J-WAVEで放送中の番組『GROOVE LINE』(ナビゲーター:ピストン西沢)。11月9日(月)のオンエアでは、ファーストアルバム『ESTERO』を8月にリリースしたMichael Kanekoが出演してトークを展開した。
西沢:でも日本語も上手じゃないですか?
Michael:本当ですか? この4、5年ぐらいで話せるようになりました。
西沢:帰国子女は大変ですよね。
Michael:最初はメチャクチャ大変でした。
西沢: J-WAVEで推している人なので、ぜひみなさんにご紹介をしたいということで今日は来ていただいております。音楽的にはアコースティックギターで弾き語りとか、あとは自分で作った曲でフジロックに出たりといった活動をされて、2017年にデビュー。デビューをしたときはおいくつですか?
Michael:26、27歳ぐらいですね。音楽活動をするの自体がけっこう遅くて21歳ぐらいに始めて、最初は六本木の(スタジオ近くの)外国人が集まるバーとかでやっていました。2016年ぐらいに今所属をしているレーベルと出会って、そこからデビューにつながったという感じです。
西沢:子どものころにカルフォルニアで聴いていたのはどんなのですか?
Michael:お父さんの影響があって、クラシック・ロックとモータウンばかりでしたね。
西沢:20年ぐらい前のカルフォルニアでそんな人がまだいたの?
Michael:います。アメリカで特にカルフォルニアは車社会じゃないですか。むこうのラジオ局って、クラシック・ロックしか流さないラジオ局とか、モータウンしか流さないラジオ局とかがあったんです。僕ももちろん『アメリカン・トップ・フォーティ』とかを聴いていたんですけど、お父さんの影響でイーグルスとかが多かったですね。
西沢:ヒットチャートはブリブリのヒップホップじゃないですか。
Michael:僕がいたのは90年代後半、2000年代とかだったので、当時はバックストリート・ボーイズ、ノラ・ジョーンズ、ノー・ダウトとかその辺ですかね。
西沢:じゃあちょっとロックが頑張りだしたころだ。そういった音楽経験が今やっていることのベースになってますか?
Michael:実は向こうでは音楽活動は全くしていなくて、日本に15歳で帰ってきてから、本格的にギターを始めたんです。でもやっぱり聴いている音楽とか、向こうのライフスタイルとかが自然に僕の音楽に出ちゃっているのかなとは思いますね。
西沢:カルフォルニアとクラシック・ロックってハマりすぎなんだけど。
Michael:はい(笑)。ローレル・キャニオン・サウンドというんですかね。
西沢:だって今日のシャツだってペイズリーだし。
Michael:(笑)。
西沢:この人は70年代をそのまま引き継いで来ちゃってるの? みたいな。
Michael:僕も60年代、70年代のカルフォルニアに住みたかったです。あの時代が一番楽しそうじゃないですか。
西沢:ジェファーソン・エアプレインとかね。あとはどんなのがよかったですか?
Michael:トム・ペティとかも大好きです。
西沢:あんな渋い声がでるの?
Michael:たまに簡単にカバーをしたりはします。ライブではやらないですが、聴く音楽としては70年代60年代の音楽が大好きですね。
西沢:日本の曲は日本の曲で、島国の中で特殊な進化を遂げているからね。日本の人に理解をしてもらう大変さというのはどんなところですか?
Michael:『Breakdown feat. Daichi Yamamoto』という曲は唯一、ちょっと日本語の歌詞も入れた曲なんです。もともとは全部英語だったんですけど、ちょっと日本語に挑戦をしたり、あとは曲調とかも……僕は「土臭いもの」が好きなんですよ。でも日本で20代の僕が土臭いものをやっていてもどうかなと思って。もちろんそういう曲もあるんですが、こういう打ち込みと土臭さが混ざった曲とかも出したりして、バランスをとっています。
西沢:だから今は開拓中というか探しているというかね。
Michael:そうですね。
西沢:自分のスタイルを決めていく時期なんでしょうね。
Michaelは11月15日(日)の夜7時から、代官山のライブハウスSPACE ODDで「Michael Kaneko "ESTERO" Release Party」を開催する。配信のチケットは現在も発売している。
Michael:ハマっちゃいましたね、全然詳しくはないんですけど。
西沢:すごいお金と人間と、あそこにたどりつくまでにドライバーがふるいに落とされていって、乗ったら乗ったで自分のシートを確保するのにものすごいエネルギーを使うと。
Michael:すごいですよね。ドラマがすごいなと思いながら観ているんです。
西沢:来年は多くて24戦あるんじゃないかと言われているんだけど、世界各地を1週間に1回ずつレースをしながら回るって、気持ち的にも体力的にもできないよね。「ツアーで世界を回る」と言って、明日はメキシコ、そのあとはブラジルって、考えられる?
