J-WAVEで放送中の番組「JAM THE WORLD」(月曜担当ナビゲーター:津田大介)のワンコーナー「BREAKTHROUGH!」。ジャーナリスト竹田圭吾さんがこの世を去ってから1年という節目を控えた、1月9日のオンエアでは、奥様の裕子さん、娘さん、息子さんの3人をゲストにお迎えし、竹田さんの想い出を振り返りました。
約3年8ヶ月に渡り「JAM THE WORLD」のナビゲーターを務めた竹田圭吾さん。2011年10月に番組のナビゲーターに就任し、病気療養のために一時番組を休んだものの、その後復帰。生前最後のメディア出演は、2016年1月4日の「JAM THE WORLD」でした。
その1週間後のオンエアでは、竹田さんが闘病のため番組をしばらく休むことが発表される予定でしたが、前日(2016年1月10日)に竹田さんが亡くなってしまったため、ピンチヒッターとして津田がこの回に出演し、その後、番組を受け継ぐ形で現在に至っています。
竹田さんを支え続けてきた奥様の竹田裕子さんは、先月『一〇〇万回言っても、言い足りないけど:ジャーナリスト竹田圭吾を見送って』という本を出版しました。オンエアでは本で明かされた内容や、知ることのなかったお父さんとしての竹田さんの一面をご家族に伺いました。
裕子さんはコーナーの冒頭で「1年前の津田さんのこの番組で、主人へのメッセージを募集をしていただいて、本当に思いのつまった、たくさんのメッセージをいただきました。全部目を通させていただきました。本当にその節はありがとうございました」との感謝を改めてリスナー伝えました。
本の内容についての感想を津田から求められた娘さんと息子さんは「実はまだ目を通してないんです。気恥ずかしいこともあって…」とまだ読んでいないことを告白すると、津田は「お2人ともお父様に似ていてマイペースだなあ(笑)」とコメント。現在高校3年生で「アメリカンフットボールの本場アメリカに挑戦したい」という息子さんと、春から社会人になる娘さんは「将来は海外営業の仕事がしたい」とそれぞれの夢を語りました。
「この1年は長かったような、短かったような、不思議な感覚でした」と語る裕子さん。家での竹田さんはあまり口数が多くはなかったそうです。津田の印象は「食事に行っても色々話してくれて、聞き役も上手い人。あれだけコミュニケーション能力の高い人が家では無口というのは意外だなあと思うんです」と言うと、裕子さんは「本人はしゃべるのは得意じゃないと言い張ってたんですけど、興味のあることや話したいことは番組でも話すことができたんだと思います」と振り返りました。
父の思い出として息子さんは、「幼稚園の頃、自分がアメリカンフットボールを始めたきっかけになったNFLの中継を父が見ていて、旅行のお土産にジャージを買ってもらって。あのとき興味をもったことが自分の人格形成の礎になったと思う」と回想しましたが、アメフト雑誌で仕事もしていた竹田さんから特に薦められた記憶はなく、自然に、父親の背中を見る中で興味を持ったそうです。
娘さんも「小さい時から家にいつも『ニューズウィーク』があって、そのせいか、世界で起きている問題がすごく身近になっていて、そこから興味をもって父に話を聞いたり、文章を書いて見てもらいましたが、父の専門分野だったので、文章には赤が入って(笑)。色々と言われてその時は嫌だなと思いましたが(笑)、今思えばいい勉強をさせてもらったなと思っています」と語っていました。「ニューズウィーク」編集長時代の竹田さんは、部下にも冷静ながら厳しい編集長だったそうです。
アメフト雑誌の編集部で同期として働いていた竹田さんと裕子さんの馴れ初めは、ある日、竹田さんからラブレターが家に届いていたことだったそうです。裕子さんは「あの頃は携帯もメールも無かったですし、そんなに会話を交わす時間もなかったので、そういう形になったのだと思います」と教えてくれました。息子さん、娘さんはこの話を初めて聞いたそうです。
裕子さんは今回の本を出版したことについて、「ずっと耳元で叱られてる気がします(笑)」というくらいに竹田さんの意外な一面にも触れています。逆に、家では無口でクールな竹田さんが、ラジオやTV、ツイッターなどで発言する姿は、家族にとっては違和感や驚きがあったそうです。
その他にも、津田が初めて竹田さんに会った有識者会議での竹田さんの姿や、娘さんが海外へ留学する際には「なぜアメリカなのか」「アメリカでもいろんな州があるがなぜそこなのか」「なぜその大学なのか」など細かく質問攻めにしたといったエピソード。その一方で、息子さんのアメフトへの挑戦には細かいことは言わずに、後ろから後押しするような部分もあった、というようなお話を伺いました。
そして、「JAM THE WORLD」のナビゲーターの仕事については、2時間を1人で預かる責任感から、当日は朝から番組のために情報整理し、特別な番組だと公言していたそうです。裕子さんも、「話したいことがたくさんあるんだなと思っていました。知り合いからも『竹田さん、ラジオではいつも楽しそうだよね』と言われていまして、頭を使って神経を使って、素の部分も出るので、一生懸命準備をしていたのだと思います」
番組の最後には、昨年1月4日に放送された、竹田さんからリスナーへの最後のメッセージが改めて流されました。翌週の番組で竹田さんがリスナーへ自らの口で思いを伝えることは叶いませんでしたが、最後まで「JAM THE WORLD」という番組に向き合い続けてきた証を改めて感じ取ることができるオンエアとなりました。
また、裕子さんは、今週13日(金)には『一〇〇万回言っても、言い足りないけど:ジャーナリスト竹田圭吾を見送って』出版記念の公開トークも行います。ラジオでは伝えきれない生前の映像、写真を交えたものになるそうです。番組サイトでも紹介していますので、ぜひチェックしていただければと思います。
※PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:「JAM THE WORLD」
