J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:あっこゴリラ)。毎回ゲストを迎え、様々なテーマを掘り下げていく。10月26日(月)のオンエアでは、ストリート出身アーティストの高橋優をゲストに迎え、「偉大なるストリート出身アーティスト特集」というテーマでオンエアした。
あっこゴリラ:ストリートでの活動は、いつ頃されてたんですか?
高橋:大学からフリーター時代のメジャーデビューするまでです。
あっこゴリラ:どこでやられてたんですか?
高橋:主に、札幌の狸小路というアーケード街でやってました。
あっこゴリラ:そもそもストリートライブをやろうと思ったきっかけは?
高橋:最初のきっかけは、まわりにコピーバンドをやる人はいたんですけど、オリジナルをやる人がいなくて、でも僕自身は曲を書いてて歌いたいなと思ってたんですよね。歌う場所がないから、森の奥とかに入っていって歌ったりしてて(笑)。札幌で、どこか歌えるところないかなって探していたら、狸小路を見つけて、ここで歌おうって思ったんです。
あっこゴリラ:超かっこいい! ストリート時代から今も歌い継いでる曲ってあるんですか?
高橋:あります。『メロディ』というバラードで、札幌の狸小路で歌っていたときにできた曲です。ちょっと切ない感じの曲なんですけど、その当時いろんなことがあって、自分の正直な気持ちを書こうと思って作りました。当時はこればっかり歌ってましたね。
あっこゴリラ:高橋さんもゆず世代?
高橋:もう、どんぴしゃですね。
あっこゴリラ:じゃあ、けっこう影響受けましたか?
高橋:間違いなく受けてると思います。でも、どちらかというと、自分の性格が偏屈なのか、当時みんなゆずのコピーしてたんですよ。僕もゆず大好きで、今でも聴くんですけど、自分がやる上では、一人だし、そっちじゃないものをやりたいなっていう思いはありました。
続いては、イギリスが生んだスーパーシンガーソングライター、エド・シーラン。16歳にして家を出て、ホームレスをしながら路上ライブで生計を立ていた。あまりの音楽の素晴らしさに、通りすがりの客が、家に泊めたというエピソードも。そんな中、一念発起し、路上での拠点をロサンゼルスに。そこから口コミで火が付き、メジャーデビューするといきなり全英3位にランクインした。
その後は、ファレル・ウィリアムスやレッド・ホット・チリ・ペッパーズなどを手掛けるプロデューサー、リック・ルービンとのコラボなど、まさに路上からのシンデレラストーリーを経て、現在、誰もが知るスーパーシンガーソングライターとなった。
そんな中、徐々に下火になっていった路上ライブは1998年、ゆずの大ヒットにより、再び活発となる。コブクロも、このころ大阪で活躍していたストリートデュオだ。
あっこゴリラ:高橋さんもちょうどこの頃に路上ライブ活動を始めたんですよね?
高橋:はい。もうみんなやってましたね。
あっこゴリラ:その頃の路上ライブを取り巻く環境は、やっぱりけっこうきつかったですか?
高橋:きつかったと思います。そもそもそこは歌を歌う場所じゃないじゃないですか。通り過ぎるのが普通だから、立ち止まる人を見て、よく立ち止まるなって思ってました(笑)。
あっこゴリラ:あはははは。立ち止まってほしくてやってたんですよね?
高橋:もちろん! でも、歌う人より立ち止まる人の方が勇気あると思います。流れていくのが普通だと思うんで。
あっこゴリラ:それは本当思います! その活動が、今になって活きている部分はどこだと思いますか?
高橋:闘争心というか、フェスとかも似てると思うんですけど、たまたまそこを通った人に立ち止まってもらいたいっていう負けず嫌いみたいな気持ちは、路上で身につけてきたものだと思います。なので、立ち止まってくれたときの喜びは……その人の人生があるのに、わざわざ自分に時間を割いてくれているって本当にすごいことだと思います。その感謝の気持ちというのは、苦労したかいあって、僕は今でもずっとライブで言っています。
アメリカでは路上ライブのカルチャーが昔から定着している。1930年代に、ブルースのレジェンド、ロバート・ジョンソンがギター1本を担いで、アメリカ大陸を渡り歩き、そのテクニックを磨き続けたとも言われている。
イギリスでも路上のカルチャーは盛んで、アートや大道芸、音楽などあらゆるものが無料で楽しめる。こちらは活動資金というよりも、表現の場としてストリートを選ぶというイメージだ。
日本では、ゆずの台頭により1998年ごろから路上ライブが社会現象となったが、2003年ごろから終息に向かったとされている。今となっては野外での音出しはおろかパフォーマンス自体が禁止されているところも多くある。
■デビュー10周年!まだまだ何かを成し遂げた気持ちはない
高橋優は今年、デビュー10周年を迎えた。今の気持ちは?
