアップして大バズリさせるなど、ダンスに詳しくない層へのアプローチも精力的に行っている。
Miyuが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。ポッドキャストでも楽しめる。
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https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
秋空の東京都心を駆け抜ける「BMW XM」。その車中でMiyuは、流れる車窓の風景にときおり目をやりながら、ハウスダンスについて説明する。彼女がダンスに目覚めたのは、8歳の頃。地元近くの多摩市永山で毎年開催される「永山フェスティバル」を訪れたことだった。音楽やダンスのパフォーマンスが数多く披露される同イベントで目撃したある光景が、少女のハートに火をつけたのだ。
Miyu:8歳の頃、「永山フェスティバル」で私と同い年くらいの子が躍っている姿を見て「私もやりたい!」となったんです。そこで母親にお願いし、地元スポーツクラブのダンス教室でヒップホップダンスを習い始めました。当時は、家でひたすらEXILEさんのライブの映像を見て真似したり、教室に憧れの女の子がいて「この子みたいになりたい!」と思いながら踊ったりしていましたね。ハウスダンスを始めたのは、目黒にあったスーパーキッズ育成スタジオへ移り、ヒップホップ以外の全ジャンルのダンスを一通り学んでいた、中学1年生の頃です。このときに習っていた先生がすごく好きで憧れていて、その方がやっていたのがハウスダンスだったんですよ。先生に付いていっていたら、いつの間にかハウスダンサーになっていました。
このように、幼少期からダンスに明け暮れていたMiyu。後に数多くのタイトルを獲得する華々しい経歴を踏まえると、いかにも、生まれついての非凡な才能に恵まれていたように思える。しかし、ダンスを始めた当初から「一目置かれるスーパーキッズ」というわけではなかったようだ。
Miyu:そもそも、私はダンスのセンスが全くありませんでした。特に初めたての頃は、めちゃくちゃシャイで、人前で踊るのも、人前に出ることも、しゃべることさえも苦手。周りに全然ついていけないし、いつも端っこで踊っていたタイプでした。でも、ダンスの練習を積み、バトルや大会への出場を重ねるにつれて、どんどん性格が変わっていったように感じます。今はすごくポジティブで、むしろ、人前に出ることが好きなくらいです。センスのなかった私がなぜ15年以上もダンスを続けてこれたのかと考えると、踊ることがすごく楽しいという気持ちとともに、負けず嫌いな性分があったからだと思います。できないことが悔しいし、周りにもっとうまい子がいることが悔しいっていう想いは常にありましたからね。
Miyu:大会は大きく分けて、コンテストとバトルの2種類があります。コンテストは、事前に曲を決めて振り付けを作り、ステージで披露して審査してもらう……というものです。一方のバトルは、かかった音楽に対して即興で踊り、相手と競い合うというものです。大会の審査はダンサーが行っているため、その人たちの感性によって評価するポイントは異なりますが、やっぱり「音楽あってのダンス」なので。どれだけ身体で音楽を表現できているかが重要になります。現在私も審査をする立場にいますけど、どれだけダンスが好きか、どれだけ音楽を愛しているかが伝わってくる子には、やはり、気持ちがグッときますね。
話をしているうちに、「BMW XM」はイースト東京エリアへ。Miyuにとって特別な場所に到着した。
Miyu:バトルをやっているダンサーであれば、誰もが憧れる場所がこの両国国技館です。なぜなら、国内ストリートダンスバトルの最高峰「DANCE @LIVE」の会場だからです。私にとっても国技館は、小さい頃から毎日必ずYouTubeで大会の動画を観るほど、夢の舞台でした。そのため、高校一年生のとき「高校生のうちに絶対にこの舞台に立ちたい」と決意し、高校時代はこの国技館に全てをかけて生活していました。その結果、高校三年生のときに目標が実現したんです。そして、実際にパフォーマンスを終えたときは、「やっと立てた」という実感と、「もっとできるな」「頑張らないとな」という悔しさが、半分半分にこみ上げてきました。あとこの舞台で、先ほど話した最初に憧れていたハウスの先生とバトルをさせてもらったのは、良い思い出です。いまだにその先生にはバトルで勝てていないので、次は勝って恩返しをしたいですね。