放送日時:平日 20時-22時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/
約3年8ヶ月に渡り「JAM THE WORLD」のナビゲーターを務めた竹田圭吾さん。2011年10月に番組のナビゲーターに就任し、病気療養のために一時番組を休んだものの、その後復帰。生前最後のメディア出演は、2016年1月4日の「JAM THE WORLD」でした。
その1週間後のオンエアでは、竹田さんが闘病のため番組をしばらく休むことが発表される予定でしたが、前日(2016年1月10日)に竹田さんが亡くなってしまったため、ピンチヒッターとして津田がこの回に出演し、その後、番組を受け継ぐ形で現在に至っています。
竹田さんを支え続けてきた奥様の竹田裕子さんは、先月『一〇〇万回言っても、言い足りないけど:ジャーナリスト竹田圭吾を見送って』という本を出版しました。オンエアでは本で明かされた内容や、知ることのなかったお父さんとしての竹田さんの一面をご家族に伺いました。
裕子さんはコーナーの冒頭で「1年前の津田さんのこの番組で、主人へのメッセージを募集をしていただいて、本当に思いのつまった、たくさんのメッセージをいただきました。全部目を通させていただきました。本当にその節はありがとうございました」との感謝を改めてリスナー伝えました。
本の内容についての感想を津田から求められた娘さんと息子さんは「実はまだ目を通してないんです。気恥ずかしいこともあって…」とまだ読んでいないことを告白すると、津田は「お2人ともお父様に似ていてマイペースだなあ(笑)」とコメント。現在高校3年生で「アメリカンフットボールの本場アメリカに挑戦したい」という息子さんと、春から社会人になる娘さんは「将来は海外営業の仕事がしたい」とそれぞれの夢を語りました。
「この1年は長かったような、短かったような、不思議な感覚でした」と語る裕子さん。家での竹田さんはあまり口数が多くはなかったそうです。津田の印象は「食事に行っても色々話してくれて、聞き役も上手い人。あれだけコミュニケーション能力の高い人が家では無口というのは意外だなあと思うんです」と言うと、裕子さんは「本人はしゃべるのは得意じゃないと言い張ってたんですけど、興味のあることや話したいことは番組でも話すことができたんだと思います」と振り返りました。
父の思い出として息子さんは、「幼稚園の頃、自分がアメリカンフットボールを始めたきっかけになったNFLの中継を父が見ていて、旅行のお土産にジャージを買ってもらって。あのとき興味をもったことが自分の人格形成の礎になったと思う」と回想しましたが、アメフト雑誌で仕事もしていた竹田さんから特に薦められた記憶はなく、自然に、父親の背中を見る中で興味を持ったそうです。
娘さんも「小さい時から家にいつも『ニューズウィーク』があって、そのせいか、世界で起きている問題がすごく身近になっていて、そこから興味をもって父に話を聞いたり、文章を書いて見てもらいましたが、父の専門分野だったので、文章には赤が入って(笑)。色々と言われてその時は嫌だなと思いましたが(笑)、今思えばいい勉強をさせてもらったなと思っています」と語っていました。「ニューズウィーク」編集長時代の竹田さんは、部下にも冷静ながら厳しい編集長だったそうです。
アメフト雑誌の編集部で同期として働いていた竹田さんと裕子さんの馴れ初めは、ある日、竹田さんからラブレターが家に届いていたことだったそうです。裕子さんは「あの頃は携帯もメールも無かったですし、そんなに会話を交わす時間もなかったので、そういう形になったのだと思います」と教えてくれました。息子さん、娘さんはこの話を初めて聞いたそうです。
裕子さんは今回の本を出版したことについて、「ずっと耳元で叱られてる気がします(笑)」というくらいに竹田さんの意外な一面にも触れています。逆に、家では無口でクールな竹田さんが、ラジオやTV、ツイッターなどで発言する姿は、家族にとっては違和感や驚きがあったそうです。
その他にも、津田が初めて竹田さんに会った有識者会議での竹田さんの姿や、娘さんが海外へ留学する際には「なぜアメリカなのか」「アメリカでもいろんな州があるがなぜそこなのか」「なぜその大学なのか」など細かく質問攻めにしたといったエピソード。その一方で、息子さんのアメフトへの挑戦には細かいことは言わずに、後ろから後押しするような部分もあった、というようなお話を伺いました。
そして、「JAM THE WORLD」のナビゲーターの仕事については、2時間を1人で預かる責任感から、当日は朝から番組のために情報整理し、特別な番組だと公言していたそうです。裕子さんも、「話したいことがたくさんあるんだなと思っていました。知り合いからも『竹田さん、ラジオではいつも楽しそうだよね』と言われていまして、頭を使って神経を使って、素の部分も出るので、一生懸命準備をしていたのだと思います」
番組の最後には、昨年1月4日に放送された、竹田さんからリスナーへの最後のメッセージが改めて流されました。翌週の番組で竹田さんがリスナーへ自らの口で思いを伝えることは叶いませんでしたが、最後まで「JAM THE WORLD」という番組に向き合い続けてきた証を改めて感じ取ることができるオンエアとなりました。
また、裕子さんは、今週13日(金)には『一〇〇万回言っても、言い足りないけど:ジャーナリスト竹田圭吾を見送って』出版記念の公開トークも行います。ラジオでは伝えきれない生前の映像、写真を交えたものになるそうです。番組サイトでも紹介していますので、ぜひチェックしていただければと思います。
※PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:「JAM THE WORLD」
放送日時:平日 20時-22時
オフィシャルサイト:http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/