高橋:10年という時間をやっぱり長くとらえてくださる方が多くて、振り返るニュアンスの言葉を言わなければいけないことが多いんですが、僕にとって10年は、長かったけれど、まだまだ何かを成し遂げた気持ちってないんですよね。もちろんメモリアルな瞬間もたくさんあったんですけど、路上でやってたときとそんなに気持ちが変わってなくて、もっと続けていって、一緒にみなさんといろんな景色を見ていきたいなっていう思いの方が強いです。
リリースされたアルバム『PERSONALITY』には、サウンドプロデューサーに蔦谷好位置も参加している。ともに楽曲を制作して、なにを感じたのか。
高橋:音楽と毎日浸っている方と会うと安心します。いろんな音を持ってきてくれて、聴かせてくれて、一緒に良いもの作ろうってやれる人たちがいるって素晴らしいなって思いました。蔦谷さんは、日本の音楽を牽引している一人だし、一緒にワクワクしながらやれました。
あっこゴリラ:しかも、収録曲のタイトルが『八卦良(はっけよい)』だったり、『東京うんこ哀歌(エレジー)』だったり、最高ですね! これは、どんなときに思い付いたんですか?
高橋:これは、とある3月の夕方に友達から「品川駅にうんこ落ちてて泣きそう」ってラインが届いたんですよ。その30分後にはこの曲できてました。そして、友達にはこの曲を送りました。
あっこゴリラ:あはははは。素敵。それで少しでも笑ってもらおうって、優しいですね。
高橋 優がストリート時代から歌い続ける楽曲は
アートや音楽、ダンスなど、ストリートからは様々なカルチャーが生まれている。番組では、ストリート出身である高橋優をゲストに迎え、どんなライブを行っていたのかを訊いた。あっこゴリラ:ストリートでの活動は、いつ頃されてたんですか?
高橋:大学からフリーター時代のメジャーデビューするまでです。
あっこゴリラ:どこでやられてたんですか?
高橋:主に、札幌の狸小路というアーケード街でやってました。
あっこゴリラ:そもそもストリートライブをやろうと思ったきっかけは?
高橋:最初のきっかけは、まわりにコピーバンドをやる人はいたんですけど、オリジナルをやる人がいなくて、でも僕自身は曲を書いてて歌いたいなと思ってたんですよね。歌う場所がないから、森の奥とかに入っていって歌ったりしてて(笑)。札幌で、どこか歌えるところないかなって探していたら、狸小路を見つけて、ここで歌おうって思ったんです。
あっこゴリラ:超かっこいい! ストリート時代から今も歌い継いでる曲ってあるんですか?
高橋:あります。『メロディ』というバラードで、札幌の狸小路で歌っていたときにできた曲です。ちょっと切ない感じの曲なんですけど、その当時いろんなことがあって、自分の正直な気持ちを書こうと思って作りました。当時はこればっかり歌ってましたね。
ストリート出身の偉大なアーティスト
ここからは偉大なストリート出身アーティストを紹介していく。まず、日本のストリート出身アーティストといえば、日本のフォークデュオのパイオニア的存在の、ゆず。横浜・伊勢佐木町を拠点に路上ライブをしていた。台風の中7000人以上が集まったという伝説もある。あっこゴリラ:高橋さんもゆず世代?
高橋:もう、どんぴしゃですね。
あっこゴリラ:じゃあ、けっこう影響受けましたか?