Miyu:19歳のとき、ダンスバトル大会の世界最高峰「JUSTE DEBOUT(ジャスデブ)」に師匠と一緒に出場し、世界一になることができました。この大会は国技館の大会「DANCE @LIVE」と同じように、毎日YouTubeで観て「ここに立ちたい」と憧れていた舞台です。一年前には出場が決まっていたので、一年間、この大会のためだけに毎日練習を重ね、ここで優勝することだけを日々考えていましたね。一緒に出させてもらうのが師匠ということもあり、プレッシャーを感じながらも、最善を尽くせるように、また、大会後に「めちゃくちゃ楽しかった」と言えるように、しっかりと一年間準備をしました。
「ジャスデブ」は全世界で予選があって、優勝した人たちだけがパリに集結します。パリでもまたトーナメントが行われ、そこで勝ち抜いた人が優勝となるわけです。絶対に優勝する気でいたので、トーナメントに勝ち進んでも「嬉しい」とかはなかったです。勝ったら次、勝ったら次……と気持ちを切り替えていました。実際に優勝した瞬間は、信じられないというか、ほとんど記憶がありません(笑)。
Miyu:ダンスにあまり詳しくない方へ、自分のパフォーマンスを発信したいと考えてTikTokを始めました。ですが、ただ単にハウスダンスのムービーを載せるだけでは誰も見てくれません。そこで、どうやったら見てもらえるか、「すごい!」「かっこいい!」と一瞬で思ってもらえるかを考えに考え抜きました。その結果、「頑張って足を速く動かす」という結論に至り、「高速ステップ」という名前を付けて動画をアップし始めたんです。もちろん、普段はもっとゆっくりな曲でリラックスして踊ってるんですけど、入口として知ってもらえたらという思いがあります。それがいい感じでバズリ、「高速ステップの人だ」とちょっと知ってもらえるようになりました。ちなみに、SNSでは「楽しそう」というコメントが多くて。私自身めちゃくちゃ楽しんで踊っているので、それが勝手に表情に出ているのかもしれません。
Miyu:今日本では、TikTokやインスタグラムなどにたくさんのショート動画が投稿されていることからもわかるように、ダンス自体はすごく流行しています。でも、ダンサーという職業に関しては、インストラクターや振付師、バックダンサーなど、ダンサー一人でアーティストとして輝く機会があまりないのが現状です。その点が韓国などとは違うところだと思います。ダンサーとしての入り口が多くなり、ダンス人口も増えてはきているのですが、まだまだ出口がしっかりとしていないことが問題点で、そこを変えていければと思い、今ダンスをしています。
また、ダンス界だけにいてもダメだと思っていて。ファッションやテクノロジーといった他の界隈でうまくダンスを融合できるように意識しています。たとえば、テクノロジーであれば、AR、モーションキャプチャー、それにNFTなどです。NFTに関しては、まだ流行ってないときにダンス作品として出させてもらったこともありました。ダンスには著作権がありません。ですので、ダンサーにとって新しいマネタイズの方法になるのではないかと探りながらやってみました。
そんなMiyuの新たな挑戦の一つが民間人初の月周回プロジェクト「dearMoon」への参加だ。なぜダンサーが月へ?――その理由は至極シンプルなものだった。
Miyu:dearMoonは、民間人初の月周回旅行プロジェクトです。私は全世界で応募者100万人の中から日本人として一人だけ選んでいただき、バックアップクルーとして参加します。このプロジェクトでは、宇宙飛行士ではなく、8人のアーティストが宇宙船に乗船します。最初はTwitterでこの情報を知り、好奇心から応募しました。そこから何回もの審査をパスし、最後はテキサスで最終審査を受けて合格することができたんです。
