J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:藤田琢己)。11月8日(木)のオンエアでは、いきものがかり・水野良樹とのコンビでお届けしました。
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は11月9日(金)に映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開される、伝説のロックバンド・Queenを特集しています。
1日目:伝説のバンド・Queen、「時代遅れ」と酷評されていた!? デビューからターニングポイントまでの軌跡
2日目:Queenの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』はシングル化を反対されていた! その理由は…
3日目:Queen、絶頂期から休止状態へ…日本武道館公演のバックステージで語った言葉とは?【特集】
4日目:Queen、復活の瞬間に「19億人」が熱狂! フレディは自身のコンプレックスを乗り越えて…【特集】
■バンドは解散寸前!
最終日の今回は、Queenの復活とフレディ・マーキュリーに迫ります。1985年当時、Queenのレコード売り上げは全盛期の半分まで落ち込み、明らかに人気に陰りを見せていました。マスコミは不仲説、解散説を取り沙汰します。実は、このころバンドは解散寸前まで追い込まれていました。1985年5月に行われた日本武道館公演のバックステージでは、「武道館公演もこれで最後かもね」とメンバー内で話していたそうです。
しかし、そんな時期に彼らにひとつの話が舞い込みます。それは、アイルランドのバンド、ブームタウン・ラッツのリーダーであるボブ・ゲルドフが発起人となったアフリカ難民救済のチャリティーコンサート「ライヴ・エイド(LIVE AID)」への誘いでした。全世界で中継されるビッグイベントで、同じイギリスからはポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、ザ・フー、デヴィッド・ボウイ、スティングなど、そうそうたる顔ぶれが参加しました。
Queenは、コンサートの全貌がよく見えなかったことと、ボブ・ゲルドフと面識がなかったことから出演を一度は断りました。しかし、ボブ・ゲルドフの熱心な誘いを受け、Queenは出演を承諾します。
■Queen復活の瞬間とフレディの生い立ち
「ライヴ・エイド」が開催された1985年7月13日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムには7万人以上の人が押し寄せ、熱気に包まれました。そしてテレビの前では、全世界のおよそ19億人が彼らの登場を待っていました。解散寸前に追い込まれていたQueenのステージは、どうなったのでしょうか。
“その先”を語る前に、フレディ・マーキュリーについて触れておかなければなりません。あのデヴィッド・ボウイに「彼は間違いなく、観客を手のひらの中につかんでしまうことができる人物だ」と言わしめる天性のパフォーマーです。「並外れたステージ度胸、裏打ちされた自信、覚悟という言葉がふさわしい人物かもしれません」と藤田は言います。
なぜ彼は、人々を魅了する力を持っていたのでしょうか。「それは彼が背負っていたものをみると、わかるかもしれません」と藤田は話します。ひとつは人種です。ペルシャ系インド人である両親から生まれたフレディ。青年期にイギリスに移住し、非白色人種としてマイノリティだったフレディは、コンプレックスもあってか、本名のファルーク・バルサラをフレディ・マーキュリーと改名します。
もうひとつはセクシャリティ。「両性愛者だった」との説がありますが、彼自身が公言することはありませんでした。また、「当時の社会情勢、差別、偏見を考えると、口にすることが難しかったと思われます」と藤田。社会的にマイノリティだったフレディにとって、ステージに立ち、脚光を浴びることは、計り知れない覚悟があったのではないでしょうか。
ここで『ボヘミアン・ラプソディ』の歌詞を思い出してみましょう。フレディと共同作詞をしたこともあるイギリスの作詞家、ティム・ライスは、「ハフポスト」の記事でこう語っています。
ティム:『ボヘミアン・ラプソディ』は、フレディが古い自分を捨て、新しい自分を迎え入れようとしているように聴こえる。
フレディ自身は歌詞の意味について語っていませんし、メンバーも「フレディは多くを語りたがらなかった」と、のちに回想しています。今となっては、歌詞の本当の意味を知ることはできませんが、フレディが作った曲の数々が時代を超えて、多くの人の力になっていることは事実です。
「ライヴ・エイド」での彼らのステージは、逆境に立たされながらも自分たちの音楽を全うする、そんな覚悟が伝わってくるものとなりました。そして、「Queenのためのステージだ」と言わしめるほど、世界中から絶賛されました。終わったと思われていたQueenが復活した瞬間です。「ライヴ・エイド」のおかげで結束を取り戻したQueenは、バンドを継続させることができたのです。
■45歳の若さでこの世を去る
2年後の1987年、フレディ・マーキュリーはエイズと診断され、1991年に45歳の若さでこの世を去りました。その後、Queenはフレディの意思を受け継ぐように、現在も断続的に活動を続けています。
フレディが世に残した、大きな影響。多くのミュージシャン、バンド、ヴォーカリストの音楽から発見できるはずです。
11月9日から公開中の映画『ボヘミアン・ラプソディ』も、ぜひチェックしてみてください!