Michael:それは夢ですね(笑)。でも絶対に大変ですよね。
西沢:最初のうちは体力と気持ちがついてこないと思うよ。プロレベルでそれを続けるというのは相当だと思うな。
Michael:あのプレッシャーがすごいなと思っていて。1人のドライバーだけど、何千人とうしろにいるわけじゃないですか、お金もメチャクチャかかってるし。
西沢:そういう精神力はライブでも必要だと思います。
Michael:それは本当にわかります。
西沢:お客さんがいないライブって精神力がいりません?
Michael:メチャクチャ必要ですね。「誰のためにやっているのか?」ってなっちゃうんですよね、反応がないし。
西沢:自問自答しちゃうでしょ?
Michael:はい。だから「自分との戦い」という感じですね。
西沢:自分で頭の中にドーパミンを出さないとね。それもひとつの才能だと思います。
Michael Kanekoの最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
『GROOVE LINE』では楽曲を紹介しながらゲストとの軽快なトークをお届け。放送は毎週月曜から木曜の16時30分から。
父親の車で流れていた曲が音楽のルーツ
4歳から15歳までをアメリカのカルフォルニアですごしたというMichael Kaneko。日本に帰ってきてからの日本語の勉強はかなり大変だったのだとか。デビューまでの道のりや、自身の音楽のルーツを訊いた。西沢:でも日本語も上手じゃないですか?
Michael:本当ですか? この4、5年ぐらいで話せるようになりました。
西沢:帰国子女は大変ですよね。
Michael:最初はメチャクチャ大変でした。
西沢: J-WAVEで推している人なので、ぜひみなさんにご紹介をしたいということで今日は来ていただいております。音楽的にはアコースティックギターで弾き語りとか、あとは自分で作った曲でフジロックに出たりといった活動をされて、2017年にデビュー。デビューをしたときはおいくつですか?
Michael:26、27歳ぐらいですね。音楽活動をするの自体がけっこう遅くて21歳ぐらいに始めて、最初は六本木の(スタジオ近くの)外国人が集まるバーとかでやっていました。2016年ぐらいに今所属をしているレーベルと出会って、そこからデビューにつながったという感じです。
西沢:子どものころにカルフォルニアで聴いていたのはどんなのですか?
Michael:お父さんの影響があって、クラシック・ロックとモータウンばかりでしたね。
西沢:20年ぐらい前のカルフォルニアでそんな人がまだいたの?
Michael:います。アメリカで特にカルフォルニアは車社会じゃないですか。むこうのラジオ局って、クラシック・ロックしか流さないラジオ局とか、モータウンしか流さないラジオ局とかがあったんです。僕ももちろん『アメリカン・トップ・フォーティ』とかを聴いていたんですけど、お父さんの影響でイーグルスとかが多かったですね。
西沢:ヒットチャートはブリブリのヒップホップじゃないですか。
Michael:僕がいたのは90年代後半、2000年代とかだったので、当時はバックストリート・ボーイズ、ノラ・ジョーンズ、ノー・ダウトとかその辺ですかね。
西沢:じゃあちょっとロックが頑張りだしたころだ。そういった音楽経験が今やっていることのベースになってますか?