月に行けたらやりたいことですか? 当然、たくさんあるのですが、ダンサーは誰も月に行ったことがないと思うので、まずは宇宙で初めて踊ったダンサーとしてダンス作品を残したいです。逆さまにもなれますし、永遠に回ることだってできる。普段できないシチュエーションで踊れるからこそ、試してみたいことがいっぱいありますね。あとは、誰も見たことがない景色を見られるのも楽しみです。宇宙から地球を見て感じることはたくさんあると思いますし、色んな感情が沸いてくるはずなので、その体験をした後にダンス作品を作りたいです。自分がどういうふうに変化するのか、ダンスがどういうふうに変化するのか、表現したいと考えています。
Miyu:続いて東京ドームに来ました。なぜここに来たかというと、ダンサーとして立てたらいいなという憧れの場所だからです。こういった場に立つダンサーは、バックダンサーとしてアーティストを後ろでサポートする形が多いですが、ダンサーがアーティストとして一番前に立ち、パフォーマンスを披露するという状態まで持ってくことが理想です。いつになるかわからないけど、昔から応援してくれている方々にこういった場でパフォーマンスを披露し、日々の感謝をダンスで伝えられたらいいですね。
東京ドームでの公演、ひいてはダンサーの地位向上を目指して走り続けるMiyu。彼女にとって「未来への挑戦=FORWARDISM」とは?
Miyu:自分自身がダンスを象徴するような存在になって、ダンスとダンサーの社会的地位を上げていきたいです。それで私のダンスを見て何か新しく夢を持ってもらったりとか、見た方が笑顔になってくれたりとか、何か頑張るきっかけを自分のダンスを通して伝えたいと思っています。
(構成=小島浩平)
Miyuは1997年、東京都生まれ。19歳のときに世界最高峰のダンスバトル大会「ジャスデブ(JUSTE DEBOUT)」でワールドチャンピオンに輝いたほか、国内外のバトルで多数のタイトルを持つ実力派のハウスダンサーだ。最近では、超人的な足捌きによる「高速ステップ動画」をSNSにアップして大バズリさせるなど、ダンスに詳しくない層へのアプローチも精力的に行っている。
Miyuが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。ポッドキャストでも楽しめる。
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シャイだったけど…ダンスの練習で性格まで変化
「ハウスダンスは、足のステップを中心とし、足で音楽を奏でていくようなダンスです。ちょうど、TRFのSAMさんがやっているようなやつですね。ベーシックなステップがいくつかあって、振り付けであれば、それらを並べて組み換えていったり、フリースタイルであれば、即興でいろんなステップを踏んでいきます」Miyu:8歳の頃、「永山フェスティバル」で私と同い年くらいの子が躍っている姿を見て「私もやりたい!」となったんです。そこで母親にお願いし、地元スポーツクラブのダンス教室でヒップホップダンスを習い始めました。当時は、家でひたすらEXILEさんのライブの映像を見て真似したり、教室に憧れの女の子がいて「この子みたいになりたい!」と思いながら踊ったりしていましたね。ハウスダンスを始めたのは、目黒にあったスーパーキッズ育成スタジオへ移り、ヒップホップ以外の全ジャンルのダンスを一通り学んでいた、中学1年生の頃です。このときに習っていた先生がすごく好きで憧れていて、その方がやっていたのがハウスダンスだったんですよ。先生に付いていっていたら、いつの間にかハウスダンサーになっていました。
このように、幼少期からダンスに明け暮れていたMiyu。後に数多くのタイトルを獲得する華々しい経歴を踏まえると、いかにも、生まれついての非凡な才能に恵まれていたように思える。しかし、ダンスを始めた当初から「一目置かれるスーパーキッズ」というわけではなかったようだ。