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【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/
注目の新譜・いま注目すべき名盤・話題の来日アーティストなど、週替わりで1組のアーティストを4日間かけて掘り下げていくコーナー「FEATURE TOPICS」。この週は11月9日(金)に映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開される、伝説のロックバンド・Queenを特集しています。
1日目:伝説のバンド・Queen、「時代遅れ」と酷評されていた!? デビューからターニングポイントまでの軌跡
2日目:Queenの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』はシングル化を反対されていた! その理由は…
3日目:Queen、絶頂期から休止状態へ…日本武道館公演のバックステージで語った言葉とは?【特集】
4日目:Queen、復活の瞬間に「19億人」が熱狂! フレディは自身のコンプレックスを乗り越えて…【特集】
■バンドは解散寸前!
最終日の今回は、Queenの復活とフレディ・マーキュリーに迫ります。1985年当時、Queenのレコード売り上げは全盛期の半分まで落ち込み、明らかに人気に陰りを見せていました。マスコミは不仲説、解散説を取り沙汰します。実は、このころバンドは解散寸前まで追い込まれていました。1985年5月に行われた日本武道館公演のバックステージでは、「武道館公演もこれで最後かもね」とメンバー内で話していたそうです。
しかし、そんな時期に彼らにひとつの話が舞い込みます。それは、アイルランドのバンド、ブームタウン・ラッツのリーダーであるボブ・ゲルドフが発起人となったアフリカ難民救済のチャリティーコンサート「ライヴ・エイド(LIVE AID)」への誘いでした。全世界で中継されるビッグイベントで、同じイギリスからはポール・マッカートニー、エルトン・ジョン、ザ・フー、デヴィッド・ボウイ、スティングなど、そうそうたる顔ぶれが参加しました。
Queenは、コンサートの全貌がよく見えなかったことと、ボブ・ゲルドフと面識がなかったことから出演を一度は断りました。しかし、ボブ・ゲルドフの熱心な誘いを受け、Queenは出演を承諾します。
■Queen復活の瞬間とフレディの生い立ち
「ライヴ・エイド」が開催された1985年7月13日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムには7万人以上の人が押し寄せ、熱気に包まれました。そしてテレビの前では、全世界のおよそ19億人が彼らの登場を待っていました。解散寸前に追い込まれていたQueenのステージは、どうなったのでしょうか。
“その先”を語る前に、フレディ・マーキュリーについて触れておかなければなりません。あのデヴィッド・ボウイに「彼は間違いなく、観客を手のひらの中につかんでしまうことができる人物だ」と言わしめる天性のパフォーマーです。「並外れたステージ度胸、裏打ちされた自信、覚悟という言葉がふさわしい人物かもしれません」と藤田は言います。
なぜ彼は、人々を魅了する力を持っていたのでしょうか。「それは彼が背負っていたものをみると、わかるかもしれません」と藤田は話します。ひとつは人種です。ペルシャ系インド人である両親から生まれたフレディ。青年期にイギリスに移住し、非白色人種としてマイノリティだったフレディは、コンプレックスもあってか、本名のファルーク・バルサラをフレディ・マーキュリーと改名します。
もうひとつはセクシャリティ。「両性愛者だった」との説がありますが、彼自身が公言することはありませんでした。また、「当時の社会情勢、差別、偏見を考えると、口にすることが難しかったと思われます」と藤田。社会的にマイノリティだったフレディにとって、ステージに立ち、脚光を浴びることは、計り知れない覚悟があったのではないでしょうか。
ここで『ボヘミアン・ラプソディ』の歌詞を思い出してみましょう。フレディと共同作詞をしたこともあるイギリスの作詞家、ティム・ライスは、「ハフポスト」の記事でこう語っています。
ティム:『ボヘミアン・ラプソディ』は、フレディが古い自分を捨て、新しい自分を迎え入れようとしているように聴こえる。
フレディ自身は歌詞の意味について語っていませんし、メンバーも「フレディは多くを語りたがらなかった」と、のちに回想しています。今となっては、歌詞の本当の意味を知ることはできませんが、フレディが作った曲の数々が時代を超えて、多くの人の力になっていることは事実です。
「ライヴ・エイド」での彼らのステージは、逆境に立たされながらも自分たちの音楽を全うする、そんな覚悟が伝わってくるものとなりました。そして、「Queenのためのステージだ」と言わしめるほど、世界中から絶賛されました。終わったと思われていたQueenが復活した瞬間です。「ライヴ・エイド」のおかげで結束を取り戻したQueenは、バンドを継続させることができたのです。
■45歳の若さでこの世を去る
2年後の1987年、フレディ・マーキュリーはエイズと診断され、1991年に45歳の若さでこの世を去りました。その後、Queenはフレディの意思を受け継ぐように、現在も断続的に活動を続けています。
フレディが世に残した、大きな影響。多くのミュージシャン、バンド、ヴォーカリストの音楽から発見できるはずです。
11月9日から公開中の映画『ボヘミアン・ラプソディ』も、ぜひチェックしてみてください!
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【番組情報】
番組名:『SONAR MUSIC』
放送日時:月・火・水・木曜 21時-24時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/