Michael:実は向こうでは音楽活動は全くしていなくて、日本に15歳で帰ってきてから、本格的にギターを始めたんです。でもやっぱり聴いている音楽とか、向こうのライフスタイルとかが自然に僕の音楽に出ちゃっているのかなとは思いますね。
西沢:カルフォルニアとクラシック・ロックってハマりすぎなんだけど。
Michael:はい(笑)。ローレル・キャニオン・サウンドというんですかね。
西沢:だって今日のシャツだってペイズリーだし。
Michael:(笑)。
西沢:この人は70年代をそのまま引き継いで来ちゃってるの? みたいな。
Michael:僕も60年代、70年代のカルフォルニアに住みたかったです。あの時代が一番楽しそうじゃないですか。
西沢:ジェファーソン・エアプレインとかね。あとはどんなのがよかったですか?
Michael:トム・ペティとかも大好きです。
西沢:あんな渋い声がでるの?
Michael:たまに簡単にカバーをしたりはします。ライブではやらないですが、聴く音楽としては70年代60年代の音楽が大好きですね。
日本語に挑戦も 試行錯誤の楽曲制作
番組ではMichaelの新曲『Breakdown feat. Daichi Yamamoto』をオンエア。楽曲を制作するにあたって、はじめて日本語の歌詞にチャレンジをしたという。西沢:日本の曲は日本の曲で、島国の中で特殊な進化を遂げているからね。日本の人に理解をしてもらう大変さというのはどんなところですか?
Michael:『Breakdown feat. Daichi Yamamoto』という曲は唯一、ちょっと日本語の歌詞も入れた曲なんです。もともとは全部英語だったんですけど、ちょっと日本語に挑戦をしたり、あとは曲調とかも……僕は「土臭いもの」が好きなんですよ。でも日本で20代の僕が土臭いものをやっていてもどうかなと思って。もちろんそういう曲もあるんですが、こういう打ち込みと土臭さが混ざった曲とかも出したりして、バランスをとっています。
西沢:だから今は開拓中というか探しているというかね。
Michael:そうですね。
西沢:自分のスタイルを決めていく時期なんでしょうね。
Michaelは11月15日(日)の夜7時から、代官山のライブハウスSPACE ODDで「Michael Kaneko "ESTERO" Release Party」を開催する。配信のチケットは現在も発売している。
ドキュメンタリーを観てF1の虜に
Michaelは最近、NetflixでF1の1年間に密着するドキュメンタリーを観たことで、すっかりF1の虜になってしまったのだとか。自らレースに出場するなど、大の車好きの西沢とのトークに花が咲いた。Michael:ハマっちゃいましたね、全然詳しくはないんですけど。
西沢:すごいお金と人間と、あそこにたどりつくまでにドライバーがふるいに落とされていって、乗ったら乗ったで自分のシートを確保するのにものすごいエネルギーを使うと。
Michael:すごいですよね。ドラマがすごいなと思いながら観ているんです。
西沢:来年は多くて24戦あるんじゃないかと言われているんだけど、世界各地を1週間に1回ずつレースをしながら回るって、気持ち的にも体力的にもできないよね。「ツアーで世界を回る」と言って、明日はメキシコ、そのあとはブラジルって、考えられる?
Michael:それは夢ですね(笑)。でも絶対に大変ですよね。
西沢:最初のうちは体力と気持ちがついてこないと思うよ。プロレベルでそれを続けるというのは相当だと思うな。
Michael:あのプレッシャーがすごいなと思っていて。1人のドライバーだけど、何千人とうしろにいるわけじゃないですか、お金もメチャクチャかかってるし。
西沢:そういう精神力はライブでも必要だと思います。
Michael:それは本当にわかります。
西沢:お客さんがいないライブって精神力がいりません?
Michael:メチャクチャ必要ですね。「誰のためにやっているのか?」ってなっちゃうんですよね、反応がないし。
西沢:自問自答しちゃうでしょ?
Michael:はい。だから「自分との戦い」という感じですね。
西沢:自分で頭の中にドーパミンを出さないとね。それもひとつの才能だと思います。
Michael Kanekoの最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
『GROOVE LINE』では楽曲を紹介しながらゲストとの軽快なトークをお届け。放送は毎週月曜から木曜の16時30分から。
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2020年11月16日28時59分まで
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番組情報
- GROOVE LINE
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月・火・水・木曜16:30-19:00