Miyu:そもそも、私はダンスのセンスが全くありませんでした。特に初めたての頃は、めちゃくちゃシャイで、人前で踊るのも、人前に出ることも、しゃべることさえも苦手。周りに全然ついていけないし、いつも端っこで踊っていたタイプでした。でも、ダンスの練習を積み、バトルや大会への出場を重ねるにつれて、どんどん性格が変わっていったように感じます。今はすごくポジティブで、むしろ、人前に出ることが好きなくらいです。センスのなかった私がなぜ15年以上もダンスを続けてこれたのかと考えると、踊ることがすごく楽しいという気持ちとともに、負けず嫌いな性分があったからだと思います。できないことが悔しいし、周りにもっとうまい子がいることが悔しいっていう想いは常にありましたからね。
“夢の舞台”両国国技館に捧げた高校時代
Miyuにとって人格形成の場ともなったというダンスバトルの大会。そもそも、ダンスの世界における“大会”とはどんなものなのか? ――数々のコンペティションを制してきたタイトルホルダーの口から解説してもらうことにしよう。Miyu:大会は大きく分けて、コンテストとバトルの2種類があります。コンテストは、事前に曲を決めて振り付けを作り、ステージで披露して審査してもらう……というものです。一方のバトルは、かかった音楽に対して即興で踊り、相手と競い合うというものです。大会の審査はダンサーが行っているため、その人たちの感性によって評価するポイントは異なりますが、やっぱり「音楽あってのダンス」なので。どれだけ身体で音楽を表現できているかが重要になります。現在私も審査をする立場にいますけど、どれだけダンスが好きか、どれだけ音楽を愛しているかが伝わってくる子には、やはり、気持ちがグッときますね。
話をしているうちに、「BMW XM」はイースト東京エリアへ。Miyuにとって特別な場所に到着した。
「楽しかった」と言えるように…練習を重ねて世界一に!
高校三年生のときに「DANCE @LIVE」のファイナリストとなったMiyuは、師匠に敗れて、惜しくも優勝を逃してしまう。しかし、過去を振り返っている暇はない。常に前を向く彼女は19歳のとき、次の戦いに挑むためにフランス・パリへ飛ぶ。Miyu:19歳のとき、ダンスバトル大会の世界最高峰「JUSTE DEBOUT(ジャスデブ)」に師匠と一緒に出場し、世界一になることができました。この大会は国技館の大会「DANCE @LIVE」と同じように、毎日YouTubeで観て「ここに立ちたい」と憧れていた舞台です。一年前には出場が決まっていたので、一年間、この大会のためだけに毎日練習を重ね、ここで優勝することだけを日々考えていましたね。一緒に出させてもらうのが師匠ということもあり、プレッシャーを感じながらも、最善を尽くせるように、また、大会後に「めちゃくちゃ楽しかった」と言えるように、しっかりと一年間準備をしました。
「ジャスデブ」は全世界で予選があって、優勝した人たちだけがパリに集結します。パリでもまたトーナメントが行われ、そこで勝ち抜いた人が優勝となるわけです。絶対に優勝する気でいたので、トーナメントに勝ち進んでも「嬉しい」とかはなかったです。勝ったら次、勝ったら次……と気持ちを切り替えていました。実際に優勝した瞬間は、信じられないというか、ほとんど記憶がありません(笑)。
高速ステップ動画を投稿した理由
国内外の大会で実績を残すMiyuのダンススキルの一端を垣間見られるのが、SNS上にアップされた「高速ステップ動画」だ。ショートムービー内で繰り出される超絶技巧は、たちまち話題となり、2022年の「TikTok アワード」では「Dance Creator of the Year」を受賞している。いったい彼女は、どのような経緯で、この動画を撮影しようと考えたのだろうか?@miyudance_ ♬ エジソン (version 1) - 水曜日のカンパネラ
Miyu:ダンスにあまり詳しくない方へ、自分のパフォーマンスを発信したいと考えてTikTokを始めました。ですが、ただ単にハウスダンスのムービーを載せるだけでは誰も見てくれません。そこで、どうやったら見てもらえるか、「すごい!」「かっこいい!」と一瞬で思ってもらえるかを考えに考え抜きました。その結果、「頑張って足を速く動かす」という結論に至り、「高速ステップ」という名前を付けて動画をアップし始めたんです。もちろん、普段はもっとゆっくりな曲でリラックスして踊ってるんですけど、入口として知ってもらえたらという思いがあります。それがいい感じでバズリ、「高速ステップの人だ」とちょっと知ってもらえるようになりました。ちなみに、SNSでは「楽しそう」というコメントが多くて。私自身めちゃくちゃ楽しんで踊っているので、それが勝手に表情に出ているのかもしれません。