高橋:間違いなく受けてると思います。でも、どちらかというと、自分の性格が偏屈なのか、当時みんなゆずのコピーしてたんですよ。僕もゆず大好きで、今でも聴くんですけど、自分がやる上では、一人だし、そっちじゃないものをやりたいなっていう思いはありました。
続いては、イギリスが生んだスーパーシンガーソングライター、エド・シーラン。16歳にして家を出て、ホームレスをしながら路上ライブで生計を立ていた。あまりの音楽の素晴らしさに、通りすがりの客が、家に泊めたというエピソードも。そんな中、一念発起し、路上での拠点をロサンゼルスに。そこから口コミで火が付き、メジャーデビューするといきなり全英3位にランクインした。
その後は、ファレル・ウィリアムスやレッド・ホット・チリ・ペッパーズなどを手掛けるプロデューサー、リック・ルービンとのコラボなど、まさに路上からのシンデレラストーリーを経て、現在、誰もが知るスーパーシンガーソングライターとなった。
「負けず嫌いみたいな気持ち」をストリートで育んだ
諸説あるが、「路上ライブ」とは、一般的には1980年代に原宿などで休日の歩行者天国、通称「ホコ天」で大道芸や、ストリートパフォーマンスで活動費を稼ぐというカルチャーが誕生したことから大きく広まったとされている。ちなみに大阪では大阪城公園のストリートライブ「城天(しろてん)」が知られており、城天出身として、シャ乱Q、ポルノグラフティ、あいみょんなどがいる。そんな中、徐々に下火になっていった路上ライブは1998年、ゆずの大ヒットにより、再び活発となる。コブクロも、このころ大阪で活躍していたストリートデュオだ。
あっこゴリラ:高橋さんもちょうどこの頃に路上ライブ活動を始めたんですよね?
高橋:はい。もうみんなやってましたね。
あっこゴリラ:その頃の路上ライブを取り巻く環境は、やっぱりけっこうきつかったですか?
高橋:きつかったと思います。そもそもそこは歌を歌う場所じゃないじゃないですか。通り過ぎるのが普通だから、立ち止まる人を見て、よく立ち止まるなって思ってました(笑)。
あっこゴリラ:あはははは。立ち止まってほしくてやってたんですよね?
高橋:もちろん! でも、歌う人より立ち止まる人の方が勇気あると思います。流れていくのが普通だと思うんで。
あっこゴリラ:それは本当思います! その活動が、今になって活きている部分はどこだと思いますか?
高橋:闘争心というか、フェスとかも似てると思うんですけど、たまたまそこを通った人に立ち止まってもらいたいっていう負けず嫌いみたいな気持ちは、路上で身につけてきたものだと思います。なので、立ち止まってくれたときの喜びは……その人の人生があるのに、わざわざ自分に時間を割いてくれているって本当にすごいことだと思います。その感謝の気持ちというのは、苦労したかいあって、僕は今でもずっとライブで言っています。
アメリカでは路上ライブのカルチャーが昔から定着している。1930年代に、ブルースのレジェンド、ロバート・ジョンソンがギター1本を担いで、アメリカ大陸を渡り歩き、そのテクニックを磨き続けたとも言われている。
イギリスでも路上のカルチャーは盛んで、アートや大道芸、音楽などあらゆるものが無料で楽しめる。こちらは活動資金というよりも、表現の場としてストリートを選ぶというイメージだ。
日本では、ゆずの台頭により1998年ごろから路上ライブが社会現象となったが、2003年ごろから終息に向かったとされている。今となっては野外での音出しはおろかパフォーマンス自体が禁止されているところも多くある。
■デビュー10周年!まだまだ何かを成し遂げた気持ちはない
高橋優は今年、デビュー10周年を迎えた。今の気持ちは?
高橋:10年という時間をやっぱり長くとらえてくださる方が多くて、振り返るニュアンスの言葉を言わなければいけないことが多いんですが、僕にとって10年は、長かったけれど、まだまだ何かを成し遂げた気持ちってないんですよね。もちろんメモリアルな瞬間もたくさんあったんですけど、路上でやってたときとそんなに気持ちが変わってなくて、もっと続けていって、一緒にみなさんといろんな景色を見ていきたいなっていう思いの方が強いです。
リリースされたアルバム『PERSONALITY』には、サウンドプロデューサーに蔦谷好位置も参加している。ともに楽曲を制作して、なにを感じたのか。
高橋:音楽と毎日浸っている方と会うと安心します。いろんな音を持ってきてくれて、聴かせてくれて、一緒に良いもの作ろうってやれる人たちがいるって素晴らしいなって思いました。蔦谷さんは、日本の音楽を牽引している一人だし、一緒にワクワクしながらやれました。
あっこゴリラ:しかも、収録曲のタイトルが『八卦良(はっけよい)』だったり、『東京うんこ哀歌(エレジー)』だったり、最高ですね! これは、どんなときに思い付いたんですか?
高橋:これは、とある3月の夕方に友達から「品川駅にうんこ落ちてて泣きそう」ってラインが届いたんですよ。その30分後にはこの曲できてました。そして、友達にはこの曲を送りました。
あっこゴリラ:あはははは。素敵。それで少しでも笑ってもらおうって、優しいですね。
番組情報
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