@miyudance_ Reply to @zipang1999 通常速度です☺️☺️It's normal speed? #fyp #foryou #foryoupage ♬ スカーレット警察のゲットーパトロール24時 - かいでふ
ダンサーの活躍の場を、もっと広げるために
「高速ステップ」は大きな注目を集めたが、彼女が見据えるのはあくまでその先。自分が脚光を浴びることに満足することなく、日本のダンスシーンの現状を打破するべく、新しいアクションを起こしているようだ。Miyu:今日本では、TikTokやインスタグラムなどにたくさんのショート動画が投稿されていることからもわかるように、ダンス自体はすごく流行しています。でも、ダンサーという職業に関しては、インストラクターや振付師、バックダンサーなど、ダンサー一人でアーティストとして輝く機会があまりないのが現状です。その点が韓国などとは違うところだと思います。ダンサーとしての入り口が多くなり、ダンス人口も増えてはきているのですが、まだまだ出口がしっかりとしていないことが問題点で、そこを変えていければと思い、今ダンスをしています。
また、ダンス界だけにいてもダメだと思っていて。ファッションやテクノロジーといった他の界隈でうまくダンスを融合できるように意識しています。たとえば、テクノロジーであれば、AR、モーションキャプチャー、それにNFTなどです。NFTに関しては、まだ流行ってないときにダンス作品として出させてもらったこともありました。ダンスには著作権がありません。ですので、ダンサーにとって新しいマネタイズの方法になるのではないかと探りながらやってみました。
そんなMiyuの新たな挑戦の一つが民間人初の月周回プロジェクト「dearMoon」への参加だ。なぜダンサーが月へ?――その理由は至極シンプルなものだった。
Miyu:dearMoonは、民間人初の月周回旅行プロジェクトです。私は全世界で応募者100万人の中から日本人として一人だけ選んでいただき、バックアップクルーとして参加します。このプロジェクトでは、宇宙飛行士ではなく、8人のアーティストが宇宙船に乗船します。最初はTwitterでこの情報を知り、好奇心から応募しました。そこから何回もの審査をパスし、最後はテキサスで最終審査を受けて合格することができたんです。
月に行けたらやりたいことですか? 当然、たくさんあるのですが、ダンサーは誰も月に行ったことがないと思うので、まずは宇宙で初めて踊ったダンサーとしてダンス作品を残したいです。逆さまにもなれますし、永遠に回ることだってできる。普段できないシチュエーションで踊れるからこそ、試してみたいことがいっぱいありますね。あとは、誰も見たことがない景色を見られるのも楽しみです。宇宙から地球を見て感じることはたくさんあると思いますし、色んな感情が沸いてくるはずなので、その体験をした後にダンス作品を作りたいです。自分がどういうふうに変化するのか、ダンスがどういうふうに変化するのか、表現したいと考えています。
東京ドームで叶えたい夢
話は弾み、車は進む。両国国技館からおよそ4.4キロ。蔵前橋通りを西に直進した先に辿り着いた目的地は、あの巨大建造物だった。東京ドームでの公演、ひいてはダンサーの地位向上を目指して走り続けるMiyu。彼女にとって「未来への挑戦=FORWARDISM」とは?
Miyu:自分自身がダンスを象徴するような存在になって、ダンスとダンサーの社会的地位を上げていきたいです。それで私のダンスを見て何か新しく夢を持ってもらったりとか、見た方が笑顔になってくれたりとか、何か頑張るきっかけを自分のダンスを通して伝えたいと思っています。
番組情報
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